とどかない不思議――彷徨う琥珀――
<第二日目・昼その一>
やはり相手も生徒である以上、教室から確かめるのは基本だ。時間からいって、もう昼食は終わっているであろうから、訪ねていっても迷惑ではないだろう。ただ、五限が移動教室などであったら、少々まずい。足を負傷しているは、移動する時間が常よりもかかる。余裕をもって、すでに出発している可能性があった。
「急ごう……!」
心なしか早足で、リョーマは階段と教室に続く廊下を歩いた。
教室の前にやってきた一年生の姿に、八組の生徒たちは内心で小首を傾げていた。元々滅多に顔をみせないこともあって、もの珍しいと思う気持ちを抑えられぬ。部活やら委員会関連で、他学年の生徒がやってくること事態は珍しくないのだが、この場合相手が相手である。本人の自覚は乏しいが、琥珀の瞳をした一年生は、この学校では少なからず有名人なのだ。
「あ、リョーマくん!」
明るい声がしたかと思うと、教室の中から茶色の髪の少女が出てくる。その視線が誰かを捜すように動いたことが、リョーマの意識にとまった。
「……何か?」
「あ……うん、ひょっとして……くんに会いにきたの?」
軽く首を傾けるテニス部一の姫こと風見鳥里空の表情は、何やらひどく曖昧である。俗にいう嫌な予感を覚え、リョーマは無意識のうちに片頬をひきつらせた。まさか――。
「えっと……もしそうなら、ここにはいないよ。さっき、リョーマくんに会いに一年の教室の方へ……」
語尾がだんだんと小さくなっていくのは、目の前にいる後輩の表情が眼に見えて曇ってゆくからだ。自分が何かしたわけでもないのに、里空は良心の呵責を覚える羽目になった。困ったように視線を彷徨わせる。
「いまから戻れば、会えるかもしれないけれど、帰りに保健室に寄って、包帯をかえてくる、っていっていたから……」
会おうと思って、会いにいくのは、なかなか難しいかもしれない。一の姫は今度は意図的に声をひそめて言った。誰もが昼休みという時間に夢中になっているから、そこまで警戒することはないのだろうが、念には念を入れたのである。テニス部は人気がある反面で、その分敵も多い。妙な悪戯心を抱かせるきっかけは、できる限りつくらぬ方がよいに決まっている。
「……そう、っスか。わかりました。どうも」
ぺこ、と頭を下げ、一年生レギュラーは踵を返した。
――どうしてこう、うまくいかないのだろう……。
無意識のうちに肩が下がってしまう。自分はそれほど大それた望みを抱いているわけでも、実現させようとしているわけでもないのに。ただ……。
落とされた肩を認めた里空は、放っておけなくなったのか、慌てて後輩を呼び止める。肩ごしに振り返った琥珀に、優しく笑う緑の光が映った。
「くんも、リョーマくんに会いたがっていたよ」
会えないことを寂しく思っているのは、きっとも同じだろう。青緑の双眸を持つ友人が、何かとリョーマを気にかけ、かわいがっていることを里空は知っている。その先に――を視て、同時に彼自身が救われていることも。
――今日は、リョーマくんに会いにいってくるね。
そう言って、出かけていったを思う。治りかけの足で歩きまわることを、桃城などはあまり快く思っていないようであったが、よほどのことがない限り、彼は親友の願いに否を口にすることはない。それは、自分とて同じだ。
「大丈夫、絶対逢えるよ。だって、願うことは同じだもの」
「――――」
青学のルーキーはゆっくりと瞬きし、それからもう一度頭を下げた。再び歩き出した背中を、今度は里空もとめようとはしない。ただ、鮮やかな色の双瞳に多少の憂いを込めて見送り続けた。
――時間が、ない。
いけるのはせいぜい一ヶ所だ。だが、どこへゆけばいいのだろうか。
再び上下にわかれた階段の前に立ち、緑がかかった黒髪の少年は思案にくれた。軌跡を追ってみるべきか、それとも先回りをすべきか。何とも判断が難しい。
「……俺がいないと知ったら、先輩、どうするだろう……?」
桃城あたりならば、かの先輩の思考や行動を読むことができるのかもしれぬが、あいにくと自分はまだそこまで至ってはいない。
では、どうするか――。
「まだ、一年の教室にいるかな……?」
「もう保健室にいってるかな……?」