とどかない不思議――掴めない掌――

              <第二日目・昼その二>





 まだ教室にいてくれれば――。
 慌てて駆け戻った教室に、求めていた青緑の輝きはなかった。
 軽く弾んだ呼吸を抱えたまま、扉付近に立ち尽くすリョーマを不審に思ったのか、クラスメイトたちがちらちらと視線を投げてよこす。が、そのどれもが琥珀の双眸を持つ少年の意識にひっかからない。
 ――――くんも、リョーマくんに会いたがっていたよ。
 会って、自分はどうする気なのだろう。特別な用があるわけでもない。何もせずとも、彼が部活に復帰すれば、嫌でも毎日会えるようになるのに。それなのにわざわざ走りまわって、会おうとするのは、どうして――?



 ぽん、と背後から肩を叩かれた瞬間、遠ざかっていた全ての現実が還ってくる。
「――!?」
 弾かれたように振り返れば、肩を叩いたその手を宙に彷徨わせ、やや茫然としているテニス部の三の姫こと草壁汐花の姿がある。
「……何だ、汐花か」
「随分なご挨拶だけど……どうしたの? リョーマくん? 教室、入らないの?」
 もうすぐ予鈴が鳴るよ。黒曜の双瞳が怪訝に瞬く。
「そういえば、さっき先輩が、リョーマくんに会いにきてたけど……」
「…………」
「昨日も捜してたみたいだよね、何か、あったの?」
「……別に」
 そっけなく言い放ち、リョーマは琥珀の瞳を三の姫からそらした。その視線の先にまわり込み、汐花は友人の顔を眺めやる。
「…………何?」
 顔をそむけるように問いかければ、少女は徐に両手を持ち上げた。クラスメイトの両の頬をつまみ、みょーん、と左右に引っ張る。
「ひゃにふるんはよ!?(何するんだよ!?)」
「不細工な顔」
 抗議の声を黙殺し、汐花はなかなか無情なことを言い放つ。たちまち眉をつり上げたリョーマは彼女の手を払いのけ、若干ひりひりする顔を撫でさすった。
「誰のせいだ、誰の!?」
「――よかった、ちょっと元気出たね」
 にこりと黒曜の瞳が笑う。一年生レギュラーは一瞬言葉に詰まった。ひょっとして、心配してくれたのだろうか。かなり、いや、非常にわかりにくいが。
 何か、みんなに気遣われてばっかだな、俺……。
 内心で自嘲気味に呟くと、リョーマはふっと唇の端をほころばせ――。
「不細工な笑い方」
 とまる時間。凍りつく三の姫。
 たとえ感謝はしていても、素直にそれをあらわさないのが、越前リョーマが越前リョーマたる所以であろう。この場にテニス部の者がいたならば、額に手をあてるか、無言で天を仰いでいたに違いない。
 ――破局の鐘が鳴る。
 ぶつり、と太い縄を力任せにちぎる音が、汐花の中で確かに響いた。
「――――のっ、馬鹿リョーマァァァ――ッ!!」



 ……四階の空き教室で打ち合わせをしていた、テニス部の部長と副部長は一瞬動きをとめた。首を傾げたのは、大石の方だ。
「なあ、手塚、いま何か聞こえなかったか?」
「空耳だ」
 手塚は明快すぎるほど明快に断じ、頑なに練習メニュー表を見続けていた。