空を見上げて――すり抜けた光――
<第一日目・昼>
「時間からして、先生に挨拶にいっている頃かも……?」
遅れて登校してきた場合は、担任にその旨を報告する必要がある。そうでなくとも、真面目で、礼儀正しいのことだ。久々に登校した身で、職員室を素通りすることはまずないだろう。
「担任はもう終わっているとして……次は、オバサンかな」
「オバサン」とは、男子テニス部顧問である竜崎スミレのことだ。本来ならば、好んでいくような場所ではない職員室も、見知った顔があると思えば、気持ちも違う。
に会えたならば、まずは祝いの言葉を述べて、それから――。
つらつらと考えをめぐらせながら、リョーマは階段を降りていった。
ノックすること二回。「どうぞ」という了承を受けて、リョーマは扉に手をかけた。
「失礼しまーす」
開けた視界の奥に、見慣れた制服の背中がある。
――あ、リョーマくん。
少し長めの栗色の髪が流れて、露わになった青緑の双眸が笑う……――と、そこに別の顔が重なった。
「やあ、越前。竜崎先生に、何か用かい?」
優しい笑顔――に負けないぐらい、優しい、しかし、別人のそれ。
ほころびかけた幼い表情は、一瞬の幻の終わりを哀しみ、かすかに歪んだ。
「……大石先輩……」
「越前……?」
戸口付近に立ち尽くしたまま、なかなか動こうとしない後輩を不審に思ったのか、やや心配そうな面持ちでテニス部副部長が傍にやってくる。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
身体を屈め、目線をあわせて顔を覗き込む――そんな仕草も、どこか似ていて。
「いや……そういうわけじゃ、ないっス」
「そうか? なら、いいんだが……」
軽く首を傾ける大石には構わず、リョーマは改めて室内を見回した。さして広くもない部屋だ。目的の人物がいるか否かなど、ものの数秒で確認できる。
――いない……。
と、茶で口内を湿らせた竜崎が、口を開いた。
「一足違いだったようだな、リョーマよ」
「え?」
「ついさっきまで、がここにいたんだ。廊下辺りで、出会わなかったか?」
大石の説明を受け、リョーマは反射的に扉の方をを振り返る。と、二人の年長者は、素早く視線をかわしあった。青学のルーキーが、何のためにここまできたかを、互いに悟ってのことだ。
「……悪いな。越前がくるんだったら、もう少しひきとめておけばよかった」
おいで、おいでと手招きながら、大石は茶器の用意を始める。見ていた竜崎が感心するほど、手慣れた様子だ。ほどなく、計二つの湯飲みからあたたかな湯気がたちのぼる。
「どうぞ」
「はあ……いただきます」
どうして部屋の主である竜崎ではなく、自分と同じ生徒でしかないテニス部副部長にもてなされているのだろうか。そう疑問に思わないでもなかったが、リョーマはおとなしく茶をすすった。
期待の一年生が一息つくのを待って、竜崎は語を紡ぐ。
「は、たぶん、いま頃は教室に帰っているだろうね。まだ本調子じゃないから、挨拶は一ヶ所だけにして帰れ、と桃の奴に散々釘を刺されたらしいからの」
テニス部顧問の口調は、どこかおもしろがる気配がある。本当だったならば、その類の心配は、リョーマの横で湯飲みを傾ける三年生の専売特許のはずである。それがどうしてか、あの桃城の役目となっているのだから。
「ふーん……」
教室ということは、二年八組か。琥珀の輝きが、ちらりと壁にかけられた時計に投げかけられる。――残念ながら、そこまでいく余裕はないだろう。
わずかに落ちた肩に気づいた大石が、さりげない仕草で後輩の髪を撫でた。
「放課後、は手塚に挨拶にいくと言っていた。もし会いたいなら、そちらをあたってみるといい。俺も、どこかで彼に会ったら、お前が捜していたことを伝えておくよ」
「別に俺はっ……!!」
捜していたわけじゃない――そう言おうとした声は、音にならずに消え失せた。自分を見下ろしてくる副部長である少年の、その眼差しが、あまりにも優しかったから。
何とも表現できない気分を味わい、リョーマは一息に残った茶を飲み干した。
せっかく、会えると思ったのに……。
リョーマは思わずため息をついてしまう。彼は結局、の入院中、見舞いには一回しかいっていない。桃城や七海、海堂といった面々は、二回ほど面会にいったらしいが、どうせすぐに退院するのだから、といかなかったのだ。
――――青緑の光から遠ざかっていた時間は、長い……。
「……放課後、もう一度……」
ぽつりと、心に浮かんだ言葉が音になる。放課後になったら、もう一度に会うべく行動を起こしてみよう。大石が言っていたではないか。放課後、彼は手塚に挨拶にいく予定だ、と。
「部長は何かと忙しいから、放課後は、教室にいってもあんまり会えない。そんなことは、先輩も知ってるだろうし……あと、部長のいきそうな場所、っていったら……」
「部室だ」 「生徒会室だ」