空を見上げて――こぼれ落ちた欠片――

                 <第一日目・夕>




 放課後の校庭は、運動部に所属する者たちのエネルギーに満ちている。特にこの時期は、どこも大会を目前に控えているだけに、誰もが真剣にそれぞれの練習に励む。
「どうして、急ぐ日ほど、掃除当番なんだろ」
 リョーマは舌打ち混じりに呟いた。普段ならば、練習時間が削られることに対する苛立ちだが、この日はやや理由が異なる。
先輩、まだ帰ってなきゃいいけど……」
 部活に復帰していれば、自分も練習に参加する以上、絶対に顔をあわせることができるだろう。が、青緑の双眸を持つ先輩は、本調子に戻るまでは休部中の身である。必要以上に学校にとどまっているとは思えぬ。
 だが、リョーマにはかすかな希望もあった。
 大石の話では、は手塚を捜しているはずだ。テニス部部長と生徒会長を兼任している彼は、何かと多忙で、特に放課後は校内を転々としていることが多い。この広すぎる学園内で、たったひとりをみつけるのは、なかなか至難の業だ。
先輩が、部長を捕まえるのに、苦労してくれてれば――」
 思わず音にしてしまったから、一年生レギュラーはばつの悪い表情をつくる。表沙汰にはされていないが、いまは右足を怪我しているのだ。そんな彼に対する自分の発言は、かなり不謹慎だったといえるだろう。
「何せよ、急がなきゃ……!」
 テニスバッグを肩に担ぎ、緑がかかった黒髪の少年は教室を飛び出した。



 流れる視界の中に求めた姿がないことを確かめて、リョーマは部室に駆け込んだ。扉を開け放った瞬間、刺すような眼差しが胸元を貫く。
「――――っ」
 思わずたたらを踏んだ少年は、眼差しの主を見やって双眸を眇めた。鋭さを秘めた琥珀の輝きを真っ向から受け止めたのは、頭部をバンダナで包んだ二年生であった。海堂は入ってきたのが後輩と知ると、興味が失せた体(てい)で顔をそむける。
 ――何だ、振り向いただけだったのか……。
 それにしては、随分と迫力のある視線だった。しかも本人にはまるで悪気がないのだから、始末が悪い。気の弱い者は竦み上がったであろうし、相手が自分ではなく桃城などであったならば、まず間違いなく開戦だ。リョーマは胸中でそっと吐息を洩らし、部室内に足を踏み入れた。
「…………なら、いねぇぞ」
 ロッカーの方へ向けた顔も、着替えを行う手もそのままに、海堂の低い声がこぼされる。
「……え?」
 一瞬何を言われたかわからず、リョーマの反応はやや遅れた。海堂はそちらに鋭い一瞥を投じ、ブラウスのボタンをひとつずつはずしていく。
「……捜してるのは、じゃねぇのか?」
「そっちも、ですけど……あの、部長、きてません?」
「部長だと?」
 二年生レギュラーが初めて振り向いた。白刃にも似た光を宿す両眼が、少しばかり意外そうな色を浮かべている。今日は、といえば、ゆく先々で青緑の瞳をした友人の所在を尋ねられてばかりだった。だからてっきり、リョーマもそうだと思ったのだが……。
「……今日はまだきてねぇ……はずだ」
 いささか肩すかしをくらった風情で、海堂は細く吐息をつく。
「そう、ですか……」
 尋ね人は、二人ともいない――ある程度予想していたとはいえ、青学のルーキーは思わず歎息してしまう。
 と、リョーマの様子を横目で窺っていた海堂は、内心でやや狼狽えた。何やら気落ちしているらしい後輩に、何か言ってやるべきなのだろうが、如何せん、言葉が出てこない。本来自分は、こういったことは不得手なのだ。
「しかも、どうしてこんな時に限って、誰もいねぇんだ……!!」
 無人の部室に胸中で思いつく限りの罵声を浴びせていると、リョーマが何かを思い出したような顔をする。
「あの、海堂先輩!」
「な、ななっ、何だ……!?」
 二年生レギュラーは上擦った声を発する。そんな海堂を疑問に思うこともなく、リョーマはやや躊躇いがちに問うた。
「海堂先輩は、先輩に、もう会ったんでしょ。先輩、どうでした……?」
「あぁ?」
 部長の話じゃなったのか。いぶかしげに寄せられた眉根が、ただでさえ不機嫌そうに見える面に拍車をかけた。リョーマ以外の一年生であったならば、さぞ震えあがったことだろう。が、琥珀の双眸を持つ一年生は怯まない。
「…………あいかわらずだった」
 返ってきたのは、およそ答えになっていない、しかし、この二年生らしいもので。
「――――ありがとうございます……」
 ふっと口元を緩め、微笑んだリョーマの表情は、奇妙な静けさをたゆたわせていた。