――――水音が聴こえる。
 小雨が降るように、細かく小さな水音。
(……ここ、どこ…? 私…何をしてるの……?)
 ただ真っ暗な闇の中を、少女――は朧気な瞳でふらふらと歩いていた。

 すると、ぴしょん、と冷たい雫が額にかかったのを感じた。

(冷たい……!? 何…? 雨が降ってるの…?)
 段々と幾つもの雫が降ってきて、は上を見上げようとする。

 しかしその刻、の身体を痺れが襲った。

(やっ…! 何これ…!? 身体が…動かない……っ!?)
 必死にもがこうとしても指先すら動かすことが出来ない。
(どうしよう…!? 誰か…!!)
 考えはしっかり出来るのに、動けないばかりか、声も出せない。
 雨は降り続け、身体中縛られて――は絶望にも似た思いに見舞われた。
 ――と、次の瞬間。
 強い光が上から射し込んで。
(………――?)
 の意識は遠退いていった――――。


「――…っ!?」
 やがて、が気がつくと小鳥囀る朝が訪れていた。
「あれ……ここ、紫姫の館の、私の部屋…? あ、私…っ!!」
 頭上から雨に降られてびしょ濡れになったことを思い出し、は慌てて両手を頭にやる、が――。
「……濡れて……ない…?」
 不思議なことに、頭はおろか顔も身体のどこにも濡れたあとは無かった。
「どうして? 本当に冷たかったのに……夢、だったの…?? でも冷たいって感じる夢なんて…!? それに金縛りみたいなのにも遭っちゃったし…!!」
 頭が判らないことだらけになって、はややパニックに陥ってしまう。
 けれどいくら考えても不安が募るだけなので、は深く溜め息をついて取りあえず、と着替えをすることにした。

 は、今までにも何度か金縛りを経験したことがあった。
 しかしだからと言って金縛りが怖くないわけではないし、おまけにが今現在居るのは怨霊というものが蔓延る、未だ住み慣れない異世界だ。
 こんな状況で金縛りや怖い夢を見ると、途轍もなく不安になる。
「どうしよう…。あっ…!」
 誰かに相談しようかなと、そう思った時、の脳裏に二人の青年が思い浮かばれた。
「泉水さんか泰継さんに相談してみようかな?」
 常日頃から世話になっている天地の玄武である二人の青年。
 双方とも高い霊力を持ち、怨霊や御霊、魂魄といった類のものをおそらく八葉の四神中、一番専門的に理解している。
 それゆえ人の纏う『気』を感じられる彼らは、と初めて逢った刻、頭から「龍神の神子ではない」と決めつけなかった。
 その刻は自分も神子としての自覚は無かったけれど、何となく嬉しかった。

 あの二人なら、話を聞いてもらえそうな気がする。
 他の八葉や紫姫も聞いてはくれそうだが…。
 勝真、イサト辺りには「単なる夢だろ、気にすんな」と言われそうだし、頼忠、彰紋、幸鷹はこんな話をされてもきっと困るだろう。
 翡翠は――以前、怨霊かずらとの戦闘の際、一目見た瞬間「怖い」と口にしてしまった時に「そんな怖がりなところも可愛いね」と言われてしまったことがある。
 今回も迂闊に話してそんな風に言われてしまったら、どうすればいいか解らない。
 紫姫は、真剣に聞いてくれそうだが怖がらせてしまっては可哀想だ。
「やっぱり泉水さんか泰継さんだよね。でも、どうしようかなぁ…」
 ただの夢ではないと思うが……そうでないという証拠も無い。
 うーん…と、が考え込む仕草をした時。
「神子様? 起きていらっしゃいますか?」
 紫姫がそっと御簾を上げて、可憐な姿を見せた。
「あ…おはよう、紫姫」
 は紫姫に心配かけまいと取りあえず平静を装って挨拶をする。
「おはようございます。あの、神子様。泉水殿と泰継殿がいらっしゃったのです。お通ししてもよろしいですか?」
 紫姫の言葉を聞いた直後、は表情をぱぁっと輝かせた。
「ほっ、本当に? 泉水さんと泰継さんが!?」
「は、はい…本当ですわ」
 紫姫はの詰め寄るほどの勢いに驚くものの、素直に頷く。
「丁度、泉水さんと泰継さんに会いたかったの! 紫姫、二人を呼んで来てもらえる?」
「はい。わかりました」
 礼儀正しくそう言って、紫姫は慎ましやかに部屋を出ていった。
 すごくいいタイミングに来てくれたことに感謝しつつ、は部屋でおとなしく二人が来るのを待つ。
 ――暫しして。
「失礼する」
「おはようございます、神子」
 常に冷静沈着な陰陽師――地の玄武・安倍泰継と、常に物腰柔らかな式部大輔――天の玄武・源 泉水がの部屋を訪れた。
「おはようございます、泰継さん、泉水さん!」
 二人の青年が部屋に入って来た途端、は嬉しそうな笑顔をして迎えた。
「神子、何かあったか?」
 いつもと変わらぬ表情で――いや、少し真剣でを気遣うような表情で泰継が尋ねる。
「え…?」
 は泰継の急な問いに不思議そうな顔をした。
 まだ何も言っていないのに…と、そう思っていると、
「先程、紫姫も心配しておられました」
 泉水も心配そうに表情を翳らせて言う。
「私たちに会いたかったと、そうおっしゃられたそうですが…何があったのですか?」
 は二人の青年を交互に見てから俯くと、
「はい…実は、夕べのことなんですけど……」
 思い出すだけで背筋が凍るように感じて、少し震えながら、は夕べの夢のことを話した。


「………やはり、か」
 の話を聞き終えると、泰継はまずそう言った。
「え…やはりって?」
 は泰継の言葉に小首を傾げる。
「実は、私と泰継殿が今日こちらに参りましたのは、そのことをお聞きするためだったのです」
 泉水の答えを聞いても未だ不思議そうな顔のに、泰継と泉水は説明する。
「昨晩、紫姫の館の方角に邪気を感じたのだ」
「私も同じように感じ取ったので、神子の身に何かあったのではと…心配になり、館へ伺おうとした途中で泰継殿とお会いしたので、ご一緒させて頂きました」
「そう…だったんですか…」
 二人の言葉を聞いて少し驚いたように言ったは――段々と黄緑色の瞳をじわぁ…っと潤ませた。
…?」
殿…?」
 泰継と泉水は、驚いて目を見開き、彼女の名を呼ぶ。
「……ごめんなさい。二人が優しいなぁと思って、嬉しかったの」
 は軽く目を擦る。
「正直言って、とても不安だったんです。あんな夢見たり、金縛りに遭ったりして……。相談してもいいのかなって、迷ってもいました。そこに二人が心配して来てくれたから…本当に嬉しいです」
 そう言って、花が綻ぶような笑顔を見せた。
殿…」
 泉水はそんなを見て微かに微笑む。
「神子を守る八葉が、神子の役に立つのは当然だ」
 いつもの表情と口調で言う泰継。
「うん。でも、嬉しかったから! ありがとう、泰継さん、泉水さん」
 はにっこりと笑ってそんな泰継と、そして泉水に礼を言った。
「私ごときには勿体ないお言葉です。あなたのお役に立てるよう頑張ります」
 軽く一礼して泉水は柔らかな笑みを返した。

「それで、神子。水が関係しているのだったな?」
「はい…。最初は遠くで水音がしてるだけだったんですけど、段々近くなって、最後には雨みたいに降って来たんです。そしたら身体が痺れて動けなくなっちゃって…」
 泰継の言葉に、は先程話したことを再度説明した。
「縛されてしまったのですね…。それはさぞ恐ろしかったでしょう」
 泉水はを気遣うように優しく言うと、悲しそうに楝の双眸を翳らせる。
「水は清らかな、清浄なもの。それが神子に害を成すなんて……」
 信じたくないというような泉水に、泰継はすかさず冷静な言葉を述べる。
「だが昨晩感じた邪気は水の気だった」
「……ええ、確かに」
 泉水はそのまま悲しむこと無く、凛と表情を改めて頷いた。
「おそらく水属性の怨霊の仕業だろう。神子、未だ封印していない水属性の怨霊はいるか?」
 泰継に問われて、は一生懸命思い出す。
「えっと……牛鬼と琵琶精と、あと橋姫かな。祓っただけだったから復活してます。あ、でも橋姫はついこの前に祓ったばっかりだから…」
 南の札を手に入れるため、宇治橋の橋姫は天地の朱雀である少年達と一緒に戦った。
 だが、封印に失敗した為、祓っただけに終わったのだ。
「わかった。私と泉水で牛鬼と琵琶精を退治して来る」
「え? じゃぁ、私も行きます!」
 自分も同行しようと慌てて立ち上がるだが、泰継にあっさり制される。
「駄目だ。お前は昨晩穢れを受けたのだ。今日は休め」
「で、でも…」
「泰継殿のおっしゃる通りです。お元気になられてからの方が良いと、私も思います」
 泉水の優しい微笑みを見て、は何とか納得して頷く。
「…わかりました。じゃぁ、泉水さん、泰継さん。お願いしますね」
「はい、お任せ下さい」
「わかった」
 の言葉に泉水は丁寧に、泰継は冷静に答えて。
 天地の玄武は紫姫の館を後にした。



 ――やがて、夕映えの空に京が包まれた頃。
 天地の玄武の青年達は、怨霊退治を無事終えた事を神子に報告した。
 結局、牛鬼と琵琶精のどちらが原因だったかは判らずじまいだが、これでもうに害を成す事は無いだろう――そう告げた二人は、の深い感謝の言葉と笑顔を受け取り、夕暮れの家路についた。

「神子に喜んで頂けて良かったですね、泰継殿」
「…ああ」
 紫姫の館を出た道中、泉水が嬉しそうに泰継に言葉をかけると、泰継はそれにいつもの表情で答える。
「だが……」
 ふと、泰継は真剣な思案顔になる。
「どうなさったのですか?」
 泉水がそれに気づいて尋ねると、
「何か腑に落ちぬ。結局どちらの怨霊が何の目的で神子を襲ったのか判らなかった」
 泰継は表情を少し険しくして答え、それを聞いた泉水も頷いた。
「……そうですね。怨霊は、何か理由があって活動するものですから…」
 泉水は足を止めて、紫姫の館が在る後ろを振り返る。
「……まだ、終わっていないのでしょうか……」
 呟く泉水と同じように泰継も振り返り、夕暮れに染まる京の都ごと――大切な神子が居る館を見つめた。



「――…………あれ…?」
 眠りについた筈のは気づくとまた、ただ暗い闇の中にひとり佇んでいた。
 そして――ぴしょん、と、また水音が聴こえる。
「またこの夢…!? どうして? 泉水さんと泰継さんが怨霊を退治してくれたのに……牛鬼や琵琶精の仕業じゃないの…!?」
 暗い不安に包まれながらは一生懸命考える。
「あの二つの怨霊以外は封印したし、橋姫はこの間祓ったのに……!?」
 考えながら逃げたい気持ちになっては走り出す、が。
「あっ…!?」

 突如、頭上から水が零れ落ちて来た。
 それと同時にの身体中に痺れが疾り、動けなくなる…!

(また…動けない…! どうしよう……っ!?)
 声すら出せなくなったは焦る。
 その瞬間――『何か』の気配を、は感じた。
(…何……?)
 動けず喋れないが、何とかそちらの方へ瞳を向ける。

 すると黄緑色の瞳に映ったのは――薄らと揺れる黒い、影。

 それが段々とこちらへ近づいてくるようにも感じた。
(どうしよう……どうしよう!? 誰か…誰か助けて…――!!)
 の心を混乱と恐怖の感情が支配する。
 黄緑色の双眸から、頭上から降ってくるのとは違う雫が零れ出した。

 その刻――ある『音』がの耳元に届く。

(こ、これは……!?)


   笛の音――泉水さん!?

   鳥の鳴き声――泰継さん!?

   笛の音と鳥の鳴き声――泉水さんと泰継さん!?




   《あとがき》
   はい、三つの選択肢の何れかをお選び下さい♪ 上二つはそれぞれの恋愛イベント、
   下のは玄武お二方の友情イベントとなっておりますv(笑)
   ということで、遙か2玄武創作第一作目です! 例によって私の夢を元にしてます;
   さまが本当に金縛りに遭ったことがあるかはギモーンですが(笑)、私があるのでそう書いちゃいました;
   金縛りってたまに遭うんですよ。
   だから「こんな時、玄武の二人が居てくれたらなぁ…」という思いで書きました(笑)
   あと、最近この二人が好きだなぁvとよく実感するのでvv

                                    wrriten by 羽柴水帆



                          


水の神話 ‐篠突く雨の訪れ‐