――その刻、の耳に軽やかな鳥の鳴き声が届いた。
 小さくて可憐で、けれどとても清らかな鳴き声。
 可愛らしい神々しさを纏ったその鳴き声と姿に、は見覚えがあった。

(これは式神の小鳥……泰継さん!?)

 小鳥を使わせたであろう人の名前をが心の中で唱えた刻、目の前まで迫りつつあった黒き影が離れる――その直後。
「破邪!」
 低い声の響きと共に一枚の札が黒き影に叩きつけられた。
 影はその札に動きを封じられ、蹲る。
 と同時にの身体は呪縛から解き放たれた。
!」
 動けるようになったは、呼ばれた方に振り向く。
 するとそこには鶯色の髪に琥珀と翡翠の瞳を持つ青年――泰継の姿があった。
「泰継さん! 来てくれ……――!?」
 来てくれたんですか――そう言おうとしたの言葉は、瞬時、地の玄武に抱きしめられた故、遮られた。
「遅くなってすまない、……怪我は無いか?」
 の無事を確認するように泰継は強く抱きしめて、切なく翳った声で問いかける。
「は、はい…大丈夫です…!」
 泰継の腕の中で、は高鳴る鼓動を感じながら頬を紅く染め、こくんと頷いた。
「あの、でもこれって夢じゃないんですか? どうして泰継さんが…?」
 早鐘を打つ鼓動を抑えながら、はそぉっと顔を上げて泰継に尋ねる。
「確かにここはお前の意識の中だ。今の私は魂魄として存在している」
 泰継はが夢の中で被害に遭っているのを知り、の元へ駆けつけるために式神を使わせ、彼女の心の道を開かせたのだと説明した。
「怨霊はお前の神気が眠りによって衰えた時を狙い、害を成していたのだ」
 泰継はようやくを放すと彼女の前に立ち、清廉な瞳を黒く蠢く影に向けた。
「あの怨霊って一体…?」
 怨霊の正体を確かめようと、は怖々と泰継の背から顔を覗かせる。
 するとの瞳に映ったものは――。
「はっ、橋姫!?」
 薄い紫色の衣を纏い、深い翠色の髪をした宇治橋の橋姫だった。
「どうして…!? 橋姫はこの前祓ったばかりなのに…!?」
 驚き目を見開くの前に立つ泰継は端的に答える。
「どうやら気力が完全に尽きる前に逃げ延びていたようだ。再びお前の前に現れ、襲いに来た理由は復讐か否か計れぬが…」
 泰継がそう言いかけた時、橋姫は札の呪縛を解き放った。
 そして甲高い叫び声を響かせると泰継とに向かって両手を翳す。
 すると次の瞬間、ザァッと音を立てて大粒の水の弾が彼らの頭上から降り注いだ…!
!」
 それに気づいた泰継は右腕でを抱え、左手で札を翳して結界を張る。
 次々と衝突してくる水の弾は泰継の結界によって防がれていった。
 だが――暫し後に橋姫が放った一番大きな水の弾に、結界が打ち砕かれてしまう…!
「…っ!」
 即座にを抱きしめて庇った泰継の背に、凄まじい速さで放たれた幾つもの水の弾が打ちつけられる…!
「くっ…!」
「泰継さん!? 泰継さん、もういい! 放して下さい!」
 悲鳴こそ上げないものの痛々しい彼の姿に、は涙をあふれさせて訴えた。
 けれど泰継にはそれを聞き入れる様子など微塵も無い。
「嫌だ、放さない…! 私はお前を守りたい…!」
 それだけ言葉を紡ぐと、泰継はを抱く腕に更に力を込めた。
「泰継さん…!!」
 の胸には悲しみに似た想いが駆け抜ける。

 泰継の想いは痛いほど嬉しいけれど、悲しい。
 何も出来ない自分が、悔しい…!

「お願い橋姫! もうやめて!」
 自分の無力さを思い知らされたは、泣き叫んだ。
 その瞬間、泰継は橋姫の攻撃が凪いだように感じた。
 しかし再び高らかな声を上げた橋姫は、泰継と目掛けて激しい豪雨を降らせる。
 が、それより早く泰継は右手に札を取り出していた。
「……どのような理由があっても関係ない。を傷つけさせはしない!」
 そう言い放つと共に泰継は束縛の札を橋姫に投げつける。
「破邪っ!!」
 バシッと音を響かせて橋姫に張り付いた札は、呪縛となって動きを封じた。
 橋姫が再度倒れるのと同時に、泰継から疲れたような深い溜め息が零れる。
「泰継さん!?」
 それを感じたは慌てて泰継に縋り寄る、が。
「…問題ない。それより、橋姫を」
「え…?」
 いつもの口癖を混ぜて言われ、は橋姫の方へ振り向く。
 すると橋姫は――符術に縛られたまま苦しげに震えていた。
 泰継はそんな橋姫を一瞥すると、特に表情も変えずに言葉を紡ぐ。
「…橋姫はお前に封印を望んでいるようだ」
「え…」
「先刻お前が橋姫に叫んだ時、一瞬だが攻撃が弱まった。復讐が目的では無いらしい」
「でも、まさか…」
 怨霊がわざわざ封印されに来るというのだろうか――?
「怨霊は言葉を話す術を持たない。故に、お前に攻撃を仕掛けることでしか封印を促せなかったのだろう」
 ――泰継の言葉は正しかった。
 橋姫はが封印に失敗した時、咄嗟に逃げ延びた。
 しかし少ない気力の中、恨みの感情の中、凄まじい苦しみに襲われて――神子であるに封印して欲しくなったのだ。
「……そうだったんですか…」
 は泰継の言葉を聞き終えると、そっと橋姫のそばに歩み寄る。
「ごめんなさい、私のせいだね。私が封印に失敗したから苦しい思いをさせちゃったんだね…」
 は橋姫に心の底からの謝罪をして、胸の前で両手を組み合わせた。

『めぐれ天の声、響け地の声――彼のものを封ぜよ!』

 龍神の神子の声を聞き届けた龍脈は、白銀の光を疾らせ――怨霊・橋姫を、張り巡らせた天地四方の陣の中に封じた――。
「……これで、いいのかな…」
 手元に舞い降りた橋姫の札を見つめては俯く。
「封印される瞬間、橋姫はお前に感謝の念を唱えていた。お前は間違ったことなどしていない、
 自問気味に呟いたが悲しげに見えて、泰継は困惑に似た表情をして肯定した。
「泰継さん……あっ、泰継さん! 大丈夫!?」
 橋姫の攻撃を受けてまで守ってくれた泰継には慌てて尋ねる。
 すると――はふわりと淡い風が舞い降りたように、泰継の両腕に包まれた。
「問題ない。それよりも、が無事で良かった…」
「泰継さん…」

 ――暖かい…。

 声も、腕も、想いも――泰継のすべてが暖かい。
 の頬が仄かに火照っていく。
 しかし、それに反して泰継の表情は翳ったままで。
「お前に何かあっては、困る。耐えられない。私はお前のために在るのに――私にはお前しか居ないのに…」
 段々と苦しそうになっていく声と共にを抱きしめる腕にも力がこもる。
「や、泰継さん…!?」
 はそんな泰継に驚くが――そっと、陰陽の太極が描かれた狩衣を掴む。
「…大丈夫、私は大丈夫だよ、泰継さん。あなたが守ってくれたから」
 今にも涙が零れてきそうな琥珀と翡翠の双眸を見つめて、は柔らかく微笑んだ。
…」
 本当か否かと戸惑うように瞳を瞬きさせる泰継の無垢さが、の笑みを深くする。
「泰継さん、来てくれて……守ってくれて、ありがとう」
 彼の心の純粋さを思って、は心からの感謝と笑顔を手渡した。
…………!」
 泰継の顔から戸惑いが、不安が消える。
『心』に嬉しさが、大切な『想い』があふれ出す。
 自分の中に『満たされる』ことを初めて感じた泰継は、純真な子供のように汚れの無い微笑みを浮かべて。
 を抱きしめる。
 の名を呼ぶ。
 繰り返されるそれに、は今までにないほど頬を朱に染め上げるのだった。


 ――こうして龍神の神子は救われた。
 地を往く流浪の魂。
 その果てに辿り着く、地の玄武に守られて――――。




                     end.




   《あとがき》
   泰継さんEDですv(笑) うーん…いいのかな、これで;
   とにかく彼の持つ暖かさや純粋さを表現したかったんですけどねぇ…。
   泰継さんって、結構淋しがり屋さんなんですよね(笑) 子供っぽいというか。
   恋愛イベントは勿論、最終章の物忌みの時、特にそう思いました。
   生まれてからずーっとひとりで暮らしていたからでしょう。
   その分、先代と比べると謙虚というか(笑)。切ない表情がよく見られます。
   泰継さんの先代への思いとか…その辺のお話も書きたいですね。
   淋しい思いをしてきた彼に「一緒に居ようね、泰継さん」って、言ってあげたいです。

                written by 羽柴水帆



                               


水の神話 ‐地を往く流浪の魂‐