――その刻、の耳に澄んだ笛の音が届いた。
湧きいずる泉のように、清らかな笛の音。
こんなに綺麗な音色を奏でる人を、はひとりしか知らなかった。
(この笛の音は……泉水さん!?)
その笛を奏でている筈であろう人の名をが心の中で唱えた瞬間、すぐそこまで迫っていた黒い影が離れる。
それとは入れ代わりに、の前には楝色の髪と双眸を持つ青年――泉水が現れた。
「殿!」
泉水はのそばに慌てて駆け寄ると、その身から放つ清めの霊気によって彼女を呪縛から解放した。
「も、泉水さん…! 泉水さん!」
やっと身体が自由になったは安堵の涙を零しながら、駆けつけてくれた天の玄武の胸元にしがみついた。
「殿…! お助けするのが遅くなって申し訳ございません…!」
余程怖い思いをしたのだろう――泉水は自分の胸に飛び込んできた少女を両腕で優しく包み込む。
「どうにか私の笛の音があなたに届いて良かった…」
「そ、そういえば……これって夢じゃないんですか? どうして泉水さんが…?」
は背に添えられた腕と、耳元のすぐそばで囁かれた優しい声に我に返って。
頬を朱に染めた顔を上げた。
「ええ、ここは殿の夢の中です。この私は言うならば魂魄の存在なのです」
泉水はが夢の中で被害に遭っているのを知り、の元へ駆けつけるために笛を奏で、彼女の心の扉を開けてもらったのだと語った。
そして…。
「怨霊はあなたの神気が眠りにより衰えた時を狙って害を成していたのです」
を背に庇い、優美な面立ちを引き締めて、黒く蠢く影を見据えた。
「あの怨霊は一体…?」
は怨霊の正体を確かめるために、恐る恐る泉水の背から顔を覗かせる。
するとの瞳に映ったものは――。
「はっ、橋姫!?」
薄い紫色の衣を纏い、深い翠色の髪をした宇治橋の橋姫だった。
「どうして…!? 橋姫はこの前祓ったばかりなのに…!?」
驚き目を見開くの前に立つ泉水は厳しい表情をする。
「おそらく気力が完全に絶える前に逃げ延びていたのでしょう。苦しみの中にありながら、
あなたを襲いに来たのは、復讐のためか…それとも…!」
泉水がそこまで言いかけた時、橋姫は悲鳴のような声を高く上げて達に向かって手を翳した。
すると突然、空からザァッと音を立てて激しい雨が降り注いでくる…!
「殿!!」
いち早く気づいた泉水は咄嗟にを抱きしめ、橋姫の攻撃から彼女を庇う。
「泉水さん…!?」
が驚いて漏らした名の青年の背に、氷の針の如き強い雨が叩きつけられる。
「くっ…あぁっ…!」
その突き刺さる痛みに泉水の苦しげな声が発せられた。
「泉水さん! 放してっ、放して下さい!」
表情を苦痛に歪める泉水には胸が締め付けられて、涙を零して必死に訴えた。
しかし泉水は更に腕の力を込めて、を強く抱きしめる。
「いいえ…! そのようなこと、出来ません…! 殿…どうか私にあなたを守らせて下さい」
そして苦しいながら優しく言葉を紡ぎ、芯の強い笑みをたたえた。
「泉水さん…!!」
の胸にはただ複雑な想いが巡りゆく。
そこまで自分を想ってくれるのは嬉しいけれど、泉水が傷つくのは悲しい。
何も出来ない自分が悔しい…!
「お願い橋姫! もうやめて!」
自分の無力さを感じてしまったは堪らなくなって泣き叫ぶ。
泉水はその瞬間、橋姫の攻撃が凪いだ気がした。
しかし、再び高らかな声を上げた橋姫は泉水と目掛けて氷の豪雨を降らせる。
それを泉水は自分の肩越しに楝の瞳に映す。
「……如何なる理由があろうとも、この方を傷つけることは許しません…!」
左腕でを抱えたまま、泉水は右手に数珠を持ち、掲げる。
『気疎きものにまとわれ――雨縛気!!』
の身に交う五行の力を用いて、泉水は水と木の気で術を使い、橋姫を縛す…!
動きを封じられた橋姫は悲鳴を辺りに響かせて崩れるように倒れた。
同時にを抱く泉水の腕から少し力が抜ける。
「泉水さん!?」
それを感じたは急いで泉水を支えようとした、が。
「私は大丈夫です。それより殿、橋姫を…」
泉水はの手を握り戻してそう言った。
「え…?」
橋姫の方へ黄緑の瞳を向ける。
すると橋姫は――銀の鎖状の術に縛られたまま苦しげに震えていた。
優しき心を持つ泉水は、そんな橋姫の様子に表情を翳らせる。
「おそらく橋姫は、あなたに封印して欲しかったのだと思います」
「え…!?」
「先程、殿が橋姫に叫んだ時、攻撃が一瞬おさまったのです」
「でもそんな…」
怨霊がわざわざ封印されに来るというのだろうか――?
「怨霊は言葉を話せません。だからあなたにわざと攻撃をして、封印させるように仕向けたかったのでしょう」
――泉水の言葉は真実だった。
橋姫はが封印に失敗した時、咄嗟に逃げ延びた。
しかし少ない気力の中、恨みの感情の中、凄まじい苦しみに襲われて――神子であるに封印して欲しくなったのだ。
「……そうだったんですか…」
は泉水の言葉を聞き終えると、そっと橋姫のそばに歩み寄る。
「ごめんなさい、私のせいだね。私が封印に失敗したから苦しい思いをさせちゃったんだね…」
は橋姫に心の底からの謝罪をして、胸の前で両手を組み合わせた。
『めぐれ天の声、響け地の声――彼のものを封ぜよ!』
龍神の神子の声を聞き届けた龍脈は、白銀の光を疾らせ――怨霊・橋姫を、張り巡らせた天地四方の陣の中に封じた――。
「……これで、いいのかな…」
手元に舞い降りた橋姫の札を見つめては悲しげな顔をして呟く。
「ええ、殿。橋姫が封印される瞬間、彼女のとても穏やかな表情が私には見えました」
少し俯いていたの傍らに歩み寄ると、泉水は優しく微笑んだ。
「泉水さん……あっ、泉水さん! 大丈夫ですか!?」
橋姫の攻撃から守ってくれた泉水には慌てて問う。
「はい、このくらいのこと…あなたをお守り出来た喜びに比べれば、どうと言うことはありません」
「も…泉水さん…!」
穏やかな微笑を絶やさない泉水のその言葉に、の瞳から雫が零れ出す。
――優しすぎる…。
には泉水の優しさが、嬉しいのに切なかった。
「殿…」
再び涙を零し出したを、泉水はそっと抱き寄せる。
「どうか、泣かないで下さい。私は本当に大丈夫ですし、あなたのお役に立てたことが何より嬉しいのですから」
「……泉水さん…」
泉水の腕の中でようやくが小さく頷くと、
「あっ、あの、すみません…! このような…!」
恐れ多いことを…とでも言いたげに、泉水は慌ててを解放した。
その楝色の双眸は大きく開かれ、頬は一気に紅く染まり上がる。
しかしは――そんな泉水の山吹色の狩衣に包まれた胸元に、きゅっとしがみつく。
「泉水さん」
「は、はい?」
どうしたら良いか戸惑う泉水の名を呼んだは顔を上げて。
「来てくれて……助けてくれて、ありがとう…!」
涙を零しながらも心からの感謝の笑顔を見せた。
「は…はい…! はい、殿…!」
驚き照れたように頬を紅く染めていた泉水は、歓喜に満ち溢れて微笑んで。
もう一度、を抱きしめた。
――心配してくれる優しさも嬉しいけれど。
自分が役に立てたのを認めてくれたこと、『ありがとう』をくれたこと。
それが、泉水の心には一番暖かな輝きをもたらした…。
――こうして龍神の神子は救われた。
天からの優しき流れ。
その調べを奏でる天の玄武に守られて――――。
end.
《あとがき》
泉水さんEDですv(笑) 泉水さんの強さと優しさが表現出来たでしょうか?;
本当に優しいんですよね、泉水さんってv 院の怨霊を祓うのを一緒にやってる時、
甘いものか気を紛らわせるものを贈ってくれたりするんですよv
そんな風にいつも気遣ってくれるし……周りの人に対しても優しすぎます。
彼の大きな真実やその優しさについては、絶対お話を書こうと思います。
勿論、恋愛創作で。だって泉水さんって照れるとすごい可愛いんですよv(←それか)
いえそれだけじゃないですけどね…;(笑)
傷つきやすい心を持ちながら今まで懸命に生きてきた泉水さんの支えになりたい。ただ、それだけです。
written by 羽柴水帆
