エピローグ
追憶の時を終えると、青年将校は静かに写真立てをテーブルの上に戻した。バンとフィーネが食い入るように見つめる。
「へぇ……そんなことがあったんだ」
バンが写真を見ながら言った。写真の中の碧水の双眸を持つ少年は、穏やかな優しい笑顔を浮かべている。きっとこんな顔で、シュバルツやトーマと接していたのだろう。そう思うと、バンは一度この少年、いや、いまは青年になっているだろう彼に、会ってみたくなった。
「その写真は、彼が私たちの家に初めてきた時に、母が撮ってくれたものだ」
シュバルツが誰にとでもなく説明してくれた。
「アゼルさんが帝都を去ってから、もう何年になるんでしょうね……?」
問いかけとも、呟きともとれる言葉を、トーマが発した。シュバルツがわずかに目を細めて、写真を見やった。
「……九年……というところだな」
「もう九年でしたっけ? どうしてるかなぁ、アゼルさん……」
兄弟の会話を聴いていたバンは、少し肩を落とした。会ってみたいと思っていたのに。
「どこに行ったんだ?」
「わからない。この九年間、一度も会っていないのでね」
「……アゼルさん……」
トーマが小さく呟いた。その声には、懐かしさだけでなく、不安も混ざっている。
アゼルはフェンリルとともに、行き先も告げずに帝都を去った。それからは音信不通となり、正直なところ、彼の生死すらもはっきりしていない。トーマとカールは、時折、彼が以前使っていた家を訪ねている。家はあの時のまま、いまも存在している。が、在ってほしいものが、いつもない。あの優しい碧水の輝きが。
弟の心中を察してか、シュバルツは軽くその肩を叩いた。兄の無言の慰めを受け、トーマは微笑してみせる。
それからは何でもない世間話が続いた。ガーディアン・フォースとはいえ、その筆頭とされているバンもトーマも、まだ少年といえる者たちだ。久々に訪れた休息の時に、彼らの顔から大人のそれが消える。そんな光景に、青年将校などは笑みをこぼしながら、話に加わっていた。
と、三十分もしてからだろうか、トーマが船を漕ぎ始めた。
「ん? トーマの奴、居眠りしてるぞ」
「仕方ないじゃない、バン。トーマさん、このところ、ろくに寝てないみたいだったし」
バンの黒い双眸が、いぶかしげにフィーネを見やる。
「何で? 何をそんなにやってたんだよ?」
「あんた、知らないのかい?」
と、これはムンベイである。その口調はやや呆れが混ざっている。
「え? 何を?」
「トーマはね、ライガーとサイクスのシステムチェックをしてくれてたのよ」
「えぇ!?」
「本当かよ!?」
黒髪の少年だけでなく、それまで自分とは関係ないような顔をしていたアーバインも声を上げた。
「でもよぉ、トーマの奴、この前、サイクスのシステムチェックを頼んだら、『それぐらい自分でやれ』って、言ってたぜ」
賞金稼ぎの青年の言葉に、バンがそうだそうだ、とばかりに頷いてみせる。
「何だかんだと言っても、ちゃんとやっててくれたんだから、あんたたち、少しは感謝しなさいよ」
『へーい』
フィーネは部屋にあった仮眠用の毛布を持ってくると、トーマにそっとかけてやった。もし彼が起きていたら、顔を真っ赤にしていただろう。
「ありがとう、フィーネ」
弟に代わってシュバルツが礼を言った。少女は笑ってそれに応じる。
世間話が再開されたが、長くは続かなかった。ほどなくバンとフィーネが眠りだし、いつの間にかムンベイも瞳と意識に幕を下ろしていた。
アーバインはため息をついた。
「やれやれ、揃いも揃って……」
青年将校は微笑にほんの少しだけ苦いものを混ぜた。
「まあ、仕方あるまい。皆、疲れているのだろう」
「しょうがねぇ、部屋に運んでやるか。あんたも手伝ってくれよ」
アーバインは頭を掻くと、立ち上がった。続いてシュバルツも立ち上がろうとした。と、眠っているトーマの身体が傾き、青年将校に寄りかかるかたちになる。起きる気配はない。兄の肩に頭をのせたまま、トーマは気持ちよさそうに眠り続けた。
そんなトーマを見、シュバルツは賞金稼ぎの青年に何ともいえない笑みを向けた。
「すまないな。私も動けなくなった」
アーバインは無言だったが、肩をすくめる気配がある。再び頭を掻くと、これまたため息をついた。
「仕方ねぇ」
呟き、人数分の毛布を持ってくる。そのうちのひとつをシュバルツに放った。彼がそれを器用に片手で受け止めたのを確認すると、アーバインは残りの毛布をバンたちにかけてやる。
「悪いが、俺も寝させてもらうぜ」
「構わない。私もそうさせてもらう」
アーバインは軽く笑うと、電気を消した。床に寝転んで毛布にくるまる。
シュバルツは自分の身体に毛布をかけた。と、寝ているはずのトーマが声を発した。後から思えば、寝言だったのかもしれない。
「おやすみなさい、兄さん……」
「……ああ、おやすみ、トーマ」
シュバルツはトーマの髪をそっと撫でた。幼い頃のように。そして、静かに双眸を閉じた。
……その夜、どういうわけか、兄弟は揃って同じ夢を見た。
二人はあの、風を呼ぶ丘で誰かを待っていた。やがて翡翠の双眸の先に、碧水のコマンドウルフが姿をみせる。懐かしい一対の碧水の輝きと、優しい笑顔を連れて――。
それは遠い未来のことだろうか、それとも、もうすぐのことなのだろうか。どちらにしろ、ただの夢だとは思いたくない。
……未来はまだ、誰の目にも見えてはいない。
天空で二つの月が、白く優しい光を放っていた。
――Fin――
<あとがき>
・このお話は、「心ある機械の証明」とほぼ同時期に書き始めたものです。「心ある機械の証明」とは少々違い、ほとんどが風見野のオリジナル設定による過去話となりました。シュバルツ兄弟の幼い頃も、想像のもとで書いたので、イメージを壊された方がいるかもしれませんね。そういった方、すみませんでした。
アゼルは風見野のお気にいりのオリキャラです。その彼が、やはりお気にいりのカールお兄さんやトーマくんと仲良くやってくれればなぁ、と夢見た結果が、このお話です。「惑星Zi」や「清風界」にある短編の方では、アゼルはしっかりと登場しています。きっと彼とシュバルツ兄弟はどういう関係なのだろうか、と疑問に思われた方がいると思います。上記のお話は、そんな方のためでもあります。
アゼルとカールお兄さんやトーマくんにまつわるエピソードは、まだまだたくさんあります。お付き合い下さると嬉しいです。
ここまで読んで下さり、そしてアゼルという風見野の「息子」を受け入れて下さった方、ありがとうございました。

