第五章  誇りあるその名――ロイス――





 いつしか自分ひとりだけになっていた元軍曹は、ややひきつった形相で、しきりに後方を確認していた。たかがコマンドウルフ一体、すぐに撃破できると思っていたのに。ガンスナイパーもセイバータイガーも、まるで戻ってくる気配がない。
「構うものか、こうなりゃあ、俺様ひとりだけでも逃げのびてやる!」
 元々そのつもりであった、といえば、つもりであったのだ。ここを逃げのびて一旦どこぞに身を隠し、再起を謀る。裏切りの見返りにもらったこのアイアンコングがあれば、並のゾイドたちなど目ではない。どいつもこいつも、みんなまとめてスクラップにしてやる。憤怒と悪意に入り混ざった、複雑な薄笑いを顔中にたたえ、男は前を向いた。
 と、レーダーが敵機の接近を告げる。
「あっ」という自身の声を、男は聞いたような気がした。コクピット内に影が落ち、それはアイアンコングを飛び越え、前方へと回り込む。慌ててゾイドを停止させて、元軍曹はぎくりと身体をすくませた。
 先ほどを上回る、強い既視感――。
 青き狼がゆっくりとこちらへと向き直る。コクピットごしにでもわかる、あふれるほどの戦意と闘志。耳朶を叩く雄々しき咆哮が、過去の光景を呼び起こす。
 まさか、まさかあの男が生きていたのか――!?
 恐怖とも驚愕ともつかぬ感情に、元軍曹は目を剥いた。が、聞こえてきた声は、かのエースのそれではない。
『元共和国軍、ガストラ軍曹だな』
 ともすれば弾みそうになる呼吸を抑え、ロイスは眼前にいる仇敵を睨みつける。自分でも不思議なほど、心が凪いでいるのがわかる。もっと激情にかられ、なりふり構わず仕掛けることしかできないのではないかと思っていたのに。
 ――きっと、心の奥底でわかっているからだろう。
 一度だ。この一度を逃せば、次はない。だからこそ、頭で何か思う前に、心が冷静になろうと努めている。
「憶えているかどうかはわからんが、俺は貴様に裏切られ、無念の死を遂げた元共和国軍少尉、ロイス・ヴォルフハルトの名と遺志を継ぎし者だ」
 孤児であった彼には、いくつもの名があった。どうせ本名ではないのだから、何と名乗ろうと、全て同じことだと思っていたから。名無しでは不便だから、という理由だけで、気まぐれに何度もかえてきた自分の名に、初めて誇りを抱けたのが、三年前――。
『な、何故その名を!? まさか、まさかそのコマンドウルフは――!?』
「そうだ、貴様が仕留め損なった、ロイス・ヴォルフハルトの相棒、アスールだ!」
 亡霊でも見たかのような風情の元軍曹に、ロイスは、あの日から「ロイス」となった青年は、斬りつけるように言い放った。
 天空高くまで響きわたった慟哭に、誘われるように赴いた戦場跡で出逢った、青き狼。何体もの帝国軍側のゾイドが横たわる中で、何故か一体だけしかいない、共和国軍のゾイドを不審に思って近づいた。すると、重傷の身を押してそのコマンドウルフが動き、威嚇の唸り声を上げた。身の内に抱く、大切な相棒を護るように。
「安心しろ。俺は、敵じゃない」
 大きな腕が、自身の真横に叩きつけられても、紺の髪の青年は動じなかった。どうにか警戒を解いてもらい、ゆっくりと開かれたキャノピーの向こうにいた、コマンドウルフの相棒……すでに冷たくなっていた彼の亡骸を、二人で一緒に弔って。
 慣れない手つきで、必死で介抱する間に聞かされた、彼と、彼の相棒の名前。
 そして、彼らの身に起きた惨劇――。
 似ている、と思った。紫水晶の瞳をした青年もまた、戦火の中に置き去りにされた子供であったから。物心つく前に、炎に包まれたコロニーの中で、捨てられていた子供――避難する途中だった教会のシスターが、偶然みつけてくれなければ、自分はいまここにはいなかっただろう。
「なあ、アスール。俺が、お前の相棒の名前をもらってもいいか?」
 自分でも意外なほどに、するりと紡ぎ出された台詞だった。
 捨てられたことで、どこか人生に冷めて、自棄に走っていた自分。自分と同じように、いやそれ以上に悲惨なかたちで捨てられたというのに、決して最期まであきらめず、誇りをもって戦い抜いた、アスールの相棒――彼のように、なれたら……。
「お前と、お前の相棒の生き方を、俺は学びたい――」
 この青き狼と、その相棒のような、誇り高い生き方を――。
 こうして、孤児として生き、名前というものに何の意味も感情も抱けなかった青年は、その日「ロイス」という名のそれに生まれかわった……。
 ガストラの口から、低い嗤いが洩れる。
『そうか、そうだったのか……あの野郎の亡霊が、まだ彷徨ってやがったのか。全く、どこまでも逆らいやがって。まあいい、奴にはこの顔の傷の恨みが、まだ残ってるんだ! 貴様がかわりにそれを受けろ!!』
 操縦者の怒りに応えて、アイアンコングもまた凶暴な唸りを発する。地響きを立てて突進してくる機獣に、ロイスは操縦桿を握り直した。





 ――なあ、アスール。きっと誰も、『僕たち』を知らないんだろうな。






 トーマはディバイソンの豊富な火力を存分に活用し、自分たちの身を護りつつ、バンたちの援護も同時に行っていた。と、横手から迫ってきたレブラプターが、何もしていないのに吹き飛んだのを認める。
「――兄さん……!」
 瞬時にその正体に気づき、翡翠の瞳をした少年は顔をほころばせた。
 元軍人側に、目に見えて動揺が走った。地平の彼方に黒影が出現したのである。この場にいる全てのゾイドの数を足しても、まだ足りないほどだ。さらに地上部隊の頭上には、飛行ゾイドの姿も見えるではないか。
 地上部隊の先頭をきって走るセイバータイガーから、若き師団長の指令が飛ぶ。
「全軍攻撃開始! くれぐれも、ガーディアン・フォースたちには当てるなよ!」
 すでに乱戦状態にある戦場で、三体のゾイドを除いて攻撃せよ、とは、なかなか厳しい命令ではあった。が、帝国軍の誇る第一師団の者たちは、小揺らぎもしない。そうでなくては、精鋭中の精鋭たる第一師団に籍をおけるはずがないのだ。
 部隊の右翼を担うエルリオと、左翼を任されたカインが同時に口を開く。
『撃てぇ――――!』
 大気が、大地が鳴動する。豪雨というよりも、もはや光の滝にも似た砲撃が、かつては同じ立場にいたゾイドたちを次々と薙ぎ倒していく。






 ――『僕たち』がこうやって戦って、いつか死んでいくことを、きっと、誰も知らない。






 二体の機獣が、火花を散らして交錯する。すれ違いざまにアイアンコングの胸部を薙いだ爪は、しかし、厚い装甲の表面にわずかな傷をつけたにすぎない。ロイスは鋭く舌打ちし、着地しざまに機首を反転させ、二連装ビーム砲を撃ち放つ。
『馬鹿が! そんなものが効くか!』
 巨腕でビームを防ぎながら、アイアンコングが突進する。うなりを生じて振り下ろされた拳が、砂上に巨大な穴を穿った。一瞬の差で、アスールはその場から飛び退いている。






 ――軍人が、戦って死ぬのは、当たり前だから。けれど、僕はそれでいいと思う。






 ライトニングサイクスの中で、アーバインは額の汗を拭う。
「おぉ、派手にやってくれるぜ」
 光の滝の中心にいるというのに、口笛を吹くだけの余裕がある。正直な話、落ち着かないといえば、あまり落ち着かないのだが、ここは動かない方が賢明というものだ。
「ジーク、ライガー、動かないでくれよ」
 バンは大きく息を吐き出し、肩の力を抜いた。心境的には仲間と同様なのだが、この場合は下手に動けばかえって危険だ。せっかく第一師団の面々が、一級品の腕を披露してくれているのだ。ここはそれを信じようではないか。
 と、光の滝の頭上高くを、ルーナ率いる飛行部隊が泳ぎ抜ける。良家の令嬢の如き美しい容貌を引き締め、ルーナは凛然と告げた。
「師団長の許可はおりている。我々はこれより、基地への攻撃を開始する!」
 まだ武器の類が残されているやもしれぬし、なまじこういった施設を残しておけば、また賊たちの根城とされる可能性はおおいにある。後の憂いは完全に断つべきだ。
「――かかれ!」
 若き女性大尉の駆るレドラーが、先陣をきって翼を翻した。他の者たちが、一糸乱れずそれに倣う。






 ――頑張っていることを知ってもらえないのは、確かに辛いけれど……。






 紺の髪の青年はひとつ頭を振って、顔を濡らす大量の汗を散らした。こうしているだけでも息が弾み、視界に霞みがかかってくる。ともすれば持っていかれそうになる意識を、操縦桿を強く握りしめることで繋ぎとめる。
 ――もう少し、もう少しだけ……!
 鉄塊をも粉砕するであろう拳を、青き狼は身体を捻ってかわし、空を通り過ぎる巨腕に牙を突き立てた。顎に帯電する青白い光が宿り、腕を喰いちぎらんとする。
『ぐっ……! 貴様、放せぇぇぇっ!!』
 元軍曹はコマンドウルフを喰らいつかせたまま、腕を振り回し、もう一本のそれをふるった。ロイスはとっさに離れようとしたが、わずかに間に合わない。強烈極まる殴打を受け、アスールの身体は大きく吹き飛ばされた。地面に叩きつけられ、跳ね上がり、さらに転がってようやく動きをとめる。
「ぅあうっ……が、はっ……!!」
 衝撃で身体をコクピット内で強打し、ロイスは思わず悲鳴を上げた。喉の奥から熱いものが込み上げ、一瞬詰まった息の塊とともに吐き出す。コンソール上にまかれた真紅の液体に、自嘲にも似た笑みをたたえる。
「……本当に、ボロボロだな……俺も――ぐぁっ!」
 青きコマンドウルフの身体が、再び宙を舞い、地面に叩きつけられる。砕かれた装甲の一部が、血痕のように砂上に飛散した。






 ――誰かの笑顔が、この目に映る限り、『僕たち』の戦いは、決して無駄じゃない。






 互いの姿が至近に迫った時、戦いは砲撃戦から接近戦へとかわっている。もっとも、この段階ですでに戦闘は、掃討戦の最終段階へと移っている。バンたちガーディアン・フォースたちも少しは働いたが、途中からシュバルツたちの戦いの見物にまわってしまった。彼らの出る幕など、もはやなさそうだった。
 手持ちぶさたになり、賞金稼ぎの青年は憂いを含んだ眼差しを、「そちら」へと注いだ。離脱したアイアンコングたちを追って消えたアスールたちからは、いまだ何の音沙汰もない。
「――あいつら……」






 ――だからな、アスール。






「――っ!?」
『待て、アゼル!』
「しかしっ……!?」
 離れた場所から一騎打ちを見守っていたアゼルは、若々しい顔を悲痛に歪めた。目の前でやられそうになっている者を、みすみす放っておくなど――!
 碧水のコマンドウルフは、冷厳ともとれる声で言う。
『これは、彼らの戦いなのだろう。ならば、我々の入る余地はない。あの同朋の、戦士としての誇りを傷つけるつもりか』
 アゼルは血が滲むほど唇を噛む。フェンリルの言うことは正しい。自分が彼らの立場ならば、一対一の戦いに第三者が介入してほしくはない。たとえ、それが仲間であろうとも。わかってはいるのだ。だが……。
「同朋の危機を、見ているしかないなんて――!」
『堪えろ。そして――信じてやれ』
 震える吐息をつき、碧水の双眸を持つ青年は操縦桿に伸ばしかけた掌を、ぐっとかためる。
「――――……わかった」
 祈りが、願いが、信じる気持ちが力になるというのなら、どうか――。






 ――そうやって、いつまでも、誇り高く






 再び青き狼が地面に転がる。もはや何度目のことかもわからない。
「貴様といい、ヴォルフハルトの野郎といい、つくづく愚か者だな。この世の中、力が全てだ。強い力をもった奴が、弱いクズどもを踏み潰して何が悪い」
 ガストラは傷痕の残る顔を残忍に歪める。
「どれほど不公正で、理不尽だろうと、自分さえよければそれでいいんだよ。みんなそうやって生きてる。だから、俺様もそうしただけだ。それに俺様は、恨まれる覚えなんてないぜ。俺様はあいつの望みどおり、国と仲間のために死なせてやったんだからな!」
「っ――!?」
 紫水晶の双眸に強い光が灯る。血と汗に汚れた顔が、怒りとも痛みともつかぬ色を浮かべる。
「貴様が、貴様がそれを言うか――!」
 満身創痍の身体の、どこにそんな力が残されていたのか。青きコマンドウルフは跳ね起き、牙を剥いた。アイアンコングの腕に足をかけ、蹴って、一気に間合を詰める。互いの姿が、キャノピーごしに見えるほどに。
 余裕に満ちていた元軍曹の顔が凍りつく。
「――!?」
「『ロイス』のことを何も知らない貴様に、何がわかる! 恥知らずが――――!!」
 ――お前はそれでも軍人かっ!? 恥知らずがっ!!
 それは三年前のあの日、あの瞬間と、全く同じ光景で――。






 ――誰も『僕たち』を知らなくとも






『――――!!』
 両者がともに叫びを発したが、どちらも言葉にはならない。
 アスールはアイアンコングの肩に前足をひっかけ、空中で身体を捻る。がら空きだった背中に二連装ビーム砲が、立て続けに撃ち込まれた。






 ――いつまでもずっと、誇り高く、生きていこうな…………






 ……アイアンコングの巨体が、ゆっくりと砂塵に沈む。
 キャノピーが開き、コクピットから大柄の男が転がるように出てくる。と、そこへ落ちかかる狼の影――。
『確か、力の強い者は弱い奴を踏み潰してよかったんだよな?』
 ロイスの冷徹な声を受けて、アスールが低く唸る。ゾイド対生身の人間である以上、「踏み潰す」という表現は、たとえでも冗談でもなくなる。コマンドウルフが軽く足を持ち上げ、振り下ろせば、元軍曹の身体など一瞬で肉塊へとかわるだろう。
「ま、待ってくれ……お、俺が、悪かった……赦してくれ……!!」
 ガチガチと歯の根もあわぬほど震えながら、ガストラは地面に這いつくばった。もはや見栄も外聞も何もない。
「頼む……! 殺さないでくれ……し、死にたくねぇよ……!!」
 紺の髪の青年は、何の感情も映さぬ双眸で、「それ」を見ていた。
「殺しはしない。殺すものか。貴様なんかの――」
 紫水晶の双眸から、一筋の涙がこぼれて頬をつたう。
 本当は、殺してやりたいのかもしれない。けれども――。
「貴様なんかために、アスールと、『ロイス』を汚してたまるかっ……!」
 ――裏切りを知ってなお、「ロイス」は「敵」である帝国軍だけを倒した。その気になれば、ガストラを討つことぐらいできたであろうに。そうしなかった。その心を、「ロイス」の名を持つ自分が、曲げるわけにはいかない。
 小さく合図すれば、青き狼は仇敵に背を向けて走り出す。アーバインたちのいる方ではない、もっと別の場所へ――。
 ロイスはうまく動かない腕を動かし、コンソールを操作する。短いメールを何とか打って送信すると、ほぅと息を吐き、座席に深く身を沈めた。ゆらゆらと揺れる震動が、妙に心地よい。
 ――ずっと、胸の奥に凝っていた、重いものが消えている。
 たとえようもない、満たされた気持ちが心に染みわたり、あたたかい。
「――……終わったぞ、『ロイス』。さて、次はどうしようか、アスール…………」
 ささやくように言い、紺の髪に紫水晶の双眸を持つ青年は、ゆっくりと瞼を落とした……。



 ――ずっと、一緒に……この、空の下で……。






                    ……To be continued.