第二章    削がれゆく時間





 帝国領内にある基地のひとつに、若いながらも、ガーディアン・フォースの筆頭と目されている者たちが集まっていた。
 一室の卓上に地図がひろげられている。彼らがいる基地周辺のものだ。それを向かいあうかたちで覗き込んでいるのは、バンとトーマである。ちなみにフィーネとジーク、そしてムンベイは、彼らの愛機の整備をしてくれており、この場にはいない。また碧水の双眸を持つ民間協力者・アゼルも、現在は単独行動をとっているためやはり不在であった。
 トーマの指が地図上を動きまわり、バンの黒い瞳がそれを追う。
「アーバインやアゼルさんが調べてくれたことと、付近に住む人たちの話をまとめると、奴らはやはりこの辺りに潜んでいる可能性が、極めて高い」
 手袋に包まれたトーマの指先が、地図上のとある地域を囲むように円を描いてみせた。
 黒髪の少年は腕を組む。
「この辺りには、盗賊もでるんだろう? そいつらと例の連中との繋がりは?」
「皆無とは言えん。だが、手口をみた限りでは、連係をとっているようには見えなかった」
 断定こそしなかったが、トーマには元軍人の一団と盗賊が繋がっているとは思えなかった。歪んでいたにしても、相手は元軍人だ。彼らから見れば、盗賊はただの素人集団に過ぎない。そんな連中と連係を組んだとしても、逆に足を引っ張られかねない。
 少年たちは実際の年齢よりも大人びた表情で、地図を見つめた。無言のうちに、それぞれ思案をめぐらせる。
 と、そこへ「失礼します」という声とともに、ひとりの兵士が姿を現した。バンとトーマは考えを中断し、そちらに視線を向ける。問いかけを発したのは、黒髪の少年の方であった。
「何かあったのか?」
「お取り込み中のところ、申し訳ありません。アーバイン殿が帰還されましたので、ご報告にあがりました」
「アーバインが? そっか、ご苦労さん。で、アーバインは、いまどこにいるんだ?」
「医務室の方におられます」
 黒曜石のような瞳と翡翠のそれが、すばやく見交わされた。
「負傷したのか?」
 と、これはトーマである。
 兵士は首を横に振った。軽い困惑を瞳にたたえる。
「いえ、負傷されたのは、コマンドウルフの操縦者の方でして……」
『コマンドウルフ?』
 二人のガーディアンたちは、思わず互いの顔を見合わせた。



 病室の扉の前に、アーバインは佇んでいた。いまにも舌打ちしそうな表情で、扉を見つめている。
「……アーバイン……」
 遠慮がちな呼びかけに、アーバインは振り返った。バンにトーマ、フィーネ、ムンベイ、そしてジークの姿がそこにはあった。
「大体の話は聴いたよ。その……傷は深いのか……?」
 賞金稼ぎの青年の纏っている雰囲気に気圧されつつも、バンは問うた。アーバインは仲間たちから視線をそらす。
「……傷自体は、そんなにひどくはねぇとさ」
「だが……」と、言葉を濁す。バンたちはいぶかしげに互いの顔を見あわせた。だが、何だというのだろうか。
 誰からともなく口を開きかけた時、病室の扉が開いた。中から出てきたのは、アーバインやムンベイたち民間協力者とも面識のある軍医だ。軍医は一同の顔を見回すと、賞金稼ぎの青年に視線を固定させた。
「アーバインさん、彼――ロイスさんは、御自分の身体について、何か言っていませんでしたか? 以前、大きな怪我をしたことがあるとか……」
「いや……そんな話は聴いてない」
 アーバインは首を横に振った。が、言われてみれば、思いあたることがある。店で話をしている間、時々ロイスの左腕の動きが、妙にぎこちない気がしていた。旅をしていれば、色々あるだろうから、と特に訊かなかったのだが……。
 軍医は思いきったように口を開く。
「このままでは――永くはありません」
『なっ……!?』
 突然の宣告に、アーバインだけでなく、バンたちも驚愕の声を上げていた。
 軍医は軽く双眸を伏せ、語を続ける。
「――彼の身体には、深い傷跡がありました。古いもののようでしたが、治療が充分ではなかったようです。身体のあちこちに悪影響がでている。そんな状態でゾイドに乗ることで、身体にかなりの負担をかけていたようです。このままゾイドに乗り続ければ……永くはもちません」
 沈黙が辺りを支配する。アーバインは無意識のうちに、両の手を握りしめていた。思い出されるのは、食事の時の会話だ。

『アスールは、いままで何度も俺のために命をかけてくれた。今度は俺の番だ。それに――』

 ロイスの、死に対する冷静さの理由が、ようやくわかった。
「それに――俺の命は、もう永くない」
 と、彼は続けるつもりだったのだろう。
 やるせない思いに沈んでいた賞金稼ぎの青年の耳に、ムンベイの声が聞こえた。
「じゃ、じゃあ、ゾイドに乗るのをやめればいいじゃない。そうすれば、生きられるんでしょう?」
 アーバインは、ゆっくりと、だが確かな頭を振る。
「そいつは、無理だな。あいつは、自分の状態を知っている。知ってて、ゾイドに乗ってるんだ」
「我々が、やめろ、と、言ったぐらいでやめられるものならば、初めから乗っていない……というわけだな」
 トーマはアーバインの言葉を引き継ぐように言った。翡翠の双眸に、やり場のない感情がちらついている。その気持ちは、賞金稼ぎの青年にもよくわかった。
「――なあ、面会はできるのか?」
「は、はい、できますが……」
 沈痛な面もちで沈黙していた軍医が、弾かれたように頷いた。アーバインは短く礼を告げ、扉の向こうに姿を消した。何ともいえない表情を浮かべたまま、軍医は一礼してその場を立ち去っていく。
「――あのさぁ、トーマ……」
 視線を扉にはりつかせたまま、黒髪の少年は隣に立つ友人に呼びかけた。
「その先は、言わなくてもわかってる。彼に協力したいんだろう?」
「トーマ、それじゃあ……!!」
 バンの声と瞳が輝く。トーマは翡翠の双瞳を彼に向けると、淡く微笑してみせた。どうやら想いは同じのようだ。
「ま、待って、バン、トーマさん。でも、それじゃあ、ロイスさんが……!!」
 金の髪を揺らして、フィーネが一歩踏み出す。
「――フィーネさん……残念ながら、我々には彼の時間を引き延ばすことは、できないんです」
 真剣な表情でトーマが言い、バンが大きく頷いた。
「だったらさ、やりたいことをやらせてやりたい。同じゾイドの相棒を持つ者として」
 少女は真紅の瞳を悲しげに揺らし、うつむいた。そして、小さく頷く。ムンベイは無言でその細い肩に手をおくのであった。



 アーバインが病室に入ってみると、紺の髪の青年は上体を起こしていた。紫水晶のような双瞳を、窓の外に向けている。何かを見ているのか、それとも――。と、気配に気づいたのか、視線が動いた。
「あぁ、アーバインか」
 賞金稼ぎの青年は、何を言えばいいかわからず、曖昧な笑みで応えた。ベッドの側にある椅子に腰を下ろす。
「すまないな。迷惑をかけた。それから、お前はガーディアン・フォースの協力者なんだってな、先ほどの軍医に聴いた」
「悪いな。騙すつもりはなかったんだ」
 ロイスは口元に薄い微笑を浮かべ、首を横に振る。
「気にするな。アーバインには、アーバインの事情があるのだから」
 薄くとはいえ笑っているというのに、心なしか顔色が悪い。軍医の言っていたことが真実であることを、嫌でもわからせてくれる。
 二人の青年は何となく口を閉ざした。アーバインは床に視線を落とし、ロイスは再び窓の外を眺めやる。長いとも短いともいえない沈黙を破ったのは、賞金稼ぎの青年の方が先であった。視線を持ち上げ、重い口を動かす。
「――お前の身体のこと……知っちまった」
「そうか」と、紺の髪の青年の返答は短い。何の感情もこもっていない声であった。窓から視線をはずし、包帯の巻かれた右腕を襟元にもっていく。医療用のガウンが少々ずらされ、その下から大きな傷跡が顔を覗かせた。左の首筋から胸、腕にかけて無惨な傷が身体に刻みつけられている。
「……この傷を受けたのは、もう三年も前のことだ。まだ先の戦争の真っ最中で、アスールと出逢ったばかりの頃だった」
 当時アスールは何とか回復し、多少の戦闘もこなせるようになっていた。だが、まだ治りきっていない部分もあったため、より完璧な治療をするために、大きなコロニーにいく必要があった。
「その途中で、スリーパーゾイドが仕掛けられた地帯に、踏み込んでしまってな」
 襟元を直しながら、ロイスは苦い笑みを刻んだ。
 まだゾイドに乗るようになって日の浅い彼には、スリーパーゾイドとはいえ強敵であった。しかもそれが大群ではなおさらだ。アスールの身体を気遣いつつ、一撃離脱の戦法をとった。じりじりと後退を続け、何とか逃走に成功したかにみえた時であった。前方に一体のスリーパーゾイドが踊り立ったのである。あっ、と思う間もなく、発射されたパルスレーザーがアスールのキャノピーに命中し、飛散した破片と衝撃でロイスは重傷を負ってしまった。その後は意識が朦朧としていたので覚えていないが、アスールが足にものをいわせて連中を振りきったのだろう……。
「……その時の怪我の治療が、おざなりだったらしい。まあ、その場に自分しかいなかったのだから、仕方がないが。正直、ここまで生きながらえているのが、不思議なくらいだ」
 こいつは、もう最終段階に入っている。アーバインは半ば伏せた瞳の下で、以前どこかで聴いた話を思い出していた。人は死への道を進み始めたことを知った時、まず慌て、とり乱すのだという。それがひとつの山だ。それを越えると、死に対して奇妙なほどに冷静になり、静かにその時を待ち受ける……紺の髪の青年は、もうその場所にまで踏み込んでいるようだ。
「――やっぱり、決意はかわらないのか」
「ああ」
 返答には、いささかの揺らぎもない。が、わずかの双眸を伏せ、ロイスはささやくような声を発した。
「……すまない、アーバイン」
「謝るなよ。自分のために働いてくれた相棒に、何かしてやりたいと思うのは、当然だろ。俺がお前さんの立場なら、きっと同じことをするだろうしな」
 そこで一息つき、アーバインはさらに語を続ける。
「つきあってやるよ、最後まで」
「アーバイン……?」
「ガーディアン・フォースのことは、この際関係ねぇ。俺がそうしたいから、する。それだけだ。でもまあ、どうせあいつらも加わってくるだろうけどよ」
「あいつら」というのは、勿論バンたちのことである。彼らはきっと協力を申し出てくるだろう。それは確信にも似た思いであった。
 と、ロイスは大きく息を吐き出した。微かに呼吸が乱れている。
「大丈夫か? もう休め。今日は休んで、また明日――身体が楽になってから、色々考えようぜ」
「………すまない」
 賞金稼ぎの青年はロイスの身体を寝かせた。枕に頭を沈め、紺の髪の青年は瞑目する。アーバインの手前、無理をしていたのだろう。
 アーバインは音をたてないように立ち上がり、扉に向かう。すると背後から小さな声がした。
「――……ありがとう………」
 賞金稼ぎの青年は微笑を含んだ瞳で肩ごしにそちらを見やると、そっと病室を出ていった。





                ……To be continued.