夜の帳が空を覆い、静寂とほどよい冷気が辺りを包み込んでいる。
 バンはふと視線を上げた。黒い双眸にフィーネ、アーバイン、ムインベイ、そしてオーガノイドのジークの姿が映った。皆カフェテリアの思い思いの場所に腰を下ろしている。誰も口を開こうとしない。沈黙が重苦しいばかりか、痛くさえも感じられる。テーブルの上におかれたコーヒーは、口をつけられることもなく、むなしく冷めていった。
 あの後、というのは、ディバイソンが何処かへと走り去ってからである。バンとアーバインは追跡を断念し、トーマをフィーネたちのいるこの基地へと運んだ。
 ディバイソンの十七連突撃砲が火を吹いた時、バンは彼の前にブレードライガーの身体を躍り込ませた。そうすることで自分たちの身を盾にしたのだ。が、それでもトーマを無傷で助けることはできず、彼は現在治療中である。
(オレがあの時、確実にディバイソンの足を止めておけば――)
 バンは膝の上においている手をかたく握りしめた。
 と、彼の心を読んだのだろうか。アーバインはわずかに身体をバンに向けた。
「あんまり自分を責めるな、バン。お前がいなかったら、トーマは今頃死んでいたはずだ」
「でも――!!」 
 さらにバンが何か言おうとした時、カフェテリアの扉が開いた。一同の視線がそこへ集中する。
「シュバルツ……!?」
 バンは半ば腰を浮かせた。軍帽を小脇にかかえたシュバルツはバンたちの姿を認めると、そちらへと歩み寄っていく。
 完全に立ち上がったバンが、その場にいる者たち共通の問いを投げかけた。
「トーマの容態は? シュバルツ?」
 青年将校は微かに口元をほころばせた。
「幸い、命に別状はないそうだ」
 バンたちは、ほぼ同時に安堵の吐息を洩らす。まるでいままで呼吸をすることを忘れていたのではないか、と、思えるほど皆大きく息を吐き出した。
 シュバルツはわずかに口調を変え、さらに続けた。
「だが、まだ意識は回復していない。そのうえ、しばらくは安静にしていなければならないそうだ」
「……手放しでは喜べない、って、ことね」
 ため息まじりにムンベイは呟いた。
 フィーネは多少安心したのか、コーヒーに塩を入れ始めた。
「でも、命に別状がなくて、本当によかった」
「ああ」
 バンはようやく笑うと、コーヒーカップに手をのばす。
 と、シュバルツは黒髪の少年の傍に歩み寄ると、頭を下げた。
「バン・フライハイト少佐、私の弟を救ってくれたこと、心から感謝する」
 至極真面目なシュバルツに、バンは慌ててコーヒーをおくと、照れたような笑みで応じた。
「よ、よしてくれよ! そんな改まって! オレたちは仲間じゃないか!!」
 賞金稼ぎの青年がコーヒーカップを軽く掲げて、赤面する少年を茶化す。
「照れるなよ、少佐!」
「アーバインまで!」
 六人は、この日初めて声を上げて笑った。


 シュバルツは弟の病室に足を運んだ。あまり暇をもてあましている身ではなかったが、さすがに弟のことが気になるのだ。軍帽をとり、中に入る。
 普段この青年は弟に対しても、あくまで上官と部下として接している。軍人であれば、当然のことだ。軍に兄も弟もない。だが、こんな時ぐらいひとりの兄に戻ってもいいはずだ。
 部屋の中央にあるベッドにトーマは寝かされていた。頭部や身体のあちこちに包帯を巻かれ、右腕には点滴をしている。閉ざされた両眼は、開く気配すらみせない。
 シュバルツは、ベッドの側にある椅子に座る。弟と同じ翡翠の双眸に、その横顔を映した。
(子供の頃からそうだったが、ガーディアン・フォースに所属してからというもの、ますます怪我がたえなくなってきたな)
 ぼんやりとそんなことを考えた。
 復活したジェノザウラーに重傷を負わせたことも、トリニティゴーストと称する者たちによって病院送りにされたことも、ガーディアン・フォースに所属してからだ。そして……必死で呼びかけてくる弟を「未熟者」と嘲笑い、兄である自分が、この手で傷つけたのも……。
 意識が戻った時、最初に視界に飛び込んできたのが、無惨に破壊されたディバイソンだった。それが自身の手で行ったものだとわかった瞬間、シュバルツは背筋に冷たいものが走るのを感じた。操られてのこととはいえ、弟を殺そうとしていたのだ。
 シュバルツは両の手をかたくかたく握りしめた。
 トーマは怒りもせず、文句も言わず、ただただ純粋に兄が無事助かったことを喜んだものである。そればかりか、兄に「コクピットを撃て」と言わせてしまった自分の無力さを歎いていた。あの時、シュバルツは、せめて弟だけでも助かれば、と思っていた。が、いま思えば、それで生命は護れても、心までは護れなかっただろう。
 シュバルツは小さく息を吐き出した。拳から力を抜く。
「すまなかったな、トーマ……」
 いまだ意識を回復していない弟の髪に、そっと手をのばした。口元に優しい笑みを浮かべ、髪を撫でる。それは弟に向ける兄の顔だった。
 病室の扉が開く。
「失礼します! シュバルツ大佐!」
 部下のひとりが敬礼とともに言った。
「何事だ?」
 青年将校は立ち上がりつつ応じる。その表情はすでに冷静な軍人のものへと変わっていた。
「はっ! ディバイソンです! シュバルツ中尉のディバイソンによって、領内の基地のひとつが襲撃されました!!」
「何だと!? わかった! すぐ行く!」
「はっ! 失礼しました!」
 急ぎ足で去っていく部下の靴音を聞きながら、シュバルツは軍帽をかぶった。そしてトーマを一瞥し、病室を出ていく。
 シュバルツの足音が遠ざかっていくと、病室内に静けさが戻った。
 ……ベッドの上で翡翠の瞳が、ゆっくりと開かれた……。


 そこには、瓦礫の山しかなかった。以前は堅固な基地が存在していたのであろうが、その面影は微塵も残っていない。足元の大地はまだ熱い。あちこちから薄くたちのぼる煙が、空の一角を灰色に塗りかえていた。
「いきなり現れたディバイソンに襲撃され、迎撃態勢をとる暇もなかった」
 と、かつて基地だった所にいた兵士は言った。まずディバイソンは最初のメガロマックスの一撃で、ゾイドを、待機していた格納庫ごと破壊したらしい。それからはやられたい放題だったという。死者がいないのが、不思議なくらいだった。
「負傷者の手当を急げ!」
『はっ!』
 シュバルツの指示を受け、数人の部下が慌ただしく駆けていく。青年将校は周囲を見回した。メガロマックスという名の破壊の雨の跡――瓦礫の山、焼け焦げた大地、負傷者たち……シュバルツは内心で吐息をつくのだった。
「シュバルツ!!」
 声の方に視線を転じれば、バンとアーバインが瓦礫を避けつつやってきた。
「間違いない。これはディバイソンのメガロマックスによるものだ」
 バンはそこで言葉をきると、悔しそうに唇を噛んだ。宙を睨みつけ、うなるように言葉を紡ぐ。
「誰だか知らないが、トーマのディバイソンにこんなことさせるなんて……!!」
「落ち着けよ、バン。で、だ。ここの連中の話じゃ、ディバイソンは西に向かったらしいぜ」
 ひとつ頷いてシュバルツは、傍らに立つ部下の方を振り返った。
「聴いたな」
 シュバルツの言葉は確認であると同時に命令でもあった。了解した部下のひとりが、西にある基地やコロニーに警戒するよう、伝令をとばすべくに走り去っていく。それといれかわりに、今度はフィーネとムンベイがやってくる。褐色の肌をした民間協力者の顔は明らかに緊張しており、真紅の双眸を持つ少女の白い顔は、ますます色を失っていた。ただならぬ様子に、バンたちは互いの瞳を見交わす。
「どうしたんだ? フィーネ? ムンベイまで……何かあったのか?」
 バンの問いかけに、よほど急いできたのだろうか、フィーネは荒い息で答えた。
「トーマさんが……トーマさんがいなくなったんですって!」
「何だって!?」
 バンが鋭く息を呑み、アーバインとシュバルツは険しい色を瞳に込めた。
「ついさっき連絡が入ったのよ。レドラーも一機なくなっているらしいわ」
 ムンベイの言葉に、賞金稼ぎの青年は困惑とも呆れともとれる表情で頭を掻く。
「あの馬鹿っ! あんな身体で……無茶しやがるぜ……!!」
 黒髪の少年が遠慮がちにシュバルツを見上げた。
「どうする? シュバルツ?」 
「……我々は、このままディバイソンを追跡する。シュバルツ中尉とも、おそらくディバイソンの周囲で合流できるだろう」
 いつもと変わらぬ落ち着いた口調でそれだけを言うと、若き大佐はバンたちに背を向けた。残された、ジークを含む五人は、それぞれの表情で、それぞれの想いを込めた双眸を見交わした。憮然、困惑、心配……いろいろな想いが交錯する。
 ムンベイが肩をすくめてみせた。
「やれやれ、相変わらず、と言えば、相変わらずなんだけどさ」
 悪意のない口調だったが、少々納得のいかない部分があるらしい。ひよっとしたら、すぐにでもトーマを捜しにいくつもりだったのかもしれない。
 フィーネは遠ざかっていくシュバルツの背を、真紅の瞳に映しつつ言った。
「……そんなことないわ。シュバルツ大佐、すごく無理してる」
「あれでかい?」
 ムンベイは驚いたように黒い瞳を少女に向けた。
「だっていつもより小さく見えるもの。シュバルツ大佐の背中……」
「オレもフィーネの言うとおりだと思うよ。何だかんだ言っても、シュバルツはトーマの兄貴だから……」
 と、これはバンである。いまのシュバルツによく似た背を、彼は以前見たことがあった。ホルスヤード兵器解体工場で、シュバルツが敵の手に落ちたと知った時の、トーマのそれだ。
「自分の兄弟が気にならない者は、そうはいないと思うけどな」
 バンは自分の姉・マリアを想いつつ呟いた。ウィンドコロニーにいる彼女は、今頃どうしているだろうか。そんなことを考えている彼に、アーバインは探るような視線を投げかけたが、口にだしてはこう言った。
「全く、どこにでもいるんだよな。不器用な奴、ってのは……」
 黒髪の少年は黒曜石のような双眸に基地の跡を映すと、胸中で呟く。
「……これ以上、ディバイソンにも、他のゾイドたちにもこんなことさせやしない。破壊の雨なんて、もうたくさんだ……!!」


 西に向かったという情報を最後に、ディバイソンは完全に消息を絶ってしまい、その日のうちの追跡は不可能となってしまった。仕方なくバンたちはもといた基地へと戻り、いつでも出撃できるよう準備しておきながら、新たに情報がはいるのを待つことにした。
 トーマの行方も依然不明のままだ。
 落日色に染まる廊下に、シュバルツはひとりたたずんでいた。廊下と同色に塗られた外を窓越しに眺めやり、我知らずため息をつく。
「兄さん!!」
「――!?」
 馴染みある呼びかけに、シュバルツは思わず振り向いた。視界におさめられたのは、兄弟らしい二人の兵士であった。
「こら! ここではその呼び方はやめろと、いつも言っているだろう」
 兄にたしなめられた弟は「あっ」と声を上げると、慌てて敬礼する。
「申し訳ありません! 少尉!」
「よろしい。以後、気をつけるように」
 そこまでは厳しい表情で言ったかと思うと、青年は微苦笑してみせた。
「まあ、癖だから仕方ないかもしれないが、できる限りの努力はしてくれよ」
「はい、兄さん、じゃなかった、少尉!」
 シュバルツは笑みをこぼしている自分に気づいた。無意識のうちに、翡翠の双眸に映る兄弟に自分とトーマを重ねて見ていたのだ。トーマも、シュバルツに会うたびに「兄さん」と呼びかけてくる。何度も注意しているが、改善されていない。
(いなくなって初めて、その者の大切さがわかるというのは、本当だな)
 青年将校は自嘲にも似たものを口元にはりつかせた。トーマが自分にとって大切な存在だということは、それこそ彼が生まれた時からわかっていたはずだった。が、いつの間にか、トーマがいることが、弟が自分を「兄」と呼ぶことが、当たり前になっていたようだ。

 トーマは、絶対に護ってみせる。

 幼い頃、そう誓ったはずだった。だが、現実はどうだろうか。自分はいつしか当たり前な環境に慣れ、自分たちが常に危険と背中あわせであることを、忘れていたのではないだろうか。
 シュバルツは視線を遠く、暮れなずむ空へと移す。
「――どこにいるんだ? トーマ……?」
 一瞬ごとに暗さを増していく空に向け、シュバルツは胸中で問いかけた。が、答えがかえってこようはずもない。もし自分が師団長という立場でなければ、もし自分がいまこの場でひとりの兄に戻れるのなら、いますぐ弟を捜しにいけたのに。
 トーマは、おそらくディバイソンが基地を襲ったことを知ったのだろう。だから重傷の身体をひきずって、病室を抜け出したのだ。自分の相棒たちを止めるために。しかし、彼らはトーマを覚えていない。戦闘はさけられないだろう。だが、とシュバルツは思った。

 トーマにディバイソンたちを攻撃することはできない。

(ビークたちを傷つけるぐらいなら、自分がやられる方を選ぶのだろうな。あいつは……そういう奴だ) 
 握り締めた拳から紅い液体が流れだし、軌跡を描いた。そんな痛みよりも弟の負った、そしてこれから負うであろう、あらゆるそれの方が何倍も痛いはずだ。
「トーマ、どうか、どうか無事でいてくれ……!!」
 彼の想いは、声となって彼の口から滑り出た。

 トーマだけは失いたくない。

 シュバルツは、軍帽を目深にかぶりなおすと、歩き出した……。



              ……To be continued.
一、哀しき破壊の雨