翼の舞い降りた地 <後編>





 楽しい時間というものは、あっという間に過ぎるものである。何十度目かの一撃が地面を叩いた時、とりあえず決着はつけられた。
 青学の二年生が汗に濡れた顔をほころばせる。
「……強いですね、千石さん」
 表情からして、勝敗にこだわっていないことがよくわかる。だが、それは千石も同じだったようで、こちらの顔にも純粋な笑みがこぼれている。
「そういうキミこそ、やるね。楽しかったよ」
「こちらこそ、楽しかったです」
 どちらからともなく手が差し出され、握手がかわされる。と、何を思ったのか、千石は軽く身体を屈めての顔を覗き込んだ。
「――よかった。少しは、気持ちも晴れたみたいだね」
 手を放し、明るい色の頭髪をかき上げて千石は笑う。意味ありげな言葉に、栗色の髪の少年ははっとしたように彼を見やった。試合に夢中になっていたので、つい失念していたが、不思議に思っていたことがあったのだ。
「……千石さんは、どうして僕に声をかけて下さったんですか?」
 千石がこの時この場にきたのは、おそらくは偶然であろう。が、先ほどの台詞はどうだろうか。まるで、自分の心理状態を見透かしているようではないか。
 山吹中のエースは浮かべていた笑みに、わずかな苦みを含ませた。
「――苦しそうに見えたんだよ、キミがね」
「え?」
「壁打ちをするキミのフォームは、癖もなくてお手本みたいだった。よっぽどテニスが好きで、一生懸命練習しなきゃ、あんなに綺麗には動けない」
 軽く視線を足下に這わせ、千石は手にしていたボールを弄ぶ。
「それなのに、やっているキミの顔は、ちっとも楽しそうじゃなかった。むしろその逆――何だか辛そうで、苦しくて仕方がない、っていう顔をしているように見えたんだ。だから……」
 どこか呆然とした様子で話に聴き入っていたであったが、やがて淡い笑みを口元にたたえてみせる。
「――お優しいんですね」
 千石は双瞳を細めて笑う。
「そんなんじゃないよ。キミを見ているのは、同じ学校の人間ばかりじゃない、ってことさ。同じテニスをする仲間として、放っておけなかったんだよ――青学のくん」
「なっ……!?」
 驚愕のあまりには思わず声を上げ、瞳を見開かせた。どうして自分の名を、千石が知っているのだろうか。レギュラーならばともかく、自分は一部員でしかないのに。
「どうして知っているのか、って感じだね。実は、うちのマネージャーが、青学の偵察にいった時、キミを見かけたらしいんだ」
 彼には、後輩たちの世話をしつつ、一緒になって素振りなどの基礎練習に励むという部員が、よほど印象に残ったらしい。レギュラーではなかったが、その人のフォームはとても綺麗で、自分もあんな風になれたらいいな……と、マネージャーは少々興奮気味に語ったという。
「壇くん――あぁ、うちのマネージャーね、彼は本当は噂の青学のルーキーの調査にいったんだ。それなのに、くんのことを調べて帰ってきてね、その時は思わず笑っちゃったよ」
 その時のことを思い出したのか、千石は軽く笑う。
 青学のルーキーはどんな人物だったか。部長たちにそう問われ、そこで初めて彼は当初の目的を思い出したらしく、顔を真っ赤にして謝ってきた。皆怒ることなく、そそっかしいマネージャーを笑って赦してやった。
「さっき、壁打ちをしているキミを見て、ピンときたよ。キミが、きっと壇くんの言っていた、くんだ、ってね」
「……そうだったんですか」
 青緑の双眸を持つ少年は、わずかに頬を上気させたようであった。まさか自分の知らぬ所で、ひとりの少年に憧れられ、話題になっていたとは思いもよらなかった。が、はすぐに表情を改めた。それまで忘れたふりをしていた、苦い思いが音もなく胸中に戻ってきたのだ。
 青学の二年生の表情の変化を、千石は見逃さなかった。
くん? どうしたの……?」
「…………僕は――」
 重いはずの口が、するすると語を紡ぎ出す。今朝見た夢のこと、そのことで親友にひどいことを言ってしまったこと、そんな自分が嫌で、それを振り払いたい一心で壁打ちをしていたこと……山吹中のエースは、口を挟むことなく話を聴いていた。
「……そっか、それで、自己嫌悪に陥っていたんだね」
 は小さく頷いた。ひどいことを言った、と自分でも思う。桃城が自分を気にかけてくれたのは、間違いないのに。気にかけてもらっておきながら、自分の望む言葉がもらえなかったからといって、怒ってしまったのだ。これが最低でなくて、何だというのだろう。
 軽く頭を掻き、千石は視線を空に持ち上げる。
「――あるよね、そういうことって。自分がほしい言葉がもらえなくて、つい怒っちゃうこと。でも、それって、当然の感情じゃないかな?」
 は無言で千石を眺めやる。青緑の瞳に映る山吹中のエースの横顔は、どこか大人びて見えた。
「だって、相手にとっては何でもないことでも、こっちにとっては深刻なこと。それを軽く受け流されたら、誰だって腹が立つよ。それがいいか、悪いかは別としてね」
 それまでずっと明るかった千石の表情に、初めて暗いものがかかった。双眸をわずかに伏せ、苦い息を吐く。
「……俺もね、時々やっちゃうんだよね、くんと同じようなこと。――俺ってさ、一応山吹中のエースだろ、立場からいっても負けられない。でも、無敵じゃないから、負けることだって、当然ある。そんな時にさ、『ジュニア選抜のくせに』みたいなことを言われると、やっぱりカチンとくる……」
 決して千石自身を見ようとはせず、ただ『ジュニア選抜』という肩書きばかりに目を向けて、勝つのが当たり前で負ければ非難する……そんな輩は、どこにでもいるものだ。そういった者たちを、千石はいつもいい加減にあしらっているが、何も感じないわけがない。
「――千石さん……」
 は何かを言おうとしたが、結局唇は語を紡がなかった。いや、何を言えばいいかわからなかった。
くんの場合とは、ちょっと違うけれど、要は同じでしょ。『ジュニア選抜のくせに』みたいなことは、負けた俺自身が一番よくわかっているんだから、わざわざ言われるまでもない」

『何にせよ、そんなのただの夢だろ。気にしたって、しょうがないぜ』
 ――夢は夢でしかない。忘れてしまうのが、一番いいのだろう。それはわかっている。わかってはいるが、それができれば苦労はしない。

「……そんな時、つい言いたくなるよ。キミに何がわかるんだ、って」

『キミに何がわかるっていうのさ!?』
 明るい桃城の態度に、意味もなく苛立った。込み上げてきた怒りの半分は八つ当たり、だがもう半分は本物であったと思う。が、荒れる感情に任せて吐き出した言葉は、何よりも自身の心を抉っていた。

「その後は……俺って、こんな奴だったんだ、って思うよ、いつもね――」
 青緑の双眸を持つ少年は何も言えず、ただ沈黙していた。横にいる山吹の三年生が語ったことは、いまの自分に少なからず通じる部分がある。それだけに、心に深く響いた。そして、千石の言いたいことも――。
 のしたことは、誰でもやってしまうことで、彼ばかりが特別なのではない。問題はその後どうするかなのだ。過ぎたことと開きなおるか、それとも――。
「人ってさ、どうしようもない生き物だよ。世の中には、ヒトを傷つけても平気な顔をしている奴らもいるしね。でも、キミは違う。キミは自分が友だちに与えてしまった痛みを感じている」
 千石の手が、のさらりとした栗色の頭髪の上にのせられた。あたたかな重みを感じて、青学の二年生は視線をそちらに向ける。色鮮やかな双眸を受け、千石は口調に微笑を滲ませた。
くんは優しいね。大丈夫。これだけ悩んで、悔いているんだもの、その友だちとの繋がりはきれていない。キミの気持ちは、きっとその人に伝わるよ」
 心の奥底に秘めていた不安を言い当てられ、は胸中に驚愕と安堵が入り混じって湧きおこってくるのを感じた。今日のことで、桃城との関係が崩れてしまったら……それはが、漠然と恐れていたことである。見抜かれていたことは驚きだが、大丈夫と言われたことで、本当に大丈夫だと思えてくるから不思議である。
「――もう……平気みたいだね」
「はい……ありがとうございます、千石さん」
 千石は明るい色の前髪をかき上げ、人懐っこく笑ってみせる。
「お礼を言われるようなこと、俺は何ひとつしていないよ。ただ、俺がそうしたかっただけだから」
「それでも……ありがとうございます」
 言葉としては形式的なものだが、深い感謝の思いが込められている。栗色の髪の少年は無意識のうちに頭を下げていた。千石がここにやってきたことは偶然なのだろうが、いまはその偶然に感謝したい。おかげで自分の心は、こんなにも軽くなったのだから。
 返事のかわりに軽く笑うと、千石はテニスバッグを肩にかけた。
「それじゃ、俺はいくね。今日はありがとう」
「いえ、こちらこそ。お世話になりました」
「また今度、機会があったら打ち合おうね、くん」
「はい!」
 山吹中のエースは肩ごしに掌と笑みをひらめかせ、テニスコートを出ていった。少しずつ遠ざかっていく背に、は背筋を正すと深々と頭を下げた。



 公園を出ようとした千石の足が、ひとつの影を認めてとまった。よく知られている、青と白を基調としたジャージを着た少年は、千石に気づいて慌てて視線をそらす。
「――その顔から察するに、話は聴いていたみたいだね。キミ、くんの知り合い?」
「……いいえ、親友……です」
 歯切れの悪い口調に、半ばまで伏せられた双眸。いつもは明確に「親友だ」と言い放ってきた少年の顔に落ちているのは、深い後悔の影だ。千石は顔中に苦笑めいたものをたたえ、ひとつ肩をすくめてみせる。
「キミの気持ちもわからなくはないよ。――『親友』って、時に重たいね……」
 山吹の三年生の言葉に、桃城の表情が苦く歪んだ。本当に自分は、の親友だといえるのだろうか。彼の気持ちもわかってやれず、必要としていることもできない。地面を睨みつけながら、青学の二年生レギュラーは自分が情けなくて仕方がなかった。
 千石の双眸が労るような光をおびる。
「世の中には、まるごとうまくいく関係なんて存在しないよ。どんなに相手のことをわかっていても、ね」
 いくらわかっていても、そのつもりでも、それを確かめる術など存在しないのだ。人には他者の心を覗き見ることはできないのだから。親友であれ、恋人であれ、夫婦や親兄弟であれ……どれほどの関係を築いていても、自分は本当は何もわかっていなかったのだと、ある日突然痛感するのである。
「――キミたちは、やっぱり親友同士だね。キミもくんも、悩んでいることの底にあるのは、同じことだ」
「だけど……俺は……」
くんのこと、親友だと思っているんでしょ? ということは、それだけのことを経験してきた、ってことでもあるよね? 今回のことも、そのひとつにすぎないよ。大丈夫、まだ何も終わってない。ほら、さっさといって、言うべきこと、言いたいことを言っておいで」
 青学の二年生の肩に軽く手をおき、千石はその横を通り過ぎていく。桃城は弾かれたように身体の向きをかえ、しっかりとした口調で言った。
「千石さん! その……ありがとうございました!」
 たまらず頭を下げれば、山吹中のエースが歩みをとめた。上体を捻って振り返ると、何とも複雑そうに笑う。
「キミもくんと同じだね。さっきも言ったけど、俺はお礼を言われるようなこと、何もしていないよ。ただ、そうしたかっただけ。じゃあね、都大会で会おう」
「はい!」
 去っていく千石を見送り、桃城はテニスバッグを背負い直した。



 再び壁打ち場でラケットをふるっていたは、馴染みのある足音を耳にして振り返った。まさかと思っていたが、青緑の瞳に映ったのは間違いなく親友であった。
「桃っ……!? どうしてここに? 部活は?」
 の問いかけに、桃城は何でもなさそうに笑う。
「休ませてもらった」
「何で……!?」
 練習を休むなど、口で言うほど何でもないものではない。桃城はレギュラーであり、何より大会も迫ってきているというのに。
「練習よりも、大事なことがあった――それだけだ。レギュラーとしては、失格かもしれねぇけどな」
「…………ごめん」
 栗色の髪の少年は悲痛な表情になる。自分とのことを「練習よりも大事なこと」と言ってくれたのは、正直嬉しい。だがそれだけに、申し訳ない気持ちで一杯になる。
「いや、俺こそ……悪かったな」
 桃城がほろ苦い表情でそう言えば、はもの問いたげな視線を向けてくる。口にこそしないが、「何で桃が謝るの」というところだろう。二年生レギュラーはばつが悪そうな顔で、先ほどの千石との会話を盗み聞きしていたこと等を話した。
「……無神経だった、って反省してる。お前の気持ちを、もっと考えるべきだった……本当にすまねぇ、
「そんな……桃が悪いわけじゃないよ。僕が勝手に怒ったんだから。それに、ひどいことも言っちゃって……本当にごめんね」
 二対の瞳が重なり、どちらからともなく笑みがこぼれる。ぎこちなさとは無縁の、心からこぼれた笑みだ。
「――『親友』って、時に重たいね……」
 山吹の三年生はそう言った。今回の一件、本当の意味で、最初にこの二人の少年をつまずかせたのは、「親友」という言葉だった。の言った言葉も、桃城のとった態度も、単なるきっかけにすぎぬ。結局二人は、「親友だから……」ということを気にしすぎていたのだ。それが、いまの関係を壊したくないという気持ちと重なって、無意識のうちに互いの心を遠ざからせていたのである。だが、それもわかってしまえば、問題でも何でもない。互いの絆を強めるきっかけにかわるだけだ。
 すっかりいつもの調子に戻った桃城が、テニスバッグを肩から下ろした。
「さてと、練習でもするか」
「そうだね。せっかくだから、試合でもする?」
「おっ、いいねぇ」
 この時、喜々として語り合う二人の二年生を、複数の物陰から眺めている、これまた複数の影があった。そのうちのひとつが、声をひそめて言う。
「にゃんかさ、千石においしいところを全部もっていかれちゃった、って感じだよねー」
 口をとがらせる菊丸に、大石はどこか安堵した顔で頷いてみせる。
「そうだな。でもまあ、いいじゃないか、英二。おかげで、桃もも仲直りできたみたいだし」
「そりゃあ、そうだけどさ。これじゃあ、誰が誰の先輩だか、わかんないじゃん」
 今朝のことを気にかけていた先輩のひとりとしては、自分も何かしてやりたかった。おもしろくなさそうな顔で、菊丸は腕組みをする。すると「でも」と河村が口を開く。長身なだけに、身を潜ませるのは一苦労だ。
「英二だって、ちゃんと『した』ことがあるじゃない」
 今日の部活を休ませてほしい。そう言って頭を下げる桃城に、部長である手塚は当然即答はしなかった。今朝の出来事を気にかけていたのは彼も同じだが、いまが大事な時期であることにかわりはない。
「――いまがどういう時期か、わかって言っているのか」
「勿論、わかってます! でも……このままじゃ、とても練習に集中できそうにありません。どうしても、というのなら――レギュラーからはずしてくれても構いません。いかせて下さい!」
 ざわり、とテニスコート内の空気が揺れた。部員たちの顔に、緊張が走り抜ける。誰もが思わず手をとめ、自分たちの部長と頭を下げたまま動かない桃城を交互に見やった。
 手塚がさらに何か言おうとした時、右頬に絆創膏を貼った少年が進み出た。
「手塚、いかせてやって」
「菊丸……」
「誰にだってさ、大事なものってあるじゃない。確かに部活だって大事だし、大会も近いよ。それでも、ここはいかせてやるべきじゃない?」
 テニス部部長は何ともいえない表情で沈黙している。すると今度は、副部長が桃城たちを援護し始めた。
「手塚、俺からも頼むよ。桃をいかせてやってほしい」
「僕もお願いするよ。無理矢理練習させたって、何にもならないしね」
「そうだな。これで練習に参加させれば、桃が故障する確率はぐんと高くなる」
 今度は不二に乾である。次々と増える援護者を見、手塚は片手をあげる。
「まあ、待て。俺の話を――」
「あ、俺、桃のかわりに走ってもいい! だから、手塚、頼むよ」
「俺も走ってもいいです! 部長、お願いします!」
「今日の分、明日練習すればいいじゃないっスか」
「……お願いします」
 順に河村、七海、リョーマ、そして海堂である。思いもかけない状況に、桃城は唖然とし、手塚は歎息した。
「だから、話を聴けというのに。――桃城、いってこい」
「部長……!」
「特別だ。心配事を抱えたまま練習しても、身にはつかないだろう。さっさといって、決着をつけてこい。そのかわり、明日からはきちんと練習に出てもらうぞ。と一緒に」
「はい! ありがとうございます!」
 感極まったように、桃城は部長だけでなく、仲間たちにも向けて深く一礼した……。
 普段顧問の竜崎から「協調性に欠ける」と言われている部員たちが、このような行動に移れたのは、ひとえに菊丸の働きがあったからだ。河村はそう言うのだ。
「英二が真っ先に動いてくれたからこそ、他のみんなだって動けたんだと思うよ。俺たちの中じゃ、一番の功労者じゃないか」
 大きく頷いて賛意を示したのは、勿論大石である。彼は最初から桃城を援護するつもりであったが、口を挟むきっかけを掴めずにいたのだ。自分が動けたのは、やはりこのパートナーの働きが大きい。
「……何か、そうまで言われると、さすがに照れちゃうよ」
 菊丸は照れたように、右頬に貼った絆創膏を撫でた。
 また別の場所では、手塚と不二、そして乾が言葉をかわしている。件の後輩二人を視界の片隅におきながら、不二が小さく笑う。
「よかったね。これで明日からは、いつもどおりだ」
「そうだな……」
 そこで言葉をきり、テニス部部長は視線を横に移動させる。
「……乾、何を書いている?」
「いや、ちょっとお前の個人データの修正をね――」
「……どうやら、明日の朝、グラウンド二十周したいらしいな」
 冷然と言い放った手塚だが、彼が多くの者に与えがちな印象ほどに冷たい人物であれば、いまこの場にはいないだろう。誰に言われたわけでもないのに、練習を予定よりもかなりはやく終わらせたのも彼である。
「まさか。人間的な部分があって嬉しい、と言っているんだ。言うことや態度ほどに厳しい者ならば、こんな配慮はできやしない」
「ヒトは見かけによらない、って、本当だよね」
 と、これは不二である。
「……それは、褒められた、と思っていいことか?」
「勿論。そうは聞こえなかった?」
 淡い色の髪をかき上げて笑いかければ、手塚は小さく息をついただけであった。不二は乾と顔を見あわせ、そして微笑した。
 さらに別の場所に潜んでいる海堂、七海、リョーマの会話は、次のようなものだ。
「でも、正直意外だったっスね。話だけ聴いていれば、今回の原因はそんなに複雑なものじゃないのに、それであの二人がこじれるなんて……」
 リョーマが誰にとでもなく呟いた。青学のルーキーからしてみれば、桃城とが衝突すること自体が信じられない。普段はあれほど仲がよいというのに。
 そうだな、と朱色の双眸を持つ少年は頷いてみせる。
「でも、あの千石って人も言ってたけど、まるごとうまくいく関係なんてない、ってことじゃねぇか。ああやって衝突して、築かれていくものなんだろうさ。人との関係って奴は」
 するとリョーマは、先ほどから沈黙している海堂へと視線を移す。
「……じゃあ、桃先輩と海堂先輩も、いつかは親友同士になるんっスかね?」
「冗談じゃねぇ!」
 思わず声を張り上げ、海堂は慌てて口元を押さえた。大声を発しては、隠れている意味がなくなってしまう。恐る恐るといった体で、視線を桃城たちの方へ投げれば、二人はまだ何事か話し合っている。
 三ヶ所でそれぞれ息をつきかけた時、青緑の双眸を持つ少年の声が響いた。
「あのー、皆さん、そろそろ出てきてくれませんか?」
『ばっ、ばれてる……!?』
 一部を除いた者たちの心の声が、見事に重なった。もっとも、実際に音にしているわけではないから、当人たちは知りようもなかったが。
 三方から見知った者たちがぞろぞろと姿を現すのを見て、も桃城も思わず笑ってしまった。
「恵まれているねぇ、僕たち」
「ああ、めちゃくちゃ恵まれてるな」
 こんなにもたくさんの人たちが、自分たちのことを気にかけてくれている。原因が原因だっただけに、少々申し訳ない気もするが、やはり嬉しい。
 二人の少年は背筋を正し、同じ目標に向けて歩む仲間たちに笑いかけた。
『ご心配をおかけしました』
 言葉に続く、一礼。ぴったりと息のあった動作は、「さすが親友」といったところだが、それができるのも、目の前にいる仲間たちの、そしてこの場にはいない、山吹中のエースのおかげなのだ。感謝してもしきれない。
 手塚たちはそれぞれの表情で、二人の二年生を受けとめてくれた。だが、共通しているのは、誰もが桃城たちの関係が壊れなかったことを喜んでいる、ということだ。
 テニス部の部長と副部長は、互いの顔を見あわせて頷いた。
「これだけ揃っているのならばちょうどいい。きり上げた分の練習を行う。各自、速やかに準備をしろ」
『はい!』
 手塚の言葉に反論する者は、およそひとりもいない。誰もが今日の練習にもの足りなさを感じていたのだから。それは仲間の存在だったり、部活を包む空気だったが、いつかのの言葉を借りれば、次のようになる。
「好きなことをやる時は、楽しい気持ちでしたい」
 公園のテニスコートをほぼ貸し切った青学テニス部は、ようやく満足のいくテニスができそうだった。
 周囲で弾ける笑顔を見回し、は悲しみによるものではない涙が、目頭を熱くするのを感じていた。
 ――この日を忘れない。この気持ちを……忘れない。
 千石に救われた心、目の前にいる仲間たちに出逢えた喜び、そしてこの場に立つことができる嬉しさ……この全てを、忘れない。
 ふと視界の上方に映った空を仰ぎ、は微笑んだ。


 ――僕は、ここにたどりついたよ。

 とても幸せな、この地に……。




                      ――Fin――



 <あとがき>

・まずは、彩亜様、風見野にリクエストして下さり、ありがとうございますvv 長いことお待たせしてしまった上に、前後編になってしまいました; すみません; ですが、少しでも喜んで頂けたら幸いです。リクエストでは、千石くんとのお話でしたが、何故か青学の皆さんまで総出演のようになってしまいました; 時期的には、都大会よりも前のお話となっております。また千石くんには初挑戦でしたが、いかがだったでしょうか? イメージを壊されていないとよいのですが;
 お話の中に登場している「七海」というのは、水帆ちゃんの考えたオリキャラ(息子さん)で、お名前を「架橋七海(かきょう ななうみ)」くんといいます。海堂くんのクラスメイトでテニス部員、そしてくんたちにとってはお友だちです。サイトの方に(『Blind player』の方に)も、もうしばらくすると登場するのですが、気に入っている子なので今回のお話にも登場させてもらいました。
 当初はこんなに長く、そしてシリアスにはならない予定だったのですが、色々と考えていくうちに、深みにはまってしまったようです。特に千石くんの台詞には、本当に悩みました。何を言いたいのかはわかっていたのですが、それを言葉にするのが難しくて、水帆ちゃんにも相談にのってもらったりしました。そして何とかたどりついたのが、上記のような内容でした。くんは決してひとりではなく、そして、みんなもくんをひとりにする気はない――幸せというのは、普段はわかりにくいけれど、身近にあるものなんだ……そういったことが伝わっていればよいのですが、いかがだったでしょう?
 こんなお話ですが、彩亜様、どうぞお受けとり下さい。
 ここまで読んで下さって、ありがとうございました。


                                   2004.3.31    風見野 里久