「もう一度同じことしろ、って言われても、俺は絶対できないよ」
 包帯に包まれた左手をひらひらと振って、千石は笑顔で言ってのけた。
 それは事件の翌日、収容された病院の一室で、見舞いにきた山吹中テニス部の者たちに向けてのことだった。





            きら星たちの凱歌 <後編>





 遠くでサイレンの音がする。





 左の掌に熱さを感じて、千石は伏せていた顔を上げた。焼けつく痛みに顔をしかめながらも、左手の中にあるものを確認する。
「……俺って、本当にラッキー……」
 吐息混じりの語に呼応して、全身にどっと疲労がのしかかってくる。


 ……カチッ、という音ともに、ライターの蓋が閉じられた。





 あらゆる情報機関が、けたたましく騒ぎたてている。
 テレビで、ラジオで、インターネットで、白昼の飲食店で起きた事件を、まるで電撃のように流している。情報伝達が迅速なのは結構なことだが、当事者たちからすれば、それは少しばかり複雑なことであった。報道規制がかかっているのか、店が遠巻きに映されているだけ、というのが、せめてもの幸いである。
 とにかく、青学テニス部の面々は事件を知った。そこで虫の知らせ、というべきか、何やら嫌な予感がし、誰からともなくここまでやってきていた。
「中にまだ子供が残っています! どうか助けてあげて下さい! ひとりは、うちにとっては馴染みのお客さんで、確か山吹中の生徒さんです」
「もうひとりは、今日初めていらした子でした。その子のお友だちで、青緑の瞳をした子です。制服からして、たぶん青学の子じゃないかしら……」
 店長と大学生くらいの女性店員が、警官に「店内に残っている中学生」について説明している。それを小耳に挟んだ青学テニス部の者たちは、自分たちの顔から血の気がひくのを感じた。
「ねぇ……青緑の目をした、青学の生徒って……」
 自分の考えが、とんだ的はずれのものであってほしい。菊丸の表情は、無言のうちにそう訴えている。だが、他の者たちの脳裏にも、共通の人物の顔が浮かんでいる。
「桃っ!?」
 河村の声が上がった。「その名」が誰かの口にのぼるよりもはやく、桃城が店に向けて風を起こしたのである。人混みを避けて、店の裏手にまわろうとする。と、後方から腕を掴まれて、あやうくつんのめりそうになる。
「桃!」
「大石先輩、放して下さい! あそこには、たちが……!!」
「少し落ち着け! 闇雲に飛び込んだって、何にもならないぞ!!」
 ぐっと桃城が返答に詰まる。悔しそうに唇を噛み、おとなしくなった後輩の肩を叩き、大石が口を開きかけた。まさにその時である。
「見ろ、シャッターがあがっていくぞ!」
 持ち前の長身を活かし、双眼鏡で店を監視していた乾が声を発した。常に冷静な彼にしては珍しく、緊張を隠しきれぬ口調だ。
 店を閉鎖していたシャッターが、ゆっくりとあがっていく。その光景を、全ての者たちが固唾を呑んで見守った。時間的にいえば、わずか数分。だが、その数分がとてつもなく重く感じられるのは、何故だろうか。
「あの時は、本当に、何かに祈りたい気分だったよ」
 とは、後日になって、不二が手塚に語った台詞である。
 シャッターがあがりきり、店の扉がゆっくりと開かれた。出てきたのは、小柄な少年たちだ。千石の肩を借りたと、に肩を貸した千石である。二人は集まった人々の数に驚いたようだが、同時に安堵もしていた。どうやら死なずにすんだようだ。そう改めて実感したのである。
 救急隊員と消防士、そして警官の群れを押しのけて、桃城たちが走り寄る。
!? 大丈夫か!?」
「山吹の生徒って、千石だったんだ!?」
「どうしてこんなことになったんっスか……!?」
 三つの台詞が重なる。真っ先に駆け寄った桃城と菊丸、そしてリョーマが、ほぼ同時に口を開いたのである。
「えーっと、それは――」
「話せば長いことながら、だね」
 疲れた顔をほころばせて、青学の二年生と山吹の三年生は視線をあわせた。



 三種類の車から放たれる、複数の赤い光が、薄暗くなりつつある周辺世界を染め上げている。今回の英雄ともいうべき少年たちは、救急隊員によって救急車の陰に誘導され、そこで応急処置を受けることになった。おそらく報道陣に写真等を撮られないよう、気を遣ってくれたのだろう。
 治療を施されている間に、何人もの人々がやってきては礼を述べる。その中にはあの店長の顔もあった。たちからすれば、派手に内装を壊してしまい、少々顔をあわせるのが気まずかったのだが、店長は彼らを咎めようとはしなかった。
「なぁに、本来ならば灰になっていた店だ。それに比べれば、あの程度、安いものだよ」
 後日改めて礼をするが、いまはこれで赦してほしい。そう言って、店長は自身の店で発行している、「お好み焼き無料券」を渡して警官たちの方へと歩いていった。店のこともそうだが、事件の全貌を知る者として、しばらくは多忙な日々となりそうである。
 と、どこかにいっていた手塚が、大石と連れ立つかたちで帰ってきた。
「学校側との連絡はついた。報道陣は、竜崎先生たちが抑えてくれるそうだ。お前たちの名前や学校名等は、一切公表されない」
「ありがとう。そうしてくれると、助かるよ」
 千石は軽く右手をあげて礼を言い、線の描かれた頬を撫でた。別に悪いことをしたわけではないのだが、マスコミ等に追いかけ回されるのは遠慮したい。
「それにしても、大変だったな」
 青学テニス部の副部長は深い労りを込めて、功労者たちを眺めやった。
 確かに大変だった。夢中で行動してきたため、いままでは疲労も感じる暇はなかった。だが、こうして終わってみると、何日分もの体力と精神力を費やしたかのような気がする。これならば、部活の方がまだ楽だっただろう。
「ほんの数時間の間に、色々あったからね。しばらくは、のんびりしたいな」
 千石がそう言ったのが理由、というわけでもないのだろうが、手当を終えた救急救命士が、念のために病院に搬送するといった旨を告げてくる。とはいえ、幸いなことに、二人とも怪我はそれほどひどくはない。心配されたの足の方も、骨に異常はなさそうで、おそらくは打撲というところだろう。
 誰からともなく安堵の吐息をつきかけた時、聴き慣れた人声が近づいてきた。
「――あ!? 見ろよ、海堂! みんないるぜ!」
「わかったから、ひっぱるんじゃねぇ!!」
「だって、手を放したら、逃げるだろ、お前」
 そんなやりとともにやってきたのは、これまた青学テニス部の者たちであった。
「何だ、マムシに七じゃねぇか」
 と、これは当然桃城である。
 七海と海堂は、一緒にランニングをしている途中、パトカーや救急車、消防車が何台も走り去るのを目撃し、気になってここまできたのだという。皆からざっと状況を説明され、二人は驚きとも心配ともつかぬ顔をする。
「……無茶しやがる……」
 海堂が歎息混じりに頭を振った。その隣で、朱色の双眸を持つ少年も微妙に口元を歪める。心なしか、自分が居合わせなかったことを、残念がっているような顔つきだ。
「本当だよな。でも、二人とも、たいした怪我がなくてよかった」
 言葉の語尾に、獣じみた唸り声が重なった。百を優に超す視線が、多彩な感情の軌跡を描きつつ、そちらに向けられる。ちょうど店から六人の男たちが、警官たちによってひきずりだされたところであった。
 彼らを見る群衆の眼は、ほとんどが冷ややかなものだ。派手に怪我をしている者がいても、同情の類は寄せられていない。どれほどの理由があろうとも、何の罪もない人々を害そうとした時点で、あの男たちには同情の余地はないのである。
「――自業自得だね……」
 静かな怒りを含んだ不二の呟きに、他の者は等しく頷いた。



 不意に千石がズボンのポケットを押さえた。サイレンの音や人声にかき消されて、いままで気づかなかったが、携帯電話が必死で存在をアピールしている。は動けないので仕方がないが、他の者たちは山吹の三年生の傍から少し離れる。気を遣ったのだろう。
 右手をあげて感謝を示すと、千石は通話ボタンを押した。
「はいはい、どちら様?」
『千石か!? お前、いまどこにいるんだ!?』
 少しばかりかすれた、だが、聴き慣れた声に、千石は瞠目した。
「南……!? どうして南が電話してくるの? 風邪は?」
『そんなことはどうでもいい! お前、まさかいつものお好み焼き屋にいるんじゃないだろうな!?』
 少し熱が下がったので、南は何気なくテレビをつけた。この二、三日というもの、ずっとベッドの中で過ごしていたので、いささか退屈だったのである。するとテレビの画面に、見覚えのある店が映っているではないか。事件を知り、南は仰天した。瞬間的に、自分が数時間前に追い出した友人のことを思い出すと、もしやと思って電話をかけたのだ。
「ああ、大丈夫、大丈夫」
 千石の軽い口調に、南はほっと息をつきかけた。だが――。
「もうバッチリ巻き込まれてたから」
『…………はぁ!?』
 山吹中テニス部部長は、一瞬何を言われたのか理解できなかったらしい。ややあってから、素っ頓狂な声を発する。
『ちょっと待て!? バッチリ巻き込まれてた、って、それのどこが大丈夫なんだ!?』
 もっともな台詞である。千石は包帯の巻かれた左手を開閉させつつ、つい先ほど自分が体験したことを話した。
「――と、いうわけで、事件はめでたく解決。俺もくんも、多少怪我したけど、たいしたことないから。あ、念のため、二、三日は病院で過ごすけどね」
『…………』
 機械で繋がれた先の空間は沈黙している。何か変なボタンでも押してしまったのだろうか。山吹中のエースは一旦携帯電話を耳から離し、通話状態になっていることを確かめる。
「おーい、南ー?」
 いぶかしげに呼びかければ、次の瞬間、怒声が返ってきた。
『馬鹿野郎!! 軽い口調で言うことか!?』
「うわっ!?」
 千石は思わず声を上げ、携帯電話を耳から遠ざける。青学テニス部の者たちが、いぶかしげに山吹の三年生を眺めやった。何でもない、と彼らに向け手を振り、再び意識を電話に傾ける。
『怪我がたいしたことなかったからいいようなものの、下手したら死んでたぞ!? わかってるのか!?』
「――南……」
 携帯電話を見つめ、千石は目元を緩めた。友人が本気で自分を心配していることを感じとったのである。口の端に笑みを刻んで、そっと電話を耳にあてがう。
「――ごめん。でも、俺はこのとおり、生きてるよ」
『ふん……風邪が治ったら、説教だ。覚悟しとけ!』
 南の言葉は、ほとんど照れ隠しのようなものである。それを知りながらも、千石は口に出してはこう言った。
「うえ!? そりゃないでしょ、俺はこの事件の功労者だよ!?」
『やかましい! 心配させた罰だ!』
「……はーい……」
 南の説教は伴爺とは違う意味で疲れるのに。力なく返事をし、肩を落とした山吹中のエースであったが、次の言葉に再び顔中に笑みがひろがるのを感じた。
『……それから、今日は追い出したりして、悪かったな。見舞い……サンキュー』
 一方的に通話が終了する。「ツー、ツー」という機械的な音に混じって、微笑を含んだ声が大気を揺らした。
「……ありがとう……」
 小さな小さなささやきは、サイレンの音や人々の声にかき消され、誰の耳にもとどかなかった。そう、数秒前まで言葉をかわしていた友人の心以外は……。



 突然「あっ」という声が、の口から洩れる。家への連絡や、つきそいはどうするかといった話をしていた手塚たちは、驚いたように声の主を見やった。
「鞄と買い物袋、お店の中におきっぱなしだった。それから、リョーマくん、周助先輩、桃、すみません……明日のお弁当を作るつもりだったんですけど、ちょっと無理ですね」
 心からすまなそうに、鮮やかな色の瞳を伏せる。自分は千石とともに、二、三日は病院で過ごさなければならない。数日とはいえ、テニスができなくなることも残念だったが、約束を先延ばしにしてしまうことの方がずっとこたえた。
 名を呼ばれた三人は思わず顔を見あわせ、微苦笑をこぼしあった。
「気にすることないっスよ。怪我が治ってからでも、全然遅くないっスから」
「越前の言うとおりだよ。僕たちはいつまでだって待つから。いまは身体の方を優先してあげて」
「そうだぜ。気にせず、まずは怪我を治せよ、
 自分の身体を気遣ってくれる、仲間たちの心が嬉しい。誰かに心配や迷惑をかけたりすることは、にとって本意ではない。だが、いま自分が言うべき言葉は、きっと「謝罪」ではないだろう。それは――。
「――ありがとう……」
 千石が好きだと言ってくれた笑顔に、素直な想いをのせて「その言葉」を紡ぐ。リョーマたちはそれぞれの表情で受け止めた。
 話に一段落がつくのを待っていたのか、数人の救急隊員たちがやってきて「もういいですか」と声をかけてきた。と千石は一瞬視線をあわせ、二瞬目には頷いた。二人の座っていた担架が持ち上げられる。救急車に運び込まれる寸前、必然的に空を仰ぎ見ていた千石は、そこにあるものをみつけた。
「あ、くん、空を見て!」
「空を見ろ」と言われたのに、青緑の双眸を持つ少年が真っ先に視線を向けたのは、千石の顔であった。いつの間にか、呼び方が「」から「」となっている。勿論、嫌だというわけではない。驚いただけだ。
 そんなの顔をおもしろそうに眺めやり、千石は空の一角を指差した。今度こそはそちらを見やる。
 薄紫色の空に、二つの光点がある。
 人工の灯りに負けることなく、輝く二つのきら星――。
「何かさ、星たちになりに、俺たちを讃えてくれてる、って感じがしない?」
「――そうですね……」
 青緑の双眸に星たちを映し、は口の端に笑みをたたえた。
 周囲にいた者たちも、皆動きをとめて天を仰ぐ。




 ――二つのきら星たちが、天上で誇らしげに輝いている……。







                     ――Fin――



 <あとがき>

・まずは、彩亜様、誕生日にメールを下さり、ありがとうございました(^▽^) 本当に嬉しかったですvv そこで何かお返しを……と考えた時、やはり創作しか思いつきませんでした。ちょうど水帆ちゃんと一緒に考えた、お題十「はちあわせ」で千石くんが登場するお話を思いついていたので、それにしました。まだ書き慣れていない千石くん……イメージが崩れていなければよいのですが;
 お話の内容としては、いままでの中で一番シリアス度&アクション度が高いものとなっています。ですが、サイトの方にまだアップしていないだけで、この程度のお話はたくさんあったりします(^^;) 誘拐やら強盗やら襲撃やら……「キミたち、本当に中学生なの?」ということを、くんを含む青学の皆さんは、経験していきます(元ネタは、大体風見野や水帆ちゃんが見た夢なんですけれどね)。いつぞや書きましたが、くんは平穏とはいえそうもない中学校生活を送ることになりそうです;
 今回のお話で、千石くんとくんは、本格的に仲良くなれそうな雰囲気となりました。ひょっとしたら、くんが千石くんを「清純先輩」と呼ぶようになる日が、そのうちくるかもしれません(^^)
 長くなってしまいましたが、彩亜様、本当にありがとうございました。お返事メールにも書きましたが、ちょうど色々あった時期だったので、彩亜様のお言葉にはとても励まされました。頂いた気持ちの半分もお返しできていないかもしれませんが、どうぞお受けとり下さい。
 ここまで読んで下さって、ありがとうございました。



            2004.6.13    風見野 里久