きら星たちの凱歌 <中編>
恐怖に震えあがり、怯え、縮こまっている客たちの中に、例外が二つほどある。それに気づいたリーダーは、不快そうに顔を歪めた。仲間のひとりに顎をしゃくる。この男にとって、いまからやろうとしていることは、「惨劇」という名のドラマにすぎない。その主役は彼自身であり、正義の味方ヅラした少年たちの乱入を認めるわけにはいかなった。
荒々しい足音が急接近してきたため、少年たちは口を閉ざした。何食わぬ顔で沈黙する少年たちを、男のひとりが剣呑な目つきで見やる。
「何か言いたそうだな、ガキども」
「え? そう見えますか? いやだなぁ、そんなつもりはなかったんですけど」
濁った酔眼に気圧されることもなく、軽い調子で千石は言ってのける。男は「ふん」とひとつ鼻を鳴らし、今度は青学の二年生を見下ろした。はさっと目を伏せ、顔をうつむかせる。別に恐怖を感じたわけでもなければ、気圧されたわけでもない。酒毒にさらされるのは御免だ、と態度で拒否してみせたのである。
そんなことは全くお構いなしに、男は不躾な視線で栗色の髪の少年を眺めやると、酒臭い息とともに吐き捨てた。
「何だ、てめぇ、女じゃねぇのか。小僧のくせに、女みてぇなツラしやがって」
これだけの事を起こしておいて、言うことはそれか。は内心でそう思わなくもなかったが、表面上は礼儀を守って「よく言われます」とだけ返しておく。さらに男は口元を歪めた。
「それだけおキレイな顔をしてりゃ、若い女は放っておかねぇだろ。オコヅカイを稼ぐには、ちょうどいいってわけか」
とにかくという少年には、嫌味や罵声の類がほとんどきかない。勿論、例外はあるが、たいていの言葉は風に揺れる柳のように受け流してしまう。この時もそうであったが、彼の横で爆発した人物がいた。
男の身体が吹っ飛ぶ。近くにあった卓に激突し、その上にあった、お好み焼きの具やソースが宙に舞い上がる。皿やグラスが砕け、一旦宙を飛んだものたちが重力の法則に従って落下し、男の頭上に降り注ぐ。
あまりにも思いがけない出来事に、店中が静まりかえる。劇的な瞬間を真横で見たですら、言葉を失った。
「あーあ、もったいない」
殊更明るい口調で言い放ち、男の横顔に拳を叩き込んだ少年は、ひらひらと殴るために使った手を振る。振りながら、呆気にとられた様子の連れに向け、片目を閉じてみせた。
「こ、このガキ……!! 何しやがる!?」
皿や箸などを振りのけ、男が上体を起こした。憤怒の形相で千石を睨むが、対する山吹中のエースは、つらにくいほど平然としている。気の小さい者ならすくみ上がるような視線も、千石にとっては痛くもかゆくもない。第一、お好み焼きの具やソースにまみれた男がいくら怒ろうとも、滑稽にしか見えなかった。
千石の顔から笑みが消え、双眸に冬の冷気がたたえられる。
「何って、それはこっちの台詞だよ。アンタは俺の連れを侮辱したんだ。むしろ、このぐらいですませたことを、素直に感謝してくれないかい」
少々ずうずうしい言い草ではあるが、その表情は本気である。男がわずかに気圧されたのを見逃さず、千石は青学の二年生に提案した。
「そろそろ頃合いだよね。くん、ここはひとつ、共同戦線といかない?」
「いいですね、やりましょうか」
は珍しく好戦的な笑みを刻んで応じる。この少年は穏やかで優しい性格ではあるが、命を命とも思わぬ相手に容赦する気など、ほんのわずかも持ち合わせていなかった。
店内は一気に戦場と化し、男たちの酔いは空の果てに放り投げられた。
山吹中の三年生は、まず先ほど自分が殴り飛ばした男から、片づけることにした。掴みかかってきたところを、逆にその右腕をとって捻り上げる。そのまま男の顔面に拳を打ち込み、別の卓へと頭から放り込んだ。卓が真っ二つに割れ、男は動かなくなる。
容姿や体格等からいって、の方が千石よりは与しやすいと思ったらしい。二人の男が手にそれぞれ白刃を閃かせて、青緑の双眸を持つ少年に突きかかる。瞬間、は跳躍していた。人よりも鳥に近い身ごなしで、男たちの頭上を駆ける。二本のナイフが無人の空間を貫いたのは、この時であった。
ひゅっ、と鋭く大気が鳴る。背後を振り返った男たちは、自分たちに向けて繰り出される、強烈な回し蹴りを見、自身の発する絶望の叫びを聴いた。二人の身体が文字どおり薙ぎ払われる。
「へぇ、くんって、喧嘩も強いんだね」
軽やかに着地したに、千石は感歎を含んだ眼差しをおくる。
「そういう千石さんこそ、お強いじゃないですか」
「動体視力が役立つのは、何もテニスだけじゃないってことだよ」
そう言って、千石は明るい色の髪をかき上げる。男たちからすれば屈辱的だが、こういった他愛もない会話をするだけの余裕が、二人の中学生側にはあった。
青緑の瞳が動き、唖然としている店長を映す。
「ここは何とかします。いまのうちに、子供と女性、お年寄りを優先に、慌てずに避難して下さい」
「あ、はいっ……!!」
店長は大きく頷き、まずは店員たちに指示をだした。弾けていた思考も、具体的な指示や命令を受ければ、そちらに向かって走り出せるほどには回復する。店長たちはに言われたとおり、女性や子供、老人たちを優先に、客たちを裏口へと誘導し始める。
「おのれっ……!!」
両眼を血走らせ、リーダーは凶暴な唸り声を上げた。卓のひとつに駆け寄って鉄板を掴み上げると、店長に殴りかかる。店長はとっさに女性従業員を背後にかばい、両目をきつく閉ざした。
「そうはいかないよ!」
声と同時に、リーダーの視界の端で白い学生服が踊った。千石は男のこめかみに一撃を加え、よろめいたところにさらにもう一発叩き込む。リーダーは顔面から床に突っ込み、鉄板が鈍い音をたてて床に転がった。
間髪入れず、千石はライターを持つ男に向け床を蹴ると、わずか数瞬で薙ぎ倒す。その手からこぼれ落ちたライターを拾い、店長の方へと顔を向けた。
「おじさんたちもはやく逃げて! 外に出たら裏口も塞いで、警察と、念のために消防隊と救急隊にも連絡して!」
裏口を塞いでしまえば、千石たちは逃げることができなくなってしまう。だが、それは男たちも同様だ。この連中を逃がしてはいけない。ここで叩きのめし、然るべき所に突き出してやる。山吹中のエースはそう心に決めていた。
「しかし、千石くん……!!」
キミたちをおいてはいけない。顔面は蒼白でありがらも、ありったけの勇気を動員した店長の目が、そう訴えている。千石は双瞳を細めて笑いかける。
「俺たちは大丈夫。信じてよ。それと、店内を派手に壊しちゃうけど、メンゴね」
片手をあげて詫びる少年に、店長は何とか笑い返すとためらいがちに裏口へと走る。
短く悲鳴が上がったのは、この時であった。慌てて首をめぐらせた千石の瞳に、大きく身体をよろめかせる、栗色の髪の少年の姿が映った。
六人の男たちのうち、すでに三人は倒れている。残るはリーダーと、ライターを持っていた、おそらくは副首領格の男、そしての眼前にいる男だけである。だが、その男もの一撃を首筋に受け、床に這いつくばった。
が、次の瞬間、意外なことが起こった。一番最初に千石が殴り飛ばした男が、目がけて鉄板を投げつけたのである。男は顔の下半分を赤く染め、両眼も焦点が定まっていない。それでも立ち上がったのは、もはや執念としかいいようがない。
青学の二年生は、一瞬判断に迷った。彼の後方にはちょうど千石がおり、よければ彼に当たってしまう。いや、千石ならばかわせるだろうが、彼はいまリーダーたちを相手にしている真っ最中だ。集中力を乱す要因にはなり得るだろう。
迷いがの動きを鈍らせた。右足に衝撃が走り、そこを中心に激痛が弾けて身体を駆けめぐる。
「ぅあ……っ!!」
短く悲鳴を上げ、はたまらず身体をふらつかせる。それでも倒れなかったのは、さすがというべきだろう。とはいえ、すきは生じた。男は水牛のように突進し、左手で少年の頬を張り飛ばす。小柄な身体が大きくよろめく。
「くんっ!?」
千石が思わず声を上げる。
その声に半ば沈みかけていた意識を叩き起こし、は音をたてて踏みとどまった。痛む足で大きく踏み込み、肉迫してくる男の右の膝下に、手加減なしに踵を打ち込む。不気味な音が響き、男が絶叫を上げた。おそらく骨にひびでも入ったのだろうが、憐れむ余裕など、いまのにはなかった。身体をのけぞらせた男の顎下に肘を撃ち込んで、今度こそ沈黙させる。
青緑の双眸を持つ少年は肩を軽く上下させ、周辺にいる敵が戦闘力を失ったことを確認すると、手近にあった衝立に身体を寄りかからせる。鉄板の当たった右足が熱くうずき、白い額に汗を滲ませた。
「くん……!」
幾分か顔色をかえた千石が、こちらに駆け寄ろうとする。その背後にゆらめく影を認め、は双瞳を見開いた。
「千石さん!? 後ろ!?」
「うわっ!?」
千石が振り向くよりもはやく、背後から副リーダーが彼の身体に組みついた。太い腕を首にまわし、強烈に絞め上げる。
「千石さん……くっ!!」
足を踏み出したところで、は片膝をついた。胸中で自身を叱咤しながら、視線を持ち上げる。焦りをたたえた瞳に、もがく山吹中のエースの姿が映る。千石は辛うじて動く腕を使い、肘撃ちを背後に繰り出すが、首を絞める力は一向に衰えない。
「こっ……のっ!!」
苦悶の表情を浮かべながらも、千石は足を振り上げた。副リーダーの足の甲を、数度にわたってしたたか踏みつける。するとほんの少し、本当にわずかだが、腕の力が弱まった。その好機を見逃すような千石ではない。
男の腕を掴んで首から引き剥がし、山吹の三年生は裂帛の気合を込めて投げ飛ばした。一瞬、男の爪が頬をひっかき、若々しい顔に赤く線が走る。副リーダーは獣じみた咆哮を発しながら、衝立のひとつに激突し、さらには卓上の鉄板に突っ込んでようやく動きをとめた。
「……全く……手こずらせてくれちゃって……!」
肩で息をしつつ、千石はその場に座り込んだ。ひとつ咳をして、喉元をさする。うっすらとだが、赤く腕の痕が残っている。
「千石さん! 大丈夫ですか!?」
駆け寄れないかわりに、は声を張り上げた。
大丈夫だよ、と千石は笑顔で手を振って応えた。そこではたと、何かに気づいたように自身の手を見下ろした。先ほど副リーダーから奪ったライターがない。慌てて周囲を見回すが、どこにも見あたらない。
――まさか。
不吉な予感が、戦慄をともなって身体を駆け抜ける。千石も、そしても見た。
正気を失った両眼、幽鬼のような顔、少年たちを見下ろす薄笑いには狂気が満ちている。リーダーは亡霊にとり憑かれたかのように、ゆらゆらと身体を揺らしながら立っていた。その右手には、すでに火のついたライターが握られている。
「……貴様ら……よくも、よくも!!」
右腕が高く掲げられる。
「こうなれば道連れだぁ!!」
二人の少年が、ほぼ同時に動く。
「千石さん! 受け止めて!!」
青緑の瞳をした少年の白い手から、グラスが投じられる。大気を引き裂いて飛んだそれは、男の顔面に衝突して砕け散った。リーダーの身体がもんどりうつ。
火のついたライターが、放物線を描くように宙を飛ぶ。
「――っ!?」
ライターを追おうとした千石の足を、何かが掴んだ。見れば、リーダーが自分の足を抱え込んでいるではないか。
「放せ!」
これほどまでに余裕を失った声を上げるのは、彼としても珍しい。だが、リーダーは赤黒く染まった顔で、不気味に笑っただけだ。もはや苦痛すらも感じていないのかもしれない。その顎を渾身の力で蹴り上げて、千石はどうにか自由をとり戻す。
小さな火が、灯油でできた、これまた小さな池めがけて落下してくる。千石は腕を一杯に伸ばしながら、床の上に身体を投げ出した。
……パトカーと救急車、そして消防車の音が、騒がしくも悲しい曲を奏でた。
……To be continued.