とどかない不思議――掴めない掌――

            <第二日目・昼その二>





 ――シャッターチャンスは、いつでも、どこでもある。
 美術室の窓から見わたすグラウンドは、色々な顔を持っていると不二は思う。いまは少なくなった土の気配が濃く、人の存在の有無や時間や季節の推移によって、ほとんど一瞬ごとに、その一瞬にしか見られぬ情景を生み出している。それを何とかカタチに残したくてカメラを持ってきているのだが、なかなか満足のゆくものが撮れない。だが、こういった過程もまた、楽しいものだ。
 何枚かシャッターを押した時、扉が来訪者の存在を告げる。
「――越前」
「不二先輩……ひとり、ですか?」
 尋ねるリョーマの視線が、室内をさっと一周する。彫刻や絵画、布の被せられたキャンパス、そして染みついた塗料の匂い。そんな中で光のこぼれる窓を背に立つ先輩は、その容姿も相まってひとつの絵のようで。
 不二は緩く首を傾ける。少し長めの、色の淡い頭髪が頬にかかる。
「どうしたの? 誰か、ここで会う約束でも?」
 リョーマは小さく頭を振った。
 約束――。
 そんなものは、していない。にもかかわらず、捜しまわっている自分は、本当はどうかしているのだろう。けれども。
「……そういうわけじゃないっス。ただ、いてくれてらいいな、って……」
「ひょっとして、のことかな?」
 察しのよい人だ。それとも、誰かに聴いたのか。内心で苦笑にも似た吐息を洩らし、一年生レギュラーは首を縦に振ってみせた。
「不二先輩はもう、会いました?」
 問いの奥に隠された願いに気づき、淡い色の髪をした三年生は、暫し返答に躊躇う。しかし、答えないわけにはいかなかった。
「……うん、会ったよ」
「そう、ですか……」
 嘆息混じりに肯定は、さらなるそれを招く。不二は困ったように微笑む。
「午前中の、移動教室の時に偶然、ね。軽く挨拶した程度だけれど……」
 もしも、その「挨拶した程度」に恵まれなければ、おそらくいまのリョーマのように行動を起こしていただろう。いつか当たり前になっていたものが、ある日突然そうでなくなると、何か物足りない気がして、落ち着かなくて。そして。
 三年生レギュラーはカメラを近くの机に置き、リョーマの傍に歩み寄った。小さな後輩の前に膝を落とし、その顔を窺い見る。
「……寂しいかい?」
 応えは、すぐにはなかった。ややあってから、小さく、本当に小さく頷きが返る。
 ――あぁ、そうか。
 リョーマはようやく自分の中の、得体の知れなかった気持ちの正体を悟った。――寂しい。きっとこれが、一番適切であろう。
 彼に、に逢えなくて。あの青緑の双眸を、あたたかい笑顔を見られなくて。
 自分は、寂しかったのだ――。
「――そうだろうね。は、いつの間にか相手の心の奥深くに入り込んで、あたためてくれるような子だから。だからほんの数日でも、会えないのは寂しいよね」
「俺……見舞い、一回しかいってなくて……」
「そっか。じゃあ、会えなかった時間が、僕よりも長いんだね」
 僕は二回ほど、お見舞いにもいっているから。不二は白い手を伸ばし、後輩のかためられた掌を優しく撫でる。
「キミのその寂しさを癒せるのは、ひとりだけだから。僕は、ほとんど何もしてあげられないに等しい。でもせめて、これぐらいはさせてほしいな」
 触れてくる掌はあたたかく、優しい。その所作のひとつひとつが、青緑の双眸を持つ二年生を思い出させて、リョーマはひどく切ない気分がした。
「――――元気、だして……」
 くしゃりと頭を撫でられ、思わず不二の顔を見下ろす。琥珀の双眸に映る、色の深いそれ。――胸の奥が、ほのかにあたたかくなった。