空を見上げて――拾えない軌跡――

                   <第一日目・終>




 結局、今日は会えず終いか。
 おもしろくも何ともない結果に、青学のルーキーは無意識のうちに歎息していた。ロッカーの扉を力なく閉め、愛用の帽子を少々目深に被る。何となく、今日は他者に顔を見られたくない。きっと、情けない顔をしているだろうから――。
「あ――――っ!! リョーマくん!!」
 着替えを終え、愛用のラケットを手に部室を出たリョーマは、突然横手から響いた甲高い声音に、思わず身体をのけぞらせた。テニスコート内にいた者たちも、皆ぎょっとして動きをとめた。
 声の主、三の姫こと草壁汐花は地を踏み鳴らしてやってくると、クラスメイトの鼻先に細い指を突きつけた。
「どうして、リョーマくんがここにいるわけ!?」
「…………どうして、って、それを汐花が訊く?」
 軽く痩身をひきながら、リョーマは眉をしかめてみせた。どうにも部員たちの視線が恥ずかしい。
「何だ何だ、痴話喧嘩か?」
 などという、誤解かつ迷惑極まりない台詞も聞こえ、一年生レギュラーは穴でも掘りたくなった。お前の眼は節穴か。どこをどう見たら、この状況が「痴話喧嘩」に見えるというのだ。いますぐ視力検査にいってこい――と、怒鳴りつけてやりたい衝動を、必死になって抑え込む。
 と、そんなリョーマの胸中に気づいた様子もなく、三の姫は唇を尖らせる。
「――あー、もうっ! 先輩に悪いことしちゃったじゃない!!」
「は? 先輩?」
「そうよ、ここにくる途中で会ったの。リョーマくんを捜してるみたいだったから、『今日は掃除当番だから、まだ教室にいるかも』って教えちゃったのよ! ねぇ、どうしてくれるのよ!?」
 深い深いため息とともに、汐花のクラスメイトは額に手をあてた。
「…………それって、俺が悪いわけ?」
 半眼になって呻く。気のせいだろうか、何やら頭痛がする。
「他に誰が悪いっていうのよ!?」
「…………」
 もはや反論する気力を失って、琥珀の双瞳が遠くを眺めやる。話がメチャクチャすぎて、まるで異星人とでも会話しているようだ。
「――と、待てよ……!」
 そこで初めて気づいたように、リョーマは瞠目した。このクラスメイトの少女は、誰に会ったと言っていた――!?
「汐花、会ったの!? 先輩にっ……!?」
「だから、そう言ってるじゃない。どうしたの? リョーマくん、大丈夫?」
「汐花にだけは、そんなこと言われたくない!!」
「汐花に『だけ』は、って何よ!? 『だけ』は、って!? ヒトがせっかく心配してあげてるのに!!」
「いつ心配したっていうのさ!?」
 本筋を大きくずれ、ぎゃおぎゃおと言い争う二人の一年生を、テニス部員たちは見るとはなしに眺めやる。どの顔にも「あぁ、また始まった」と書かれている。リョーマと汐花――この二人の喧嘩は、二年の桃城と海堂同様、テニス部内では日常茶飯事だ。
 と、少年少女の背後に、大きな影が落ちかかった。
「やめんか! 一年坊主と一年娘!」
 右手でリョーマの頭を、左手で汐花のそれを真上から押さえ込み、桃城は声を張り上げた。途端に、掌の下から一年生とは思えぬほどの抵抗と反発が返ってくる。
「だって汐花が――っ!」
「だってリョーマくんが――っ!」
「何だよ!?」
「何よっ!?」
「だーっ!! やめい、二人とも!!」
 再び持ち上がってきた二つのの頭を、これまた再び押さえ込み、二年生レギュラーは吠える。すると一年生たちが相次いで抗議し……といった具合に、人数が二人から三人に増えたことで、戦火はさらに拡大した。
「……ミイラとりがミイラになってる……」
 おろおろと河村が呟けば、海堂は戦場に一瞥もよこすことなく低く一言。
「馬鹿が」

 ――喧嘩など放り出して、すぐに教室にとって返せば、に会えたかもしれない。
 そう青学のルーキーが後悔するのは、この少し後のことである。




                  ……To be continued.