第五章   キミを忘れない






 ――――ちゃん、泣かないで。

 懐かしい声音が、耳朶をかすめる。

 泣きじゃくる幼い少女に向け、包帯の巻かれた手が伸ばされた。優しい眼差しをした、幼い少年はやはり優しく微笑む。

 ――違うよ、これは、ちゃんのせいじゃない。

 だからね、と少年はあふれる雫を指先で拭った。

 ――どうか、泣かないで……。






 東寺の御堂は、おびただしい数の負傷者で埋まっていた。

 検非違使別当と現東宮の勅令により、薬師たちが手配され、彼らに混じって検非違使や僧侶たちが慌ただしく走りまわっている。大気には濃い血臭が漂い、負傷者もそうでもない者も、嗅覚はとうに麻痺していた。

 赤く染まった湯を境内の裏手にうち捨て、は額の汗を拭う。普段は鮮やかな若葉色の瞳が、いまは暗く翳りをおびている。

「――……」

 背後からそっと名を呼ばれ、少女は緩慢に視線を滑らせた。覇気のない眼差しを受け、両腕に真新しい包帯を巻いた京職の青年は、わずかに眉を曇らせる。

「死者は、いない。だから……」

 そこまで言って、音を濁らせる。だから、何だというのだろうか。こんな時に、とっさに言葉が出てこない自分が、腹立たしい。

 と、時見の少女は小さく微笑み、頭を振った。

「ありがとう……わかっています。自分を責めたところで、結果をかえることなんて、できません。わかっては、いるんです――」

 ぐっと、掌を強く握りしめる。

 ――――視ていれば、何かがかえられたかもしれない。

 そう思う気持ちまでは、抑えられぬ。

「やっぱり私……この力、嫌い……」

 自嘲めいた、どこか泣き笑いにも似た顔で、少女は呟いた。だが、涙はこぼさない。本当に泣きたいのは、自分ではなく被害に遭った人々だから。

 勝真は思わず手を伸ばしかけ――逡巡した。

 儚く、頼りない肩。

 この肩に触れていいのは――――。

「……馬鹿だな、俺も」

 ほろ苦く笑う青年を見、若葉色の瞳がいぶかる。それに曖昧な笑みを投げ、勝真はひき戻していた手を、今度こそ伸ばした。短い紺の頭髪をさらりと撫でる。

「もしも、お前が責めを負う日がきたなら、俺も同じものを受ける。だから、ひとりで背負うな……」

 はっとは双眸を瞠る。そして、くしゃりと白い面を歪めて頷いた。

 勝真の手は大きく、あたたかい。

 髪を撫でる手は不器用だが、優しくて。

「――――はい……」

 その言葉が、仕草が、遠く隔てられた『彼』を思い出させて、切なかった……。




 勝真が頼忠に呼ばれて去った裏庭で、はうつむいていた。銀の腕輪をはめた腕が持ち上がり、触れられた髪を撫でつける。

 ――――ちゃん、泣かないで。

 思い出す、優しいぬくもり。

 ――自分の力に、負けるなよ。

 優しい言葉。

「…………みんな、本当に優しいんだから…………」

 こぼれそうになった雫を、強く握られた拳が無造作に拭った。






                  ……To be continued.






  ――もらった優しさを、いつか強さにかえる……それが、キミとの約束だから。