第六章 蒼雷きたる
全身から噴き出る凄絶な気を受けて外套が跳ね上がり、その下から蒼みをおびた剣身が覗く。切っ先が優美で危険な弧を描き、閃いた。
「我が声を聴け、我が声に応えよ。大いなる天龍(てんりゅう)よ、ここにきたれ――雷帝招請(らいていしょうせい)!」
蒼銀(そうぎん)の刃が、晴れた空を轟音とともに斬り裂いた。降り注ぐ雷が天地を薙ぎ払い、狭間にいた異形の生物は凄まじい叫喚を発する。その隙を逃さず、一足飛びに間合を詰めた少年は剣尖を突き込もうとして――慌てて腕を引いた。
「――!?」
脳裏に閃く警告。これは――――!?
不自然ともいうべき空白の時を逃さず、異形は両翼をはばたかせた。生じた突風が砂埃を舞い上げ、少年の顔面に叩きつけられる。とてもではないが、目を開けていられない。
「くっ……!!」
腕をあげて顔をかばった少年は、唐突に首筋をひやりとしたものが滑るのを感じた。何かを思うよりもはやく、身体が行動に移る。外套に包まれた身が地へと投げ出され、一瞬までその頭部があった位置を禍々しい光が通過する。あのまま立っていれば、間違いなく頭部を砕かれていたに違いない。ほんの一瞬の差が、彼に、彼自身の命を拾わせていた。
地面を転がった少年は双眸を閉ざしたまま、気配を感じる場所へと剣先を払う。
手応えは充分であった。が、次の瞬間には少年もまた、ものの見事に横転していた。異形の翼が、彼の腕を打ったのである。たったそれだけの挙措で、相手を横転させてしまうのだから、恐るべき膂力だ。
やがて鳴号と気配が遠ざかり、大気もまた凪いでゆく。
風の唸りが耳を叩くのをやめるのを待って、少年はそっと瞼を持ち上げた。もはや遥か彼方、蒼穹を汚す一点の染みとなった影を睨めつけ、わずかに唇を噛む。
この場で討ちとろうと思えばできた。
だが、そうしてはならぬ、と告げる声があった。
それは少年の直感というべきもの。これまで幾度となく自身を救ってきた己の直感に、彼は絶大なる信頼を寄せている。あれを、ただ斃(たお)してはならぬ。
と、背中に突き刺さる意識と視線を感じ、少年はわずかにそちらを顧みる所作をした。だが、決して顔を向けようとはしない。先ほどまでの戦闘で、頭部を覆う布が肩へと落ちてしまっている。いま素顔を見られるのは、色々と問題があるのだ。
「――――キミが何者かは知らないが、とりあえず礼を言わせてもらうよ」
そう告げる声音は、八葉のひとり、地の白虎・翡翠のものであった。
「おかげで私も、私の部下も命拾いした。助かったよ」
京にやってくる少し前まで、伊予で海賊を、しかも頭目を務めていた翡翠の元へは八葉となった現在でも、部下たちが訪ねてくる。この日も伊予や仲間の現状を知らせに、はるばる都までやってきたのは、まだ若い青年であった。その分、一党に加わってからの日は浅いが、彼の操船技術には翡翠も一目をおいていた。
その彼はいま、翡翠の傍らに倒れている。久闊を叙していたところに突然現れた怪物の奇襲を受け、肩をえぐられてしまったのだ。昏倒した彼を見捨てることなど到底できるはずもなく、圧倒的に不利な状況で戦わざるをえなくなった地の白虎に助勢したのが、目の前にいる見知らぬ少年であった。
「いや……礼には及ばない。それよりも、そちらの人は、大丈夫か?」
改めて外套をかぶり直し、少年は初めて翡翠を振り返った。地の白虎の瞳が、興味深げに細められる。だがそれも一瞬のことで、視線は部下へと注がれた。
「とりあえず止血をして、応急処置はすませたが……傷口から瘴気が入り込んだらしい。これは、一般の薬師の手には負えないだろう」
瘴気はあらゆる生物にとって猛毒だ。体内に入り込めば、内側から身を腐らせてゆくであろう。このままでは、翡翠の部下は遠からず死ぬ。
「だが、幸い瘴気を浄化できる人物に、少々心当たりがある。大丈夫だ」
龍神の神子やら空癒の少女やらがその心当たりなのだが、さすがにそこまでは口にしない。目の前にいる少年は恩人ではあるが、神子たちの存在は京の住人にも公にされておらぬこと故
、ここはやはり黙っているべきだろう。
と、少年は翡翠の向かい側に片膝をついた。青年の身体に片手をかざす。
「処置ははやい方がいい。俺には傷は治せないが、瘴気ぐらいは消せる」
「瘴気を消せる? 本当に、キミは一体何者だい?」
返答までには、やや間があった。
「――――申し訳ないが、それは言えない。だが、あなたには、頼みたいことがある」
「ほう……?」
翡翠の両眼が、一抹の警戒心を含んで眇められる。彼の立場は公私ともに実に微妙なものだ。公的にはいつ追捕の命が発せられるともしれず、私的には神子をつけ狙う様々な異形どもに憎まれているのだから。
「何でも、というわけにはいかない。だが、できる限りのことはしよう――と、言わせてもらうよ」
目の前にいる少年は、徒人ではない。その彼が頼みというからには、おそらくそれは八葉としての翡翠にあてたものとなるだろう。ならば、なおさら安請けあいはできぬ。
ヒトを食ったような返答を受けて、少年は唇の端をわずかに持ち上げた。
「なに、簡単なことさ。あなた方――八葉が護る神子に、伝えてほしいことが、ある」
目深にかぶった外套の下で、金色の光が鋭く煌めいた。
……To be continued.
全ての禍(まが)つこと、災いを、蒼き雷(いかずち)にて殲滅せん――。
