第四章   刹那の邂逅





 二条大路を二人の青年がゆったりと歩いている。

 二人ともどこか徒人とは一線を画した雰囲気を纏っているが、それもそのはずで、彼らもまた龍神の神子を護る八葉であった。その中でも特に霊的な能力では、随一を誇る天地の玄武である。

 天の玄武・源泉水が隣を歩く陰陽師の青年を見やった。

「泰継殿、ありがとうございました。これで、あのおかわいそうな若君の霊も、成仏することができるでしょう」

「私は、陰陽師としての責を全うしたにすぎぬ。礼には及ばない」

 いささかそっけなくも思える口調で、地の玄武・安倍泰継はにこりともせず応える。何も知らぬ者が見れば、さぞ不機嫌そうな、あるいは情の薄そうな青年に見えたことだろう。だが、別にそういうわけではなく、これがごく普通の表情なのだと、最近になって泉水は理解しつつあった。

 朽ちた屋敷の前で、悲嘆に暮れる若者に泉水が気づいたのは、昨日のこと。出仕の帰りに何やら妙に胸が騒ぎ、右京の、二条大路にほど近い、菖蒲小路の辺りにあるその屋敷へと赴いた。するとそこには年若い、貴族らしき青年の霊がおり、静かに涙をこぼしているではないか。

 若者はかつて、この屋敷に住んでいた姫君の許嫁だったのだが、正式に婚姻を結ぶ直前に病に倒れ、そのまま世を去らねばならなかった。せめて最後に一度だけ、姫に逢いたいとそう思ったが、実際には見舞いの文に返事すらできず……。

『私が世を去って間もなく、心労から姫も床につき、身罷ったと知りました。私などのために、姫を道連れにしてしまった……あの方には、幸せになって頂きたかったのに……』

 大切な人を、自分のために不幸にしてしまった。それがどうしようもなく哀しくて。辛くて。いつまでもここを離れられないのだと。いまいっても、自分は姫に会わせる顔もない……。

 そう言って、嘆き続ける若者を見、泉水はいよいよ放っておけなくなった。

「どうか、そのようなことをおっしゃらずに。姫は、あなたをお慕いしていた。本当に本当に大切に思っておられただけなのです。いま頃は、あなたがこられるのを、きっと心待ちにしておられるはず……」

 言葉を、心をつくして慰め、説得を続けて、ようやく若者が心を定めても、泉水ひとりの力では、彼をおくってやることができぬ。どうしたものか、と頭を悩ませ、頼もしい仲間のことを思い出したのである。

 翌日、つまり今日になって泰継の庵を訪ね、事情を説明したところ、彼はあっさりと首を縦に振ってみせた。

「魂(たま)送りをすればよいのだな。いいだろう」

 嫌な顔をされなかったことに、泉水は内心で安堵した。これは自分が勝手に始めたことで、泰継には直接の関わりがない。何故私が、と言われれば、それまでなのだ。

 二人で件の屋敷に向かえば、若者の霊が心細げに立ち尽くしていた。彼に何も心配いらないと告げて、天の玄武は泰継を顧みる。

「泰継殿、何か、わたくしにお手伝いできることはありますか?」

 左右で色の異なる双眸を持つ青年は、少しの間考えてから言う。

「――では、笛を。この場を気を鎮めろ」

「わかりました」

 ひとつ頷き、泉水は愛用の笛に唇をあてた。

 どうか、この若者が愛しき姫と再会できますように――。

 心を、願いを込めた笛の音色は、清冽な水流のように美しいものであった。辺りに澱んでいた空気が洗われ、清いものになってゆく。

 地の玄武は双眸に瞼を落とし、柏手を打った。

「――――謹請し奉る……」

 泉水には理解できない言葉が紡がれ、やがて彼は何か別の気配が降り立つのを感じた。笛を奏でる手は緩めず、薄く眼を開いた先で、ふわりとたなびく黒髪を視る。

 ――お会いしとうございました……。

 まだ幼さの残る容貌をした姫が、涙を浮かべて微笑む。が、若者は姫から顔をそむけるようにうつむき、唇を噛みしめた。

 ――姫、姫……申し訳ありません。私のせいで、あなたを不幸に……。

 姫はゆっくりと頭を振り、若者の手をとる。

 ――いいえ、いいえ……わたくしは、こうしてあなた様にお会いできただけで、幸せでございます。これからは、ずっとずっと一緒です。もう、お傍を離れません……。

 二人の若い恋人たちは、互いの身体を抱きしめると、最後に泰継と泉水に深く礼を施して大気へと溶けていった。

 ――――ありがとうございました…………。

 優しい想いを、天地の玄武の胸に残して。

「――いまのこの京には、悪しき気が澱んでいます。もしも、あの方がこのままこの地にとどまれば、やがてはそれに呑まれ、怨霊となっていたことでしょう。そうなれば、姫もきっと悲しまれたはず……本当に、よかった」

 まるで我がことのように喜ぶ泉水に、泰継は感情の見えない眼差しを注いだ。

「……不思議だな」

「はい?」

「他人の、それも死者のことをそこまで考え、喜ぶことができるとは。お前はやはり、他の者とは少し違うようだ」

「そうでしょうか……?」

 天の玄武は曖昧に笑い、首を傾げる。実をいえば、陰陽師の青年の言い分は少々おかしい。泉水のことを不思議だと言うが、そんな彼につきあっている泰継自身も、充分に不思議なのだ。

 と、その泰継が歩みをとめた。左右で色の異なる双瞳が不審に煌めき、彼方を射抜いている。問いかけを音にしようとして、泉水もまたそれに気づいた。

「この、気配は――?」

「――禍々しい。ただの怨霊ではないな。力ある妖か」

 不快感も露わに吐き捨てると、泰継は首飾りに手をかける。

 ――――風が、吼える。

 大気が鋭さを増した。泉水は近くに立つ樹木の枝が、風のひと薙ぎで切り落とされるのを認め、わずかに息を呑む。

 砂煙が舞い上がり、人々の間から悲鳴が噴き上がった。

「――くるぞ、泉水!」

 吹き荒れる風の中に、禍々しい黒影が踊る。けたたましい鳴号が耳朶を叩いた。

「天道に畢(お)わり、三五成り、日月倶(そな)わる。窈窈(ようよう)に出で、冥冥に入り、気、真に入り、気、神に通じ、気、道に布き、気行けば奸邪、鬼賊皆消亡す」

 泰継の声が朗々と響く中、泉水は懐から数珠をとりだし、地面に片膝をついた。数珠を絡めた手を地にそえ、意識を集中する。

「――地を流るる水気よ……」

 掌にはっきりと感じる、地下深くをゆく水の気配――それが急激に膨れあがり、足元から這い上がってくる。

 貴賤を問わず人々が地面に薙ぎ倒され、履き物や笠、商売に使う筵などが天高く舞う。やがて砂嵐は大路の中央に立ち、逃げる素振りすらみせぬ青年たちを認めた。猛々しい唸りを上げ、肉薄してくる。

「我を視る者は盲(もう)なれ、我を聴く者は聾(ろう)なれ。敢えて我を図謀(はか)る者あらば、反(かえ)りて其の禍いを受けよ――!」

 不可視の障壁が築かれ、砂嵐が四散した。砂塵が吹き荒れ、耳障りな叫喚が響く。すかさず泉水は高めていた気を解放した。

「水よ、悪しきものを打ち祓いたまえ!」

 大地に亀裂が走り、水流がほとばしる。突然出現した水柱に無防備な胴体を撃たれ、黒影は大きく跳ね飛ばされた。奇妙な影だった。翼が生えた獣――だが、その獣にしても、これまでに見たことはない。一瞬、その身体の中央で何かが光る。が、それが何かを確かめる余裕は、なかった。

 怒りに満ちた鳴号が轟き、二人の八葉の術が粉砕される。

『――っ……!?』

 さらに爆発した妖力が、二人の身体を真上からねじ伏せた。足元が音を立てて陥没するほどの、凄まじい重圧であった。瞬間的に息が詰まり、喉の奥から灼熱がせり上がる。

 異形の影が雄叫びを放ち、身動きのとれぬ人間どもに襲いかかろうとした刹那――。

 白き外套が翻る。

「――火神招応(かじんしょうおう)、急々如律令!」

 真紅をおびた、凄まじい霊力が炸裂した。炎が踊り、火花が爆ぜる。

 身体を拘束する重圧が解けるかわりに、視界を灼かれ、泉水と泰継はきつく瞑目した。吹き荒れる力と、錆びついた叫喚が虚空で混ざりあう。やがて、それらが過ぎ去った後には、異形の影も、白い外套の人物も、何処かへ姿を消していた……。




                ……To be continued.





     惹かれあう魂と、導かれる縁(えにし)は、奇跡を起こす――――。