「…はぁ……はぁ……!」

 夢中で走ったは息苦しくなって初めてその足を止めた。

「ど…どうしよう、私……! 泰明さんにすっごく失礼なことしちゃった……!」

 けれど――あの瞬間、どうしても泰明と会うのが怖かった。

 いけないと解っていたのに、無意識に身体が逃げ出してきてしまった。

「どうしよう……どうしよう……!?」

 自分が傷ついているのに、人のことばかり気にしてしまうのがこの少女である。

 藍色の瞳に思わず涙があふれてきた、その刻だった。

殿? 殿ではありませんか?」

「え…?」

 優しい涼やかな声がの名を奏でた。

「永泉…さん…?」

 振り返ったは、突然のことに涙を拭うのも忘れていた。

「ど、どうなさったのですか…? 何か悲しいことでもあったのですか…?」

 永泉はがぼろぼろと涙を零しているのを見て驚くが、優しく尋ねる。

「…永泉さん……!」

 だが、永泉のその優しさに、は更に涙をあふれさせてしまうのだった――。





「――……!?」

 その刻、地の玄武である陰陽師はふたつの気配を感じ取った。

 南と東――それぞれの方角へ一度視線を向けてから、端麗な顔立ちを更に引き締め、双眸を閉じる。

 ――やがてその色の異なった双眸が開かれると、意を決したように泰明は東へ向かって歩み始めた…。





 ――将軍塚を一通り歩き回った地の青龍は、見晴らしのいい頂上まで来て大きな溜め息をついた。

「……やっぱ、居るわけねぇよな」

 誰もいないその場所で、自嘲気味に呟く天真…。

 ――突如、都に流れる穏やかな気が途絶える。

 天真の背後から黒き塊の如き怨霊・幽魔があふれ出した…!

「なっ、何だ!?」

 間近に現れた嫌な気配に、天真は振り向いて身構える。

 するとそれは、先程、鷹通の話にあった怨霊ではないか。

 天真は舌打ちをしてから兵の印を結ぶ。

「くらえっ!!」

 両腕から雷の気を解き放った。

 幽魔の群れの一部はそれで消え去っていくが、後から後から出現し、その勢いは止まらない――!

「ちくしょうっ…!!」

 自分一人では術が使えず、大打撃を与えることは出来ない。

 天真がそれに悔しげな表情を刻んだ瞬間――。

「天真くんっ!!」

 彼の名を叫ぶ声が聴こえた。

 驚いた天真がそちらを振り向くと――時見の少女が駆けてくる。

…!? 頼む、力を貸してくれ!」

 どうしてがここへ来たのか判らないが、今はそんな疑問よりも絶妙のタイミングで来てくれたことへの感謝の方が勝っていた。

「うん!」

 天真の元に辿り着いたは、天真へ五行の力を送る。

『しびれちまいな! 神鳴縛!!』

 素早い動きで飛び回る幽魔を、地の青龍に招来された神鳴が縛した。

 それを見計らったが彼の前に進み出て右手の封印を解く。

 激しき風が幽魔達を捕らえ、どんどん掌の刻印に吸収し――やがて、発生したすべての幽魔を吸い込み終えた。

「ふぅ…天真くん、大丈夫だった?」

「あ、ああ…」

 封印の腕輪を元に戻しながら尋ねてきたに、天真は取りあえず頷くが、

「お前、何でここに?」

 先程から気になっていたことを問うてみた。

「そ、その……見えたから。天真くんが将軍塚に居て、幽魔が出るのが…」

 少し遠慮がちに答える時見の少女に、天真は「そっか…」と納得すると、

「ありがとな、助かったぜ」

 素直に感謝の言葉を手渡した。

「う、うん…」

 は天真のその表情が、どこか淋しげなものを帯びているような気がしてならない。

 視線を反らし、丘の向こうを見おろす天真と、の間に暫しの沈黙が流れる。

 天真は何かを考え込むようにしてから自分の頭をくしゃっと掻いた後、

「……あいつが……」

 ついに沈黙を破って、言葉を零し始めた。

「妹が……またここに居ねぇかと思ってさ。何となく来てみたんだ」

「あ…」

 は先日ここで出逢った鬼の少女――行方不明になっていたという天真の妹を思い出す。

 長い黒髪に、儚げで冷たい瞳をした少女。

「――元の世界であいつが居なくなったのは、もう二年も前のことだ。居なくなる直前まで俺に助けを求めてた妹を……俺は助けてやれなかったから、必死になって捜した。でもたった一つの手掛かりさえ掴めなくて…どうすりゃいいのか判らなかった。でも……一年もしてあかねや詩紋と一緒にこの世界に呼ばれて来て。あいつの手掛かりがやっと掴めたとこだったんだ。それなのに…!」

 あくまでに説明するだけのようだった口調が、悔しげな声色に変わる。

「俺が八葉になったのは、あかねを助けてやるためと、京を――あいつが居るかもしれないここを守るためだったのに…! なのに、その妹が京を穢す鬼の一味、八葉となった俺の敵になってたんだから……まったく、ふざけた話だよな」

 そこまで言うと天真の表情が自嘲になる。

「まぁでもこれは、自業自得かもな。あの刻、俺はあいつを助けてやれなかったんだから。――俺の、せいだからな」

「天真くん…!」

 は初めて見た天真のそんな表情に驚きつつも、堪りかねて思いを口にする。

「そんなに自分を責めないで。妹さんが居なくなってしまったのは、天真くんのせいじゃないよ!」

 の言葉に天真は「いや…」と首を横に振る。

「俺が悪いのは本当なんだ。居なくなる前、あいつの話をろくに…真面目に聞いてやれなかった」

「天真くん……それでも、やっぱり天真くんのせいじゃないよ。誰のせいでもない。今は辛いと思うけど、妹さんはちゃんと生きてるんだもの! 助けられるはずだよ…! 独りで何もかも背負い込もうとしないで。私も、出来る限り力になりたいって思うから…!」

……」

 真剣な瞳で思いを紡ぐを、天真はただ驚いたように見つめた。

「…あっ、ご、ごめんね! 余計なことだったかな…!?」

 そんな天真の視線に気づいたは慌てる。

 すると――天真の表情がようやくほぐれ、少年らしい笑みが刻まれた。

「いや、結構励まされたぜ。サンキュー、。こっちこそ悪かったな、変な話聞かせちまって。お前はあいつと……蘭と会った刻に一緒に居たし…今も駆けつけてくれたし、何となくぽろっと話しちまった」

 が「そっ、そんな、気にしないで」と焦って言うと天真はまた軽く笑みを零す。

「それにしてもお前の力ってすげぇよな。アクラムから呪いとして受けた刻印だって大分使い慣れてきたみてぇだし、予知だって出来るんだもんな」

 天真は一応褒めたつもりなのだが、今度は――が顔を俯かせた。

「うん……でもね……この予知の力って、あんまり使い勝手がいいものじゃないんだ…。何たって自分の意志で見えるものじゃないし、自分の望む未来じゃないことがほとんどだし……本当に、いつも突然なの…! それに…間に合わない場合もあるし…!」

…」

「……だから、正直言うと不安なの。さっき鷹通さんに頼まれた幽魔の予知も、ちゃんと出来るかどうか…!」

 天真は初めて聞いた時見の力、それを持つの思いに、そうだったのかというように暫し沈黙する、が。

「でも、出来たじゃねぇか、実際」

 すぐに明るく微笑みかけた。

「え…?」

 若葉色の瞳を見開いて天真を見上げる

 今度は彼が彼女を励ます番だ。

「俺は予知なんてしたことねぇし、お前に逢うまでそんなことが出来る奴が本当に居るってことすら知らなかった。でもお前のその力のおかげで助けられた奴だって居るんだし……蘭にも会わせてくれたし、今だって、駆けつけてくれたじゃねぇか」

「天真くん…」

「今は、自分の意志で使えない力を持つっていう、お前のその気持ちを完全に解ってやれてるわけじゃねぇから、こんなこと言えた立場じゃねぇんだろうけど……でもお前が頑張ってるの知ってるからさ。助けになってやりたいって思ってる」

 最後に「お前が迷惑じゃなければの話だがな」と笑いながら付け足すと、

「め、迷惑なんかじゃないよ! ――――……ありがとう」

 は急に慌てたかと思うと、少し頬を朱に染め、若葉色の双眸を潤ませた。

!?」

「あ、ごめん…こんな話聞いてくれたの……そんな風にまで言ってもらえたの、以外で初めてだったからすごく嬉しくて…! ありがとう、天真くん」

「そっ、そんな改まるなって! 大したこと言ってねぇんだから!」

 のそんな態度に、今度は天真が慌てる。

 そして照れくさくなったのか、視線を丘の下に広がる京に向ける。

「さてっと、お互いちょっと悩んでること話したらスッキリしたよな! そろそろ館に帰ろうぜ」

 勢いよく立ち上がった天真に、は少し笑んで「うん」と答えて。

 やはり『彼女』が居なかった将軍塚を、天真とは下りて行った…。





「――そうですか……泰明殿がそんなことを…」

「はい……」

 ゆっくりと藤姫の館への道を歩きながら、は永泉に事情をすべて話した。

「それは…さぞ辛かったでしょうね。お気持ちはよく解りますよ」

「永泉さん…」

 ようやく涙の止まったの瞳を見て、永泉は少し安堵して話し始める。

「泰明殿は――物事をいつもはっきりと正しく見て行動する方です。時にそれは冷たいと思えてしまうこともあります。ですが、悪戯に人の心を傷つけようとしているわけでは、決して無いのですよ」

 そう語りながら永泉はに微笑みかける。

「先程のことも、おそらくあなたのことを思っての言葉だと思います」

「…私の…こと……?」

 驚いて聞き返したに、永泉はしっかりと頷く。

「怨霊・幽魔は今までとは違った、まだその出現の理由すら判っていないとても危険な怨霊です。そんなことに、無闇にあなたを巻き込みたくなかったのでしょう。殿に協力して頂くのも、予知の力をお借りするために、やむを得ずのことですから。本当に申し訳ないと思っています」

 は永泉の言葉に俯く。

「……私、皆さんがそんなに思っててくれてるなんて、知らなかった…。自分のことしか考えてなくて、泰明さんの言葉の意味にも気づかなかった…解ろうとしなかった…」

「私達のことなら、いいのですよ。ですがやはり……泰明殿のあの言葉は…無理がありましたね…」

 永泉は泰明の『必要ない』に苦笑しながら言った。

「泰明殿は、本当に無駄というものが無いのです。言葉も同じで、正確な真実や正直に思ったことをそのまま口にされてしまうので、よく誤解を買われてしまうようです」

「そう…ですか……。でも、やっぱりさすが同じ玄武ですね。永泉さん、泰明さんのことちゃんと解ってて、すごいです」

「いいえ、そんなことはありません。先程から偉そうなことばかり申してしまいましたが…実は、私もあなたと同じだったのです」

「え…?」

「同じ八葉として、同じ玄武として初めてお逢いした時……私はあの方のはっきりとした態度と行動について行けず……傷ついて、落ち込んでばかりでした」

 永泉は懐かしそうに愁いを含めて目を細める。

「ですが…泰明殿のその態度には、勿論悪気など無く、私が勝手に悪い方ばかりに考え、勝手に傷ついていただけだったのです。おかげで泰明殿にも神子にも御迷惑をかけてしまいました」

 そう言って永泉は恥ずかしそうに苦笑した。

「永泉さん…」

 はそんな永泉を少し以外に思ったのか、驚いたように見つめる。

「とにかく、あの、殿。少しでも泰明殿のことを解って頂けたでしょうか?」

「…はい。ありがとうございます、永泉さん」

「良かった。少しでもお役に立てたのなら嬉しいですよ」

「永泉さん……。私、突然押し掛けてきて泣き出したりしたのに、ちゃんと話を聞いてくれて……お話してくれて……とっても嬉しかった。本当にありがとう、永泉さん…!」

殿…」

 の心からの謝礼に、永泉は少し戸惑いながらはにかむような微笑みを返した。



 天の玄武と空癒の少女は星の姫の館へ戻る道中、一条戻り橋でひとりの少年と出会った。

 それは薄茶色の髪に水色の瞳を持つ少年――。

「あ、楼明くん」

「楼明殿…?」

 と永泉が同時に名を紡いだ通り――泰明の兄弟子兼、弟分である安倍楼明だった。

「こんにちは、殿。お久しぶりです、永泉様」

 二人の元へ嬉しそうに駆けて来た楼明は礼儀正しく一礼する。

 と、と永泉はお互いに顔を見合わせた。

「永泉さん、楼明くんのこと知ってるんですか? 私はこの間、ちゃん達と一緒に晴明様のお屋敷に行った時に逢ったんですけど…」

「そうでしたか…。私も殿や殿がいらっしゃる前に一度、お逢いしまして」

 二人の会話を聞いていた楼明は「そうなんですよ」と屈託のない笑顔を見せる。

「丁度よかったです。殿にお届けするものがあって、土御門のお屋敷に行く途中だったので」

「え? 私に…?」

 不思議そうに零したに、楼明は「はい」と素直に返事をする。

 そして――ふと真剣な表情になり、すっと一輪の白き月見草を差し出した。

「この月見草を。晴明様から殿への贈り物です」

「――晴明様から……?」

 月見草を受け取ったは何かの呪文のように呆然と呟く。

「晴明様からのお言葉を一緒にお伝えします。『この月見草は護符と成したもの。幾ら時が経とうとも、水を与えずとも咲き続ける花。必ず身につけておかれるように』――とのことです」

 最後はとても無邪気に、晴明の愛弟子の一人である少年は微笑んだ。

「要するにお守りです。その勾玉の上にでも結び付けておくといいと思います」

「え…これに?」

 が銀の鎖を通る勾玉を摘んでみると、楼明は「ちょっと失礼しますね」と言って、月見草を勾玉と鎖の間に結び付けた。

「……とても清らかな気を帯びた、綺麗な花ですね。よくお似合いですよ、殿」

 にっこりと優しい微笑みと声で賛辞する永泉。

「え…!? あ、ありがとう、ございます…!」

 は一気に頬を紅く染めて俯きながら礼を言う。

 心なしか鼓動が早くなった気がした。

 そんなを見て楼明はくすっと微笑む。

「では、確かにお届けしましたので、失礼致しますね」

「あ、ありがとう、楼明くん。晴明様にもありがとうございますと…そう伝えて」

 の言葉に楼明は「はい、必ず」と一礼した。





 ――天真とが藤姫の館へ戻り庭へ回ると、表情を輝かせた神子に出迎えられた。

「天真くんっ、ちゃん! よかったぁ、どこ行っちゃったのかと思った」

 駆け寄ってきたあかねに、「ごめんね、心配かけて」とは謝る。

 あかねの元には天の青龍と地の白虎の姿も在った。

「天真、殿…!」

 頼久は相方と時見の少女の姿を紫苑色の双眸におさめ、安堵の息をつく。

「二人揃って、仲良くどちらへお出掛けだったのかな?」

 友雅の方は早速面白そうな笑みを浮かべて尋ねた。

 途端に「えっ!?」と慌てる天真と

「べっ、別に、ちょっと将軍塚に行って来ただけだ」

「そ、そうなんです! 天真くんが将軍塚に行ってて、そこに怨霊が出るのが見えたから私が駆けつけただけで…!」

 ――と、心拍数も高々に説明した直後。

「やはり怨霊が出たのか」

 突然二人の背後から低い声が聴こえた。

 いきなりのそれに「うわっ!?」、「きゃぁ!?」と飛び上がらん程の勢いで驚き、声を上げる。

「泰明っ! お前なぁっ!!」

 毎度の事ながら、何も心拍数が上がっている今来なくてもいいだろうと天真は泰明に向かって言おうとする。

「…泰明殿。殿はどうしたんだい?」

 しかし、友雅の言葉に皆は「え?」と行動を止め、視線を集わせた。

 やがてそれは地の玄武へと集中する。

「……永泉と一緒だ。問題ない」

 皆の色彩豊かな視線を一身に浴びた泰明は短く答えた。

 ――泰明は友雅と別れ、を追う途中、彼女が永泉と会ったのと将軍塚に怨霊が出現したのを同時に感じ取った。

 ひとりでは危険だと思っていた泰明は、相方と出会ったのならと、将軍塚の怨霊退治を優先させたのである。

 が、向かう途中で天真とが退治したため、それ(怨霊の消滅)を感じ取った彼はそのままこちらへ訪れたらしい。

 友雅は、あのねぇというような顔をする。

 が永泉と一緒だから――とは、良く言えば永泉を信頼していることになる。

 だが、それでは問題(泰明がするところでなくとも)の解決にはならないだろう。

「あ、あの〜……がどうしましたって?」

 先程から悶々としていたが友雅と泰明を交互に見て尋ねた。

「実はね、ちゃんもどこかへ行っちゃったみたいなの。でも友雅さんはさっきちゃんに会ったし大丈夫だろうって言ってたんだけど…」

 説明しながら、やはりあかねもどういうことなのだろうかと二人の八葉を見やる。

 しかし二人から何の言葉も紡がれぬまま、暫し沈黙が流れる――。

「おい、が帰ってきたぞ。本当だ、永泉と一緒だぜ」

 と、その沈黙を途絶えさせたのは、帰ってきた天の玄武と空癒の少女を見つけた天真だった。

 それを聞いたは「!?」と振り向く。

「あ、ちゃん、ただいま」

「どこ行ってたの? 永泉さんと一緒だったって今聞いたけど…」

「うん、そうなの。だから大丈…夫……――っ!」

 言いかけてはふとある人物が視界に入り、言葉を失っていった。

 皆が視線を向けると、その先に居るのは――泰明だった。

 は、顔色一つ変えない陰陽師と、気まずそうに俯く親友を見比べ、気づく。

「……、また泣いたでしょ? 何があったの?」

 見抜かれたは「えっ…あ、その…!」と言葉を濁すばかりで説明に至らない。

 おおよその見当はついているのだが、真偽を確かめるため、は手段を変え「どなたかご存じの方は情報提供して下さい」と言わんばかりに周りに視線を向けた。

 天地の青龍と龍神の神子は知る由もなく、残ったのは地の白虎と天の玄武、そして原因と思われる、地の玄武本人――。

 だが、泰明はひたすら沈黙しているだけで、永泉はひたすら困惑しているだけなので、仕方ないかという顔をした友雅が真実を語った。

『怨霊・幽魔の退治に協力したいというの申し出を、泰明は丁重どころか辛辣に「必要ない」と断ったらしい』――ということを。

「………泰明さん…〜〜っ!?」

 聞き終えたは打ち震える声で彼の方に向き直る。

「まぁでもそれは、殿のためだったようだけど、ね」

 忘れちゃいけないそれを友雅に付け足されて、の勢いが一瞬止まった。

「そ、そうなの、ちゃん…! 泰明さん、私を巻き込まないためにそう言ったんだって、私も永泉さんから教えてもらって…。私がそれにすぐ気づかなかったから…!」

 懸命に紡がれるの言葉に「気づくかよ、普通」と天真は呆れ顔をした。

 それでもは「だからって、やっぱり言っておかなきゃ」と再び、無表情な泰明に強い視線を向ける。

「泰明さんっ、前に私が『を泣かしたら承知しない』ってイノリくんに言った刻、一緒に居ましたよね? 聞いてましたよね?」

 すると、泰明はようやく口を開く。

「ああ。……私はを泣かせたのか?」

 しかし、零れた言葉はだけでなく、天真やあかねの肩をがくっと落とすものだった。

 友雅や頼久、永泉も一筋の汗を伝わせる。

「泣かせたんです!!」

 話の流れについてきていないのか、を泣かせたという自覚が無いのか――おそらく後者な泰明に向かって、は堪らず叫んだ。

「必要ないなんて言われたから、は傷ついたんです!」

「…そうか。すまない、

 の言葉を聞いた泰明は以外にあっさり謝罪した。

 だが彼の表情が少しも動かないので、あっさりしすぎているようにもは感じたが、

「い、いえ……私の方こそ…すぐに気づかなくてごめんなさい」

 が許し、謝ったのだから仲直り成立。

 泰明も元はのためだったのだから、もういいか…とは溜め息をつく。

「これからは気をつけて下さいね、泰明さん。は繊細な子ですし……に限らず、何気ない言葉が人を傷つけることだってあるんですから」

 溜め息混じりに紡がれたの言葉に、泰明は頷きこそしなかったが考え込むように沈黙した。


「あれ? ちゃん、その勾玉についてる花はどうしたの?」

 が落胆している中、あかねがの勾玉に付けられた月見草に気がついた。

 は「あ、これはさっきそこで楼明くんに…」と言いかける。

『…楼明くん?』

 あかねとは同時に訊き返した。

「楼明くんってね、晴明様のお弟子さん。この間、晴明様のお屋敷に行って、迷子になっちゃった刻に知り合ったの」

 がそう説明すると、「へぇー、私達も逢ったよね?」とあかねはに振る。

「うん。泰明さんの兄弟子さんの空明さんっていう人。すごく穏やかな人だったけど……って、その楼明くんが、くれたの?」

「うん…正確には晴明様からなんだって。楼明くんはこれを届けてくれたの。お守りだって言ってた……」

「ふぅん…良かったね、晴明様からのお守りなら絶対効力あるよ」

 実際に、右掌に受けた刻印を制御する『お守り』――腕輪を授かったは、にっこりと微笑んで言い、はそれに「うん…」と頷いた。


「そういやぁ、。お前何しに出掛けたんだ?」

 ふと天真が先程から気になっていた疑問を口にする。

 は「あっ、そうだ」と思い出して彼の隣りに立つ武士の方を向いた。

「頼久さんの治癒をしようと思って、勾玉持ってる永泉さんを捜しに行ってたんです」

 すると「え…!?」と天の青龍は驚いた。

殿、私の傷はもう塞がりましたし、大丈夫ですが…」

「塞がっただけでしょう? 私、輸血して疲れちゃったから完全に治せなかったんです。だから痕も残ってるし、体力も戻ってないでしょう?」

 しかし真面目で忠義に熱い天の青龍は、受け入れるわけにはいかない。

「ここまで治して頂けたのですから充分です。これ以上は……」

「……『必要ない』…ですか?」

 言葉の途中だった頼久は、突然下から聞こえた小さな声にぎょっとした。

 こちらを見上げる藍色の瞳がみるみる潤んでいく。

「いっ、いえっ、決してそういうわけでは…!!」

 頼久は『これ以上殿に迷惑をかけるわけには参りません』と続けたかったのだが。

 慌てふためく相方の肩を叩き、「諦めろ、頼久。素直に治してもらえ」と天真。

「でも、大丈夫なの? ちゃんもまだ本調子じゃないんでしょ?」

 あかねが頼久の代弁をするように尋ねる。

「うん、だから永泉さんに居てもらおうと思ったの。永泉さんにフォロー…あっ、えっと、手助けしてもらえれば私、大丈夫だから…!」

 うっかり滑り出た現代用語を、言い直して説明した

 の力に属する『空』の勾玉を持つ八葉が居れば、彼女の治癒力を増すことが出来るらしい。

「頼久さん。頼久さんの気持ちも解りますけど、ここはのためだと思って、ね?」

 お願いします、とは両手を合わせた。

「……解りました。申し訳ありませんが、お願い致します、殿」

 彼としては渋々かもしれないがようやくそれを受け入れた。

 表情を輝かせたが「永泉さん、よろしくお願いしますね」と言うと、彼も「はい、お力になれるよう頑張ります」と嬉しそうに返す。

 そんな光景を友雅は面白そう――というより微笑ましそうに。

 泰明はただ、いつもと変わらない表情で、見守っていた――。




                next→《後編》




 《あとがき》
 またなってしまった前後編…。自分の文章の長ったらしさは本当嫌になります;
 登場人物多いし、主人公がふたりだから仕方ないと言えばそうかもしれませんが…。
 取りあえず、夢幻時空草紙第五章の前編でございます。
 様の方は天真くんとの恋愛イベント第一段階がやっと起きましたv
 それに引き替え、すみません様! 空癒の少女設定の『お相手・安倍泰明』って
 どごがだぁ!? と思われても仕方ありません;
 でも、泰明さんって泰明さんだから泰明さんなんです;;(←混乱中)
 後編で様と泰明さんの一段階が起こります。どうかお許し下さい;

                written by 羽柴水帆