――吉祥院天満宮の左方にそびえる森の奥深く。

「あ、あそこよ、きっと!」

 緋倉の地に建っていた祠と同じものを見つけ、が指した。

「これで、空の勾玉は二つ目。時の勾玉と合わせたら三つ目になるね!」

 可愛らしい笑顔をする詩紋にが「うん」と微笑んで答える。

 皆が祠に近づいた――その刻だった。

「お待ちっ!!」

 突然後方から聞き覚えのある声が飛んでくる。

「よくも……よくもこの私を騙してくれたね! 空癒の小娘!! 樹の洞の中なんて真っ赤な嘘じゃないか!!」

 それは髪と息を乱し、すごい形相をしたシリンだった。

「あ、あの、ごめんなさい…樹の上って言ったら樹登りが大変だろうと思って…!」

 しかしはおよそ見当違いな言葉を口にし、隣りに立つ泰明は「その方がもう暫らく時間を有することが出来たやもしれぬが」と付け足す。

 半ば呆れたような顔をしたイノリが「お前らそーゆー問題かよ?」と言うと、どうやらシリンの堪忍袋の緒が切れたらしかった。

「ふざけるのも大概におし!!」

 甲高い声を荒々しく吐き捨てると、妖しの術を使って姿を消し、次の瞬間には祠の目の前に現れた。

「あっ、祠に…!?」

 永泉が叫んだ時には、シリンは高らかに笑い声を上げていた。

「勾玉は頂戴するよ!!」

 後ろを振り返り、祠の戸に手をかける…!

「あっ…――!?」

 その刻、はあることに気づいて首飾りの勾玉を握った。


 すると――熱く還ってくる、音。


「――イノリくん! 勾玉を呼んで! きっとイノリくんの声に応えるから!」

 確信を得たが叫ぶ。

「お、おうっ!!」

 突然のそれに多少驚きつつも頷き、イノリは息を吸う。

「空の勾玉よ! オレの声に応えろ!」

 そして勾玉へ言霊を送った。

 同時にイノリは、シリンが手をかける祠から熱い気が満ちるのを感じ取る。

「――燃える火の気を纏ってここへ来い!!」

 天の朱雀の声に応え、紅き勾玉が祠から飛び出す!

 それは火山が噴火したかのようだった。

「熱っ!?」

 勾玉から放たれる熱い気に耐えられず、シリンはその場を離れる。

 やがて、紅く輝く宝珠は――天の朱雀の掌に降りた。

「よっしゃぁ!」

 パシッと勾玉を受け止めるイノリ。

「やったね、イノリくん!」

「おう! お前のおかげだぜ、!」

 嬉しそうに駆け寄ってきたに、イノリはニッと笑ってみせた。

「その勾玉が熱い気を放っていたからきっと…って思って。上手くいってよかった…!」

 が少し頬を染めて言うと、「さすが空癒の少女ですね」と永泉が讃えた。

「――では、鬼」

 唐突に地の玄武の低い声が皆の視線を鬼――シリンへと向けさせた。

「わざわざこちらへ出向いてくれたおかげで、手間が省けた」

 容赦ない陰陽師の声と表情に「まずい…!」とシリンは身を硬くする。

 と――その刻。

 遠くから馬の嘶きと蹄の音が聴こえてきた。

 そちらに皆の意識が移り、その隙にシリンは妖しの術を使って姿を消し、命辛々逃げ出した…!

「あ――っ! 逃げやがった!!」

 イノリが指して大声を出すと、泰明が微かに溜め息をついて首飾りを構えていた手をおろす。

殿!」

 蹄の音を響かせて来たのは、地の白虎――友雅だった。

「友雅さん…!?」

 大きく藍色の瞳を見開かせるの隣りで、イノリは友雅に向かって叫ぶ。

「おいっ、友雅! お前のせいで鬼を逃がしちまったじぇねぇか!」

「それは悪かったね、でも今はそんな事を言ってる場合じゃないんだ」

 イノリを軽くあしらって、友雅はに手を差し伸べる。

殿、頼久が深手を負ってしまったんだ。ご同行願えるかい?」

「頼久さんが…!? は、はい、わかりました!」

 は慌てて返事をすると友雅の手に掴まる。

 すると友雅はひょいっと、いとも容易く空癒の少女を馬に跨る自身の前に乗せた。

「では、永泉様、殿とお先に失礼致します」

 友雅は今上帝の弟である永泉にきちんと述べて、勇ましい声と共に馬を走らせ、深手を負った天の青龍の居る土御門殿へと向かった。

 ――頼久が、深手――!?

 残された天地の朱雀、そして玄武はそれぞれ複雑な表情を浮かべて。

 友雅とのあとを追った――。





 ――実際、地の白虎に連れられ、空癒の少女が藤姫の館に着くまでに掛かった時間は、差ほどのものではなかった。

 だが、館にて彼女の帰りを待っていた者達にとっては例えようのないほど、長かった。

っ! 頼む、頼久を!!」

 空癒の少女の帰りを今か今かと館の門で待っていた天真は、少女と友雅を乗せた馬を見つけるなり叫んだ。

「うん! 今行く!」

 が答えた刻、丁度友雅が馬を止める。

 そしてが馬から降ろしてもらおうと、友雅が降ろしてあげようとした刻、

「早く、頼む!」

 じれったいとばかりに天真はの腕を掴んで引きずり降ろした。

「きゃぁ!」

「て、天真!?」

 友雅が呆気にとられる中、は落下する恐怖に目を閉じる。

 だが、の身体は地に落ちることはなく。

「行くぞ!」

 地の青龍の逞しき片腕に抱えられて目的の場へ直行する!

「ちょ、ちょっと天真くん〜〜ッ!?」

 そう叫ぶ空癒の少女の足は、地面に着いていなかった……。



 天の青龍は普段の就寝の場である武士溜まりではなく、館の中の部屋に横たわらされていた。

 傷の応急手当として止血を――おそらく天の白虎によって施されたらしいが、白い包帯からは赤い染みが広がっていくばかりである。

「頼久さん…!」

 とあかね、そして藤姫が悲痛に見守るしか出来ないでいると…。

「おい! が帰ったぞ!」

 誰もが待っていたその少女の名が聴こえて、皆は表情を輝かせて振り返った。

 ――しかし。

「てっ、天真くん!? 何を…!?」

 は開いた口が塞がらないかと思った。

ちゃんっ、大丈夫?」

 あかねが思わず尋ねて、そこで初めて天真はの方へ視線を向ける。

「う…うん…何とか、だいじょぶ…」

 哀れ空癒の少女は乗り物酔いをした状態になっていた。

「わっ、悪い! つい焦っちまって…!」

 頼みの綱である少女に何てことを、とばかりに天真が謝ると、「大丈夫だよ、おかげで早く着けたし…」とは答え、表情を切り換えた。

、お願いっ、頼久さんを…!!」

 未だ涙ぐんでいる親友に頷いてみせて、は目の前に横たわる頼久の元へ駆け寄り、跪く。

「頼久さん…! しっかりして…!」

 は頼久に呼びかけながら藤姫が用意してくれた水に手を潜らせ、傷を診るために包帯を解き始めた。

「――っ!?」

 の表情が、一瞬、凍る。

 周りに居る者達にはそれが絶望的なものに見えた。

……頼久、治るんだろ? 助かるんだろ?」

 天真が珍しく弱気な声で訊く。

 はそれに答える暇もない様子で頼久の手首に手を当てたりし始めた。

「――……脈が途切れてきてる…! 出血も多いし…治癒するだけじゃ駄目だわ…!」


『――――っ!?』


 その刻、天地の白虎と地の青龍、龍神の神子と星の姫、そして時見の少女は鋭く息を呑んだ。

「藤姫っ、頼久さんの血液…型……は……!?」

 言いながら振り返ったの言葉が段々と消えていく。

 輸血せねばと思ったのだがこれは…。

「け…血液…がた、でございますか?」

 いきなり問われた幼き星の姫は、大きく瞳を開いて小首を傾げる。

、落ち着いて! この世界に血液型なんて無いよ」

「う…うん…! でも輸血しないといけないし…!」

 の言葉にがそう言うと、「血なら俺のを使えよ!」と天真が申し出る、が。

「駄目だよ、ちゃんと確かめなきゃ…!」

 は普段見せない厳しい表情で答えた。

 そして何かを思い出すためかのように思案顔になる。

 後ろで天真が「こいつは多分A型だろ!?」などと言っているが「そんな見た目とか性格だけで決めちゃ駄目だよ!」とあかねに窘められる。

「――あっ、そうだ! 藤姫、汚れていい器と、小刀あるかな?」

「は、はい。すぐにご用意致します」

 藤姫はきちんと答え、空癒の少女に言われた通りの物を用意するべく部屋を出た。



 小さな白い器と小刀――藤姫がそれらを持ち寄る。

 それと時を同じくして。

「頼久が怪我したって本当か!?」

「大丈夫なんですか!?」

 天地の朱雀、玄武がこの場に辿り着いた。

 皆、余程急いで来たらしく息を切らせている(約一名除く)が、赤き流れを染み渡らせる頼久を見た途端、呆然とする。

様、これでよろしいでしょうか?」

「うん、ありがとう、藤姫」

 器と小刀を藤姫から受け取ると、は先ず器に頼久の身体から流れ出る血液を数滴、垂らした。

 次に小刀を鞘から抜くと――自身の左腕に一筋の線を入れるように、切った。

『――っ!?』

 皆はそれにただ驚くしかなかった。

 何をするのかと思う間もなく、成されたことだったからだ。

 は一瞬だけ痛そうな顔をしたが、それだけで。

 頼久の血液が滴る器の中に、自身の血液をも垂らす。

 すると――二種類の血液は固まることがなかった。

「……あっ、頼久さん、A型だ! よかった!」

 は「天真くんの言った通りだ」とも言い、表情をにわかに輝かせた。

 皆が顔を見合わせる中、は赤き雫が零れる左腕を頼久の傷に重ねる。

 そして藍色の瞳を閉じ――治癒を始めた。

「な、何で頼久がA型だって判ったんだ…?」

 ぼそっと不思議そうに天真が呟くと、

「同じ血液型同士だと、血を混ぜても固まらないんだよ。私、A型だから」

 治癒を続けながらは説明した。

「じゃぁ…が輸血してるの!?」

 が驚いて問うと、は無言で頷く。

「おいっ、ちょっとやそっとの量じゃ済まねぇんだろ!?」

「それじゃぁ、ちゃんの方まで…!」

 天真とあかねはの身を案じて言う。

 長身の頼久と小柄なでは――比べるまでもないからだ。

「大丈夫、何とかしてみせるから…!」

 はその身から碧色の光を放ちながら。

(頑張って…! 頼久さん――――!)

 天の青龍の傷を癒やし続けた。





 ――小鳥の囀りが聴こえてくる。

 白み始めた東天の彼方から、朝の光が生まれる。

「――――……っ……?」

 蒼き髪の青年は長く差し込む朝の陽射しを受けて、ゆっくりと目を覚ました。

 紫苑色の双眸が朧気に開かれる。

(………私は……?)

 思考が上手く働かない。

 ずっと誰かが自分を呼んでいたような気がする。

 ――ふと、自身の傍らに何かの気配がして、そちらへ視線を向けてみる。

「…っ!?」

 その刻、青年――頼久は衝撃と共に思い出した。

 将軍塚での戦闘と、その際時見の少女をかばったことを…。

(では、まさか…殿が…!?)

 頼久はすぐそばでうつ伏せになって寝息を立てている空癒の少女を見つめる。

 少女の左腕には何故か白い包帯が巻かれていた。

 と、手や身体が少し動いたからだろうか。

「………ん……?」

 空癒の少女が、軽く目を擦りながら目を覚ました。

「あっ…!」

 起こしてしまったと思った頼久はすぐに謝ろうとする、が。

「……頼久さん……?」

 ひたすら大きな藍色の双眸にじっと見つめられて。

「頼久さんっ、気がついたんですね!」

 心底安堵した微笑みを向けられた。

「――…な、何!? 頼久が!?」

『頼久さんがっ!?』

 と、その途端、周囲から一斉に声が上がる。

 相方である天真と、、あかね、詩紋も頼久が心配でこの部屋に居たのである。

 の一声で目覚めた彼らは、わぁっと頼久を取り囲む。

「頼久! お前、もう大丈夫なのか!?」

「あ、ああ…」

 天真に訊かれて、頼久は訳解らず状態にありながらも、頷く。

「――頼久さんっ!」

 するとは天真を押しのける勢いで頼久の元に駆け寄る。

「頼久さんの馬鹿っ、馬鹿ぁ! どうしてあんな無茶したんですかっ!?」

 若葉色の双眸から大粒の涙を零して、胸の奥に溜まっていた思いを一気に吐き出した。

「私が刻印を受けたのだって、頼久さんは悪くないって言ったのに! 助けてくれたことには感謝してるけど、私……!! 頼久さんに自分を犠牲にしてまで助けてほしいなんて思ってない!!」

…殿……」

 頼久はの勢いと言葉にただ驚くしか出来ない。

「もっと自分をっ…! 命を、大事にして下さい…!!」

 そこまで言ってはぼろぼろとまた涙を零した。

 頼久は暫しどうしたら良いか解らない顔をしていたが、すぐに、和らぐ。

「……申し訳ありません、殿。――有り難うございます」

 普段、常に冷静で寡黙であまり表情に変化の無い頼久が、とても穏やかに微笑んだ。

 それを見たから「頼久さん…〜〜!!」と、更に涙があふれ出す。

「あっ、あの、殿…! どうかもう泣かないで下さい…!」

「泣いてなんかいませんっ! 頼久さんが助かって嬉しいだけですっ!!」

 時見の少女、支離滅裂。

 当分泣き止みそうにない彼女に、頼久は困り果てた表情をするのだった。

 周りの皆からも笑い声があふれ出す。

 すると――。

「…よかったぁ……――」

 心からの安堵の吐息を零して。

 つい先程目覚めたばかりのの瞳は再び閉ざされ、眠りの淵へと落ちていく。

さん!?」

 ゆっくりと倒れていくを受け止めようと、詩紋は両手を伸ばすが間に合わず――。

 だが、どさっ――と音をさせて倒れ込んだ先は、冷たい床ではなく。

「や、泰明さん…!?」

 それはまたしてもいつの間にか現れていた地の玄武の胸元だった。

 空癒の少女、危機一髪。

 床への衝突を免れた彼女は心地よさそうに寝息を立て始めた。

 泰明はそんなをただ無言で見つめる。

 しかし、頼久が目覚めたのに気がつくと、

「頼久、傷はもういいのか」

 寄り掛かって来た少女もそのままに、尋ねた。

「は、はい…! ご心配をおかけしました。あの……やはり殿が治癒して下さったのでしょうか」

 少し真顔に戻った頼久の問いに「え、あ、はい…」とは少し答えづらい。

 真面目な彼のことだ、から輸血されたなどと知ったら――。

 天真や詩紋、あかねも同じく口を閉ざしていくと、

「そうだ。がお前に血を送り、傷を癒やした」

 ――皆が言いづらいことをあっさりと泰明は言い切った。

 口々に泰明の名を呼ぶ声が飛び交う。

「血を……?」

 頼久の表情から蒼白と言っていいほど色が抜ける。

「……殿が、私に…!?」

 の左腕に巻かれた包帯の意味が解った頼久は、両腕で己が身を掴んだ。

「〜〜〜あぁもう! 確かにいずれ判っちまうことだけどさ!」

 天真は暴露した陰陽師を睨みつつ、悔やみという名の苦しみに支配されそうな相方に言葉をかける。

「頼久、それについて自分を責めるなよ」

「そうですよ、頼久さん」

 も天真に相づちを打った。

「助けてもらった私が言うのも何だけど……、すごく頑張ったんです。頼久さんを助けるために…。――は一度助けられなかったことがあったから、それを繰り返すのが一番辛いんです。頼久さんを助けたいって、その一心で輸血と治癒をしたんです。だからが起きたら、謝罪じゃなくて……お礼を言ってあげて下さい…」

 言い終えたや、頼久、この部屋に居る者すべての双眸が――泰明の胸元で眠る空癒の少女を映す。


 すると少女は――とても穏やかな寝顔をしていた…。


 ――邪悪な呪いにより刻まれ、いつかは自身を呑み込まんとする風。

 ――忠義に熱く、自身の危険を省みない性を持つ風。

 ふたつの両刃の風は、碧き光の空に包まれ、心癒やされて――。




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 《あとがき》
 ふぅ、やっと終わった; 四章の後編でございます。如何だったでしょうか?
 実はこの四章『両刃の疾風』を前後編にしたのは、様と頼久さんのためです。
 前編は様の受けられた刻印のこと。後編はそのまんまな性格の頼久さん(苦笑)
 本当に頼久さんって両刃な風(性格)だと思うんですよ;
 まぁ基本的に八葉はみんなそうかもしれませんが、青龍は特に!
 勿論、元はすべて夢で見たことですが。様にも頑張って頂きましたv
 っていうか、すみません、変な扱いして;
 泰明さんに引っ張られるわ、友雅さんに軽々引き上げてもらうわ(これはまだいい?)
 天真くんに馬から引きずり降ろされ、片腕で連れてかれるわ…(汗×2)
 水帆が小さいんです、157.7センチ(笑) 詩紋くんより少し低いぐらいです;
 なのでこんなことに…どうかお許し下さい〜っ;

                  written by 羽柴水帆