第四章 両刃の疾風‐かぜ‐
《後編》
――――弓張月が白く残る、京の朝朗け。
夜空が藍から蒼に薄れ変わっていく。
――その時分、ひとりの少女が樹々繁る大文字山に訪れていた。
浅葱色の狩衣を纏う少女は、閉じていた若葉色の双眸を開く。
そして強い決意の色を映すと右手を翳し、黄金色の腕輪を――外した。
「うっ……!」
封印を解かれた刻印は目覚め、風を巻き起こす。
風は少女の紺色の髪を激しく靡かせ、頬をなぶる。
周囲にそびえる樹々も驚いたようにざわめき始めた。
と、地面に転がる岩が耐えきれず浮上し、少女の右掌目掛けて飛んでいく。
「っ!?」
少女は飛来する岩の勢いに一瞬目を閉じる――が、岩はいとも簡単に少女の掌に消えた。
衝突し砕けたのでは無い。
吸収――という言葉が当てはまるのか、岩はまさに吸い込まれて消えたのだ。
「………」
少女は黄金色の腕輪を元の通り右手首にはめると、その掌を見つめた。
中心に黒く刻まれた、痕。
今は小さいがこれは日増しに広がっていくもの――。
少女は、ふと若葉色の双眸を閉じた。
――吹き抜ける風が樹々を、少女を掠め、空へ舞い上がる。
暫しして双眸が再び見開かれると。
「……やっぱり、自分の未来は見えない…か……」
未来を予知する力を持つ『時見の少女』――は微かな苦笑を刻んだ。
自分の意志で見えた未来など無い。
今もまた、見えなかった。
自分が――『』が『未来』に存在するかどうか――。
――藤咲き乱れる土御門殿の庭。
毎朝の如く集った八葉、そして龍神の神子と時見の少女は、庭に降りて『空の勾玉』の在処を探る空癒の少女を見守っていた。
瞳を閉じ、銀の鎖に繋がれた翠の勾玉を握り、眠れる宝珠へ一心に呼びかける。
その身は淡い翠の光と風に包まれていた。
(――…あ…!?)
空癒の少女の耳に、まるで勾玉が光を還すような音が届く。
そして頭の中にとある場所が映し出される――!
「……応えた…!」
少女――は藍色の瞳を開いた。
「判ったのか!?」
「、勾玉はどこにあるんだ!?」
翠の光が消え、瞳を開いたの様子に、天真とイノリは期待を込めて尋ねる。
言葉には出さずとも他の八葉も同じ気持ちだ。
「えっ……えっと…!」
がハッと気づいて周りを見ると、全八葉の、色とりどりな全視線をその身に受けていた。
ひたすら困ったような、焦ったような表情をしてから暫くすると…。
「あの、その…………あっち」
おずおずと自分の前方を指差した。
がくっ、と肩を落とし項垂れる天真とイノリ。
「お前なぁ!」
「『あっち』じゃ解んねぇよ!」
起き上がってそう叫ぶとは「ご、ごめんなさい!」と言ってぎゅっと目を瞑る。
「落ち着け、天真!」
「イノリくんも!」
気の短い相方を、頼久と詩紋は慌てて止めた。
それに「何でだよ!?」と同時に言うと、
「…天真くん、イノリくん」
後ろに居るが二人の名を呼んだ。
そこでようやく天真とイノリは気がついて大人しくなる。
こんなことでもなら泣き出しかねない。
特に前科のあるイノリはよーく解っていた。
「そんなにを責めないでよ、だって一生懸命やってるんだから」
「ちゃん…!」
真剣な表情で言い、庇ってくれる親友には瞳を潤ませた。
「やれやれ……若さ故だろうが、本当に気が短いな、二人とも」
いつもより数段落ち着きのある声で友雅は二人に言う。
「ところで殿。ひょっとして勾玉の在る場所の名が判らないのではないかい?」
そしてゆっくりと宥めるように歩み寄って尋ねた。
「は、はい…! 場所はちゃんと頭の中に浮かんだんですけど…何て言う所か判らなくて、取りあえず方向だけ言っておこうと思って…! でも、あれじゃ誰だって怒りたくなりますよね、ごめんなさい」
そう謝りながらは八葉の皆に向かってぺこっと頭を下げた。
「どうか、お気になさらないで下さい、殿。その場所の特徴などは判りますか?」
そんなに永泉が優しく尋ねる。
「えっと…大きな神社で、確か名前も書いてあって…吉、祥…?」
「それはおそらく、吉祥院天満宮ではないでしょうか?」
のあやふやな言葉から鷹通は鮮やかに分析、割り出す。
「が指し示した方向――坤の方角とも合致する」
冷静な声で泰明もそれを肯定した。
「じゃぁ、今日の目的地は吉祥院天満宮で決まりですね!」
詩紋が明るくその場の雰囲気を晴らす最後の一押しをした。
――それは空癒の少女と天地の朱雀、玄武が吉祥院天満宮へと出かけた直後だった。
(……あ…!?)
の力、時見の力が発動する。
(どこだろう……ここは…?)
頭の中に流れ込むイメージ――とても見晴らしの良い丘。
(誰…?)
丘の上に、ひとりの少女が佇んでいるのが見えた。
長い黒髪に隠れ、顔はよく伺えないが薄紅色の衣を着た少女。
――少女がまるで何かを操るように片手を上げる。
(何っ…!?)
すると、何もない丘の上から妖かしの霊があふれ出した――!
「――…………おい、。どうした?」
「えっ…!?」
天真に呼びかけられて気づくと、そこは藤姫の館の庭だった。
「いきなり立ち止まってぼーっとして…どうしたんだよ?」
部屋に戻る途中だったらしく、急に立ち竦んだを不思議に思った天真と頼久が彼女のそばに歩み寄っていた。
「て、天真くん! 大変だよ!」
まだ暫くぼうっとしていたは、先程予知したことを伝えねばと天真の腕を掴んだ。
「なっ、えっ、何が!?」
いきなりのそれに天真は驚いて、焦ったような顔をして訊き返す。
「誰だか判らないけど、女の子が怨霊を呼び出すみたいなの!」
「な、何だって!?」
「殿、それはどこだか判りますか?」
頼久に尋ねられ、はその場所を懸命に思い返す。
「え…えーっと…名前は判んないですけど、すごく見晴らしのいい所で…!」
「って言うと、船岡山か?」
天真は自分がよく行く『見晴らしのいい所』の名を挙げる。
「山って言うより…丘だったみたいなんだけど…」
「では、将軍塚かもしれません」
の言葉を聞いて、頼久はその場所の名を口にした。
「シリンやレイ…とは違う、今まで会ったことない人だったけど…鬼なのかな…?」
は予知して見えた長い黒髪の少女を思い出して言う。
「怨霊が絡んでるんだったら鬼に決まってる! とっとと行こうぜ!」
天真は、何も知る由も無く肯定して、相方と時見の少女と共に将軍塚へ向かった――。
「――、勾玉は吉祥院天満宮の中に在るのか」
吉祥院天満宮にもうじき辿り着くというところで、突然立ち止まった泰明がに問いかけた。
「え?」
だけじゃなく、何だ何だと天地の朱雀も立ち止まって振り返る。
同時に永泉がハッと何かに気づいたような顔をした。
「えっと、中じゃなくてその近くみたいなんです。多分あっちの方…」
答えながらは、前方に建つ吉祥院天満宮の左方向に広がる森を指そうとする。
「あ、殿…!」
すると永泉は何故かひどく慌てた様子を見せた。
それにが「え?」と言うよりも早く――伸ばしかけた手をいきなり泰明に掴まれ、ぐいっと引っ張られる。
「きゃ…! や、泰明さん…!?」
強い力になす術も無く、彼の元に引き寄せられたはただ驚いた。
しかし泰明はそんなに一瞥もくれず、前方を見据えたまま言葉を紡ぐ。
「なるべく小声で話せ。吉祥院天満宮の左方か?」
「は、はい…」
困惑しながら、取りあえず返事を返すしか出来ない。
「そうか。――ならば逆方向を目指して歩け」
「え…!? どうゆうことですか?」
「後にわかる。言う通りにしろ」
「は……はい…」
有無を言わさない彼の物言いに、は困惑を心に残したまま俯き――小さく頷いた。
そうするとようやく泰明はの腕を放す。
「おい、どうしたんだよ? 何話してんだ?」
「泰明さん…さん? 何かあったんですか?」
二人の会話が聴こえなかった朱雀の少年達がそばに駆け寄ってくる。
は暫く傷ついたような困惑顔を俯かせていたが、すぐに振り返り、イノリと詩紋に微笑みかけた。
「ううん、何でもないの。早く行きましょう」
「勾玉、あっちに在んのか?」
吉祥院天満宮の右方向にそびえる森を指して訊くイノリに、は「うん」と答える。
とイノリが歩を進め始めると、詩紋も「待ってよ、二人とも!」と追った。
「泰明殿……あのような言い方をなさらなくても…」
二人の会話が聴こえていて、泰明が「逆方向へ歩け」と言った理由を知る永泉は、心配そうな顔をしての背を見る。
「問題ない。行くぞ」
しかしあっさりといつもの台詞を言ってのけ、泰明は達のあとを追うべく歩き始めた…。
「ここが将軍塚だぜ、。見えたのはここか?」
将軍塚に到着した天真は共にやって来た時見の少女に尋ねる。
「……うん、ここだよ。間違いない」
予知した時に見えた風景を思いだし、は頷いた。
「殿、あそこに…!」
と、その刻、頼久がある人影を見つけた。
と天真がそちらを見やると――確かに長い黒髪の少女が居る。
「あいつか? !?」
「う、うん…!」
予知の時に見えた通り薄紅色の衣を纏った、長い黒髪の少女――。
が頷いたのを見た天真は瞬時に走り出す。
「おいっ、そこのお前! 何をしようとしてるんだ!?」
そして今まさに怨霊を召喚せんとする少女に荒々しい声を投げつけた。
「………」
少女は無言で振り返る。
「聞こえてんのか!? 何をしようとしてた? 答えろ!」
金にも近い褐色の瞳をした少女は何も答えない。
その表情はまるで人形だった。
「…っ? お前……!?」
その刻――天真の中で記憶の奥に在る『面影』が少女に重なる。
「――天と地の青龍と、時見の少女か。怨霊を呼び出す私を予知し、止めに来たのか」
少女の口から表情と同じ無機質な声が発せられる。
その言動からして鬼の一族と判断した頼久はの前に立った。
『――ほう、予知をして阻止しに来るとは…さすがだな、時見の者よ』
地の底から響いてくるような、嘲笑を含む低き声が聴こえた。
「その声は…鬼の首領!?」
「どこだっ! どこに居やがる!?」
忘れもしない鬼の首領の声――頼久と天真はそう叫び、を挟んで背中合わせになる。
アクラムが現れるとはまたとないチャンス到来だ。
「あっ…天真くん、頼久さん、あそこに!」
しかし――が見つけ指した先に居たのは、先日と同じ黒いカラスだった。
『その後、刻印の影響はどうだ? 気になったので見に来てやったぞ。まあそう早く広がるものでもないがな』
「貴様…!!」
「てめぇ…よくもぬけぬけと!!」
呪いを放った張本人が何をとばかりに天地の青龍は鋭い眼光を向ける。
だが、呪いを刻まれたの方は――。
「……それはどうも。お陰様で色々勉強になりましたよ」
至って冷めた表情と声で言い返した。
『フッ…成る程。呪いを制御する封印を施されたか、面白い』
カラスの向こうのアクラムは心底愉快そうに嘲笑すると、
『構わぬ、ラン。怨霊を呼び出せ。この地に穢れを振りまくのだ』
長い黒髪の少女に向かって命令した。
「――ッ!?」
その刻、天真の中で時が止まったかのように心が凍りついた。
視線を少女に持っていくと――。
「……はい、お館様」
少女――ランは変わらぬ表情でただ従順に答えた。
邪悪な気を高めていく少女を見、頼久は刀を抜く。
が、隣りに立つ相方の様子がおかしいことに気づいた。
「どうした、天真?」
声をかけてみるが、それに答える様子も無い。
「まさか……! まさかお前…っ!?」
そして、信じられない、信じたくないという表情を刻み込み――。
「お前なのか!? 蘭っ!?」
行方知れずとなっていた妹の名を――叫んだ。
「ど、どうしたの、天真くん!? あの子のこと知ってるの?」
が天真のただならない様子を見て尋ねる。
「あいつは――妹だ…! ずっと捜してた俺の妹だ!!」
「えっ!?」
「本当か、天真!?」
と頼久は驚き、そして天真はもはや愕然とするしかない。
「お館様のご命令だ。邪魔をするなら許さない。お前達を排除する」
そこに居るのは、天真の知る妹の蘭ではなかった。
「出でよ、怨霊・一角鬼。八葉と時見の少女を倒せ」
鬼の少女・ランは片手を振り翳し、怨霊を呼び出す――!
