「なっ…何だよそれ…本当なのか…!? 世界が崩壊って…!?」

 真っ先に我に返ったイノリの声は確かに震えていた。

「もう綻びは始まってるわ……いくつかの怨霊が、現代の神社とか井戸とか池とか、世界の境目から入り込んでしまったぐらいだもの…!」

「何だって!?」

 それに一番驚いた天真が声を上げる。

「何とか龍神様のおかげで大きな被害も無く、消滅したらしいけど、そばにいた人や動物が少し被害を受けたみたい…」

「あっ…まさか……あの仔猫…!?」

 は、ここに来る直前に怪我をしてたので治癒した仔猫を思い出す。

「うん、多分そうだったんだ…それに、そういえばここに来る前の日に、正体不明の怪物が出たってニュース見たよ」

 に頷いたがそう話すと、京出身の者たちが『にゅーす』という言葉に半ば疑問を抱いたような複雑な表情をした。

「やっぱり…!」

 しかし、それに気づかない現代出身の者たちは話を進めていく。

「あかねちゃん、京と現代の世界を救う方法は無いの?」

 詩紋は皆が訊きたい質問を、あかねに問い掛けた。

 すると、あかねは皆を安心させるように微笑む。

「もちろん、ちゃんとあるよ! そのためにこのふたりが来てくれたんだから」

「え……?」

 皆がに注目するのと同時に、ふたりは顔を見合わせた。

「あかねちゃん、その、ふたりって…」

「私たちのこと…?」

「そうだよ」

 あかねはふたりの呆然とした質問にこくん、と頷く。

「本当に? だって、私は普通の女子高生…ってわけじゃないけど、予知能力しか持ってないんだよ?」

「そんな…! それだったら私だって治癒能力しか…!」

 明らかに混乱しているふたりに、あかねはにっこりと笑顔を向ける。

「うん。それだけでも頼りになるよ。でもね、それはあなた達『時見の少女』と『空癒の少女』の持つ力の一つに過ぎないの」

「え…?」

「神子殿、それはどういうことなのですか?」

 すぐ様尋ねてきた鷹通の言葉にあかねはうーんとね、とゆっくり説明をする。

「物事には陰と陽の二つの力が存在する……んでしたよね? 泰明さん」

 説明のために必要な『その辺』を未だ完全に理解していないあかねは、泰明に助け船を求めた。

 少し違う…という顔をして、泰明はあかねの説明の足りない部分を補う。

「一つのものを二つの側面からとらえて初めて完全なものとする。それが万物に存在する陰陽の理だ」

「そうそう、そうやって力のバランスを保ってるんですよね!」

「…ばらんす……?」

 また言ってしまったカタカナ語。

 泰明が不思議そうに呟いたあと、あかねは慌てて両手で口を塞いだ。

 すると天真には『あ〜あ』と呆れ顔をされてしまうし、詩紋にも困ったような顔をされてしまうが、あかねは何とか言葉を探す。

「つ…つまりその……そうやって力の釣り合いをとってるってことですよね!?」

「……均衡、のことか?」

 最も該当する言葉を、泰明にいつもの無表情で言われて、あかねは少々複雑な顔で頷く。

「そ、そうとも言いますね…!」

「神子達の世界では均衡のことを『ばらんす』とおっしゃるんですか」

「は…はい……まぁ」

 永泉の問いに曖昧な返事をしつつ、あかねはの方に向き直る。

「そういう訳で、八葉のみんなも天と地で二人一組なんだよね。そしてちゃんとちゃんも時と空――時間と空間の力を司る、二人一組の対の存在なの」

「えっ……えぇっ!?」

 突然告げられた自分自身とその力の正体に、はただ驚きの声を上げることしか出来ない。

「成る程……時空の力を二つに分けたということか」

 両腕を組ませて言った友雅にあかねは、はいと答える。

「そうなんです。時空なんて膨大な力、一人で司ることなんて人間には無理ですからね」

 その説明に、八葉の面々は驚きながらも納得していくが、やはりだけは信じられないという表情をしている。

 それに気づいたあかねはすまなさそうな表情をした。

「あ、ごめんね。こんなにいっぺんに説明しちゃって…! でもこれは本当のことなの。そしてね、京と現代を救うには、その二つの世界が存在する時空を安定させなきゃいけなくて……それには『時の勾玉』と『空の勾玉』という石が十個必要なの。丁度、あなた達二人と八葉の人数分の勾玉が」

「時と空の…勾玉?」

 が不思議そうに訊き返した。

「うん。それぞれ五個ずつ、時と空の力を宿している勾玉。これを全部集めれば時空を安定させることが出来るの」

「神子殿、それは一体どこにあるのですか?」

「えーっと実は……この京のどこかってことしか判らないの……ちゃんとちゃんの勾玉以外は」

 頼久の質問にあかねはまたすまなさそうに答えると、詩紋がパッと顔を上げる

「え? じゃぁ、あかねちゃん。さんとさんの勾玉のありかは知ってるの?」

「うん。話が全部終わったらみんなで行くよ。でもその前に話しておくことがまだあるから聞いてね」

 その言葉には素直に頷いたので、あかねは少し安堵して話を続ける。

「八葉のみんなが持つべき勾玉は青龍と白虎の四人が『時』で、朱雀と玄武の四人が『空』だよ。京のどこに封印されているかは『時』がちゃんにしか、『空』はちゃんにしか感知することが出来ないの」

「えっ…!?」

「私たち…が…!?」

「そう。もちろん、すぐには判らないと思う。けれど、八葉のみんなと一緒に探してほしいの…! 京と現代を救うために……!」


 その瞬間見せたあかねの表情――それはこの京を守る使命を帯びた神子のものだった。


 はしばらく考え込むように俯く。

 周りを囲む八葉達は、己が守るべき少女達を黙って見守っている。

 ――やがて、は強く目を見開いて顔を上げた。

 そしてを見ると、彼女もまた決意を瞳に秘めて顔を上げる。

 二人は顔を見合わせ頷き合うと、あかねに視線を戻して。

「わかったよ、あかねちゃん。勾玉探し、やってみる」

「ちゃんと出来るか…ちょっと自信無いけど……でも、私も頑張ってみる…!」

 そう、は答えを返した。

「あ……ありがとう! ちゃん、ちゃん…!」

 その瞬間見せたあかねの嬉しそうな表情は、『神子』のものなのか『あかね』という少女のものなのか――。

 否、おそらくその両方――『神子』である『あかね』のものなのだろう。





 ――初夏の夕刻ならではの涼しい風が吹き抜ける。

 西の空が茜色に染まりゆく時刻。

 龍神の神子は八葉と時見の少女、空癒の少女を連れて『時』と『空』の勾玉が眠る場所へと向かった。

 京出身の八葉ですら見知らぬ場所へ、京を知り尽くしている訳ではない神子がどんどんと進んでいく。

「……ここだ…!」

 神子――あかねが足を止めたのは、樹々に囲まれた静かな場所。

 その中の、小さな祠がそばに建つ大きな池だった。

「え…!? ここは…!?」

 この光景を見てと、そしては双眸を見開いて驚く。

「ここって…緋倉神社にそっくり…!?」

「あれ、よく知ってるね。ここは『緋倉の地』って言うんだよ。京の人にも知られてない、特別な場所なんだって。龍神様が言ってたよ」

 あかねがそう答えると、は周囲を見回す。


 ――小さな祠がそばに建つ大きな池のほとり。

 そこに集う数人の男性達と少女達――。


「……そっか…やっぱり、そうだったんだ…」

 京に来る前に予知した光景――。

 確かなそれには少し複雑な表情で呟いた。

「…ちゃん? 前に言ってた、その、見えたのって…」

 が様子を伺いながら言うとはそうだよ、と言うように頷く。

「さぁ、ちゃん、ちゃん。あそこの祠に『時』と『空』の勾玉が眠っているはずだよ。行ってみて。きっと石達はあなた達に応えてくれるから」

「う、うん。わかった。行くよ、

「…うん…!」

 あかねが指し示した祠に向かっては歩いていく。


 ――と、その刻。

 それを樹々の陰から伺っている者達がいた。

「…いいかい、セフル。お館様は石の存在を確認するだけでも良いと仰有ったけど、あの小娘達が石を取り出したら即刻奪うんだよ!」

「ああ、勿論。わかっているさ」

 それは鬼の首領の命を受けて忍び寄ってきた、鬼の一族の女性と少年だった。


「……あの、泰明殿…!」

 背後に忍ぶ影の存在を感知した天の玄武は、相方である地の玄武に呼びかけた。

 しかし、当の地の玄武はすでに解っているように平然としている。

「構わぬ。放っておけ」

「良いのですか?」

 あっさりと返ってきた予想外の答えに永泉は思わず訊き返してしまった。

「今のところは様子を伺っているだけだ。こちらから仕掛ける必要は無い」

 そう答えた泰明の視線は、まっすぐに向けられている。

 祠に眠る勾玉を目覚めさせようとする二人の少女達はただでさえ緊張しているのだ。

 今何か事を荒立てればきっと上手くいかないだろう。

「…そうですね」

 それを悟った永泉は静かに相づちを打った。

 しかし、それでもまだ心配そうな表情をする永泉に泰明は微かに溜め息をつく。

「奴らの居場所は判っているのだ。いつ仕掛けて来ようとも我々が神子と少女達を守れるよう備えていればいい」

「……はい」

 永泉は泰明に頼もしそうな視線と微笑みを向けて、頷いた。

「…最も、その必要も無いかもしれないが」

 ふと漏らした泰明のその言葉が永泉の耳に届くかと思われた、その瞬間。


 ――少女達の手が祠の戸に触れた。


 すると、目映いばかりの光が祠の中からあふれ出す…!

 青を帯びたような、緑を帯びたような、白い光。

「うっ…!」

「ま、眩しい…!」

 あまりの眩しさに、は目を瞑り、両手で顔を覆う。

 それは周りにいた者達――神子も八葉も同様だった。

 しかし、この神聖な光は彼らにとってはただ眩しいだけである。

 だが――背後に忍んでいた者達――鬼の女性と少年にとっては苦痛以外の何ものでもなかった。

「くっ…! 何て強い光なの…!?」

「駄目だ…!目を開けていられない…! いや、ここにすら居られない…!!」

 堪らなくなってついに鬼の一族の者、シリンとセフルはその姿を消す。

 それを感じ取った泰明は「やはりな…」と胸中で呟いた。

「頑張ってちゃん! ちゃん! 勾玉はあなた達を待ってるの! 目を開けて、手にとって!」

 真昼のような明るい光に包まれた中、目を瞑っているに向かってあかねが叫んだ。

 そのあかねの励ましの声を聴いた二人は、恐る恐る双眸を開く。

 すると、目映い光が放たれているはずなのに、もう眩しくない。

 そして二つの勾玉が、見える――!

「あった! 、あれだよ!」

「うん!」

 二人はゆっくりと祠に近づくと、は蒼の勾玉に、は翠の勾玉に触れる。

 その瞬間、石は浮遊し、己が持ち主の元へとその手におさまった。


 と同時に空から銀の光が飛来する…!


「何だ、あれは…!?」

! !」

 思わず身構える頼久、二人の少女に駆け寄ろうとする天真をあかねは制す。

「大丈夫。あれも二人に必要なものだから」

「え…?」

 顔も見合わせた青龍も他の八葉も、もはや見守っていることしか出来なかった。

 銀の光は二つに分かれ、二人の少女の元にそれぞれ降り立つ…!

「……!?」

 驚きと眩しさに二人の少女達は再び瞳を閉じたが、光がおさまるのと同時に再び開く。


 すると、光はいつの間にか勾玉の穴を通る『輪』と『鎖』となっていた。


 蒼い勾玉を通る輪はの手首へ、翠の勾玉を通る鎖はの首へと舞い降りる…!

 そう――丁度、腕輪と首飾りになったのだ。

「…これが…?」

「時と、空の…勾玉…?」


 ――光も風もおさまった刻。

 己の身についた石を不思議そうに見つめて、は呟いた。

「やったね! ちゃん、ちゃん」

 あかねの明るい声に、はハッとして振り返る。

 そこには安堵に満ちた穏やかな微笑みで見守ってくれている神子と八葉が居た。

「あかねちゃん……これで、いいの?」

 半ば呆然としてが尋ねると、もちろん、とあかねは頷く。

「うんっ、初めの大きな第一歩! これがあれば勾玉の場所を感知できるし、時見能力も空癒能力も格段アップしてるはずだよ!」

「ほ、本当に…!?」

「うん!」

 の言葉に頷いて、あかねは二人の元へ駆け寄っていく。

 朗らかに喜び合う少女達を八葉が微笑ましく見守る中…。

「…天真」

 ひとり、難しそうな顔をした泰明が天真の名を呼んだ。

「ん? 何だよ、泰明」

 天真は振り返ってそう訊くと。

「格段、あっぷとは何だ?」

 天真と詩紋以外の八葉が、実は気になっていたことを、泰明は代表して尋ねた。

「……あぁ……えーっと…」

 詩紋以外の八葉の、密かな期待が染み込んだ視線を受けながら天真は疲れたような表情で項垂れた。

 その言葉についての説明はそう難しいものではない。

 だからこそ面倒くさいのと「この調子じゃキリがねぇよ」と思ったからである……。


 当のカタカナ語発言の張本人であるあかねは、そんなことなどつゆ知らず。

 勾玉を入手したことをと一緒に喜んでいた――。




 ――そうして運命は動き出した。

 遙かなる時空を隔てたふたつの世界の。

 時の、空の。

『ふたつの運命』が、今、ゆっくりと鼓動を打つように――。