嫌でも長い時を生きなければならない命と、生きたくても長く生きられない命――。
 一体どちらがいいだろうか……?


 これは、女王試験が始まる前の物語……。
 宇宙はひとりの女王によって統べられ、九人の『守護聖』が彼女を補佐するべく、聖地にてそれぞれの務めを果たしていた。が、女王の力に翳りが見えだす。この物語は、その頃起こったもの――。





         アンジェリーク〜遙かな風に抱かれて〜


                     プロローグ





 ……誰かが自分を呼んでいる。
 少年は天空を振り仰いだ。晴れわたった空を思わせる青い双眸が、雲の多い空を映す。少々癖のある茶色の頭髪が、風で小さく揺れた。
「どうしたの? ランディ?」
 灰色の空を、その青い双眸に映していた少年――ランディは、横手からかけられた声に我にかえった。視線を転じると、一見少女のような少年が、自分の顔を覗き込んでいる。
 薄い金色の長い髪を、首の後ろで束ねて腰まで垂らし、顔にはまだ幼さが残る。ランディを見つめるすみれ色の瞳には、心配そうな色がたゆたっていた。
 それを認めると、ランディは慌てて首を横に振った。
「あ、いや、何でもないよ。ごめん、マルセル」
 マルセルと呼ばれた少年は、「本当に?」と軽く眉をひそめた。
「何か心配ごとでもあるんじゃないの? だったら、何でも言ってよ。僕じゃ、たいして役に立てないかもしれないけど……」
「そんなことはないよ。ありがとう、マルセル。でも、本当に何でもないんだ」
「そう? なら、いいんだけど」
 ようやく安心したように、マルセルは笑った。そうすると幼さの残る顔が、一層幼く見える。
 ランディは口元をほころばせると、歩き始めた。一歩遅れてマルセルもそれに倣う。
「今日は一体何のお話なんだろうね? 突然守護聖全員が呼び出されるなんて……」
 守護聖とは、女王を支える力を持った者の称号である。光、闇、風、水、炎、緑、鋼、夢、地の計九人で、それぞれの持つ力――サクリアを女王の導きのもと、宇宙へともたらしている。
 ランディとマルセルも、年若いがともに守護聖だ。ランディは『勇気』を運ぶ風の守護聖であり、マルセルは『豊かさ』をもたらす緑の守護聖である。
「そういえば、最近、王立研究院の人たちが、忙しそうにしてたけど……俺たちが呼び出された理由と、何か関係があるのかな……?」
 ランディは思案顔になる。定期的な集まりとは別に、守護聖が呼び出しを受ける時は、何かが起こった場合が多い。言葉にできない不安が、少年の中で渦巻く。
 ――何かが起ころうとしている。
「ランディ、僕、すごく嫌な予感がするんだ。何か、悪いことが起こりそうで……!」
 マルセルも不安を感じているのか。
 わずかに眉をひそめると、風の守護聖である少年は無言でマルセルの横顔を見やった。が、すぐに表情を改めると、なるべく明るい声をだした。
「大丈夫だよ、マルセル。まだ悪いことが起こると決まったわけじゃない。それに、そうならないように、いま俺たちは集まろうとしているんだろ」
「う、うん、そうだね。ありがとう、ランディ」
 マルセルは気をとり直したように笑ってみせた。

 ――応えてくれ……早く……時間が…ない……。

「――!?」
 先ほどよりも、はっきりと聞こえたその声に、ランディは足を止めた。
 緑の守護聖も歩みを止め、不審そうに彼を見やった。長い頭髪が、微風を受けて軽く揺れる。
「ランディ?」
 最年少の守護聖の声は、風の守護聖の耳にとどいていないようであった。晴れわたった空を思わせる青い双眸が、虚空を彷徨っている。いまや彼の意識は、現実であって、現実ではない場所にあるようだ。
「しっかりしてよ! ねぇ! ランディ!!」
 たまらずマルセルは、ランディの腕を掴んだ。
「――っ!? な、何だい? マルセル?」
「何だい、じゃないよ! やっぱり、今日のランディ、変だよ! 具合でも悪いんじゃないの?」
「そ、そんなことは……ないんだけど……」
 そう言って、ランディは片手を自身の額にあてた。
 そうだ、具合が悪いとか、そういうことではない。自分を呼ぶ何者かの声が聞こえてきた瞬間、意識が声のする方へ引き寄せられるような気がしたのだ。不思議と、抵抗する気にもなれなかった。そればかりか、このまま身を委ねてもいい、とさえ思ってしまった。悪意あるものではないようだが、一体何者なのだろうか。
「おめーら! まだこんな所にいたのかよっ!」
 投げかけられた声は、三人目の守護聖のものであった。鋼の守護聖・ゼフェルである。プラチナの髪と紅玉の双眸を持ち、顔には険がある。言動は乱暴だが、根は優しい少年であることを、他の者たちは知っている。鋼の守護聖は『器用さ』を司っており、ゼフェル自身も手先がとても器用だ。
「他の連中は、とっくに集まってんぞ! とっとと来いよ!」
 表情だけでなく、口調までも不機嫌にして言うと、ゼフェルはさっさと二人に背を向けた。
「あ、待ってよ! ゼフェルッ!」  
 マルセルはゼフェルの後を追おうとしたが、思い出したようにランディを見やった。無言の気遣いが視線に込められる。それを受けた風の守護聖である少年は、目の前にいる心優しい守護聖に向け、笑顔をつくってみせた。
「俺は大丈夫。さあ、いこう! ジュリアス様に怒られちゃうぞ」
「うん!」
 勇気を運ぶ風につられてか、マルセルは笑って頷く。そして、次の瞬間には、不機嫌な鋼の守護聖を追って走りだした。

 ――応えてくれ……この声に……。

 ランディは再び天を仰いだ。が、それも数瞬のことで、すぐさまマルセルに続く。
 まるでこれから起こることを暗示しているかのように、空は暗く沈んだ灰色の姿をみせていた……。



               ……To be continued.