第一章   風を裂く滅びの声





 集いの間には、ゼフェルの言葉どおり、すでに年少守護聖を除く全員が揃っていた。
 ランディたちが到着するやいなや、
「皆の者、よく集まってくれた」
 と、口を開いたのは、『誇り』を与える光の守護聖にして、守護聖の長・ジュリアスだ。眩いばかりの金色の髪を長くのばし、他の守護聖を見やる碧眼は鋭く、長という立場にふさわしい威厳が感じられる。また現守護聖中では、在位期間が最も長い。
「今日、こうして皆に集まってもらったのは、そなたたちの耳に入れておきたいことがあるからだ」
 何人かの守護聖が、それぞれの瞳を見交わした。「一体何だろうか」といったところだ。 が、動きをみせない者が二人いた。ひとりは一見して無反応、もうひとりは、心ここにあらずといった感じである。前者は『安らぎ』をもたらす闇の守護聖・クラヴィス。そして後者は――風の守護聖であった。
 闇の守護聖は、光の守護聖の次に在位期間が長い。虚無的で、何事にも無気力、無関心であるため、ジュリアスからは「職務怠慢」と反感を買っている。漆黒の髪に紫水晶の双瞳を持ち、どこか神秘的な雰囲気を漂わせている。
 そんな彼が、この日はランディを視界におさめがちだ。が、勇気を運ぶ少年自身は、そのことに全く気づいていない。
 闇と風の守護聖の様子に気づいているのか、いないのか、ジュリアスは話を続けた。
「もう知っている者もいるやもしれぬが、王立研究院より、いくつかの報告がもたらされている」
 王立研究院とは、宇宙についての観測、分析、研究などを行う女王直属の機関である。 ジュリアスの話は次のようなものであった。
 聖地の上空、および宇宙全体に負の力が満ち始めている。あまりに広範囲であるため、王立研究院の方でもなかなか発生源をつきとめることができない。また、負の力が宇宙にひろがり始めたのとほぼ同時期に、それとは全く対極の力の存在も認められた。これらの力が、今後宇宙や聖地にどのような影響を及ぼすかわからない。よって、皆も注意してほしい……。
 守護聖の長が口を閉ざすと、かわって別の声が上がった。
「あー、その負の力と対極の力……仮に正の力と呼ばせてもらいますね。それについて、何かわかっていることはないんですかねぇ? ジュリアス?」
 のんびりとした口調で質問したのは、『知恵』を与える地の守護聖・ルヴァだ。青緑の髪に故郷の習慣であるターバンを巻き、灰色の双眸には穏やかな光がたゆたっている。『知恵』を司る守護聖だけあって、聖地の誰もが一目置くほど博識な人物だ。その穏やかな人柄故、皆からの信頼も厚い。
 ジュリアスは首を横に振った。
「いや、詳しいことは何もわかっていない。ただ、負の力に対抗できるほどの力ではあるらしい」
「そうですかー、一体何なのでしょうねー」
 ジュリアスの視線が動き、ひとりの守護聖に向けられた。
「ランディ、聴いているのか?」
 風の守護聖は、弾かれたようにジュリアスを見やった。青い瞳を受けて、光の守護聖はその碧眼を鋭く眇める。
「ぼんやりするではない」
「あ、はい! 申し訳ありません! ジュリアス様!」
 ゼフェルが小馬鹿にしたような視線を、ランディに送った。この二人は何かと喧嘩が絶えず、年下であるはずのマルセルが、いつも仲裁にはいる。そんな関係であるからして、鋼の守護聖の視線に、ランディは何らかの反応をみせると思われた。
「…………」
 が、結果は無反応であった。上の空状態である。
 鋼の守護聖である少年は、鼻白んだようにランディを見つめた。一体どうしたというのだろうか。
「……様子がおかしいですね。ランディ……何かあったのでしょうか?」
 クラヴィスの傍らで、水の守護聖・リュミエールが心配そうに小首を傾げた。
 長い水色の髪に同色の瞳。女性と見間違えられそうなほど、優美で端正な容姿の持ち主である。『優しさ』をもたらす水の守護聖にふさわしい性格の持ち主で、誰に対しても親切丁寧で、相手への気遣いを忘れない。
「……呼び声だ……」
「呼び声……ですか?」
 リュミエールは、闇の守護聖の横顔に双眸を向けた。
「……何かがランディに語りかけている。それが、あれの精神を不安定にしているのだろう」
「それは一体……?」
「……わからぬ……」
 吐息混じりにクラヴィスは答えた。それきり何も言おうとはしない。リュミエールは沈黙した闇の守護聖をしばし見つめ、それから「何かによって精神が不安定になっている」風の守護聖へと視線を移した。
「おい、どうしたんだよ、ランディヤロー!」
「え? 何が?」
「てめーっ! 人の話聴いてんのか!?」
 いまにも殴りかからん勢いで、ゼフェルは叫んだ。
 と、ジュリアスは無言でランディを見つめていた。彼もまた、ランディの様子がおかしいことに気づいたのである。
「どうしたんだ? 坊や? 恋の悩みなら、いくらでも相談にのるぞ」
 普通ならば赤面してしまいそうな台詞を、何でもないようにさらりと言ってのけたのは、『強さ』を与える炎の守護聖・オスカーだ。自他ともに認めるプレイボーイで、言動にも自信があふれている。そんな彼だが、仕事面ではジュリアスの右腕として活躍している。炎を思わせる赤い髪とアイス・ブルーの眼、鍛えぬかれた身体は狼のようだ。
「ちょっと、オスカー、あんたの話はこの坊やにはまだ早いわよ」
 と、これは『美しさ』をもたらす夢の守護聖・オリヴィエである。
 オスカーはアイス・ブルーの瞳を、ランディからオリヴィエへと移す。
「今日もまた派手だな、オリヴィエ」
 夢の守護聖は、軽く片手を振ってみせた。
「まぁね」
 オスカーの言ったことは事実である。オリヴィエの装飾性は守護聖一だ。自身を美しく飾りたてることに余念がない上に、他人に化粧をすることを好む。所々染められた金髪に、双瞳はダーク・ブルーだ。
 と、オリヴィエは真顔になると、上の空状態の少年を見やった。
「ランディ、本当にあんた、一体どうしちゃったの?」
「さっきから、この調子なんですよ」
 心配そうにマルセルが言った。
 他の守護聖たちの会話をよそに、ランディの青い瞳は、どこか遠くを見つめているようであった。


 風を呼ぶ声がする……。
 気がつくと、ランディの視界は黒い幕に覆われていた。深い闇なのか、それとも目が見えていないのか、定かではない。が、不安も恐怖も感じない。心地よい風がランディの少し癖のある髪をそよがせ、どこからか波の音が聞こえてくる。そこはとてもあたたかい所であった。

 ――……応えてくれ……この声に……。

 一体何者で、自分に何を望むというのだ。

 ――時間がない……。

 そう言いながらも、声に焦りは欠片も感じられない。何もかも全てを悟った者の声だ。
「――強いんですね。あなたは……」
 ランディは声なき声で呟いた。


 クラヴィスが、はっとしたように天井を見上げる。
「クラヴィス様?」
 リュミエールが不安げに声をかけた。いま皆の意識は、精神不安定になっている少年に向けられている。そのため、闇の守護聖の様子に気づくことができたのは、何かと彼に気を遣っている水の守護聖だけであった。
 紫水晶の双眸に虚空を映したまま、クラヴィスは言う。
「――きた……!!」
「――!?」
 リュミエールは思わず天井を見上げた。しかし、そこには何もなく、天井の硬い表面には傷ひとつついていない。
 が、それは確かにきていた。このことに気づいた守護聖の頭上にではなく、風の守護聖の中に。

 ――全テニ……滅ビヲ!

「――!?」
 ランディは鋭く息を呑んだ。身体を横殴りされたような衝撃が走る。
 風がやみ、波の音が消える。春のあたたかさが消え、代わって冬の凍気が辺りを支配する。黒い幕が、荒々しい手によって無惨にも引き裂かれた。景色が一変する。
『……コレガ、我ガ望ミノスガタ』
「――っ!?」
 少年の、晴れわたった空を思わせる青い双眸が見開かれた。
 灰色の世界――色的にいえば、先ほどよりも明るくなったといえるだろう。だが、それを素直に喜ぶ気には到底なれなかった。なぜなら、その世界は死のそれであったからだ。空は暗雲で埋めつくされ、一筋の光すら地上にはとどかない。ひび割れた大地で草木は枯れ、瓦礫の山だけが存在する。生命の気配は微塵も感じられない。
「あれは……!?」
 呆然と辺りを見回していたランディは、瓦礫の一部から見慣れた建物を認めた。戦慄にも似たものが、彼を襲った。
 そこは聖地であった。あってはならない聖地の姿だ。
『美シキカナ、美シキカナ。コレゾ我ガ望ミノスガタ。全テニ等シク滅ビガ与エラレタスガタダ』
「お前は誰だっ!?」
 たまらず風の守護聖は叫んだ。
 それは少年の問いを無視した。胸の悪くなるような、深い憎悪の声が響く。
『――オマエハ邪魔ダ。我ノ邪魔ヲスルアヤツラノ声ヲ聴ケル者。イズレ我ガ障害トナル者。滅ビヨ、滅ビヨ、滅ビヨッ!!』
 次の瞬間、ランディが見たものは、自分に向けて閃く、禍々しい刃だった――。
「――!?」
 クラヴィスが一歩踏み出した。
 彼以外の守護聖で、最初に気づいたのは誰であっただろうか。ランディの身体がわずかに傾く。
「え?」
「な……っ!?」
 ほとんど無意識の声を、マルセルとゼフェルは発した。他の守護聖は、目の前で展開されていることが、すぐには理解できない。
 ランディの身体がゆっくりと床の倒れ込む。
『ランディッ!?』
 数人の守護聖の声が室内に響きわたった。他の者は驚きのあまり声もでない。
 窓の外の大地に雨滴が弾けた。一、五、十、三十……みるみるうちに雨滴はその数を増し、やがて豪雨となった。聖地でこれほどの雨勢は珍しい。色彩あふれる聖地も、この時ばかりは灰色に染まった……。



                 ……To be continued.