「――正規役員、あるいは準役員の誇りと意地にかけて、この事態を見事おさめてみせましょう」
穏やかな、だが風格さえ漂わせた笑みと凛とした声が、一同の上に舞い降りた。
黒の夢にヒカリをかざせ
その日の生徒会室は、恐慌状態に陥っていた。室内には生徒会長である手塚や副会長はおろか、正規役員といえる生徒たちの姿がほとんどない。いるのは正規の役員たちが多忙の際に派遣される助っ人たち、準役員ばかりだ。
「誰だよ!? 昨日最後にチェックした奴は!?」
「チェックした奴じゃなくて、最後にここを出た奴の責任だろ!?」
「いや、元々俺たちはただの助っ人、準役員なんだ。関係ない!」
「そんなのってないわ! 準だろうが、正規だろうが、自分のしたことにぐらい、責任持ちなさいよ!!」
それぞれが自分の言いたいことを、言いたいようにだけ叫びあう。鎮める者のない喧々囂々たる騒ぎの中、あてがわれている席で黙々と作業を続けていたは、そっとため息をついた。
テニス部伝統の校内ランキング戦が近いこともあって、そちらの組み分けやら打ち合わせで、生徒会長の手塚がこの三日ほど不在。副会長はどうしても抜けられない用事があってこられず、その他の役員たちもそれぞれの理由から仕事ができない。かといって、そのまま放っておけば、生徒会業務の方がたちまち滞ってしまう。そこで各学年クラスから、教師たちの推薦を受けた者が助っ人として派遣され、書類の作成等に協力していた。
最初の二日間は、特に何の問題もなかった。助っ人たちもいつも同じような顔ぶれであったから、比較的和やかな雰囲気で仕事をこなすこともできた。だが、手塚不在三日目の放課後、いまの騒ぎの原因となる事態が発生した。すなわち、
「この二日に作ったデータが消失!?」
というものである。
パソコンの方へ打ち込んでいたはずの、この二日間で作成したデータが丸ごと消えてしまったのだ。誰かがうっかり消去してしまったのか、あるいは保存しておくのを忘れたのか。それは定かではないが、はっきりしているのは、これまでの苦労が水の泡になってしまった、ということだ。
「全ては水の泡。馬鹿馬鹿しい」
と、ため息を吐いて投げてやりたいところだが、そうもいかない。いくら正規役員ではないとはいえ、「消えてしまいました」ではすまされない。明日には生徒会会議があり、となれば、当然手塚が復帰する。
準役員たちは蒼白になった。この事態を手塚に何と報告すればよいのだろうか、というわけだ。そこで冒頭のやりとりになるわけだが……。
混乱状態の中でごちゃ混ぜになってしまった書類をかき分けながら、栗色の髪の二年生は眉をひそめた。
「……一昨日作った会議の資料がない……」
誰か知らないだろうか。そう問うために視線を上げ、いまだ責任のなすりつけあいを繰りひろげている仲間たちが視界におさまる。はひとつ息を吐き出した。今度のは、ため息ではない。吐いた分だけの息を吸い、ゆっくりと立ち上がる。
「――皆さん」
静かな呼びかけは、三度目にして報われた。準役員たちは何事かと、青緑の双眸を持つ二年生に視線を集める。彼らの顔を眺めわたしながら、は毅然とした口調で告げた。
「もうそれぐらいにしましょう。いま僕たちがすべきことは、責任の所在を確認することではありません。そんなことをしても、根本的な解決にはなりません」
そこで一度息をつき、さらに語を続ける。
「もう一度やり直しましょう。手塚会長には、やれるところまでやった上で、事情を説明し、謝罪すればいいじゃないですか」
微笑混じりの提案は、一瞬の沈黙と二瞬目の怒号をもって応えられた。三年の男子生徒が声を張り上げたのである。
「二日かかったものが、今日一日でできるもんか! 俺は嫌だね、そう言うからには、会長にはお前が説明しろ!」
はまるで動じた様子もなく、軽く首を傾げる。栗色の髪がさらりと揺れた。
「では、あなたはどうなさるおつもりですか? このまま『できない、できない』と泣き言を並べるおつもりですか?」
「……!?」
三年生は顔を真っ赤にして口を開閉させたが、結局一言も発せられなかった。眼前にいる二年生の静かな迫力に、完全に呑まれてしまったのだ。
と、小さく手を叩く音がした。を含む皆の視線が、今度はそちらに集まる。
「俺は賛成。『できない』ということは簡単だ。誰にだってできる。だが、それじゃあ何にもならない。そんなこと言ってる暇があったら、さっさと作業を始めた方が、よっぽど建設的だ」
そう言ってに笑いかけたのは、この場では数少ない正規役員であった。茶色がかかった黒髪に、濃い青の瞳を持つ少年で、剽悍そうな印象を見る者に与えてくる。は名こそ知らなかったが、確か剣道部員であったことを記憶している。剣道部にいる友人と一緒にいるところを、何度か目にしたこともあった。
「二日かかった、って言ったって、一度やったことだ。一回目よりは、確実にはやくできるだろう。後はチームワークだな」
その言葉を受けて、青緑の双眸を持つ少年も頷いてみせる。
「――正規役員、あるいは準役員の誇りと意地にかけて、この事態を見事おさめてみせましょう」
穏やかな、だが風格さえ漂わせた笑みと凛とした声が、一同の上に舞い降りた。それまで烏合の衆と化していた生徒たちは、その瞬間からひとつの方向に向かって整然と歩き始める。
「おーい! 一日目に作った奴はここに集めてくれ!」
「じゃあ、その隣に昨日の分を集めて下さい」
「そっちは任せる。こっちは今日の分にとりかかるぜ」
一度混乱から脱出してしまえば、これまで経験を積んできた者たちだけのことはある。立ち直るのははやく、行動はさらに迅速を極めた。
「データを送信しました」
「了解。って、おいおい、『#&%$』って何だ?」
「あ、ごめんなさい、変換するのを忘れてました!」
そんなやりとりをかわす者たちの横では、ひたすらペンを走らせる者もいる。そのうちのひとりが、渡されたばかりの書面に視線を落とし、呆れたような声を上げる。
「誰だよ、この原稿を書いたのは!? 宇宙語か、これは!?」
「そんな言語があるか、貸してみろよ。う、やべぇな、俺にも読めねぇ……」
「翻訳班ー! 翻訳班ー!」
「そんなもんいねぇよ! 大体宇宙語の翻訳なんぞ、できる奴がいてたまるか!」
……といった具合で、多少のトラブルはあったものの、生徒会役員とその助っ人たちは見事「誇りと意地」にかけて、危機を脱したのであった。
最後の資料をホチキスでとめ、は大きく息を吐いた。
「お疲れさん」
横手から言葉とともに、コーヒーの入ったカップが差し出される。青緑の瞳をそちらにやれば、濃い青のそれにぶつかった。
「すみません、頂きます。それから、ありがとうございました。あなたが口添えしてくれなければ、こうもうまくいきませんでした」
「なぁに、お前さんの言ったことが正しいと思ったから、援護させてもらっただけさ。こっちこそ、すまないな。本当なら、正規の役員である俺こそが、何か言わなきゃいけなかったのにな」
コーヒーを一口すすり、正規役員は自分たち以外の者が去った教室を眺めやる。数時間前までの喧噪と散らかり具合が嘘のように、整理整頓された室内だ。やれやれ、と茶色のかかった黒髪の頭を振ってみせる。
「やればできる、とはよく言ったものだな。二日かかったものが、今日の分も含めて半日とかからずにできるとは」
「本当ですね」
カップを両手で包むように持ち、は小さく笑みをこぼした。「この事態を見事おさめてみせましょう」と言ったのは、他ならぬ自分だが、ここまで見事におさまったことには正直に驚いた。
濃い青の瞳の少年はの横の机に軽く腰かけると、何かに気づいたような顔をする。
くたに はりょう くたに
「それはさておき、お互いにまだ名前も知らなかったな。俺は久峪。巴綾久峪だ。二年五組で、剣道部に所属している」
「僕はです。二年八組で、テニス部員です」
「何だ、同学年か。だったら、敬語を使う必要はないさ。俺のことは、久峪でいい。お前のことは、、でいいか?」
栗色の髪の少年が首を縦に振ったのは言うまでもない。二人が軽く言葉をかわしながら、できたばかりの資料等の誤字脱字をチェックしていると、生徒会室に備えつけられている電話が鳴った。
「はい、生徒会室です」
受話器を耳にあてながらも、は次の資料を手にとっている。聴覚を電話に預けながら、視覚を働かせて文字の列を追う。と、青緑の双眸が一度だけ書類からはずれ、久峪を映した。
「……はい、います。――久峪くん、剣道部の顧問の先生から」
そういえば、彼は剣道部の副部長だったな。受話器を手渡しながら、は記憶の糸を手繰り寄せる。自分の記憶違いでなければ、久峪もいまは忙しい時期のはずだ。以前からの友人にして、剣道部の二年生エースが「大会が近いから休みがない」とぼやいていたのは、ついこの間のことである。
久峪は二、三言葉をかわしたかと思うと、渋面をつくって天井を仰いだ。
「――ええ、それはわかっています。ですが、生徒会の方も、いま人手不足なんですよ。俺が抜けるわけには――」
そこまで言って、視線を転じる。つい先ほど知りあったばかりの友人が、白い手を伸ばして袖をひいてきていた。
「いっていいよ」
瞳に込められた無言の声を聴き、久峪は微笑を口元に刻んだ。
「――わかりました。これから部活の方に顔をだします。それでは」
受話器をおくと一息つき、微笑から一転して困惑顔をつくる。
「いいのか?」
「構わないよ。ここまでくれば、後は文章と誤字脱字のチェックだけだから」
「そうだとしても、の方は大丈夫なのか? ランキング戦が近いんだろ?」
ランキング戦は月に一度行われる、レギュラーの座をかけた大事な試合だ。もテニス部員であるからには、当然練習したいだろう。そんな久峪の胸中を読んだのか、栗色の髪の少年はふわりと笑ってみせる。
「大丈夫だよ。明日には、手塚会長が復帰なさるし、これが終わってからでも練習はできるんだから」
それからも多少のやりとりはあったが、結局久峪は剣道部の方へいくことにした。実際この一週間ほど顔をだしていなかったので、部長には悪いと思っていたところだ。去り際に「何かあったら遠慮なく呼び出してくれ」と言葉を残して、剣道部副部長は生徒会室を出ていった。
ひとり残ったは、そのまま文書のチェックを続けた。青緑の瞳を順調に動かしていたが、ある書類の一点で停止する。確認するようにゆっくりと読み返し、眉をひそめた。
「……そうか……そういうことだったんだ」
栗色の髪をかき上げ、は吐息混じりに独語した。
の去った生徒会室に、それは入り込んだ。電気もつけず、書類の横におかれたパソコンのスイッチをいれる。一般の者が触れられないようにかけられたロックを、慣れた手つきでパスワードを入力して解除する。
簡単なものだ、とそれは口の端をつり上げ、とあるファイルを開いた。だが、そこに出た文字を見た途端、笑みは驚愕へとかわっていた。
「No Date」
画面で点滅する文字は、そう読めた。狼狽混じりに違うファイルを開こうとした瞬間、室内に光が満ちた。闇に慣れていた両眼に光が飛び込み、男は小さく声を発して顔を覆った。
「残念ながら、そのパソコンには、お探しのデータは入っていませんよ」
冷ややかな声が背に突き刺さり、男は文字通り飛び上がる。慌てて振り向いた先には、てっきり帰ったものと思っていた、青緑の双眸を持つ二年生が立っているではないか。
「誰が網にかかるかと待っていてみれば、まさか生徒会顧問の先生がかかるとはね。まあ、予想はしていましたが」
の口調には冷ややかさと同時に、歎息が含まれている。
顧問は失望と狼狽を押し隠し、いささかひきつった笑みを浮かべた。
「い、一体何のことだ、? 私はただ、ちゃんとできてるか確認をしにきただけだよ」
顧問は白々しい態度をとりながら、内心でほくそ笑んでいた。ひっかけられたことには腹が立つが、言いくるめるのはたやすい。仮に納得しなくとも、この二年生はおとなしいから、少しばかり脅しをかければ、きっということをきくに決まっている。
という生徒の真価を何ひとつ知らない顧問は、次の瞬間には、その一端をみせつけられることになった。が後ろ手に持っていた紙片を掲げてみせたのである。
「おわかりと思いますが、これは今月の予算表です」
白く細い指先が表の一点を指し示す。
「この部分の数字を書き換え、あなたはパソコンの中に入れてあるデータを消去しましたね。あなたに都合のよい数字を、再入力させるために」
「な、何を言っているんだ!? 何故そんなことをする必要がある!?」
「この予算表でいくと、万単位で余りがでます。僕の計算では、二万ほどがあなたの懐に入りますね」
穏やかな声の調子と表情だけを見れば、つい錯覚してしまいそうだが、青緑の双瞳には強い光がたたえられている。この顧問のやろうとしていることは、「部活動予算の横領」である。助っ人とはいえ、関わった以上、断じて見過ごすわけにはいかないかった。
「全ての書類は、複数の者がチェックします。一昨日できた予算表には、僕も目をとおしました。ところが、今日見たこの予算表は、僕の記憶していたものと、ところどころ数字が違った……」
「か、勘違いじゃないのか? それに余った予算は、次回にまわされる。何も問題ないじゃないか?」
部活動の予算は、まず各部から必要経費の詳細が提示される。生徒会は各部の活動内容をチェックし、本当に要求どおりの予算が必要かどうかを調べ、人数や実績等も考慮しながら予算案を作成する。余った資金は全て次回の予算案にまわされることになっている。
「あなたが、我々の作成した予算表を持っていなければ、ね」
顧問の顔色がかわった。は構わず語を続ける。
「部費が各部にわたされた後に、保管されている予算表をとりかえれば、当然余りの計算はあわなくなります。その余分に残った予算が、あなたのものになる」
事態が発覚しても、パソコンに入っている予算の数字と、書類に書かれたそれが違えば、当然入力ミスとされる。その時差額が消えていれば、全ては「助っ人」たちが部費の横領を企んでの行為とされるだろう。顧問は「没収」の名目で、差額を自分のものにすることができる。他の教師たちには、助っ人たちがすでに使ってしまった、と報告すればよいのだから。
「……、おもしろい発想だが、それが何故私の仕業だと言うんだ? 考えたくもないが、キミたちの中の誰かかもしれないじゃないか」
「この書類だけ、筆跡が違うんですよ。それにさっき言いましたよね、『予想はしていた』って。あなたの字ですよ、これは」
強く睨みつけられ、顧問の顔に不器用に隠されていた絶望と狼狽が、混ざりあって浮かぶ。顧問は忙しく眼球を動かしていたが、何を思ったのか、猫なで声を発する。
「は賢いな。そうか、筆跡までは考えていなかった。チェックは一昨日で終わっているものと思っていたからな。そこで相談だが……」
「このことを黙っていろと?」
「そ、そうだ。何なら、お前だけは責任を追及されないよう、私が口添えしてもいい。横領した金から、オコヅカイもやろう」
「おとなしい」少年の顔に、嫌悪の色が滲み出る。白い掌をかため、は声を荒げた。
「誰もが自分と同類だと思わないで下さい! 恥知らず!!」
大人、教師という立場を利用して、自分よりも立場の弱い者、生徒に罪をなすりつける。それを平然と口にし、実行することに何の躊躇いも感じない輩など、にとって軽蔑の対象でしかない。
顧問の顔から一瞬表情と感情が抜け落ち、二瞬目には憤怒の赤に染まる。の言葉は、残っていたわずかな良心を、したたか突いたのである。
「つけあがるな、小僧! もういい! データをどこにやった!?」
あのデータは、この顧問のやろうとしたことの証拠になる。万が一、書き換えられた予算表を処分されても、あれが残っていれば、何とでもなるのだ。
「さて……どこでしょうね」
栗色の髪の少年は、あくまで穏やかに微笑む。
「ふざけるな! その予算表ともども、こっちにわたしてもらうぞ!!」
「お断りします」
半瞬にも満たないうちに答えが返される。顧問は血走った目で憎たらしい生徒を睨み、吠えるような声を上げて掴みかかった。
少年の背が壁に衝突する。はわずかに顔をしかめたが、落ち着いて顧問を眺めやった。顧問は顔中を凶悪に歪め、の襟首を締め上げる。
「さあ、言え! データをどこにやった!?」
「教えられません」
「このガキッ!!」
振り上げられた拳を、青緑の双眸が冷然と見つめる。一発ぐらいは殴られてやろう。はそう思った。その後でさっさと叩きのめし、然るべき所へ報告する。意地の悪いことをいえば、先に手を出したのは顧問側ということで、正当防衛は成立するのである。
生徒会室の扉が音を立てて開かれる。二対の瞳がそちらに走り、ほぼ同時に驚愕の色を浮かべた。
「て、手塚……!?」
「会長……!?」
絶妙のタイミングでやってきた生徒会長は、顧問の顔を斬りつけるように見やる。
「を放してもらいましょうか、先生」
低く押し殺された声に、青緑の瞳をした二年生は、手塚の怒りの深さを悟った。ひょっとしたら、先ほどまでの会話を聴かれていたのかもしれない。生徒会顧問は生徒を掴む手はそのままに、自身の正当性の主張を始める。
「て、手塚! これには訳があるんだ! このが私に対して暴言を……!!」
「言い訳などしなくとも結構です。見苦しいだけですから」
一ミリグラムの容赦もない口調に、顧問の顔色が青にかわる。そうかと思えば、今度は真っ赤に染まった。凶悪な形相で口を開く。
「み、見苦しいだと!? 教師に対して何だ、その口のきき方は……!!」
「――薄汚い手でに触るな、と言っているのが聞こえないのか」
もはや敬語を使うに値しない。手塚の声が絶対零度の域に達する。白刃のような視線に、顧問は全身を震わせ、ゆっくりとから手を放した。解放されたはひとつ咳をし、皺のよった襟元を整える。
「本物の予算表はどこですか?」
栗色の髪の少年が静かに問いかければ、顧問は力が抜けたように座り込んだ。ぼそぼそと小さな声で予算表の所在を白状する。先ほどまでの威勢はどこへやらだ。まるで彼の身体にだけ、百年もの時が過ぎ去ったかのような体であった。
事後処理を他の教師たちに託し、は遠慮がちに手塚を見上げた。わかる者にしかわからないだろうが、生徒会長は心から不機嫌そうである。
「……あの、手塚会長、ひょっとして、怒っていますか?」
「怒っていないように見えるか」
発せられた声もまた、その表情にふさわしく普段より二割ほど低くなっている。青緑の双眸を持つ二年生は、内心でため息を吐いた。
「いえ、見えません……その、勝手なことをして、すみませんでした」
本来ならば生徒会長である手塚に報告し、指示を仰ぐべきところを独断で網を張ってしまった。穏便にすませたい、という気持ちは勿論あったが、自分たち助っ人が勝手に捨て駒にされかけたことで、は少々感情に走ってしまったのである。下手をすれば、生徒会全体に被害がでるところだったのに……。
「どうして知らせなかった」
「……自分の感情を、優先してしまいましたから」
「だからといって、あんな奴に、おとなしく殴られてやろうとすることはないだろう」
「……すみません」
手塚は小さく息を吐き出した。目元をわずかに緩め、うなだれている後輩を見やる。
「……すまない、お前に当たるつもりはなかったんだ。顔を上げてくれ、」
そっと頭を持ち上げたの視界に、微苦笑している先輩の顔が映る。
「怪我がなくて何よりだ。だが、今度からは一言俺に相談してくれ」
「はい……本当にすみませんでした」
手塚は返事のかわりに手を伸ばすと、弟のように思っている少年の頭をくしゃりと撫でてやる。が無事でよかった、と心から思う。あんな輩のために、この後輩が殴られるなど、手塚には考えただけでもぞっとする話だ。
「やはり長く留守にするのは問題だな。色々と妄動する輩も出てくる」
眉根を寄せて腕を組んだ手塚に、は軽やかな笑顔を向ける。青緑の双瞳には、どこかいたずらっぽい光も浮かんでいるようだ。
「不謹慎に聞こえるかもしれませんが、その方がいいかもしれませんよ。小さな火種にはなかなか気づかなくても、火事になれば誰でも気づきますもの」
「……消火のしがいがありそうな話だ」
手塚はいささか複雑そうな顔をする。と、視線があい、久々の笑い声が二人の口から洩れる。笑ったついでに、手塚は剣道部の副部長が、がまだ生徒会室に残っていることを知らせてくれたのだと言った。久峪はよほどひとりを残していくことを、申し訳なく思っていたようだ。
「そうだったんですか。久峪くんには、あとでお礼を言わないと」
「巴綾は一年の時から役員だった。ひょっとしたら、今回の一件にも、思うところがあったのかもしれないな」
剽悍な印象を持つ後輩のことを脳裏に描き、手塚は気をとり直したような顔をする。
「、もうすぐ部活は終わるが、少し練習をしていかないか」
「いいんですか?」
「ああ、デスクワークばかりしていて、お互い身体がなまっているだろう。それに、久しぶりにお前と打ち合いたいしな」
「ありがとう、国光兄さん!」
青緑の双眸を輝かせ、は兄のように思っている少年の右腕に抱きついた。思いもかけぬ反応に、手塚は一瞬驚いたようだが、すぐに穏やかな表情をつくって後輩の頭を撫でた。さすがの生徒会長も、弟には甘いようだ。
後日、例の顧問は懲戒免職処分となった。準役員たちは、自分たちがあやうく「生け贄の羊」にされかけたことに慄然としたようであったが、これからも生徒会の手伝いは続ける意志を示した。その中には、当然青緑の瞳をした二年生の姿もあった。
――Fin――
<あとがき>
・まず最初に、テニプリキャラの皆さんの出番が少なくて、すみません; 今回はお話の都合上、オリキャラさんたちが頑張っちゃいまして……; 今回登場した巴綾久峪(はりょう くたに)くんは、以前風見野が考えていたオリジナルの子ですが、テニプリの世界に転生してもらいました(^^) 他にも何人かいるので、ひょっとしたら、この先ちょこちょこ登場するかもしれません。
くんって、普段は本当におとなしそうな子なんですよね。あの顧問の先生が、「こいつなら何とかなる」と思ったのは、無理もない話だと思います。表と裏、というわけではないですが、くんは、非常時にその真価を最大限に発揮するタイプの子なのです。いざという時には、勇敢で大人を凌ぐほど機敏な少年へとかわり、周囲を驚かせてくれます。第一部のタカさんとのお話の時にも、それが少しだけでていますが。
予定でいくと、次のお話は、その非常事態が発生しそうです。今回のお話など、まだまだかわいいもの、といえるほどの。それに立ち向かうのは、くんと――!!
どうなるかは、次までのお楽しみです(^^) ここまで読んで下さって、ありがとうございました。
2004.7.28 風見野 里久
