喧嘩するほど……
ここ最近、桃城とは、体育館の罰清掃の常連のようになっている。もっとも、罰清掃を命じられたのは桃城だけであって、はそれにつきあっているのだが。
「さて、始めようか、桃」
「おう!」
それぞれモップを持ち、笑顔をかわす。罰清掃を命じられた当初こそ、桃城は不満そうであった。が、打算なくつきあってくれる親友の存在が、彼を変えつつあるようだ。鼻歌を歌いながら、床を拭き始める。
と、体育館の扉が開いた。どこかの部活が練習でもするのであろうか。そう思った少年たちの瞳が、扉の方へ向けられた。入ってきたのは、ひとりだけ。それも見慣れた人物である。
「あれ? 海堂、どうかしたの?」
の言葉どおり、やってきたのは同じ二年生の海堂薫であった。海堂は青緑の瞳を持つ少年を一瞥し、短く言った。
「掃除だ」
「あぁ、やっぱり」という顔をする親友の横で、桃城はいぶかしげに首を傾げた。
「何でお前まで?」
バンダナを巻いた少年は応えない。憮然とした表情で、掃除用具入れの方へ歩いていく。その背を見やり、桃城は友人にささやきかけた。
「あいつも何かやったのか?」
「そっか、桃は試合をしていたから、知らなかったよね」
は親友にしか聴きとれないような、小さな声で事情を説明した。
「はぁっ!? ブーメラン・スネイクを、先生の横顔に直撃させたぁっ!?」
話を聴き、桃城は思わず大声を上げてしまっていた。
掃除用具入れからモップをとり出そうとしていた海堂の動きが、ぴたりと止まる。ぎろり、と形容するにふさわしい目つきで、こちらを睨みつける。正確には、大声を上げた桃城を、であったが。
の話は次のようなものであった。
二年八組と、海堂のクラスである七組は、体育の授業は合同で行われる。よって扱われる内容も同じだ。海堂にとっても、やはりバドミントンは簡単なものであった。やっているうちに、最近特訓中の「ブーメラン・スネイク」をつい繰り出してしまった。まだ未完成の技であったが、見事に決まった。やってきた教師の横顔に見事に直撃したのである。倒れた教師はそのまま保健室送りとなった。試合を終えた後、桃城は教師の姿が見えないことに首を傾げたものの、誰も何も言わないので気にしなかったのだが……。
驚愕が去ると、笑いが込み上げてくる。次の瞬間には、桃城の笑い声が体育館中に響きわたっていた。
「てめぇ……!!」
モップを持つ海堂の手が、怒りのあまり震える。彼にとってライバルであり、因縁の相手でもある桃城に笑われることは、屈辱以外の何ものでもなかった。
青緑の双眸を持つ少年は、頭痛でもしたのか、額に手をあてる。桃城に話すのではなかった、と激しく後悔する。が、すでに遅い。
よほどおかしいのか、短い黒髪の少年は目元に涙を浮かべていた。
「お前もやるじゃねぇの、マムシ。俺だって、ダンクスマッシュによる羽根破壊新記録達成ぐらいしかしてねぇってのに。先生に羽根をぶつけるとはなぁ……!!」
どっちもどっちではなかろうか。体育の教師が、実に哀れである。
「てめぇだって、ヒトのこと言えねぇじゃねぇか。この馬鹿力……!!」
「あぁ? やるのか?」
全身からゆらゆらと怒気を立ちのぼらせながら歩み寄ってくるライバルを見、桃城もモップを握る手に力を込めた。と、そんな二人の間に、が入り込んだ。
「はい、ダメだよ。モップは掃除に使うものであって、決してヒトを殴るためのものじゃないよ」
憮然とした表情で友人たちが押し黙ると、青緑の双眸を持つ少年は何かに気づいたような顔をする。
「どうせなら、これで決着つけたらどうかな?」
そう言って、は床に細い指を向けてみせた。桃城と海堂は、一瞬険悪な雰囲気も忘れて、互いの顔を見合わせた。どちらがはやく掃除を終えるか、それで勝負をしよう、と友人が提案していることを悟る。確かに、その方が掃除も終わる上に、この場での決着もつく。まさに一石二鳥だ。
二人の少年は、じろりと闘志あふれる瞳を見かわすと、我先にと動き始めた。
「やれやれ、はともかく、何だって、てめぇなんぞと一緒に掃除をしなきゃいけねぇんだ」
モップを持つ手を動かしつつ、桃城はふてくされたように言った。
「うるせぇ、それはこっちの台詞だ」
決して桃城の方は見ようとせずに、新たな清掃員である海堂が応えた。
二人のテニス部レギュラーは、互いに背を向けた状態で掃除をしている。が、どちらの背にも透明な目があり、そこから放たれた視線が虚空で激突し、火花を散らしているようであった。
常人ならば逃げ出したくなるような雰囲気の中、はいつもの穏やかな表情で手を動かしている。
「いいじゃない、桃。ひとりより二人、二人より三人ってね」
「お前はよくても、俺はよくねぇんだよ」
「それはこっちの台詞だ」
桃城の言葉の後に、バンダナを巻いた少年のそれが低く滑り込んでくる。短い黒髪の少年の片眉が勢いよく跳ね上がった。
「ったく、馬鹿のひとつ覚えみてぇに、同じ台詞ばっか言ってんじゃねぇ!!」
「何だと、この野郎っ!?」
「……この調子じゃ、お昼ご飯食べる時間、なくなるね。せっかく今日は、コロッケパンを作ってきたのに……」
青緑の瞳をした少年は吐息混じりに呟いた。本人は特に深い意味もなく呟いたのだろうが、それが二人の少年たちに与えたものは巨大であった。
『――!?』
桃城と海堂は、それぞれ次の言葉を浴びせようと開きかけた口を、中途半端なものにして固まった。
流れる数瞬の沈黙。
二人のレギュラーは、怒気を体育館の天井の果てに放り投げた。育ち盛りの少年たちにとって、食事は重要な問題であり、それがおいしいとわかっているものなら、なおさら食べ損ねるわけにはいかない。
突然走って床を拭き始めた友人たちを見、は心底不思議そうに小首を傾げた。
「……?」
自分はそんなにやる気がでるようなことを言っただろうか。正直なところ、よくわからない。だが、喧嘩を中断してくれた上に、昼食にもありつけそうなのだから、よしとしよう。少年はそう結論づけるのであった。
それから十分とかからずに、体育館清掃は終了した。通常よりも早い上に、綺麗になっている。体育館へとやってきた者たちは、そのあまりの綺麗さに感嘆したものだが、まさかそれがコロッケパンを食べたい故のものとは、夢にも思わなかった。
さわやかな青空に見下ろされながら、三人の二年生たちは屋上で昼食をとっていた。もっとも、桃城と海堂は背中合わせに座って、決して目をあわせようとはしなかったが。
そんな光景など、には見慣れたもので、特に気にした様子はない。コロッケパンをおとなしく食べながら、笑ってみせる。
「よかったね、お昼ご飯食べる時間があって」
「全くだぜ」
「ああ……」
コロッケパンの味は文句なしなのだが、それでも桃城と海堂は互いの存在が気になるらしい。どこか不機嫌そうな顔である。目をあわせれば、それぞれ「何でこいつと一緒に食べなきゃいけねぇんだ」という声なき声を聴くはずだ。
「そうだ、明日は何がいい? リクエストがあったら言ってくれる?」
『焼きそばパン』
桃城と海堂の声が見事に重なる。は二度の瞬きの後、おかしそうに笑った。互いをライバルと見なしている少年たちは、真似するな、とばかりに視線を交わしあうと、まるで八つ当たりでもするかのように、コロッケパンに食らいついた。
――Fin――
<あとがき>
・二年生三人組のお話でした。いつも思うことですが、桃くんと海堂くんの喧嘩は、書いていて楽しいです(^^;) そして彼らの喧嘩の真っ直中にいながらも、笑っていられるくんは凄いと思います。彼は自分がどこにいて、何をすべきか、ということを本能的に察している子ですから、桃くんと海堂くんの喧嘩の仲裁もできるのです(かなり天然が入っている気がしますが;)。
ここまで読んで下さって、ありがとうございました。
2003.5.13 風見野 里久
