笑顔にはかなわない





 せっかくの昼休みだというのに、二年八組の教室の一角に、重い空気が満ちている。その原因となっているのは、二人のテニス部員だ。桃城と海堂は、弁当箱の置かれた机を挟んで背中合わせに座り、サンドイッチを口に運んでいる。
 二人がいま食べているのは、の作ったサンドイッチだ。桃城は、この日授業が終わるのが遅かったため、目当てのパンが売り切れてしまったこと。海堂は、珍しく弁当を持ってきておらず、購買部へいく途中にに出会い、一緒に自分の弁当を食べないか、と誘われたこと。は食欲旺盛な友人のために、いつも多めに弁当を作ってきていること。これらの理由が重なり、三人は一緒にひとつの弁当を食べることになったのである。とはいえ、これはこれ、それはそれである。桃城と海堂が仲良くしなければならない、という理由にはならぬ。
 机の前――桃城と海堂とで、ちょうど三角形をつくる位置に座っているは、というと、眼前の重い空気など何とも思っていない様子だ。とはいえ、こうも言ったものだ。
「ねぇ、二人とも、食べにくくない?」
「この野郎と顔を合わせるよりはマシだ」
 海堂が憮然とした表情で答えると、桃城も負けじと言い返す。
「そりゃあ、こっちの台詞だ」
 二人の少年は示し合わせたように、互いに肩ごしに相手を睨みやる。実に非友好的な視線だ。
 はお茶で口の中を湿らすと、友人たちの顔を交互に見やった。
「どう? おいしい?」
「おう! うまいぜ!」
「ああ……」
 一瞬前までとはうって変わり、桃城と海堂は友人に友好的な瞳を向ける。「よかった」と短く言うと、青緑の双眸を持つ少年は嬉しそうに笑った。
 そのまま何でもない世間話が続き、弁当の中身がしだいに少なくなっていく。そして残った、一個のカツサンド。三人の視線がそれに集結する。
 は顔の前で片手を振る。
「僕はもういいよ。もうお腹いっぱいだから」
 そうか、とばかりに頷くと、二人のテニス部レギュラーは、この日初めて正面から向き合った。非友好的な、それでいて、闘争心あふれる視線が空中で激突し、火花を散らす。
「このカツサンドは譲れねぇな、譲れねぇよ」
「それはこっちの台詞だ。大体てめぇは食い過ぎだ」 
 桃城は憤激したように立ち上がる。
「何だとぉ!? もういっぺん言ってみろ! マムシ!」
「マムシ」という言葉に、海堂の両眼が怒気に染まった。椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がる。
「てめぇこそ! いま何て言った!!」
「喧嘩するなら、どっちにもあげないからね」
 弁当箱を自分の手元に避難させたが、ぼそりと呟いた。小さな声ではあったが、効果は絶大であった。互いの襟を掴もうと伸ばされた手が、行き場を失って虚空を彷徨う。が、目だけはいまだ無言の戦いを続けているようであった。
 ややあってから、桃城は上着を脱いだ。右のシャツの袖を肘まで捲り上げる。
「やっぱ男の勝負といったら、コレだろう!」
 剥きだしになった右腕を掲げ、桃城はにやりと笑ってみせた。
「ふん、後で吠え面かくなよ!」
 そう言って、海堂も上着を脱ぐ。そこで栗色の髪の少年は、何かに気づいたような顔をする。
「ねぇ、どうせなら、屋上でやらない? 机を壊してもらっても困るし……」
 二人の少年は互いに頷きあうと、我先にと教室を飛び出していった。
「俺の前を走るんじゃねぇっ!!」
「何を!? てめぇこそ邪魔だっ!!」
 遠ざかっていく友人たちの声に、は小さく笑みをこぼすと「賞品」を持って立ち上がる。彼が廊下へと姿を消した瞬間、教室内にいた生徒たちが一斉にため息をついたとか。



「何をやっているの?」
 屋上へとやってきた不二の第一声がこれであった。そう問いかけたくなるのも当然であろう。自分の眼前で、二人の後輩が下に敷いた上着の上に肘をつき、腕相撲の真っ最中なのだから。
『こいつには負けねぇっ!!』
 桃城も海堂も、互いに一歩も譲らず、どちらが勝っているわけでも、どちらが押しているわけでもない。純粋な力比べならば、桃城の方が勝っているのだが、海堂は精神力でそれを補っているようだ。
 友人たちの奇妙な対決を、傍らに座って観戦していたが不二に笑いかける。
「不二先輩、こんにちは」
「こんにちは、。同じ質問をするけれど、桃と海堂は何をやっているの?」
 青緑の瞳を持つ後輩が、目の前の光景に至った経緯を説明すると、不二はたまりかねたように笑いだした。珍しいことであったが、声を上げて笑う。
「ハハッ、カツサンドひとつで、こんな真剣勝負だなんて。まあ、二人らしいといえば、二人らしいけれどね」
 目元に浮かんだ涙を指先で払うと、不二はの隣に腰を下ろした。暫しの間、不二はと談笑しつつ、横目で後輩たちの勝負を眺めやった。が、一向に決着がつく様子はない。
 と、不二はの手の中にある「賞品」を指差す。
「それはが作ったの?」
「え? あ、はい、そうです」
 先輩である少年は、浮かべていた笑みにどこかいたずらっぽいものを含んだ。
「それ、僕も食べてみたいな」
『え?』
 青緑の瞳をした少年だけでなく、腕相撲の勝負をしていた者たちまでも、思わず先輩の顔を見直した。
「ダメかな?」
「えっと……」
 は友人たちを見、それから不二を見る。そしてにっこり笑うと、弁当箱を先輩である少年に向けて差し出した。
「お、おい!? っ!?」
 どこか哀れっぽい声を上げる親友に、は少しばかり申し訳なさそうな顔を向ける。
「ごめんね、桃、海堂。また明日作ってくるから、これは不二先輩に譲ってあげて。お願い」
 彼にそこまで頼まれては、桃城も海堂も「ダメ」とは言えない。渋々といった感じではあるが、「賞品」を観戦者のひとりに譲ることにした。明日も作ってきてくれる、というのなら、そちらに期待することにしよう。
 三人に礼を言ってカツサンドを受けとった不二は、早速それを口の中に運んだ。
「うん、すごくおいしいよ。って、料理が上手なんだね」
「そう言って頂けると、嬉しいです!」
 少々照れたように、は微笑してみせた。
「また作ってきたら、僕にもくれるかな?」
「はい、お望みならば」
「ありがとう、。楽しみにしてるよ」
 楽しそうに会話を展開する友人と先輩を瞳に映しつつ、桃城が小さな声で呟く。
「結局、俺たちのこの勝負は、何だったんだ……?」
「……知るか」
 互いをライバルと見なしている少年たちは、どちらからともなく、ため息をついた。言いたいことは、二人あわせてそれこそ山ひとつ分ほどもある。が、先輩である不二は勿論、何よりも友人の笑顔の前では、とても言う気になれなかった。



                   ――Fin――



 <あとがき>

・水帆ちゃんと一緒に考えた、お題その一「昼休み」でした。くんはお料理も上手なので、よく自分でお弁当も作ってくるようです。桃くんも食べることを想定して、量はいつも多めです。基本的にみんなで楽しく食べるのが好きなので、海堂くんを呼んだりもしています。今度はもっと大勢で、屋上などで食べるのもいいですね(^^)
 ここまで読んで下さって、ありがとうございました。



                2003.4,29    風見野 里久