その背を見つめるは、優しき笑顔
晴れわたった青空とさわやかな風、そしてほどよい気温。身体を動かし、汗を流すには絶好の日であろう。
授業が終わり、部活の時間が始まる。この青春学園では、必ず部活か委員会のどちらかに所属することになっているから、授業が終わっても生徒たちの姿は校舎内から消えることはない。
男子テニス部の部室へと向かう数人の一年生が、何やら興奮した様子で喋っていた。話題はどうやら二年生の先輩たちのことのようだ。
「それでね、先輩がね、池田先輩に6―1で勝ったんだよ!」
「レギュラーになったことはないらしいけれど、テニスはうまいし、性格は優しいし、先輩だからって威張らないし、いい先輩だよね!」
「ねぇ、越前くんもそう思うでしょう?」
「……さぁね」
「越前」と呼ばれた、黒髪に琥珀色をした瞳の少年は、つまらなさそうに言った。彼こそが、青学男子テニス部唯一の一年生レギュラー・越前リョーマである。小柄な身体には、抜群のテニスセンスと技術が秘められている。
「先輩、か……」
リョーマは「噂の先輩」のことを思い出す。
のテニス歴は二年だという。まだ目立った得意技というものはないが、脚力と跳躍力に優れ、そして何よりその人柄から、一年生に慕われている。が、同じ一年生でも、レギュラーであるリョーマは、彼と接したことがほとんどない。名前と顔を知っている程度だ。よって「先輩って、いい先輩だよね」などと言われても、よくわからない。
「ま、どうでもいいけどね」
自分のいまの態度を、言葉で表現する。盛り上がっている他の一年生をおいて、リョーマはさして興味なさそうに、部室へと向かった。
部室の側まできた時、ヒュッと大気が鳴る。その正体に気づいたリョーマは、歩みを止めた。彼から二歩分ほどの距離を隔てた空間を、テニスボールが通過する。レギュラーである少年は、視線を鋭く横に動かした。
「悪い悪い、つい手元が滑っちまってな」
にやにやと笑いながら、二年生らしいテニス部員はラケットを肩に担ぐように持つ。その表情や口調からして、明らかにわざとであろう。
一年生ながらもレギュラーの座を勝ちとったリョーマは、全国大会を目指す青学テニス部にとって、貴重な戦力である。が、そんな彼の存在を快く思わない者はやはりいるもので、特にレギュラーになれなかった二、三年生の数人は、明らかにリョーマを敵視していた。もっとも、本人は気にもとめていなかったが。
青学のルーキーは何事もなかったように歩き出す。
「おい! 待てよ!!」
無視されたことに怒った二年生は、もう一度ショットを打とうとした。
と、そんな彼の鼻先を、テニスボールがうなりを生じて飛びさる。
「うわ!?」
驚いた二年生は身体をのけぞらせ、そのままバランスを崩すと尻もちをついた。彼の前を通過したボールは、大地を小さく穿つ。穿たれた穴を見ると、かなりの球速であったことがわかる。二年生は大きく息を吐くと、ボールの軌跡を目で追った。リョーマの視線もそちらに向けられる。
「ごめん、手元が狂っちゃって」
二人の視線が合流する場所には、の姿があった。ラケットを見やり、おかしいな、とばかりに小首を傾げている。
と、二年生は立ち上がり、彼に詰め寄った。
「あぶねぇじゃねぇか!? 何しやがる!? !?」
乱暴に襟首を掴まれ、はわずかに青緑の双眸を眇める。襟元を絞める手を、少年の白いそれが掴んだ。
「危ない? 言ってくれるね。たったいまキミは、越前くんに同じことをしたじゃないか。自分のことを棚にあげてヒトに文句を言うのは、どうかと思うけれど?」
「う……!!」
二年生は気圧されたように押し黙った。何か言ってやろうと思うのだが、喉に大きな塊が詰まったかのように、声が出せぬ。目の前にいる同級生からに、それだけの威圧感があったのだ。
青緑の双眸を持つ少年は、自身の襟首を掴む手を払いのけると、何やら呆然としているリョーマの方に向かった。
「さてと、いこうか、越前くん」
つい二瞬ほど前までのみせていた雰囲気は、微塵も残っていない。いつもの穏やかな彼である。
「え? あぁ、はい」
リョーマは我に返ったように頷くと、に続いて部室の扉をくぐった。
あとに残された二年生は、自分の手を見やった。掴まれた部分が、うっすらと痕になっている。は部の中でも身体が細く、華奢な体つきをしている。が、彼の腕力は思った以上に強かった。そしてあの表情……二年生はうそ寒そうに首と肩を竦めるのであった。
「ごめんね」
部室に入るなり、は後輩である少年に頭を下げた。下げられた方は、何のことだかさっぱりわからない。
「何のことっスか?」
「さっきの二年のことだよ。ごめんね、怪我はなかったかい? あいつも悪い奴じゃないんだけど、レギュラーになれなかったから苛ついていてね。本当にごめん」
「どうして先輩が謝るんっスか?」
青緑の双眸を持つ少年は、少しだけ苦みを含んだ笑みを口元に刻んでみせた。
「うーん、同じ二年として申し訳なかった、っていうのもあるけれど、やっぱり自分の好きなことをやる時は、楽しい気持ちでしたいものだろう?」
あんなことがあった後では、せっかく好きなことでも心から楽しめないではないか。そう言って謝ってくるの姿に、リョーマは「」という先輩のことが、少しわかったような気がした。そして、何故彼が他の一年生から慕われているのかも。
「いいっスよ。別に気にしてませんから」
「……ありがとう、越前くん」
そこでようやくは笑顔になる。見る者の気持ちにそっと光が差し込んでくるような、優しい笑顔だ。
「……先輩って、結構かわってますね」
「そうかい? よく言われるよ」
「でも、嫌いじゃないっスよ」
ぶっきらぼうな口調でそう言うと、リョーマは先輩である少年から視線をそらした。照れているであろう自分の顔を隠すためだ。一見すると、生意気とも思える行動だが、は気にしない。それどころか、にっこりと笑ってみせる。
「ありがとう」
「そんなことより、とっとと着替えていきましょうよ。遅刻して走らされるのは、ごめんっスよ」
「うん、そうだね」
リョーマはレギュラージャージの袖に腕をとおす。青と白を基調に赤のラインの入ったジャージの背に、「SEIGAKU」の文字が翻る。その小さな背を、は笑顔のまま誇らしげに見つめた。
「……どうでもいい、っていうのは撤回」
「え?」
「何でもないっス。いきましょうよ、先輩」
いまなら、きっと別の答え方ができるだろう。リョーマはそう思った。
『――先輩って、いい先輩だと思わない?』
今度そう訊かれたら、こう言ってやろう。
――まあまあなんじゃない、と。
――Fin――
<あとがき>
・初めてリョーマくんを書いてみましたが、ちょっと難しかったです; イメージを壊された方、すみませんでした。もっと勉強します;
今回はくん、ちょっと先輩らしいことをしています。もっとも、あの子は先輩後輩という関係は、特に意識していません。リョーマくんのことも「後輩」ではなく、同じテニス部の「仲間」だと思っています。さて、リョーマくんの方はどうでしょう……? これをきっかけに仲良くなってくれると嬉しいですね。
ここまで読んで下さって、ありがとうございました。
2003.4.11 風見野 里久
