風の空、空の鳥
澄んだ青色が瞳を染め上げる。流れる雲の間からこぼれ落ちてくる光の欠片に、は眩しそうに目を細めた。穏やかな微笑を口元に刻む。昼休みだというのに、珍しく人気のない屋上に彼はいた。フェンスに背を預けて座り、空を仰ぎ見ている。生徒たちのにぎやかな声も、どこか遠くのことのようだ。
扉が開く音に、は視線をそちらへと転じる。親友だろうか、という彼の予想ははずれた。やってきたのは整った顔立ちの少年だ。少々長めの、明るい茶色の頭髪が、白い肌によく映える。
「やあ、。キミもきていたんだ」
「こんにちは、不二先輩」
不二周助はテニス部のレギュラーであり、天才と呼ばれるほどのプレイヤーだ。普段は笑みを絶やさないが、その穏やかな表情の下には別の面が潜んでいることを、部内の者は知っている。
「こんにちは。今日は桃と一緒じゃないのかい?」
「ええ、桃は今日越前くんと打ち合う約束をしているんだそうです」
「そっか。隣に座ってもいいかな?」
「はい、勿論です」
不二はの隣に腰を下ろすと、大きく息を吸った。心地よい風が、二人の頭髪をそよがせる。いつも以上に穏やかな顔をしている後輩を見、淡い色の頭髪をした少年は微笑を含んだ口調で言った。
「は、空を見るのが好きだね」
「え?」
「よく見てるよね。練習の合間とかにも」
「……ご存知だったんですか。ええ、好きですよ。空を見て、風を感じることが。何だか、とても穏やかな気持ちになれますから」
青緑の双眸に、光と雲を映しては笑った。不二もそれに倣う。
沈黙が訪れる。二人のテニス部員は、しばらくの間、風の流れと陽光のあたたかさを身体全体で感じた。
沈黙を破ったのは、の方が先であった。
「――僕が鳥になりたい、って言ったら、先輩はおかしいと思いますか……?」
子供っぽいね、と笑われるのではないだろうか。そう思ったが、不二の反応は違った。笑顔こそ崩さなかったが、はっきりと首を横に振ってみせる。
「そんなことはないよ。誰でも、一度はそう思うんじゃないかな?」
空を自由に駆けることへの憧れは、人類の夢のようなものだ。だからこそ、飛行機が開発されたのだ。自由の象徴とされる鳥に、少しでも近づきたい。そんな思いがあったからだろう。
問いを発した少年は、よかった、といたずらっぽく笑ってみせる。
「正直な話、子供っぽい、って笑われるかと思っていました」
「そんなことしないよ」
珍しく子供っぽい後輩である少年の表情に、不二の口から笑いが洩れる。
と、少し強めに吹いた風が、空へと舞い上がる。の表情を、ふっと影のようなものがさした。隣にいる、先輩である少年にしか聴きとれないような、小さな小さな声で語を紡ぐ。
「……鳥になれたらいいのに……」
その口調は、先ほどまでとは明らかに違った。不二は黙って後輩の横顔に視線を転じる。
「……鳥になれれば、きっと、もっと空と風を感じられるんでしょうね……」
「そうとも限らないと思うよ、僕は」
「不二先輩?」
「別に鳥にならなくても、空と風を感じることはできるんじゃないかな。いまのキミみたいに」
青緑の瞳が動き、不二を映した。の先輩は双眸を覆う幕を上げ、深みのあるそれを露わにする。
「――たとえ翼はなくても、心は空を、風を感じているよ。だって、こんなに気持ちがいいじゃない」
不二の後輩の口から、微笑の欠片がこぼれ落ちる。
「そうですね――」
の双眸に、風に導かれながら空をゆく白い翼が映る。降り注がれてくる陽光を遮るように、は片手をかざした。若々しい顔が陽光を浴び、元々白い肌がさらに白くなる。さらりと栗色の頭髪が風に流れ、注意して見ていなければ、彼の姿は光の中に溶け消えてしまいそうだ。
ふと心づいた不二は、軽く身体を乗り出した。
「、今度の休みの日、何か予定はある?」
唐突な問いに、は驚いたようだ。が、それも一瞬のことで、少し考えるような顔になると、特に予定は入っていないことを告げた。不二は「よかった」と笑ってみせる。勿論には何が「よかった」なのか、ちっともわからなかったが。
「今度の休みに、一緒に写真を撮りにいかない? 空がとてもよく見える場所を知ってるんだ。どうかな?」
「はい、いきたいです! 連れていって下さい!」
青空を背に、は心から嬉しそうに笑ってみせた。彼らしい表情が戻ってきたことに安堵し、不二もまたやわらかい微笑で応える。
――たとえ鳥ではなくても、心は空にとどくから……。
――Fin――
<あとがき>
・今回は不二くんとのお話でした。不二くんなら書きやすいかな、と思っていたのですが、そんなことありませんでした; キャラのイメージが壊れた方、すみません; それからどのジャンルの創作でも大抵言っていることですが、よくわからない話ですみません; 最初はもう少し違う話になるはずだったのですが、どういうわけか上記のようなそれになってしまいました(ーー;)
風見野自身が空や風が好きなので、今回はそれをテーマにしてみました。くんが鳥になりたいと思っているのには、「空と風をもっと感じられるから」ということ以外にも理由があります。ですが、それはまたの機会に。
ここまで読んで下さって、ありがとうございました。
2003.4.20 風見野 里久
