想いが呼ぶかたち  <前編>





 はらり、と紅の葉が枝から離れて宙を舞う。

 舞い落ちてきた紅葉を、掌でそっと受け止めて、少女は唇の端をほころばせた。

「――祟り、ですか……?」

 紅葉を手にのせたまま、少女は声の方に身体を向ける。胡桃色の頭髪が、身体の動きにあわせて流れた。

 彼女の視線の先には、簀子(すのこ)に腰かけた二つの人影がある。声の主は紺色の髪の少女で、名を
星風寺という。

「その方は、何か祟られるようなことをなさったんですか?」

「いいや。ただ、祟りにしか見えないような、怪現象が起きてるってことだ」

 そう言ったのは、の隣に腰かけた青年である。もう大気も冷たくなってきた時期だというのに、両の肩を
剥き出しにした服装だ。その左腕に輝く宝珠が、彼が徒人(ただびと)ではないことを示している。彼――龍神
の神子を守護する八葉のひとり、地の青龍にして、京職・平勝真がもってきた話は、次のようなものであった。

 勝真の同僚で、やはり京識の小野昭親(おのの あきちか)という青年は、貴族としての地位は高くはないが、
真面目で人当たりのよい性格で知られている。彼には八歳になる異母妹がおり、先だって母親が亡くなり、
他に身寄りもないということで屋敷にひきとった。幸い屋敷内の者たちともすぐにうち解け、昭親も妹を大切に
しているという。しかし、最近になって、妹姫の周囲で奇妙なことが起こり始めた。

「兄上、どうもこの頃、何かが私を見ている気がするの。怖いから、今日は一緒に寝てくれませんか?」

 普通貴族の姫君というのは、成人の儀をすませてしまえば、御簾の奥にこもり、家族といえども素顔をさらし
たりはしない。だが、昭親の妹はまだ裳着をすませてもいないこともあり、彼はその夜、彼女の部屋の隅で
休むことにした。本当に妹のことをつけ狙う者がいるのならば、兄としても、京識としても彼女を護らねばならない。

 たわいもない話をして時を過ごしうちに、昭親はあることに気づいた。

 ――何かがこちらを見ている。

 姿は見えない。だが、息を殺して、じっと凝視してくる。何かが――。

 何モノか正体を確かめようとした時、室内に恐ろしい叫び声が響いた。とても人声とは思えない、獣の雄叫び
のような声。部屋全体が鳴動し、箪笥などの調度品が倒れ、落下物に当たって昭親は肩を痛めてしまった。

「確かに、祟りみたいな現象ですね。それで、その昭親さんは、大丈夫なんですか?」

 紅葉を片手に戻ってきた、胡桃色の髪の少女――雫月は、白い顔をわずかに青ざめさせる。

「あぁ、幸い怪我の程度は軽い。だが、妹姫の方が、すっかり精神的に参ってしまってな。先日、とうとう臥せっ
てしまったそうだ」

「かわいそうに……」

 精神的なものが原因による病では、自分の治癒の力はあまり効果が望めない。せいぜい気休め程度に疲労
をとり除いてやることぐらいだ。ここはやはり、原因を叩くのが一番の治療法であろう。

 同じ結論に達して頷きあう少女たちに、勝真は口の端をほころばせた。彼女たちがそう言ってくれるのを、
実は待っていたのである。

「そう言ってくれるとありがたい。今日にでも、見舞いがてら参上する旨を、小野家に伝えてあるんだ。一緒に
きてくれるか?」

『はい』

 が立ち上がり、はふと何かを思いついたように視線を落とした。掌の中にある、紅く色づいた葉。基本的
に貴族の姫君は、滅多に屋敷から出ることはない。自然の造形物を見ることはおろか、手にする機会などほぼ
ないに等しいだろう。

?」

 ふつりと黙り込んでしまった親友の顔を覗き込み、は軽く首を傾けた。

「……紅葉」

「紅葉?」

「うん。お見舞いに、この紅葉をもっていってあげたら、喜んでくれるかな、っと思って」

 それは名案、とばかりに笑い、紺の髪の少女は木の根元に散らばっている葉の中から、綺麗に紅く染まった
葉を拾い上げる。

「きっと喜んでくれるよ。気晴らしにもなるだろうしね」

 空癒の少女はハンカチをひろげ、二枚の紅葉を丁寧に包むとそっと袂(たもと)に入れた。





 星の姫の館を出たところで、三人の耳は軽快な足音を捉えた。三対の瞳が動き、やってきた少年の姿を認め
る。額に輝く宝珠が、彼もまた八葉のひとりだと告げている。

「何だ、何だ。三人揃って、どこかにいくのか?」

「イサトか。ちょうどいい、お前もこないか?」

 勝真は先ほどたちに話したことを、ざっと告げる。僧兵見習の少年はこめかみの辺りを指で押さえ、記憶を
手繰るような表情をつくる。

「昭親って、あの昭親か?」

「イサトくん、昭親さんを知っているの?」

 の問いに、イサトは首を縦に振ってみせた。何でも幼い頃は、自分や勝真とともによく遊んだ仲だという。
イサトたちの一家が寺に移り住んでからは、以前ほどの交流はなくなってしまったが、それでも街で顔をあわ
せれば、世間話などに花を咲かせることもある。妹姫の方とは面識はないが、話にだけは聴いたことがあった。

「この間会った時に、『妹を屋敷にひきとったんだ』って嬉しそうにしてたぜ。あいつ、家族想いだからなぁ」

 それにしても、そんな幸せそうにしている家族に、一体何事が生じたのだろうか。本当に祟りや呪いの類なら
ば、僧や陰陽師の出番になるのだろうが。

「勝真は、どう見てるんだ?」

 並んで歩き出しながら、イサトは自分よりも高い位置にある目を見上げる。

「実際に見てみないと何とも言えないが、俺は、おそらく怨霊か何かの仕業じゃないかと思っている」

「そうでしょうね。この都って、昔もいまも、魑魅魍魎やら怨霊悪鬼、異形妖怪の巣窟みたいなものですからねぇ」

 と、これは時見の少女である。何といっても、実際に百年前の京を見たことのある者の台詞だ。実に説得力に
満ちている。

「何でそんなもんが、わんさかいるんだか」

 おかげで、自分たちは大変に忙しい日々を送る羽目になっているではないか。後頭部で両手を組み、複雑そ
うに顔を歪めるイサトの足元を、無害な怨霊が転ぶように駆け抜けていく。怨霊といっても、全てが全て悪しきも
のではない――ということを、イサトはおろかも、最近になって知った。

「そういうのばっかりだったら、私たちも少しは楽なんだけれど……――っ!?」

 言葉が切れ、若葉色の瞳が見開かれる。他の三人がいぶかしげに振り返り――若々しい顔を凍りつかせた
少女を見、目元に険しいものを刻んだ。こういう時に何が起こっているのか知らぬ者は、この場にはいない。

 の目の前に、どこかの屋敷の一室がひろがっている。部屋の中では轟くような鳴声とともに、邪気が荒れ
狂い、幼い娘を青年が抱きしめるようにかばっている。そこへ正体不明の黒い影が、腕を伸ばし――。

 何かを思う前に、時見の少女は地を蹴った。半瞬遅れてそれに倣いながら、は緊張した面持ちで問う。

ちゃん、何が視えたの!?」

「この先の――!」

 少女の指が示す先に、小さな庭を持つ屋敷がある。

「あのお屋敷を、何かが襲っている!!」

 いつの間にか先頭を駆けていた僧兵見習の少年が、肩ごしに乳兄弟へ視線を投げる。

「おい、勝真、あそこって……!?」

「ああ! 昭親の家だ!」

 イサトは一段と表情をひきしめ、さらに走る速度を上げた。勝真たちとの差が一気に開く。おそらく八葉中でも
屈指の快足であろう。天の朱雀は勢いもそのままに、門に半ば体当たりをかけた。




 まるで大嵐のただ中に放り出されたようだった。耳元を唸り声にも似た風が叩き、身体をとりまく気流に喉が
塞がれ、呼吸すらままならぬ。それでも昭親は必死で意識を保っていた。いま自分が意識を失えば、自分の腕
の中にいる幼い妹を誰が護るのだ。

「そういえば――」

 今日は勝真が訪ねてくる日であった。こんな時に、といえば、こんな時にかもしれないが、昭親は脳裏に面倒
見のいい同僚の顔を思い浮かべ、無意識に微笑していた。彼とイサト、そして自分の三人で、よく日暮れまで遊
んでいたものだ。

 と、頬に小さな痛みが走り、昭親は懐かしい記憶から現実へと強引に呼び戻された。割れた鏡の破片が頬を
かすめ、裂けた部分から生あたたかい液体が顎へと滑り落ちる。

「兄上っ……!?」

 腕の中で、妹姫が声まで蒼白にする。

「霞、大丈夫、大丈夫だっ……!」

 震える小さな身体をより一層抱きしめれば、大気が怒号を張り上げた。調度品のひとつが背に当たり、ただで
さえ苦しい息が余計に詰まる。頭の芯が一瞬真っ白になり、思わず腕から力が抜けそうになった。

「昭親――っ!」

 叫びとともに、爆発する霊力。炎を纏った気が暴風をわずかに鎮め、そのかわりのように、耐えがたい叫喚が
室内を満たした。

「昭親っ! 大丈夫か!?」

 のろのろと顔を上げた青年は、自分の前に立つ少年の姿に瞠目する。

「イサト……どうして……?」

「勝真に話を聴いてな。もう大丈夫だぜ」

 笑いかけながら、僧兵見習の少年は安堵の吐息を洩らす。駆けつけてみれば、ぐったりとした様子の兄妹が
視界におさまり、背筋が凍る思いがした。邪気や瘴気は、それ事態が脅威だ。抵抗力のない徒人がそれにさら
されれば、最悪の場合即死することもある。死にまでは至らずとも、心身に異常をきたすことは免れない。昭親
の顔は真っ青だが、この程度ならばまだの力で何とかなるだろう。

 と、再び大気が咆哮した。天の朱雀が腕を顔の前で交差させたのは、半ば無意識の行動であった。うなりを
生じた空気が、鋭い刃となって少年の四肢を切り裂く。

「っつ!」

 身体の各所に熱い痛みが走り、真紅の液体が弾け散る。思わず砕けそうになった膝を叱咤し、首をめぐらせ
た。一体敵はどこにいるのだ。

「ちきしょうっ! どこにいやがるっ……!」

 声もすれば、気配も感じられる。だが、姿だけがどこにもない。八葉の眼にも映らぬ怨霊など、これまでいた
だろうか。四肢を苛む熱と痛みに歯噛みしつつ、イサトは必死で周囲の気配を探る。眼に映らぬとすれば、それ
だけが頼りだ。

 と、少年の首筋をひやりとしたものが撫でる。

「っ――!?」

 とっさに上体を沈めれば、左の肩口が熱をおびる。一瞬でも反応が遅れていれば、首筋を裂かれていたこと
だろう。天の朱雀は衝撃と痛みに低く呻き、思わず片膝をついた。

『イサトッ!!』

 二つの声が、ひとつの名を呼ぶ。続いて飛び込んできた長身が、イサトに向けて倒れてきた几張(きちょう)を
無造作に払いのけた。

! 怨霊はどこだ!!」

 暴風に負けまいと、地の青龍は声を張り上げる。狂風の壁を強引に突破してきた彼の身体は、弟と似たり寄
ったりな有様だ。特に剥き出しになった両腕が、痛々しい朱に染まっている。

 庭から室内の様子を窺っていたは、若葉色の瞳を眇めた。

「天井――真上です!」

 それはほとんど直感だった。だが、少女は迷わなかった。これまで危難に遭遇した際、この直感が自分や仲
間を救ってきたのである。それを知っているから、二人の八葉もすぐさま動いた。放たれた気が天井を撃ち、一
際大きな叫び声が宙に噴き上がる。

「――終わった……のか……?」

 と、僧兵見習の少年が誰にとでもなく呟いたのは、叫びと暴風が断ち切られたように消えてからである。頬か
ら流れ出る血を、煩わしそうに手の甲で拭う。

 油断なく周囲の気を探っていた勝真は、歎息混じりに頭を振る。

「いや……たぶん、逃げられた。手応えが浅かったしな……」

 若々しい顔に苦いものがたたえられる。できればこの場でしとめてしまいたかったが、逃げられてしまったも
のをどうこういっても仕方がない。それにいまは、もっと重大なことがある。

「怪我は大丈夫か?」

 彼の問いかけは、室内にいる全員に向けられていた。

「私は、大丈夫です。私よりも霞、それにイサトや勝真の方が……」

 血の気の失せた顔で、それでも気丈に振る舞う昭親に、地の青龍は微苦笑した。彼の同僚は、こういう性格
なのである。

「真っ青じゃねぇか、無理をすんなって。、頼む!」

 乳兄弟と同種の笑みを口元に貼りつかせ、僧兵見習の少年は庭の方へと視線を投じる。

「はい!」

 藍の瞳の少女は靴を脱ぎ、庭から簀子へと上がってくる。その時になって、二人の八葉はようやく自分たちが
土足で部屋に上がり込んでいることに気づいた。わたわたと履き物を脱ぎ始めた彼らに、悪いとは思いつつも、
は小さく噴き出した。





 四人が小野邸を辞去した時には、すでに頭上で月が輝いていた。あちらこちらの草むらからは、虫たちの
涼やかな鳴き声が響いてくる。

 道に長く影を伸ばしつつ、は胡桃色の髪に軽く手櫛を入れる。

「それにしても、変な怨霊でしたね。私たちの眼に映らないなんて……」

「そうだな。昭親たちが視えないのは仕方がないかもしれないが、俺たちにすら視えないとなると、少し厄介だな」

 ひとつ頷き、勝真は隣へと視線を移す。

「さっきから黙り込んでいるが、何か気になることでもあるのか、?」

 呼びかけられたというのに、時見の少女は曖昧に頷くだけである。本当に聞こえているかどうかも怪しい。
地の青龍は困ったように笑い、根気よく問いかける。

、何をそんなに考え込んでいるんだ?」

「え? あ、すみません、つい……その、たいしたことじゃないかもしれないんですけれど……」

 言葉を濁すを、三対の瞳が無言の問いをのせて見つめてくる。は観念したように吐息をつき、夜闇の色
をした頭髪をかき上げた。

「いえね、あの怨霊は、一体何がしたかったのかなぁ……と思って」

『は?』

 二人の八葉と空癒の少女の声が、見事に重なる。

「何って、お前……怨霊がするってことなら、やっぱり呪い殺すとかだろ?」

 と、これはイサトである。

「うーん、最初は私もそう思ったんだけれど……何か、今日実際目にしたら、どうもひっかかっちゃって」

「何が? 殺すってこと?」

 は藍の双瞳を瞬かせる。繊細な顔立ちをしている分、「殺す」などという物騒な表現が似合わないこと
甚だしい。

「そう。だって、あれだけ派手に暴れていた割には、怪我をしているのは昭親さんだけ。勿論、彼が護った、
っていうのもあるだろうけれど、その気になれば、二人ともあっさり殺せたはずでしょ」

 貴族の姫が聴けば卒倒しかねないような台詞を、紺の髪の少女は平然と述べる。それが妙におかしくて、
勝真は失笑しそうになるを堪えて言う。

「そうだな。だが、妹姫は臥せっているじゃないか。のおかげで随分と顔色はよくなっていたが、あのまま
いっていたら――最悪の事態も充分考えられるぞ」

 妹姫――霞という名だ――は、位は低くとも貴族の姫だけあってか、八歳という年齢の割にやや大人びた
少女であった。連日の騒ぎですっかりやつれ、顔色も青ざめていたが、それでも客人たちの前では背筋を
正していた。特に怨霊を退けたことと手当については、丁寧に礼を述べたものだ。身分の高い者たちは、他者
に何かをしてもらうのが当たり前で、礼すらろくに言わない。それこそが当たり前だと思っていたイサトあたり
は、かなりの好印象を受けたに違いない。

「でも、霞姫の状態は、ある意味で副産物ともいえませんか? それに、ああいう襲撃というかたちが起こり
始めたのだって、確か昭親さんが霞姫のお部屋で寝泊まりするようになってからでしょう?」

「それは、そうだが――!?」

 頷きかけて、何かに気づいたように、勝真はの顔を見直す。

「つまり、狙いはあくまで妹姫自身にある、そういうことか?」

 はっとしたように、イサトやも表情を動かした。そうだ。もしそうであるならば、一連の騒ぎにも納得がゆく。
詳細な目的まではわからないが、怨霊の狙いがあくまで霞姫にあるならば、昭親は邪魔者でしかない。それを
力ずくで排除しようとした結果が、あの祟りのような現象なのではないか。

 僧兵見習の少年は歩きながら腕を組む。若々しい顔は真剣そのものだ。

「なるほどなぁ。そうだとしたら、怨霊は少なくとも妹姫の方をどうにかする気はないってことになるよな、いまの
ところは」

 だが、問題なのは兄の方だ。先日に続き、今日も怪我をしていた。妹を護るという気概はいささかも衰えてい
ないようだが、このままでは必ず命を落とすことになるだろう。何せ相手は怨霊だ。徒人のかなう相手ではない。

 安心していいのか、そうでないのか。何とも判断に困る話の展開に、は複雑そうに白い面を歪ませた。

「怨霊は一体何を考えて、霞姫につきまとっているのかしら……?」

 持っていった二枚の紅葉を、幼い姫はとても喜んでいた。押し花にして大切に保管すると、花のように笑って
いるのを見、持っていった側も心があたたかくなったものだ。どんな理由があるにしろ、あれほど素直で礼儀正
しい少女をつけ狙うなど、到底赦せるものではない。

「ひょっとして、怨霊の奴、あの姫に惚れてたりしてな」

 天の朱雀の台詞は、全くの冗談であった。少なくとも本人はそのつもりであり、仲間たちから「そんなわけある
か」と笑われれば、「冗談だって」と返すつもりでいた。が、そうはならなかった。次の瞬間、仲間たちから向けら
れた、無言の、真剣極まりない表情と眼差しにたじろぐ。

「なっ、何だよ……!?」

「大当たりかもしれないぞ、イサト」

 笑いもせずに言う乳兄弟を、イサトは瞠目して見上げる。

「はぁ? ちょっと待てよ、勝真。本気で言ってるのか?」

「本気だ」

 短く返され、僧兵見習の少年は頭を掻いた。怨霊が人の子に惚れるなど、そんな話があるだろうか。困ったように
視線をめぐらせれば、「勝真と同意見」と顔に書いた二人の少女が映る。

「――冗談だろ……」

 イサトは頭を抱えて座り込みたくなった。



                                   ……To be continued.