ウリ坊が走り去ってからというもの、地の玄武はひとひらの言葉もこぼさなかった。

 岩場に腰かけている彼女の傍らに立ち、ただ前を見据えている。

 最初はウリ坊を逃がしてしまった罪悪感からも黙っていたが、さすがに沈黙を破ることにした。

「あ、泰明さん。大分痛くなくなってきました」

 極力明るい声で言うが、鶯色の髪の陰陽師は軽く横顔を向けるだけだった。

「もうしばし待て。まだ完了していない」

「は、はい……」

 胸中で「これも術なのかな」と思いつつ、は素直に返事を返しておく。

 吐息をひとつ零すと、藍色の瞳で、新緑の巨大なパラソル越しに見える空を見上げた。

ちゃんとあかねちゃん、大丈夫かな……?」

 ふいに、大切な友人である少女たちはどうなったのか心配になった。

 少なくともが自分より運動神経が良いのは知っているが、だからといってそれが絶対の保証になるわけでもない。

 そばに四人の八葉が居たから、彼らに助けてもらえただろうか。

「問題ない」

「え?」

 二人の少女たちを案じていたの耳に、低くてしっかりとした声が届いた。

「神子は頼久たちがすぐに防ぎ、は天真が将軍塚まで追いかけて助けた」

 あくまで淡々と泰明は事実を告げる。

「え、あ……そう、ですか……」

 色々と思ったことはあったが、は何とかそう言うしか出来なかった。

 確かに「とあかねは無事だろうか」とつぶやいたから、彼なりにそれに答えてくれたのだと思う――が。

「どうして知ってるんですか?」

 ウリ坊たちとの戦闘時、彼は居合わせていなかったのに。

 と、琥珀と翡翠の瞳を静かに閉じて――。

「気で判る」

 陰陽師である地の玄武は、冷静に答えたのだった。

「そ、そうなんですか……」

 は半ば呆然としながらも、次の瞬間にはすっかり感心していた。

「やっぱり陰陽師さんって……ううん、泰明さんってすごいですね」

 どこか嬉しそうに弾んだ少女の声。

 泰明が左右で色の異なる双眸を向けると、彼女はにっこりと微笑んでいた。

「あ、もしかして……それで泰明さん、私を助けに来てくれたんですか?」

 今度は驚いたように、大きく瞳を瞬かせながら問うてくる。

「……ああ」

 とりあえず泰明は、訊かれた問いを片づけた。

 あかねは頼久たちに救われ、は天真が追っているのを感知したので、彼はこの少女を助けに来たのだ。

「お前が一番危険だった」

「あ、ありがとうございます……」

 恥ずかしそうに微笑って、は再び礼を言う。

「私がこうしてここに居られるのも、泰明さんのおかげですね」

 ざわりと吹いた風、揺られた木々の葉から零れ落ちる光が弾けて、少女の柔らかな微笑と言葉が彩られた。

 その刻、自分のどこかで生まれた不可思議な意志のようなものに突き動かされて。

 いつのまにか泰明は、少し強めの風に胡桃色の髪を押さえる少女のすぐ前に立っていた。

「――泰明さん?」

「お前は……」

 ようやっと泰明は、先程から胸中で持て余していた『何か』をはき出せた。

「お前は、なぜ変わらぬのだ? いや、なぜそのような言葉を口にするのか」

「え? 何がですか?」

「私が人ならぬ者と知っても、人にあらざる力を持つことを目にしても。お前の私に対する態度は特に変わらない。
いくら陰陽師といえど、皆が皆、私と同じではないのに」

 珍しく饒舌気味な泰明に、は小首を傾げた。

「え、えっと……何か、お気に障りましたか?」

「別にそうではない」

 は「??」と、ますます首を傾げる。

 泰明はただ、知りたかった。

 煙たがられるのが常だった自分に、その出自を知って尚、態度を変えない彼女の本心を。

「あ、ひょっとして……さっき『私に触れられるのは嫌か?』って訊いたのも、そのせいですか?」

「そうだ」

 きっぱりと頷いた泰明に、は「もう……」と溜め息をつく。

 が、すぐに彼女の表情(かお)が、穏やかな笑みに変わった。

「変わりませんよ。変わることなんて……態度を変える必要なんてないからです」

「必要がない?」

 前々から感じていたが、この少女が本当に不思議でならなかった。

 彼女の思考や言葉、そのすべてが。

「だって、どんな出生でも、どんな力があっても、あなたが『安倍泰明』さんであることに変わりはないでしょう?」

 今日はやたらに、風の音が耳に響いた。

「それなのに態度を変える必要なんて、どこにあるんでしょうか」

 そんなこと――泰明の方こそが、知りたかったことかもしれない。

「……特別な力を持ってるからって疎まれてしまう辛さは、私も解っているつもりです」

 彼の相方である法親王の少年から、少しだけ聴いた話。

 泰明が周囲に誤解されがちなのは、彼の物言いや態度だけではないのだろう。

「だから、泰明さんにわざわざそんなこと、絶対にしたくありません。――私、人に嫌な思いをさせてしまうのが
一番嫌なんです」

 その瞬間だけ特に、明らかに、少女の声が凛とした哀しい響きを帯びた。

「――それに、泰明さんの力は本当にすごいじゃないですか。おかげで私も、こうして助けて頂いたんですから」

「…………そうか」

 彼のその声はいつもと違って、どこかあたたかな重さが込められているように感じた。

 と――の右足首に貼りついていた白い紙が、ぺりっと剥がれ始める。

「あれ?」

「……これで終了だ」

 彼女の足元に長身を屈め、泰明は役目を果たした白き紙を完全に剥がした。

「本当だ……もう本当に痛くないです!」

 一歩、二歩と歩いてみても、もう何の痛みも感じない。

「最低限の手当はした。が、完治したわけではない。藤姫の館に帰るまではこれで保つだろうが、無理はするな」

「は、はい、わかりました」

 つい何度も、足が痛まないのを確かめてしまいそうだった。

 は彼のそばまで歩み寄り、改めて礼の言葉を述べる。

「泰明さん、本当にありがとうございました」

 彼から返ってくる反応が大方判ってはいても、心の命じるままに。

「……礼は必要ない。役目を果たしただけだ」

 言葉こそいつもの通りだったが、それを紡いだ声はやはりあたたかいように感じた。


 ――ふいに風がやんだ直後のことだった。

 淡く儚く、軽やかにその音が鳴り、そして邂逅の刻が転がり込む――。


、下がれ」

「え?」

 今し方とは全然違う声。

 驚いた少女を背にかばう動作は、彼女の足を気遣ってか、いつもほど強引ではなかった。

「……何者だ?」

 地の玄武が、わずかな葉音を立てた主へと問う。

 彼の背から空癒の少女がそっと覗いてみると。

 ――壊れた鈴を追ってきた、ひとりの幼げな姫君が居た。





 将軍塚の丘を降り、藤姫の館へ帰る途中。

 地の青龍と時見の少女の間に、非常に微妙な空気が生まれていた。

 気まずいという程でもないが、何となく、いや、とにかく気恥ずかしい。

 そんな空気を保ったまま、ハッと気がつくと――神楽岡が見えた。

(うわっ)

 天真は胸中で声を上げる。

 別にここに来ようとしていたわけじゃないのに、たまたま将軍塚から土御門殿を目指していただけなのに、
何でこうなったのだろう。

「あの……ねぇ、天真くん」

「な、何だ?」

「その……昨日は――」

 まさに『昨日のその場面』を思い出していた天真の中で、心臓が大きく跳ね上がる。

 彼女が何を言おうとしているのか――それだけに集中していたから。


「天真殿、殿!」


「えっ!?」

「おわっ、誰だ!?」

 突然の声に、ふたりとも必要以上のリアクションをしてしまった。

「……どうなさったのですか?」

 こちらへ歩いてくる鷹通の眼鏡の奥の瞳が、不思議そうに瞬かれる。

 彼は呼びかけただけで、この少年と少女を驚かせるつもりなど毛頭なかった。

「鷹通っ! ったく、脅かすなよ」

「はぁ……それは、すみませんでした」

 訳が解らないままでも謝ってくる天の白虎に、は慌てるばかりだ。

「いっ、いえ! 私たちが勝手に驚いただけで、鷹通さんが謝ることないですから……!」

「いいのですよ、殿。詳しいことは判りませんが、私が声をおかけしたことで、お二人を驚かせてしまった
のは確かなようですから」

 恐縮している時見の少女に、鷹通は穏やかに微笑って言った。

「……で? 何でこんなところに居るんだよ?」

 そんな様子を、両手を組ませながらやや憮然と見ていた天真が訊ねる。

 も「そういえば」と思い、目の前の治部少丞を見上げた。

「ええ、実は……」

 鷹通の話によると――仕事が一段落したあと、東の市の騒ぎを聞きつけて、彼もそこへ向かったのだと言う。

 しかし着いた時にはイノシシとの戦闘は終わっており、神子と頼久たちに会い、時空の少女たちがウリ坊に
追いかけられていったままという話を聴き、探しに来たというわけだったらしい。

「今頃、神子殿や頼久たちも探していると思います」

「そ、それはまた……ご心配とご迷惑をおかけして……」

 再び恐縮していく時見の少女に、天の白虎は持ち前の柔らかな微笑みと声を贈り出した。

「お気になさることはありませんよ、殿。あなたのおかげで、被害を最小限にとどめることが出来たのですから」

「鷹通さん……」

 が驚いたように若葉色の双眸を見開いたのは、彼がそれを――東の市にイノシシが現れることを予知できた
のを知っていたことだけではなかった。

 それは多分、あかねたちから聴いたのだろうから。

「皆さん、とても感謝していますよ。きっと、特にイノリが」

 それから「勿論、私もです」と付け足されて、は危うく涙腺が緩みそうになる。

「……はい! ありがとうございます、鷹通さん」

 市場の人々を救いたい一心で、今まで忘れていたけれど。

 予知できて、間に合って――役に立ててよかった。

 沸き上がるような瑞々しい気持ちと、彼のここまでの思いやりが嬉しかった。

 いつになく最高の笑顔をみせるを、どこか複雑な面持ちで見ていた天真だったが、やがて「まぁ、良しと
するか」と思い直すのだった。

「お二人がご無事で何よりです。では一度、藤姫の館まで戻りましょうか。殿のことがまだ判りませんが……」

「そうだ、を探しに行かないと!」

 突如として顔を青ざめさせ、今にも走り出しそうになったを、鷹通は「待って下さい」と引き止める。

「ひょっとしたらもう戻られているかもしれません。それを確認するためにも、一度館へ帰った方がいいと思います」

「あ……そう、ですね」

 鷹通のもっともな言葉に、はとりあえず納得する。

「そういやぁ、俺もを追いかけるので精一杯だったからな」

、大丈夫かなぁ……」

 空癒の少女を案じる天真とに、しかしなぜか天の白虎は笑顔を絶やさなかった。

「これは憶測――いえ、単なる勘なのですが、大丈夫だと思います。あれから頼久やイノリや詩紋殿も探して
いますし……案外、泰明殿も動いて下さったかもしれません」

「泰明さんが?」

「あいつ今日仕事だろ? 出仕だって言ってたぜ」

 そのために今日、彼が館を訪れなかったと、と天真は藤姫から聴いたのだ。

「泰明殿の行動の優先順位を決めるのは、あくまで泰明殿ですから」

「なんか、そう言われるとそんな気がしてきた……」

 より若干つき合いの長い天真は、同様の鷹通の言葉に、苦笑じみた声で言う。

 確かに泰明が今回の騒動やの危機を感知したなら、動いてくれてるかもしれない。

 いくら宮廷陰陽師とはいえ、彼が何かに行動を抑制されることの方が考えにくかった。

「よし、じゃぁ、帰るか」

 地の青龍の声に、は「うん」と頷いて――。

 しかし、歩み始めた足がなぜかすぐに止まった。





 今日も、恵みの光を大いに降らせた太陽が西の彼方へ傾き始める。

 薄らと色合いの変わってきた空を見つめ、溜め息をひとつつくその繊細な姿は、神泉苑の近くに在った。

「そこにいらっしゃるのは、永泉様ではありませんか」

 法親王の少年が振り返ると、左近衛府少将がこちらへ歩いて来ていた。

「友雅殿……どうなさったのですか?」

「神子殿から、時と空の姫君の捜索を仰せつかりましてね」

 一瞬だけ「え?」という表情(かお)をした永泉に、友雅は一応事の次第を話した。

 つい先程、仕事帰りに土御門殿へ寄り、今日の出来事を神子たちから聴いたらしい。

「姫君方には葵祭を楽しまれては、と思ったのですが……とても、それどころではなくなってしまったらしいですよ」

「……そのようですね」

 淡い苦笑を浮かべた天の玄武は、それほど驚いているようではなかった。

「ご存知でしたか?」

「いえ、あの……東の市で起こった事の、あくまで気配のみですが……」

 友雅の「そうでしたか」と答える顔にも、驚きの色は無い。

 この法親王の少年が、高い霊力と繊細すぎる感性を持っていることを、藤姫の館に集う面々の中では一番
よく知っていたからかもしれない。

殿と殿も、大丈夫だと思います。もう、危機的な気配は感じませんし」

「さすがですね。あなたと泰明殿――玄武のお二人のおかげで、我々もどれほど助けられているか」

「い、いえ、私など……! すごいのは、泰明殿だけで……」

 謙虚を通り越した性格である、彼ならではの反応。

 友雅は「おっと」と思い、胸中で軽く苦笑して話題を変える。

「ところで、永泉様はこちらで何を?」

 今し方の永泉からの問いを訊き返すかたち。

 天の玄武は、すぐには答えなかった。

「その……幽魔に似た気配と、深い悲しみの念を感じたような気がして、ここまで参ったのですが……」

 楝色の瞳を伏せがちに話す様子からすると、まだよく掴めなかったのかもしれない。

 と、友雅が思った刻だった。

 近づいてくる足音が聴こえて、揃ってそちらを見やる。

「あれ? 友雅さん、永泉さん……?」

 地の白虎と天の玄武の前に現れたのは、空癒の少女と地の玄武、そして――。

殿、ご無事で……――?」

 永泉が微笑って言葉を紡ごうとしたが、の傍らに佇む幼い少女を見、驚いたように瞳を瞬かせる。

「あの、殿、その方は……?」

「あ、はい、実は――」

 説明するにしがみつき、隠れるようにしている少女。

 貴族の姫を思わせる身なりの彼女は、深い翠色の髪と瞳をしていた。





 星の姫の館へ帰ろうと踏み出した足が、自分の意志に反して止まってしまった。

(え……?)

 時見の少女の視界の中で、前を歩き出した天真や鷹通の姿、周りの景色の輪郭がぐらりと歪む。

 どくん、と彼女の中で鼓動が大きく鳴り響いた。

(なに……!?)

 事態を把握できないままのなどお構いなしに、少女の瞳(め)には次々とその光景が映されていった。

 おそらくこれも時見の力が発動してのことだろうが――それ以外よく判らない。


 傷だらけの顔で何かを叫ぶ天真。

 地に伏せた身体を懸命に起こし、悔しげな表情を刻む鷹通。

 の両手を拘束していた手枷を外す、空色の瞳の少年――レイ。

 強い決意の色を瞳に秘め、勾玉を手にした腕を差し出す頼久。

 突然、崖から転落して、空から引き離されていく視界。

 古ぼけた祠から雷電を伴って姿を現す、狼のような獣。

 とっぷりと暮れた夜空の下、見たことのない刀を持った両腕を振り下ろすイノリ。

 暗い夜の闇から現れた緋色の影――アクラムが放つ、黒い蝶の群れ。

 そして――意識もなく倒れているの首飾りめがけて、白く大きな月が、金色に輝きながら投げる光――。


 いつも以上に突拍子もなく、またバラバラで繋がらないイメージばかりだった。

(ちょっと待って……今の……なに?)

 ――この京に来てから、かつてないほどの冷たい重み。

 若葉色の瞳を見開いたまま、立ち尽くした。

「おい、? ? どうした!?」

 時見の少女のただならぬ様子に気がつくと、天真は即座に彼女のそばへ駆け寄った。

「うっ……」

 彼の声で我に返ったは、口元を押さえて身を屈める。

 一度に色んな場面を見続けたせいか、急に気分が悪くなったように感じた。

「どこか、お身体の具合でも? それとも……何かが見えたのですか?」

 鷹通は少女の身を案じながらも、その問いを口にする。

「あ……はい……多分。でも……」

 いつの時の、何の場面を見たのかが判らない――そう答えようとしたは、ハッと息を呑んで顔を上げる。

 予知の中で見えた、この二人――天真と鷹通の姿、そして周りの景色。

「天真くん、鷹通さん! 早くここから……――っ!?」

 言葉を最後まで紡ぎ出せなかった。

 なぜか身体中がしびれたように感じたからだ。

 これも先程からの不調のせいかと、は一瞬そう思った。

 しかし、それだけのせいではなかったらしい。

「なっ……何だ、これ!?」

「身体が、動かない……っ!?」

 そばに居た地の青龍と天の白虎も、しびれに似た痛みに身体を拘束されてしまったのだ。

 その刻、わざとらしいぐらいに、風が不気味な音をたてる。

「――どうやら、うまくいったようだね」

 最近聴き慣れた女の声。

 皆はかろうじて視線を向けることは出来た。

 三人の瞳に映ったのは、やはり鬼の一族の女――シリンだった。

「当初の予定と多少違ったが、まぁいいさ」

 木陰から姿を現し、ほくそ笑むその細い手には、一輪の褐色の薔薇が握られている。

「てめっ、何しに、来やがった……!?」

 天真がやっとの思いで威嚇し、身体をシリンの方へ向けた。

「時見の小娘! あんたさえ捕まえられれば、私の策はほとんど成功したようなものよ!」

『なっ……!?』

 その瞬間、と天真と鷹通、三人の声が重なる。

「ふざけるなよ! んなこと……ッ!!」

「させるわけには……いきません!」

 いずれも地面に膝を着きそうになるくらい、身体に力の入らない状態だったが、天真も鷹通も負けるわけには
いかなかった。

「また、やせ我慢しちゃって。ここまで来ると病気だね」

 立つのがやっとのくせに、必死に時見の少女を守ろうとする。

 そんな天真と鷹通の姿は、シリンにとってどうしようもなく可笑しく、また虫酸の走る行為だった。

「私がその苦しみから解放してやろうじゃないか」

 いつになく余裕で高慢な笑みを浮かべ、褐色の薔薇を掲げる。

 するとその花びらと同じ色の粉が、風に乗って飛び散っていく。

「あっ……!!」

 その刻、は確信した。

 自分たちを縛したのは、あの花の花粉だと――。

「やめてッ!!」

 時見の少女は思わず叫んだ。

 鬼の女が持つ褐色の薔薇の役割は、束縛の花粉を撒き散らすだけでなかったからだ。

 シリンの手の花は、いつのまにか無数の棘を生やした長くて太い鞭になっていた。

「今までの屈辱……たっぷりと味わうがいい!!」

 鬼女と呼ぶに相応しい狂喜の表情(かお)で、シリンは茨の鞭を振り上げる。

「やめて! シリン、やめてぇぇ――ッ!!」

 身体中の麻痺を振り払うかのように。

 時見の少女の悲痛な叫び声が、虚空へと吸い込まれていった。




 ――やはりあれは、時の警鐘だったのだろう。

 頭が割れるくらいに響き、心が裂けてしまうくらいに突き刺された痛み。

 時見の少女の瞳から、氷のように冷たく、炎のように熱い涙が零れた。



 ――――やがて時は黄昏を迎える。

 夕陽色に染まり始めた空には、満ちつつある月がその輪郭を淡く浮かばせていた。




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 《あとがき》
 夢幻時空草紙、第六章の中編(結局)……大変長らくお待たせしまくりました;
 よぉ――やくお届けできましたが、まだまだ続くって感じでもう申し訳なさすぎです。
 でも本当は……このあと様がシリンにさらわれて、それをみんなで助けに行くぞって場面まで
 この中編で書きたかったんです(正気じゃない)
 助け出すのは後編にしようと思ってたんですけどね。それなのに……(-_-;)
 あ、ちなみに終盤で様が『見た』のは、後編で起こることばかりです(笑)
 書ききれるのか!? と、今から心配です。「無理に決まってんだろ」(byアリオス)
 ガ――ンッ!! が・ま・ん……!(byランボ『REBORN』) って、失礼しました(苦笑)
 最近REBORNの影響で、色んな創作のイメージも物騒になりがちでヤバイです(-△-;)
 まぁ、それは置いといて。
 時の警鐘を鳴らされてしまったこのあと(後編)のストーリー。
 みんなにも勿論頑張ってもらいますが、私自身もとことん頑張ります。
 この六章から物語も恋愛も駆け上がっていくので、大事に書きたいと思います。

                                 written by 羽柴水帆