――白銀の景色に低い唸り声が轟く。
人里離れた雪原とその奥に広がる森の中。
悪しき力の波動を受けた白き野獣は激しい真紅の双眸をその街に向けた――。
赤々と燃える暖炉の置かれた部屋。
『白き極光の惑星』の『風花の街』の一宿で、アンジェリークと、共に旅をする仲間達は休むことになった。
幸いな場合なら旅の疲れを癒やす程度で済むのだが、今日に限っては深く怪我を負い、大きく体力(気力)を損なった者達がいた。
「……ごめんなさい」
アンジェリークはそんな痛々しい姿のクラヴィスとアリオス、それを看病するリュミエールとチャーリー、そしてランディに向かって悲しげな表情で頭を下げた。
皆、アンジェリークが突然何を言い出したのかと顔を見合わせる。
「どうしたのですか? アンジェリーク」
リュミエールが未だ顔を俯かせているアンジェリークに尋ねた。
するとアンジェリークは顔を上げずに、
「私が……魔法が使えなくて……足手まといになって…しまったから…!」
そう震える声で言った。
――つい一日前のことである。
この宇宙の支配を企む『皇帝』に利用され、石化されてしまった王立研究員のひとりで、エルンストの親友である青年・ロキシー。
彼を助けるために、古くからの言い伝えに従い、皆で金・銀・緑の宝玉を集め、聖なる御手――アンジェリークの手によってその石化を解くことに成功した。
しかしそれと引き換えにアンジェリークの持つロッド『蒼のエリシア』が壊れ、輝きを失い、魔法が使えなくなってしまったのだ。
悲しみに暮れるアンジェリークに責任を感じたエルンストが、ルヴァと共に現在対策にあたっているが……。
そんな事が起こった直後に、風花の街付近の森に現れた魔物と戦い、クラヴィスとアリオスが負傷した。
戦闘ではあまり攻撃に向いてない自分が役に立てるのは、魔法と仲間の回復&治癒だと思っていたアンジェリークは大いに落ち込んでしまったのだ。
元々、周りに迷惑をかけないよう自分一人で何もかも背負い込もうとする彼女である。
それを理解している皆は苦笑するように笑んだ。
「そんな謝らんといて、アンジェリーク。あんたのせいや無いんやから」
チャーリーの言葉にそうですよ、と相づちを打つリュミエール。
しかしそう言う二人もクラヴィスとアリオス程ではないが、怪我を負っている。
ランディが何かを言おうとする中で、「でも…!」とアンジェリークは更に俯いた。
すると、ベッドに横たわるアリオスが緑の双眸を開いて彼女を見る。
「……おい、アンジェリーク。お前はエルンストのあの親友を助けたことを後悔してるのか? 間違いだったって思ってるのか?」
「え…?」
一瞬、アンジェリークは何を言われたのか解らなかった。
他の皆(約一名除く)が正直ぎょっと驚いた程だ。
「そ、そんなことない…! ロキシーさんを助けたことが間違いだなんて思ってない…!」
アリオスの言葉の意味に気づいたアンジェリークは、あふれる涙を拭いもせずに首を横に振った。
それを聞いたアリオスはふっといつもの笑みに戻る。
「なら、いいじゃねぇか」
「え…!?」
「後悔してねぇんなら、間違いじゃなかったんなら、それでいいじぇねぇか。気にすることもねぇよ」
「だ、だって…!」
彼女が最も気にしているのは仲間である皆に怪我を負わせてしまったことなのだ。
だがアリオスはそれも解っている様子で、
「俺たちの怪我だってそうだ。こうなるのは初めから覚悟の上だったし、今に始まったことじゃねぇだろ?」
彼女を安心させようとしているのだろう、普段あまり見せない穏やかな笑みで言った。
「アリオス…」
少し驚いたようにアンジェリークが瞬きをすると、
「……その通りだ。我々が怪我を負ったのは己の不注意。お前が気にすることは無い。それに…」
ゆっくりと紫水晶の双眸を開けたクラヴィスもアンジェリークを見据える。
「お前がそのような顔でいると、あれに余計負担が掛かるぞ…」
「あ…!」
クラヴィスの言葉に、アンジェリークはその意味と『あれ』なる人物を理解した。
アンジェリークがいつまでも蒼のエリシアが壊れたことで悩んでいれば、エルンストが更に気にしてしまうだろう。
「…そう…ですよね…」
と言ってアンジェリークは涙を拭った。
「あなたの優しいお気持ちはよく解りますし、とても嬉しいですよ。ですが私たちはそのためにあなたのお顔が翳ってしまうのは辛いのです」
「そや、あんたが俺たちのこと心配してくれるのと同じことやで。……大丈夫やって! 蒼のエリシアのことならルヴァ様とエルンストさんが調べてくれてるんやし」
「そうだよ、アンジェリーク。きっとルヴァ様とエルンストさんが手掛かりを見つけてくれるさ。だからそんなに落ち込まないで、元気…出してくれよ」
リュミエールとチャーリーと、そしてランディに贈られた言葉に、アンジェリークはしっかりと涙を拭い、
「…はい。ありがとうございます…皆さん…!」
ようやく笑顔を見せた。
「はぁ…」
ランディは、マルセル(今は別行動のため不在だが)と同室の自分の部屋に戻ってくると、
「…駄目だなぁ、俺って」
深く溜め息をつき、がっくりと肩を落としてベッドに座った。
「アンジェリークがあんなに落ち込んでたのに……あれだけしか言えなかった」
――どうやら先程のことで、彼女にもっと気の利いたことを言えなかったものかと後悔しているらしい。
まぁ、あの場には『大人』でそういった事のプロフェッショナルな者もいたし、仕方なかったと言えば仕方ない。
けれど、優しくて健気なアンジェリークは、ランディにとってひとりの大切な少女だ。
彼女が落ち込み悲しむのなら一番に駆けつけて、そばにいて、励ましたい。
――守りたい――。
「……俺は、勇気を司る守護聖なのに」
そう言ってまた溜め息をつくが、すぐに首を横に振る。
「いや、こうやって落ち込んでも仕方ない。とにかく、アンジェリークは立ち直ってくれたんだ。今度またアンジェリークが悲しまないように気をつけてあげる努力をすればいいんだよな!」
両手をぐっと握りしめて頷き、ランディはベッドからすくっと立ち上がった。
終わってしまった事を悔やむよりも、同じ事を繰り返さないための努力をする――そんな前向きな考え方をするのが彼のポリシーであり、彼が勇気を司る風の守護聖であるゆえんなのだろう。
ランディが、彼らしい凛々しい表情に戻った、その刻。
――風の啼き声が吹き抜ける。
「……っ!?」
それを敏感に感じ取ったランディは、急いで窓を開けた。
西の空に朱く落ちてゆく夕明かり。
部屋に入り込んでくる冷たい風が身体を掠めていく中で、ランディは一心に白銀の森の方向を見定める。
「……何だ…? ――…まさか…っ!?」
ランディの胸に嫌な予感が沸き上がる。
白銀の森から吹いてくる風に乗って微かに聴こえる低い唸り声。
それは先程戦った白き野獣のもの他無かった――。
――ぱたぱたと可愛らしい足音をたてて、アンジェリークはその部屋の前まで小走りにやって来る。
コンコン、と軽くノックをして。
「ランディ様、お夕飯の時間ですよ」
部屋の主――ランディにそう呼びかけた。
しかし、部屋からは何の返事も無い。
「…あら? ランディ様?」
不思議に思ったアンジェリークはもう一度ノックをして呼びかけてみる。
けれど、結果は同じ事だった。
「ランディ様……眠ってしまったのかしら…?」
もしもそうなら、起こしてしまうのは悪いだろうか。
それとも、夕飯の時間なのに起こさない方が悪いだろうか。
返事の返ってこない部屋のドアの前で、アンジェリークは暫し悩んでしまう。
――結局、夕飯を食べられなかったランディというのは物凄く可哀想に思えたアンジェリークは、彼を起こすことにした。
「ランディ様…? 失礼します……」
そぉっとドアを開けて、アンジェリークは部屋の中を覗き込んだ。
すると――。
「……ランディ様…!?」
部屋の中に彼の姿は、ランディの姿は無かった。
「ランディ様がいない…!? 一体、どこへ…?」
部屋の中を見回して、アンジェリークはある物が無いことに気がついた。
いつもランディの使う部屋には必ず置いてあるはずの物が無いことに――。
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