気がつくと、聴こえてくるのは海の呼吸。
――ああ、そうだ。
ここは深くて暗い海の底。
月の光だけしか届かない、淋しい夜の海。
眠れる夜の海の底
――柔らかな月光のカーテンに揺られながら。
その少年は岩陰に背を持たれ、蹲っていた。
青い髪と瞳を持つ、海の化身。
かつてはこの星を見守る空の少女と、ずっと一緒だった。
けれども――今はこの蒼い海の底に、ただひとり。
(まだなの? いつまで待てばいいの?)
問いかけたって、答えが返って来ないのは解っている。
いくら強く高く、波しぶきを巻きあげたって、あの月と星の輝く空には届かない。
(だから言ったのに。なぜ、君は行ってしまったんだ)
波の寝息に混じり、弾けていく青い涙。
待って、行かないでと叫びながら思い出す。
――『名前』なんか要らなかった。
僕と君だけの世界だから、そんなもの、必要がなかったんだ。
でも、今となっては、それがどうしても欲しくなった。
君が遠く離れてしまったから。
やはり君は、僕とはもう別のものなんだね――。
(うっ……!!)
その刻、胸に冷たい痛みが走った。
耐えられなくて、青白い砂の大地に身を横たえる。
――さらさら、さらさらと揺らめく波の音。
もはやこの海だけが彼の味方だった。
世界は――人は、この星の命を削っていく。
ただでさえ身を滅ぼされていく自然が、『魔法』の研究によって、その命までをも奪われてゆく。
(こんな……こんなことする『人』に、希望なんか……)
持てるはず、ないのに――。
今はもう居ない少女の言葉を、記憶の彼方へと追いやる。
(もう僕は、待てないよ――)
涙ながらに、切なる願いを解き放つ。
「――――……アクアっ!!」
思いきり叫ぶと、声が空気に乗り、視界に彩りが弾けて広がった。
(……ここは……?)
涙で少し乱れた息を吐きながら、上半身だけを起こす。
辺りを見回すと、そこは魔法院で与えられた――いつもの部屋だった。
「どうしたの、ブルー?」
丁度彼を起こそうと思って部屋の前まで来ていたアクアが、ガチャッとドアを開けて入ってくる。
青い髪の少年は、顔だけをゆっくりとそちらへ向けた。
「ブルー……? 泣いてるの? どうしたの?」
アクアは驚いて、ベッドのそばへ駆け寄る。
彼は海のような青い瞳から、はらはらと静かな涙を零していた。
「……アクア……」
青の瞳から流れた雫と一緒に、その名を零す。
――長くて綺麗な銀の髪、大きくてつぶらな紫の瞳。
今、確かに彼女は目の前に居る――。
「アクア!!」
ベッドで上半身だけを起こしていたブルーは、そばに来てくれたアクアに抱きついた。
小さな背を強く抱きしめて、その細い肩に顔を埋める。
最初は「わ…!?」と驚いたアクアだが、彼を振り解いたり押し返したりはしなかった。
ぱちぱちと幾度か瞬きをした後で、泣き崩れるブルーをそっと抱きしめ返す。
「……よしよし。いい子いい子」
そして彼の青い髪の頭を優しく撫で、背中をぽんぽんとたたいてやった。
「どうしたの? こわい夢でも見た?」
宥めるように訊ねてやったのは、推定年齢十三歳の少女。
はたから見れば、何だかすっかり逆の構図だと思われるだろうが、当人たちはおそらく気にもしていない。
「うん……怖いというよりは、悲しい夢。君が居なくなって、僕がひとりだった頃の夢だよ」
泣きながらそれだけ正直に話すと、アクアは「そう……」と、静かに目を伏せた。
「――ねぇ、ブルー。前に『人魚姫』の物語を読んだことがあったでしょ?」
「……うん」
「そのときにわたし、人魚姫は自己犠牲の美しさを描いたお話だけど、ちょっとわたしに似てるから好きって言ったの、覚えてる?」
「うん……覚えてるけど」
「あれからまた、もう一回あのお話を読んでみたんだけど……少し考えが変わったわ」
「え?」
「考え、というより見方…かしら」
ブルーは、銀の髪の少女の肩に埋めていた顔を上げる。
彼女が何を話し始めるのかと思い、透明な雫の残る青い瞳を瞬かせた。
「あのね、人魚姫には、何人かのお姉さんたちがいたの」
アクアは話し始めながら、ブルーのベッドに座った。
「そのお姉さんたちは人魚姫を何とか救いたくて、魔女に頼んで助かる方法を聞いて、それで『王子様を殺しなさい』って言うのよ。でも、人魚姫は王子様を殺すことが出来ずに、自分が消える運命を選んだでしょ?」
「…うん」
「そこでね、わたし……人魚姫は、お姉さんたちの気持ちは考えたかしらって思ったの」
「お姉さんたちの……気持ち?」
「そう。『人魚姫』は、自己犠牲の美しさを描いたお話……それほどに、人魚姫の王子様に対する愛が深かったってことだけど。でも、『自分が消えれば』って思うのはどうかなって」
アクアの話を聴いているうちに、ブルーの涙はいつのまにか止まっていた。
「まぁ、この場合はこれでよかったんでしょうけどね。だって王子様を殺せばすむ問題でもなかったし。多分、お姉さんたちも解ってくれたと思うけど。でも……物語の最後には描かれない、『お姉さんたち』が気になってしまったの」
「――そうだね」
ブルーは微笑とも苦笑とも思える淋しげな笑みを浮かべて、静かに言った。
「僕は……人魚姫のお姉さんたちの気持ちが、解る気がするよ」
本当は『気がする』なんてレベルじゃなかった。
妹をきっと大切に思い、救いたくて取った行動。
でも最愛の妹の身体は海に溶け、その魂は空へと消えた。
どれほどの悲しさと淋しさと、悔しさと切なさに苦しんだだろう。
少年は青い瞳を痛々しげに伏せ、ぎゅっと両の手のひらを握りしめる。
「……だいじょうぶ」
ことん、と、彼女の銀の髪の頭がブルーの肩に寄りかかった。
「もうわたしは、あなたを――ブルーを置いていったりしないから」
その声によって胸の奥から湧き出でた何かが、瞳を伝ってあふれてくる。
「……うん」
今、海の瞳からこぼれた雫は、もう哀しみの色をしていない。
大いなる空の光を受けて反射する、輝きの色だった。
暗くて冷たい、淋しい海の底にも。
どんな時だって、空は優しい光の手を差しのべてくれる。
眠れる夜の海の底で、悲しい夢を見てしまっても。
水平線に新たな太陽を生み出そう。
いつまでも共に、夜明けを迎えられますように、祈りをこめて――――。
end.
《あとがき》
お久しぶりのファンタ2、ブルー&アクア創作第二弾です。
う〜ん、暗い(笑) こんなタイトルなんだから、当たり前ですね(^_^;)
前回のブルアク第一作目、『空の人魚姫、海の王子様』の続きになっています。
ちなみに二人はブルーEND後、『兄妹』として魔法院で暮らしてる……とゆー設定に
してます。……普通に考えたら無理ありますけどね( ̄∇ ̄;)
空と海の化身という、このふたりが大好きでまた書いてしまいましたが……やっぱり
アクアちゃんの方がお姉さんっぽくなっちゃいますね(苦笑)
そういえばアクアちゃん、ブルーENDに限っては外見が成長してないんですよね。
他の皆さんとのエンディングでは、16歳くらいになってるバージョンなのに。
とにかく、読んで下さってありがとうございました! 今度はユニシスくんも交えて
書いてみたいです。
written by 羽柴水帆