うみのたから
海の音は、いつも絶えることがない。
街も人も、鳥たちも眠れる夜。
優しい月明かりを受けながら、かの島へと、波の寝息を繰り返す。
――――やがて、アロランディアを囲む海の彼方から、目映い光が生まれくる。
蒼い夜空を、新たな青空へと導いてゆく。
時が午後を回ると、ひとりの青年が、アロランディアのラーハ神殿を抜け出した。
自他共に認める華麗な外見を持つ彼は、賑やかな街並みを通り抜け、一際静かな海岸を訪れた。
白い雲が悠々と流れる青い空。
太陽の光を反射させながら波打つ、蒼い海。
この島を守るようにそびえる、豊かな緑。
潮の香りを運ぶ風に長い髪を靡かせて、青年――シリウスは満足げに微笑んだ。
神の島と言われる、この『アロランディア』の風景を、シリウスは冗談抜きで気に入っていた。
男性ばかり居るつまらない神殿での仕事を終えて、一時の休息を過ごしにここへ来たのである。
「せめて、星の娘候補のお嬢さんが来てくれれば……っと、おや?」
ふと視線を移動させると、シリウスの青翠の瞳に小さな人影が映った。
細い素足を海に浸した――少女。
降りそそぐ陽射しの中、足元へ打ち寄せる波間を見つめていた少女は、やがて空を見上げる。
シリウスは、彼女が陽の光と海に、淡く溶け込んでいくような錯覚を起こす。
よく目を凝らしてみると、それは長い銀の髪を持つ、星の娘候補――。
(殿――?)
シリウスは、初めはいつものように明るく声をかけようと思った。
けれど――やめた。
この幻想的で美しい光景を、壊すような無粋なことなどしたくなかったからだ。
「……シリウス…?」
しばらく見つめていると、その視線に気づいたように少女の――の紫の双眸が、シリウスを映した。
「やぁ、こんにちは、殿」
が自分に気づいたので、シリウスは気兼ねなくいつもの調子で挨拶をする。
「…なにしてるの?」
「いやぁ、見とれていたんだよ。今日の殿は、また一段と可愛いね! 幻想的というか、とても神秘的で美しいワンシーンだったよ!」
「……そう」
シリウスは、「あれ?」と思った。
はいつものように呆れるでもなく、毒舌をたたくでもなく、ただ無表情のまま言って、視線を海へ戻したのである。
『――じゃぁ、しあわせ、買って』
初めて出逢った刻のことが、シリウスの脳裏によみがえる。
「……ひょっとして、魔法院で何かあったんですか?」
のやや幼い横顔を見ながら少し考えて、そう訊いてみた。
「ううん……そうじゃない。何でもないの」
しかし、はゆっくりと首を横に振る。
「何でもない、というようには見えませんねぇ。ね、ボビー」
シリウスはどこからか、さっと青い相棒人形を右手に出現させる。
「ミエナーイ!」
「ほらね? ボビーもそう言っているよ」
「…………」
ボビーも、とは言っても、それはシリウスの腹話術。
はやや冷めた視線を送る。
「ユニシス君とケンカでもしたのかい? あ、それとも先生に怒られたのかなぁ?」
「……ちがう。何でもないって言ったでしょ。だから、何でもないの」
ぷいっと顔を背けて、はまた少し深く、海へと歩を進めた。
水色のローブの裾が、波に浸かりそうになる。
(おやおや……ちょっと重傷かな?)
原因は判らないが、何かあったのは間違いないようだ。
潮風がの銀の髪を煽り、波がその華奢な足元へ打ち寄せる。
――波が引いていく、その瞬間。
咄嗟に、シリウスはの細い腕を掴み、自分の元へ引き寄せた。
は一瞬紫の瞳を大きく見開いたが、それはすぐに怪訝そうなものに変わる。
「……なにするの?」
「え? あ、あぁ、ごめんごめん。何だか君が、波にさらわれちゃいそうに見えてね」
そう言って笑うシリウスの手を、はぶんぶんと振り払った。
「はなして、はんざいしゃ」
「うぅ、ひどいなぁ」
「わたしはそんなにどじじゃないわ。マリンならともかく」
「あはは……確かに、あの赤毛のお嬢さんなら、気をつけないと」
まっすぐで一生懸命すぎるあまり、何かと失敗したり転んだりする赤毛の少女を思い出し、シリウスは軽く笑った。
「でも……君は、海から来たんでしょう? 何だか、海へ帰ってしまうような気がしましたよ」
ふと、少し落ち着いた声になったシリウスを、は一旦見上げてから、青い水平線へまた視線を戻す。
――は、記憶を失い、この島に流れ着いた少女。
それ以前のことは、名前以外何も憶えていない。
最初に見つけて保護してくれたのは、魔法院のヨハンとユニシス。
ヨハンは最初、船が難破でもしてここまで流されてしまったのだろう、と言っていた。
が、その後の調べでは、ここ最近嵐も無いし、アロランディアの周囲でそんな事故を起こした船は無いとのことだった。
「……ねぇ、シリウス」
「はい?」
「あなたは、目的があって……仕事で、ここへ来ているのよね?」
紫の双眸を海へ向けたまま、は訊ねた。
「ええ、そうですよ。大陸とこの島を結ぶ、親善大使としての大事なお仕事でね」
得意そうに答えてから、「でも、それが何か?」と訊き返す。
「ううん……ただ、わたしも、ここへ来たのは……何か、目的があったのかと思って」
「ふむ、目的ねぇ……」
シリウスは、うーんと考え込む仕草をする。
「そうだ! 私に出逢うためだった、っていうのはどうです?」
「ダメ。ぜったいちがう」
きっぱりとは否定した。
「そ、そんな……相変わらずつれないなぁ」
せっかくいい思いつきだと思ったのに、と落ち込んでみせるシリウス。
そんな彼に構わず、は風に舞う銀の髪を軽く押さえた。
「ねぇ、シリウス。わたしは、ここへ来てよかったのかしら?」
次の問いを口にしたの声に、シリウスは首を傾げる。
「どうして、そんなことを?」
すると、の表情に翳りがさす。
「……わたしがここへ来たことで、悲しむ人とか……怒る人が居るのかもしれない」
そっと両手を胸に当てて、は俯いた。
「うーん……ま、確かに。君に家族が居たなら、悲しむ人は居るだろうね。けど、怒る人っていうのは? 魔法院をよく思っていない人達のことかい? あんなのは気にすることないよ」
魔法は、まだ一般市民には受け入れることのできない『不可思議なもの』だ。
院に直接反感をぶつけてくる人々も、多々居る。
「……ううん。あの人達だけじゃなくて。わたしを、知っている人…….。わたし、誰かを裏切っているのかもしれない」
その言葉にシリウスは少し驚いて、「誰か、君を知っている人を思い出したんですか?」と訊ねた。
「……わからない」
返ってきたのは、問いも言葉も、すべて虚空へと彷徨わせるもの。
シリウスとの間に、風と波の音だけが、静かに流れた。
「君は、相変わらず不思議な子ですね」
ややあって、シリウスがくすっと笑った。
は沈黙を保つ。
「……そうですね。少なくとも、君がここへ来たことで、喜んでる人達も居ることは確かですよ。たとえ、星の娘候補としてでも。そうでしょう?」
この島の大神官であるプルートと、彼に常に従うソロイ。
騎士院の若き青年達、アークとリュート。
同じ星の娘候補としてこの島へ集った、マリンと葵。
そして、共に生活を送ってくれている、魔法院のヨハンとユニシス。
シリウスの言う通り、彼らは割と普通に接してくれる。
――まぁ、ソロイがいささか厳しい刻もあったり、多少の問題はあるが。
「……そう…ね」
そんな面々を思い出して、はとりあえず頷いた。
「もちろん私は、君がここへ来てくれたことを、大変嬉しく思っていますよ! おかげで、こうして出逢えたのですから。『星の娘候補』ではなく、『』というひとりの少女として、ね」
シリウスの声が風に乗る。
は、得意の笑顔を浮かべるシリウスを見上げた。
「……ほんと?」
「ええ、本当ですとも。私は、嘘はつきません♪」
にっこりと笑ってそう言うと、
「……それ自体うそっぽい」
と、逆に疑いのまなざしを返されてしまう。
「えぇ? 何でですか?」
「だって、あなた、普段から軽い感じだもの」
「そんな馬鹿な。私はいつだって、誠心誠意をもって人と接していますよ」
「……もういいわ」
ふっと諦めた顔で、は横を向いた。
「こらこら、よくないですよ! ちゃんと信じてもらわないと……」
と、シリウスのその言葉を、が「でも」と遮る。
「さっきの言葉がほんとなら……ぜったい、うそじゃないなら……――ありがとう」
淡く頬を染め、視線を海へ向けたまま、は礼の言葉を紡いだ。
自分がここに居ることを、認めてもらえること。
それを望んで、彼に話したわけではなかったけど。
そう言ってもらえたことが、やはり嬉しかった。
「いえいえ、どういたしまして! うーん、でも、そんな風に素直にお礼言われちゃうと嬉しいですねぇ」
満面笑顔になって、おもむろに近づいてきたシリウスを、はまるで犬や猫でも追い払うような仕草をする。
「近寄らないで、はんざいしゃ」
「ひ、ひどいですよ」
シリウスはがっくりとしてしまうが、「ま、まぁ、とにかく」と持ち直す。
「殿のためなら、私に出来ることがあれば、何でもお手伝いしますから、いつでも訪ねてきて下さい♪」
「……まぁ、気が向いたらね」
いつもと同じようなつれない言葉でも、シリウスは明るい笑顔を返した。
「あははっ、お待ちしてますよ。ね、ボビー」
「マッテルヨー!」
「……はいはい」
いつの間にか居なくなっていたのに、またいつの間にか現れたシリウスのボビー。
いつもどこにしまってあるのかしら、と思いながら、は軽くあしらって、もう一度青い海を眺めた。
そんなの後ろ姿を、シリウスは黙って見つめる。
海から来た、不思議な少女――。
星の娘としてか、何か他の『目的』を果たすためか。
ひょっとしたら、海がこの島へ流した宝物なのかもしれない。
この刻、シリウスの青翠の瞳には、銀の髪の少女がそう映った。
end.
《あとがき》
シリウス&創作です; うわぁ、違う〜っ; ごめんなさい〜;
このふたり好きなのに、何かイメージ壊してます。すみません(><;)
しかも、何かよく解らない内容になってしまいました(汗)
大丈夫でしょうか? ちゃんが不思議な夢を見て、その夢の中に出てきた人
について悩んでる、と思って下さい; (ネタバレぎりぎり…?/汗)
今回、自分の未熟さを再確認しました(‐‐;) もっと頑張ります。
拙い創作でしたが、読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m
written by 羽柴水帆
