――それは、美しくも哀しい、海の姫の物語。
        人間の王子に恋をしてしまった人魚姫は、彼に会うため、
          美しい声と引き換えに足を手に入れる――。





            空の人魚姫、海の王子様





 神に愛された島アロランディアは、これまでにない程の穏やかさに包まれていた。
 光を抱き、風と雲が流れる空は青く。
 島を包み、波の息吹を繰り返す海は碧い。
 街に住む人々も、不安の空気が過ぎ去ったことを無意識に喜ぶように、活気と笑顔を取り戻していた。





 緑の芝生が広がる、魔法院の中庭。
 その一角で、木陰の下に置かれたベンチに座っている少女が居た。
 心地よい風が、彼女の長い銀の髪を軽く揺らす。
 少女は膝に本を広げて、ページに広がる絵と文章を、紫の双眸に映していた。
「何を読んでいるの? ――アクア」
 ふいに後ろから聴き慣れた声がして、少女――アクアは振り返る。
 そこに居たのは、かつてアクアの『半身』だった、青い髪と瞳を持つ少年。
「書庫にあった童話の本よ、ブルー」
 ようやく「アクア」と呼んでくれるようになった彼の『名前』を紡ぎ返して、銀の髪の少女は微笑んだ。
 ――『名前』を呼ぶ、ということは、ブルー自身が、アクアと『違う存在』であると認めてしまうことだから。
 かつてのブルーは、彼女の名前を呼ぶことが出来なかった。
「一緒に読む?」
「うん」
「じゃぁ、ここに座ったら?」
「うん」
 アクアの言葉に一つ一つ頷いて、ブルーは彼女の隣りに腰をおろした。
「今日はどうして、ここで本を読んでいるの?」
 本の世界に入る前に、ブルーはふと浮かんだそれを問いかける。
 以前アクアが本を読んでいた時は、外ではなく、書庫の中だった。
「だって、これは勉強の本じゃないし……」
 アクアが以前に書庫で本を読んでいたのは、魔導師となるための勉強をしていたからだ。
「それに、今日はこんなにいいお天気なんだもの」
 きらきらと降りそそぐ太陽と、果てしなく青い空を見上げて、アクアが言う。
「……そうだね」
 少し嬉しそうな彼女の横顔を見て、青い髪と瞳の少年も、微かに微笑んだ。



「……人魚姫?」
 アクアから告げられた『物語』のタイトルを、ブルーが訊き返す。
「そう。書庫の、神話や伝記や童話が置いてあるところで見つけたの」
 物語を巻き戻すように、ページを初めまで戻してから。
 ブルーに解りやすいように、アクアは声に出して説明を始めた。
「海の世界で生まれた人魚姫は、ある日、海の上へ出て、人間の王子様に恋をしてしまうの。王子様を忘れられなかった人魚姫は、美しい声と引き換えに、魔女から足をもらって、陸へ上がり――願い通り、王子様に会うことが出来る」
 アクアの横顔を見つめながら、ブルーは彼女の声を聴く。
「でも、人魚姫の恋は叶わなかった。彼女に残されたのは、王子様を殺して人魚に戻るか、海の泡となって消えてしまうかの、ふたつの運命の道」
「…人魚姫は、どっちを選んだの?」
 それまで、ただ聴いているだけだったブルーが問いかけた。
「人魚姫が選んだのは――海の泡となって消えること。彼女には、王子様を殺すことが出来なかったの。それほど彼を、愛していたから」
 人魚姫が、海へ溶けていく場面を描いた絵を最後に、物語は終わる。
「……哀しいお話だね」
 パタンと本を閉じたアクアに、ブルーは素直な感想を言った。
「うん。これは、自己犠牲の美しさと、人を思いやる心を描いたお話。でも……わたしは、何となく好きなの」
「どうして?」
「この人魚姫が、少し、わたしに似てるから」
「え……?」
 青い瞳を大きく瞬かせるブルー。
 けれど、そうかもしれない、とすぐに思い直す。


 ――かつて、『空』の化身である少女は、『大地』と人々に希望と憧れを感じた。
 少女は『記憶』と引き換えに『名前』を手に入れ、かの地へ降り立つ。
 それまで一心同体であった、『海』の化身である少年を残して。
 彼が否定する『人間』が、希望の持てる存在であることを証明するために。


「……そうかもしれないね。でも、そうだとしたら。君が『人魚姫』だとしたら、人間の『王子様』って……あの子になるの?」
 かつて海の化身であった少年は、しゅんと悄げた顔で、後ろを振り返る。
 アクアは「え…?」と、同じように振り返ってみた。
 すると、視線の先に居たのは――洗濯物を入れようとしている、ユニシス。
 大地の女神の子孫と言われるアンヘル族の少年。
 かつて空の化身であった少女は、くすっと笑う。
「ユニシスは、とても『王子様』って感じじゃないわよ」
 感じじゃない、とかいう問題ではないと、ブルーは胸中で思った。
 と、向こうでユニシスがクシャミをした気配がする。
「それに……わたしにとっての『王子様』は、ここに居るもの」
 変わらない笑みのまま、アクアは自身の『半分』であった少年の肩に寄り掛かった。
「え? 僕……?」
 ブルーはまた、海のような青い瞳を大きく瞬きさせる。
 彼の肩と胸元に、長い銀の髪が流れた。
「そうよ、ブルー。最初からね」
「最初から……今も?」
「うん」
「……アクア」
 人間の世界で暮らす『しあわせ』と、『名前』を呼び、呼ばれる『しあわせ』が、少しずつ解ってきたかもしれない。
 心地よさそうに瞳を閉じて、寄り掛かるアクアを見つめながら、ブルーは嬉しそうに微笑する。
 とても優しい、穏やかな気持ちに包まれていた。





 洗濯物を入れ終えたユニシスは、庭を通りかかった時、とある光景が緑の瞳に映った。
 それは、仲良く肩を寄せ合って眠っている、青い髪の少年と銀の髪の少女。
 アクアはこてんとブルーの肩に寄り掛かり、ブルーは眠りながらもアクアの肩をきちんと抱いている。
「ったく、こいつら〜。手伝いもしないでこんなとこで……!」
 ユニシスは、「手伝いもしないで」というのも勿論あるが、これみよがしに仲良く眠っているふたりにも、どこか腹立たしいものを感じていた。
 仲のいい兄妹のようにも見えれば、幼い恋人同士にも見える。
「おや、ユニ。どうしたんですか?」
 どうやって起こしてやろうかと考えていた金の髪の少年のところへ、彼を含む、ブルーとアクアの保護者的立場になっている魔導師がやって来た。
「先生! こいつら、何とかして下さいよ〜!」
 ヨハンが「え?」と、ユニシスの指す方へ視線を向けてみると。
「おやおや、これはまた仲のよろしいことで……それでは、これでもかけてあげましょう」
 微笑ましそうに言ったヨハンは、ユニシスの抱えている洗濯物の中から、あるものを取り出す。
「あ、それは先生のマント…!」
 しかも今、取り込んだばかりのものだ。
「いいんですよ。こんなに気持ちよさそうにお昼寝してるんですから、このまま寝かせてあげましょう。夕方前に起こしてあげれば、大丈夫でしょう」
 ユニシスの言った「何とかして」を、ヨハンはこう受け取ったらしい。
 にこにこと微笑んでいるヨハンを見て、ユニシスは「こーゆー人だよ、先生って」と思いながら、足音を立てないように帰っていく彼の後ろに続いて、院の中へ戻っていった。



 陽の光は暖かく降りそそぎ、微風はさらさらとそよぐ。

 空の人魚姫と、海の王子様は、かの地で『しあわせ』を見つけた――。





                  end.





 《あとがき》
 ブルーくん&アクアちゃん創作です。如何でしたでしょうか…?(汗)
 かんぷら様の主催される『Aqua Festa』に投稿させて頂きました;
 このふたりの関係って、かなり好きで気に入ってます♪ 設定も容姿も声も(笑)
 それに、自然と仲良くて書きやすかったです(笑)
 ヨハン先生とユニちゃんは、今回こんな役回りでごめんなさいです;
 ブルーくんとアクアちゃんと、ユニちゃんを含めた三人組も実は好きですよ(^^;)
 って、『人魚姫』がアロランディアにあるのか?(汗) と、自分でも思いましたが、
 クリスマス(降誕祭だけど/汗)もあるし、ここでは見逃してやって下さい;
 読んで下さって、ありがとうございましたm(_ _)m

                         written by 羽柴水帆