かぜのおくりもの
気持ちよく晴れた、アロランディアの空。
雲も風も穏やかに流れ、暖かな光のシャワーを、街中に降りそそがせる。
しかし、魔法院と呼ばれる一室で、ひとりの少女が外へも行けず、ベッドに横たわっていた。
時折、小さな咳が聞こえる。
「……いいてんきね」
半分ほどしか開いていない紫の瞳を、窓の向こうに広がる青空へ向けて、少女――アクアはつぶやいた。
「……うぅ、うらめしい」
細い眉をひそめて、またつぶやく。
――アクアは、風邪を引いてしまったのだ。
と、その刻、軽いノックの音が響いた。
「アクアー? 入るぞ?」
ドアを開けて入ってきたのは、金の髪と緑の瞳を持つ、アンヘルの少年だった。
少年、という表現は正しくないかもしれないが。
「大丈夫か? ほら、おかゆ作ってきてやったぞ」
ユニシスは、アクアのベッドの横の小さなテーブルの上に、温かな湯気を立ち上らせるたまご粥を置いてやる。
「…ありがと、ゆにしす」
頬をぽぉっと紅潮させて、アクアは礼を言う。
熱のせいもあるのだろうが、頬を染めるのは、この少女が多少なりとも嬉しさを感じた刻だ。
ただユニシスは、アクアの呂律が回っていないのが若干気になった。
「お前、ホントに大丈夫か?」
「だいじょうぶ。いっつおーらい、のーぷろぶれむ」
ユニシスは「どこがだよ」と、よっぽど突っ込んでやろうかと思った。
が、相手は病人だ。
「まぁ、とにかく、しっかり休んどくんだぞ」
そう言って、銀の髪の少女の部屋を出た。
ユニシスに作ってもらったたまご粥を食べて、アクアは再び、ベッドの中に身を沈める。
「ふぅ……おいしかった。ちょっと、しあわせ」
ユニシスは料理が上手い。
保護者代わりのヨハンが魔法研究に没頭するあまり、家事を疎かにしがちなので、自然とユニシスが得意になってしまったとも言える。
とにかく、風邪は嫌だが、そのおかげでユニシスのお粥を食べることが出来たので、不幸中の幸いかもしれない。
あとはおとなしく寝ていよう、と思い、アクアは紫の双眸を閉じた。
――暫くの間、アクアの部屋は静かだった。
窓から差し込んでくる陽の光に包まれた、穏やかな空気。
しかしそれは、あまり長く続かなかった。
ユニシスが来た刻よりも、リズミカルなノックが鳴る。
「……きたわね、うるさいの」
それが誰なのかということくらい、熱が出ているアクアにでも判った。
狸寝入りでも決め込んでやろうかと、掛け布団を深く被る。
が、逆にその方が何かと危険かもしれない。
と、熱が高い割には、冷静に思考を働かせることが出来た。
「コンコ〜ン! カイシンデ〜ス♪」
「お加減はいかがかな〜? 私の小さなお嬢さん?」
開かれたドアから、まず彼の相棒人形が顔を出し、次に彼本人――シリウスが顔を見せた。
相変わらずの明るい笑顔と、ウィンクのおまけつきである。
と、普段は高く二つに結われている、長い銀の髪をといた状態で横になっているアクアを見て、シリウスは「おやおや…」と、青翠の瞳を見張った。
「こういったアクア殿も、また魅力的ですねぇ」
ボビーに「ダイジョーブ〜?」と喋らせながら、シリウスはアクアのベッドの横へ歩み寄る。
「…あら、ぼびー。しりうすもいっしょなのね」
こほこほと咳をしながら、まずアクアが視線を向けて言葉をかけたのは、シリウスの右手に居る人形・ボビーだった。
「こらこら、主体が逆ですってば! 普通は、『あら、シリウス。ボビーも一緒なのね』でしょう!?」
がくっと肩を落としたシリウスは、必死に抗議する。
「そう? どっちでもおなじことだとおもうけど……」
「まったく、風邪を引いても、アクア殿はアクア殿ですねぇ」
やれやれと、シリウスは苦笑するように笑った。
「で、どうですか? 具合の方は?」
気を取り直して、訊ねるシリウス。
「べつに……ふつうのカゼよ。ねつがでて、セキがでて、のどとあたまがちょっといたい」
「ん〜、本当だ。まだ熱いですねぇ」
と、シリウスはアクアの額に手を当てて言った。
「ところで、しりうす。どうしてわたしがカゼひいたこと、しってるの?」
シリウスの手をぱっぱっと払って、今度はアクアが訊ねた。
「このアロランディアで、私に入ってこない情報は皆無に等しいのですよ。ましてやそれが、愛しの子猫ちゃんのこととなれば、尚更です」
にっこりと満面の笑みを浮かべ、大陸の親善大使は得意げに答える。
「……せんせいから、ききだしたのね。むりやり」
今日、アクアの保護者的立場である魔導師が、用事で神殿に出向いている。
――おそらく、神殿の廊下で、シリウスは魔法院の責任者に出会った。
そして簡単な挨拶などを交わした後、シリウスは「ところで、あなたのお弟子さん達はお元気ですか?」とでも訊ねたのだろう。
「え、えぇ、まぁ……」
この刻ヨハンは、アクアが風邪を引いたことを言わない方がいいだろうと思った。
アクアを気に入っているらしいこの親善大使に教えたら、彼は間違いなく見舞いに向かう。
その行為自体が悪いとは思わないのだが、正直言って、この元ダリス王子は派手好きで――よく言えば賑やか、悪く言えば騒々しい。
ヨハンは保護者的親心から、風邪を引いてる時くらい、アクアをゆっくり休ませてやりたい気持ちがあった。
「おやぁ? その反応、何かあったようですね」
「い、いえ、別に何も……!」
しかし、アクアによく『嘘をつくのが下手』と言われるヨハンが、勘の鋭いシリウスに勝てるはずもなく。
たじろぎながら、真実を教えてしまったのだろう。
容易に想像がつき、アクアはシリウスをじとっと睨んだ。
「人聞きが悪いなぁ。ヨハン殿が、親切に、教えて下さったんですよ」
シリウスは「はっはっは」と、いつものように明るく笑う。
銀の髪の少女は、小さな溜め息をついた。
「あ〜、何ですか、その溜め息は? 私は常に、アクア殿を心配しているだけですよ」
「……それは、ありがと」
「嬉しくないですか?」
ちっとも表情が変わらないアクアに、シリウスは構ってもらえない犬のようにしゅんとして訊ねる。
「……さぁ?」
暫く紫の瞳にシリウスを映したアクアは、しかし素っ気ない返事を返した。
案の定、シリウスは「がぁーん……」と、大袈裟に影を背負って項垂れる。
「……こまったおとなね、あなたも」
アクアはまた、ふぅと溜め息をついて言った。
――「あなたも」とは、他に誰のことを言っているのだろうか。
「まぁ、ごこういはすなおにうけとっておくわ」
言いながら、アクアはシリウスから視線を少し外した。
静かにゆっくり休みたいのはもちろんだけど――誰にも居てもらえないのが、少し淋しかったのも事実だった。
「え? 私が来たこと、喜んでもらえてるんですか?」
一筋の光を見つけたように、シリウスは振り返る。
「……たぶん、すこしは」
ここで素直に頷いたりしたら、絶対調子に乗る。
アクアはそう思って、また素っ気なく答えた。
「あははっ、それはよかった。ありがとう、アクア殿!」
と、シリウスはそれだけでもう復活したようだ。
先程の影は完全に消え去っている。
明るい笑顔を見せるシリウスを、アクアは再び紫の双眸に映す。
「……しりうす」
「はい?」
「て、かして」
水色を基調にした、イルカ模様の掛け布団の中から、アクアが細い手を伸ばした。
シリウスは「手?」と首を傾げながら、右手をすっと差し出してみる。
「ちなみに、てぶくろ、とってね」
「はぁ……これでいいですか?」
取りあえず言われた通りに、手袋を外した右手を再度差し伸べた。
するとアクアは、それを小さな手で掴み、自身の額に持っていく。
「アクア殿?」
熱い小さな手が、やはり熱い額に当てられる。
「……しりうすのて、つめたくてきもちいい」
ぎゅっと手を握ってくるアクアに、青翠の瞳の青年は自然な笑みを零した。
「君のおでこがあついんだよ。でもまぁ、こんな手で役に立ったのなら、幸いです」
「……ねつ、さがるまでこうしててもいい?」
「もちろん! と言いたいところだけど……申し訳ない、アクア殿。実はこの後、仕事が入ってしまってね」
上目遣いに見上げてくるアクアに、シリウスは罪悪感に似た胸の痛みを感じながら、苦笑するような表情で謝る。
アクアは、「……なんだ」と言って、シリウスの手を放し、ぽすんと自身の手を掛け布団の上に下ろした。
「すまないね。私も本当は、そんなもの放り出して、君のそばに居てあげたいんだけど、中々うまくいかないこともあってね。でも、夕方には終わらせます。そしたら絶対に、また来ますから!」
「べつにむりしなくていいわ」
本当に焦点が定まっているのか判らない双眸を向けて、アクアはぱたぱたと手を振った。
「まぁ、そう言わずに。私の代わりと言っては何ですけど――」
持参してきた紙袋の中から、がさごそと手を動かして取り出す。
「じゃぁーん!」
にっこり笑ってシリウスが取り出したのは、
「……くま?」
と、アクアのつぶやいた動物の、ぬいぐるみだった。
少し大きめのテディベアで、普段アクアが髪に結んでいるのと同じ、黄色のリボンを首に巻いている。
「そう! くまのお友達ですよ〜! 風邪を引いた時というのは、大人になっても淋しいものですからね。私が居ない間、この子をお供にさせてもらえませんか?」
そう言いながら、シリウスはぬいぐるみをアクアのそばに置く。
「……うん」
するとアクアは、ぽっと頬を染めながら、テディベアをぎゅっと抱きしめた。
「あ〜、よかった。その代わり、必ず早めに切り上げて来ますからね!」
アクアがぬいぐるみを気に入ってくれたことに安堵しつつ、シリウスはキリッと自信満々に言い切る。
「このコがいてくれるなら、いい」
ところがアクアは、テディベアを抱きしめたまま、ごろんと反対側に寝返ってしまった。
「そ、そんな!」
シリウスはまた「がぁん……!」と、大袈裟なリアクションを返す。
「ま、まぁ、それほど気に入ってもらえたなら、よかったですよ」
けれどそこは大人(自称)の元ダリス王子。
挫けずにまた明るい笑顔を見せた。
「それじゃぁ、アクア殿。お大事にね」
そう言って、シリウスが立ち上がると、
「……しりうす」
振り返りながら、アクアが彼の名を呼んだ。
シリウスは「はい?」と、訊き返す。
「………ありがと」
少し視線を逸らしながら、アクアが小さくつぶやいた。
一瞬、青翠の瞳を瞬かせたシリウスは――やがて、にっこりと微笑する。
「どういたしまして、私の小さなレディ♪」
軽やかに言葉を声に乗せると、シリウスは身を屈めて――。
アクアの銀の前髪をそっと掻き分けて、熱を持った額に、唇を降らせた。
――まるで、風に乗った羽根が舞い降りるように。
「……っ」
アクアが、紫色の双眸をぎゅっと閉じる。
それを見たシリウスは、「早く治るように、おまじないですよ」と言いながら、くすっと笑う。
「それじゃぁ、よく休むんだよ、アクア殿」
「オダイジニネ〜!」
青い相棒人形・ボビーを片手に、シリウスは明るい笑顔を残して部屋を去った。
「…………」
パタンと閉まった扉に視線をやりながら、アクアは無言で額を押さえる。
「……ねつがあがったら、どうしてくれるのよ」
むっとした表情をしながら、アクアはテディベアに再び抱きついた。
風邪を引いてしまった銀の髪の少女に、見舞いを兼ねた贈り物を運んできた、大陸の親善大使。
まるで、軽やかに運ばれ、吹き抜けてゆく風のように。
end.
《あとがき》
シリウス&アクアちゃん創作、第二作目です。お粗末様でした(汗)
かんぷら様の主催される『Aqua Festa』に投稿させて頂いたお話です;
今回、アクアちゃんを全部ひらがなで喋らせるのが面白かったです(笑)
それはともかく、未熟ですみません;
アクアちゃんはもっと可愛いし、シリウスはもっと楽しい人のはずなのに(苦笑)
つたない文章ですが、読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m
written by 羽柴水帆