トーマがミーティングの終了を告げると、バンたちは大きく息を吐き出した。やるべきことを終えて、やれやれ、といった表情だ。皆、それぞれ席を立ち、寝るまでの時間をどう過ごすか相談しあう。
 そんな中、アゼルは誰とも言葉をかわさず、ひとり部屋を出ていこうとする。
「あの、アゼルさん……」
 少々遠慮がちな呼びかけに、アゼルは振り返った。
「ん? 何だい? トーマ?」
「どうなさったんですか? 何だか、最近元気がないですね」
「そんなことないよ」
 心配そうな光を瞳にたたえた少年に、アゼルは笑顔をみせた。が、トーマの表情は晴れたものにはならなかった。彼には、目の前にいる青年が、無理をしているようにしか見えなかったのだ。
「疲れてるのか? アゼル?」
 バンが横手から声をかけた。いつの間にか、室内にいる全員の視線が、アゼルに注がれている。
 ここ最近、アゼルの様子がおかしいことは、バンたちの間で密かに心配されていた。もともと空を見上げることの多い、民間協力者の青年だったが、最近はどこか遠くを見ている。ため息も多い。任務はいつもと変わらずきちんとこなすものの、ひとりでいる時間が増えてきてもいた。
「いい機会だから訊いちまうが、何か心配ごとでもあるのかよ?」
 と、これはアーバインである。ぶっきらぼうな口調だったが、彼なりにアゼルを心配してはいるのだ。
「みんなに気づかれるとは……俺もまだまだ、だな」
 アゼルは胸中で自嘲した。頭をひとつ振って、彼は寂しげ笑ってみせた。
「ありがとう。ごめんね、みんな、心配かけて……でも、大丈夫。もう少し……待って。そうしたら、いつもの俺に戻るから――」
 それだけ言うと、民間協力者の青年は部屋を出ていった。
 追うに追えず、残された面々は、互いの視線を交錯させる。それぞれの想いが、その視線に込められていた。


 新月の日を迎えた夜空には、双子の月の姿は当然なく、星々がここぞとばかりに輝いている。生命たちの大半が眠りについている時間、大気は静寂に満ちていた。
 ブレードライガー、ライトニングサイクス、ディバイソン、グスタフ……様々なゾイドが並んで待機している中に、碧水のコマンドウルフの姿もあった。
 鋼鉄の狼のコクピット内で、アゼルは何度目かのため息をついた。部屋はあてがわれていたが、何故か行く気になれぬ。愛機の中で何をするでもなく、ただ時間が過ぎるに任せていた。
『……どうした? さっきからため息ばかりついているぞ』
 フェンリルが不審そうに問いかけた。アゼルの答えはややあってからだった。
「……フェンリル、俺は……父さんの息子なんだよね……?」
『何をいきなり……?』
「あ……!? ごめん、独り言だよ。忘れてくれ――」
 自嘲気味な笑みを口元にたたえると、アゼルは座席をたおし、横になる。

 ……瞳を閉じれば見える、幸せだった頃の光景……でも、もう還れない……。

 アゼルが眠りについてからしばらくすると、小さな電子音が声として発せられた。アゼルの元気がないことを心配する、AI・アークの声だ。
『わかってやってくれ、アーク。アゼルは恐れているのだ。自分の中の記憶が薄れることを、な――』
 フェンリルは、自身の内に抱いている青年を想いやった。彼はこの青年を、生まれた時から知っている。その過去も、孤独も――。
 そのアゼルが最も恐れることは、戦いでも、死でもない。自身の中にある記憶が薄れることだ。いまはもう、何の痕跡の残されていない大切なものの記憶――自分が忘れたら、本当の意味で消滅してしまうもの……。彼は証なのだ。大切なものたちが、確かに存在していたという、生きた証――。
『――仕方がないな……』
 言葉とは裏腹に、その口調には限りない優しさが含まれていた。まるで、我が子を想う、父親のような……。
 碧水のコマンドウルフの身体が、ほのかな光を発し始めた――。


 体術の稽古を終えたアゼルを出迎えたのは、何やら懇願するような目つきをした弟だった。
「ど、どうしたんだ? ――?」
 身長からいって仕方のないことなのだが、弟はアゼルを上目遣いに見つめてくる。この兄は、弟の、この視線に弱かった。
「兄様、――にも修行をさせて下さい」
「は?」
 四歳の幼子の口から発せられた、思いがけない言葉に、アゼルは少々間の抜けた声を上げた。弟の言葉を完全に理解するのに、たっぷり三秒の時間を有する。
「何を言ってるんだ、――。お前には、まだ早すぎる。それに――」
 言いかけて、アゼルは口を閉ざす。弟の、自分と同色の双眸が揺れているのに気づいたからだ。困ったようにため息をつく。アゼルは周りにいる大人たちから、様々なことを学んでいた。ゾイドの乗り方は勿論、身を護るための体術から、剣術や銃の扱い方などもだ。困ったことに、最近は、弟もやりたいと言い出した。いままでは冗談のようだったが、この日は目が真剣そのものだ。しかし、首を縦に振るわけにはいかない。年齢もそうだが、弟は生まれつき身体が弱い。稽古には耐えられないだろう。
 どうしたものか、と思っていると、とうとう弟の瞳から涙がこぼれだした。
「……わかっておくれ。こればっかりは、だめなんだよ」
 内心狼狽しつつも、アゼルは平静を装って幼子をなだめた。が、弟の碧水の双眸からあふれだす雫は、二つ、三つ……と、どんどん増えていく。
「泣かないでくれよ、――。お願いだから」
 少年は弟の涙を隠すように、その小さな頭を自分の胸に押しつけた。手をとおして、これまた小さな嗚咽が伝わってくる。
 ――どうしたらいいんだ……!?
 困り果てたアゼルに、救いの手が差し伸べられた。自分の手よりも大きなそれが、少年の頭にのせられる。と、同時に、落ち着いた、深みのある声が降ってきた。
「こんな所でどうした?」  
「――と、父さん!?」
 アゼルは父を見上げ、思わず声を上げた。その声を聞いてか、弟も兄の胸から顔を放す。弟が泣いているのに気づいた父――アスティオは、小首を傾げた。
「どうしたんだ? 兄弟喧嘩ではないようだし……何かあったのか?」
「はい、実は……と、その前に、父さん、いつ帰ってこられたのですか?」
「たった今さ」
 アスティオの双眸が動き、遠くからこちらを見ている愛機の姿を映した。
 アゼルから話を聴き終えたアスティオは、まず弟を見やった。
「――、お前の気持ちはわかるが、アゼルを困らせるのは、いただけないぞ」
「……ごめんなさい……」
 アスティオは俯く息子の頭を優しく撫でると、これまた優しく問いかけた。
「何で――は修行をしたいんだい?」
「……だって、兄様も父様も、みんな強いから……だから……」
 四歳の息子の返答に、アスティオは視線に笑みを含んで、十歳の息子を見やった。アゼルはそれに大人びた微笑で応じる。
 アスティオは兄の頭に左手を、弟の頭に右手をそれぞれおいた。
「――いいか、二人とも、無理に強くなる必要はないんだ。負けることがあってもいい。逃げることがあってもいい。恥じることはない。最後の最後で、前を見ればいいのだから――」
 そこで言葉をきると、アスティオは愛しい息子たちを抱き締めた。
「私がお前たちに望むことは、たったひとつだ。自分という存在に誇りをもて。たとえ目に見える強さがなくても、能力がなくても――自分に誇れるような人になるんだぞ――」


 アゼルは目を覚ました。目頭はまだ熱く、頬には涙の跡も残っている。上体を起こせば、外はすっかり明るくなっていた。
「――夢……」
『集合時間だぞ。行かなくていいのか?』
 呆然と呟く青年を、フェンリルの声が現実へと呼び戻した。
「え? あ!? 行ってくるよ!」
 そう言って、アゼルは愛機から飛び降りた。軽やかに着地し、フェンリルを見上げる。
『……? どうした?』
「――ありがとう」
 にっこりと微笑むと、アゼルは格納庫の出入り口へと走っていく。
 すっかりばれていることに、フェンリルは苦笑を洩らす。と、自分の横にいるそれに気づいた。アゼルのものでも、その弟のものでもない、もうひとつの碧水の輝きに。それは微笑ましげにアゼルを見送り、そしてフェンリルに笑いかけると、大気に溶け消えた……。
『そうか……お前も、あの子を見てやっているのか……』
 碧水のコマンドウルフの呟きは、人の耳には理解できない声となって紡がれた。

『たとえ目に見える強さがなくても、能力がなくても――自分に誇れるような人になるんだぞ――』 

 呼ばれたような気がして、アゼルは振り返った。が、視線の先には誰もいない。
「――俺は、あなたの息子のアゼル・ラグナです」
 微笑とともに独語すると、アゼルは再び走り出した。仲間が待っている。バンたちはいつものアゼルに戻ったことを悟ったのか、微笑をかわしあった。


 ……忘れたら思い出せばいい。
 記憶の中のあの頃には、もう還れないけれど、想いは還ってくる――。
 思い出したら、前を見よう。
 ――そうしたら、きっと、また歩きだせるはずだから――。



                      ―Fin―



 <あとがき>

・アゼル中心小説もついに第四弾まできました。ここまで読んでくれている人がいるのか正直不安になっている風見野です。
 毎度毎度わけのわからない話ですみません。今回の話で、アゼルの父親、アスティオさんがでてきました。
 皆さん、お好きな声優さんの声でも想像しながら読んでみて下さい(笑) アゼルは強くもあり、弱くもある青年です。
 そんな彼の支えになるのは、やはりフェンリルや過去の記憶にある父親たちなのでしょうね。
 勿論、トーマくんやバンたちも、彼の支えになっていますよ。でも、アゼルは基本的に「みんなには心配をかけたくない」と
 考える子ですから、トーマくんたちにはそういう部分をみせません(今回はばれてましたけど)。
 お話の中の「俺は父さんの息子なんだよね……?」は、彼は父親の言葉が思い出せない自分を恥じていたので、
 このように言ったのです。それだけアゼルにとっては父親は偉大な存在なんです。
 別にアスティオさんと彼の血が繋がっていないというわけではありませんので、想像してしまった方、すみません。
 ラストで彼が名乗るのは、「自分という存在に誇りをもて」という父親の言葉を受けてのことです。
 ここまで読んで下さって、ありがとうございました。


                        2002.1.15    風見野 里久
 ……瞼をおろせば見える、幸せだった頃の光景……。

『アゼル、――』

 父の声が、自分と弟の名を呼ぶ。二人でその傍に駆け寄れば、父は自分と弟の頭を撫でてくれた。

 ――記憶にある父の手は、大きく、暖かく、そして何より、優しかった。

『――私がお前たちに望むことは、たったひとつだ――』  

 ――思い出せない……。
遠き日の記憶――あの想いに還って――