天空高くに舞う白き竜




「もう知らない! 勝手にすれば!!」
 という言葉を残し、幻の月からきた少女は風車小屋を飛び出していった。
 黒髪の少年――バァンは、風車小屋の屋根に寝転んで、何をするでもなく、双眸に空を映していた。白い雲がいくつか視界を横切っていく。バァンは思い出したように、右腕を顔の前にもってきた。肘のあたりに包帯が巻かれている。幻の月の少女――ひとみが巻いてくれたものだ。
 ザイバッハを脱出し、アストリアへ帰還したのが先日のこと。空いた時間を利用して、バァンはアストリアの騎士であるアレンに、剣の稽古の相手をしてもらった。その時、アレンの剣が少年の右肘をかすめたのである。心配したひとみが手当をしてくれたのだが、アレンに負けた悔しさと自身の未熟さに苛立っていたバァンは、彼女に当たるような言動をとってしまった。その結果、少女は怒り、飛び出していってしまったのだ。
 少年の心は後悔の念に苛まれていた。自分がまだアレンに及ばないことなど、初めて会った時からわかっていたではないか。ひとみに当たっても仕方ないことなのに……。
 バァンは無意識のうちにため息をついていた。
「バァン様、そこにおられたのですね」
 穏やかな声が下から投げかけられた。上体を起こせば、声と同じくらい穏やかな雰囲気を纏った青年が、こちらを見上げている。青年は手にしていたバスケットを掲げ、笑ってみせた。
「ミラーナ姫様からの差し入れです」
「いまいく」
 バァンは軽い身のこなしで屋根から降りると、バスケットを受け取った。
「すまない、レグナス」
「いいえ、お気になさらず」
 青年――レグナスはやはり穏やかに応じた。レグナス・アルフェインは、地球年齢でいうところの二十歳にはまだ達していないという。青みをおびた髪を腰近くまで伸ばし、それを首の後ろで束ねている。身長はバァンよりは高いが、アレンよりは低い。
「そうそう、先ほどひとみ様を見かけました」
「ひとみを?」
「はい、何やら凄い勢いで走っていかれました。声をおかけしたのですが、気づいて頂けなかったようで」
「そうか……」
 黒髪の少年の様子に、レグナスは何かに気づいたような表情になる。視線にいたずらっぽいものを含ませ、バァンを見やった。
「もしかして、ひとみ様と喧嘩でもなさったのですか?」
「――!?」
 ファーネリアの若き国王は、目の前にいる青年から思わず視線をそらした。いたずらを見破られた子供のような表情だ。年齢のわりにいつも大人びた表情をしている彼には、珍しいことである。
 レグナスは口元に笑みを浮かべた。
「恐れながら、早いうちに仲直りされた方がよろしいのではありませんか?」
 バァンは答えない。青年は気にした様子もなく、いまの事態とは関係のない話を持ち出す。
「話はかわりますが、私は近いうちにこの国を離れます」
「離れる!? どういうことだ? アストリアの騎士を辞めるというのか?」
 バァンは驚いたようにレグナスの顔を見直した。
「私は元々この国の者ではないのです。騎士でもありません。旅の途中で立ち寄ったところを、雇って頂いただけの者です。ですから私の服は、アストリアのものではないでしょう?」
 そう言われて、バァンは改めてレグナスの服を見た。確かに城の中にいた者たちのそれとは違う。動きやすそうな服に、腰に剣を下げただけの軽装は、バァンとそうかわらない。
「というわけで、どうか早めにひとみ様と仲直りして下さい。でないと、私は安心してアストリアを離れることができませんので」
「……何でそうなるんだ」
「では、ひとみ様と仲直りする気はないと?」
「誰もそうは言ってない!」
 声を荒げたバァンに、レグナスは満足げな笑みを浮かべる。
「では、いってらっしゃいませ。ひとみ様は港の方へ向かわれましたよ」
 バァンは自分がのせられたことに気づいた。苦笑混じりにレグナスを見やる。仲直り、といっても、この不器用なところのある少年には、正直どうすればいいのかわからないのだろう。それを察したレグナスは、やはり穏やかに語を続けた。
「僭越ながら、バァン様、御自分が正しいと思われたことは貫きとおす。間違ったことをしてしまった時は、謝る。それだけのことです。できますね?」
「レグナス……」
「では、私はこれにて。頑張って下さい」
 レグナスは一礼すると、若き国王に背を向けた。バァンは何となく青年の背から視線をそらすことができなかった。


 静かな波の音が耳に心地よい。空には白い鳥が群れをなして、風に翼をはらませている。
「なによ、バァンったら、人が心配してんのに……」
 幻の月からきた少女――ひとみは、人気のない港をブツブツと呟きながら歩いていた。
ふと、足を止め、大きく息を吸う。むせかえるような海の香りが、鼻先をくすぐった。
「……海の香り、って、どこでも同じね。こうしてると、地球を思い出すな……」
 大親友のゆかり、憧れの先輩・天野、家族……みんなどうしているのだろうか。
 懐かしい故郷のことに思いを馳せていたひとみは、この時気づかなかった。背後から忍び寄る、黒い外套に身を包んだ男の存在に――。


 背後からの呼びかけに、レグナスは振り返った。双眸に映ったのは、天空の十二騎士がひとり、アレン・シェザールである。レグナスはこの青年を、同じ剣の道をゆく者として尊敬していた。深々と頭を下げる。
 アレンは軽く笑って手を振った。
「そんな堅苦しい礼など不要だ。聞いたぞ、レグナス。この国を……離れるそうだな」
「はい、近いうちに」
 長い金髪を風にそよがせながら、アレンは微笑にほろ苦いものを混ぜた。
「そうか……寂しくなるな。今度はどこに行くのだ?」
「まだ決めてはおりません。風の吹くままに、巡り歩くつもりです」
「風の吹くままに、か。お前らしいな」
 と、アレンは何かを思いついたような表情をした。腰に下げた長剣を鞘ごとはずし、顔の前にかざした。少々好戦的な笑みを浮かべる。
「どうだ? 一勝負?」
 レグナスは一瞬声を失ったような感覚に襲われた。雇われ剣士の分際で、天空の十二騎士に稽古をつけてもらえるなど、夢のような話である。ましてや、相手は自分の尊敬するアレンなのだから。
「光栄です、アレン様。謹んでお受けいたします」
 深い深い感銘を受けながら、レグナスは一礼した。


 黒髪を潮風になびかせながら、バァンはひとみの姿を捜し求めた。まだ何と言って謝ればいいのか、考えついていないが、とにかく彼女をみつけることの方が先決のように思われた。
「ひとみっ!」
 人気のない港にバァンの声が響く。が、返事はない。もうここにはいないのだろうか。バァンがそう思い始めた頃、昼間だというのに、頭から黒い外套に身を包んだ者が視界の片隅にひっかかった。
「――!?」
 不審に思い、視線をはりつかせていたバァンだったが、思わず声を上げそうになった。黒い外套を着込んだ男が桟橋につないであった小舟に乗り込んだ時、外套の下から小脇に抱え込まれたひとみの姿が見えたのである。少女は気を失っているのか、ぐったりとしている。
「ひとみ!?」
 叫んでバァンは小舟へと走った。彼の存在に気づいた男が、空いている方の手を払う。何か光るものが男の手から飛んだ。反射的にバァンは足を止める。それはバァンの足下に突き立つと、軽い破裂音とともに煙を発した。どうやらガラスで作った容器の中に、何かの薬を仕込んだもののようだ。
 男は咳き込んで身動きのとれないバァンに、それ以上構おうとはしなかった。少女の身体を下に置くと、小舟をつなぎとめていたロープをはずして漕ぎだす。
「ま、待てっ! ひとみをかえせっ!!」
 バァンが桟橋を走る。小舟に飛び移ろうとした時、風が巻き起こった。突如空中にガイメレフが出現する。それは素早く男とひとみを回収すると、再び虚空に姿を消した。
「ひとみぃぃー!!」
 黒髪の少年の悲痛な声が、大気中に吸い込まれていった。


 パラス城の屋上に立て続けに金属音が響きわたる。二本の剣がぶつかるたびに火花を散らし、両者は激しくその位置を変えた。
 アレンの剣が鋭く突き込まれてくる。レグナスはその一撃を受け流すと、すかさず反撃した。剣光が斜めに閃く。右下からの振り上げるような斬撃を、アレンは弾きかえした。右に左に、上に下に、両雄ともに縦横無尽の斬撃を放つ。
 白刃を撃ち込みつつ、アレンは内心レグナスの技量に感歎していた。以前からその身のこなしに、相当な剣の使い手であるとは思っていたが、正直これほどとは思っていなかった。やはり剣の道をゆく者としては、相手が強者なのは嬉しい。無意識のうちに口元がほころんでいく。それはレグナスも同じだった。
 激烈な戦いであるはずなのに、二人の青年は実に楽しそうだ。と、アレンが決定打を放った。レグナスの剣が持ち主の手を離れ、陽光を弾いて高く宙を舞う。剣が石畳の上に落下した時、流れの剣士の首筋には天空の騎士の剣があてられていた。
「………さすがですね、アレン様。私の完敗です……」
 肩を上下させつつレグナスは言った。
 アレンは愛剣を鞘に収めると、額の汗を拭う。
「いい腕だ、レグナス」
「お褒め頂き、光栄です」 
 心の底から嬉しそうに笑うと、レグナスはアレンの傍を離れ、自分の剣を拾い上げる。鞘に収め、汗に湿った前髪をかき上げた。
「お前がこれほどの使い手だと、もっと早く知っていれば、バァンと三人で稽古ができたのだがな。さぞ充実した時となっただろうに」
「バァン様ですか……」
 ひとみと仲直りはできたのであろうか。余計にこじれてなければいいのだが。バァンのことを気にかけていると、アレンの声がした。
「どうかしたか?」
「あ、いえ、何でもありません」
「そうか。すまないが、私はこれで失礼する。今後のこともあるのでね」
「わかりました。お忙しい中、私などのために時間をとって頂き、本当にありがとうございました」
「お前と手合わせできて、よかった」
 深々と頭を下げるレグナスに笑いかけると、アレンは屋上から去っていった。すっきりした顔でレグナスは深呼吸した。
 と、青年の身体に影がかかる。雲であろうか。少々不審に思い、天空を仰ぐ。頭上高く、雲に入り交じって飛翔する白き影が見える――。
「――あれは、エスカフローネッ!? バァン様……!!」
 レグナスは青みをおびた長い髪を翻した。
 地上にいるレグナスの動きも知らず、風に黒髪と衣服をなびかせながら、バァンは少女の行方を探していた。焦りを含んだ声が口からこぼれる。
「どこだ……っ!! どこにいるんだ、ひとみ……!!」
 バァンは目を閉じると、胸中で少女の名を呼びながら、その姿を脳裏に思い描く。
「――!? あっちかっ!!」
 バァンは白き竜の首をめぐらす。彼の瞳は、アストリアから少々離れた場所にある森を映していた。ひとみはあそこにいる。


 鬱蒼とした森の中に、いまはもう使われていない古い砦があった。所々ひびが入っているが、見るからに堅固な造りである。周囲には、無数のガイメレフが静かに待機している。
 幻の月からきた少女の姿は、砦の一番奥にある部屋にあった。両の手を頭上に挙げた状態で、その手首は石壁についた鎖で固定されている。ひとみは緊張と恐怖を宿した双眸で、自分をここに連れてきた男を睨みつけた。
「……私をどうするつもりですか?」
「知ってどうする?」
 抑揚のない男の声に、ひとみはぞっとする。が、怯む気持ちを抑え、さらに問うた。
「……あなたたちは何者なんですか? 何故こんなことをするんです?」
 男は無言で外套をはずす。その下から現れた顔は、意外なほど若かった。流れの剣士・レグナスと同じくらいだろう。が、レグナスとは決定的に違う点があった。雰囲気である。凶暴にして冷徹、血に飢えた獣のようなそれが、ひとみの肌をさしてくる。
 男の口から、自分たちがザイバッハの密偵であること、ひとみを捕獲し連れ帰るよう命じられたことなどが語られた。
「……私を……?」
 信じられない、とばかりに少女は呟いた。エスカフローネやバァンが目的というのなら、ひとみもここまでは驚かなかっただろう。が、目的が自分だとは一体どういうことなのだろうか。
「どうして……?」
「そんなことは知らん。我らは命令を実行するだけだ。もうすぐ本国から迎えがくる。それまで、おとなしくしていることだ」
 冗談じゃない、と思い、ひとみは視線をあげて自分の手を固定する鎖を見やった。何とかはずせないだろうか。そんなことを思っていると、男はひとみの傍に歩み寄ってくる。
「きゃっ!?」
 ひとみが反応するよりもはやく、男は手の甲で少女の頬を打った。手加減はしていたのだろうが、かなりの強さだった。切れた唇から赤い液体が流れだし、顎へと伝わり落ちる。
「……っ!!」
 痛みに耐えているひとみの顎を、男は無造作に掴むと力任せに顔を上げさせる。氷のような視線が幻の月の少女を射抜いた。
「馬鹿なことは考えるなよ。今度はこの程度ではすまさん」
「………」
 ひとみは無言で男を睨みつけた。きっとバァンたちがきてくれる。それまでの辛抱だ。
「バァン、アレンさん、みんな、はやくきて……!!」
 少女は胸中で祈るように呟いた。その祈りに応えるように制服の下のペンダントが淡く輝く。
 と、爆発音のようなものが響いたかと思うと、砦全体が揺れる。部屋の扉が開き、部下らしき男が半ば転がり込んできた。
「何事だ!?」
「り、りり、竜が!? 白い竜が攻め込んできました!!」
「何!?」
「バァン!?」
 驚愕と歓喜の声がそれぞれ上がった。


 エスカフローネの剣が、一体のガイメレフの片腕を斬り飛ばした。バァンは、間髪入れずに片腕を失った機体を薙ぎ払う。別の一体の槍が、エスカフローネの頭上に落ちかかる。バァンはそれを額の前で受け止めると、弾き返した。間合いをとりつつ、周囲を見回す。数が多い上に、半ば包囲されている。
「くっ……!!」
 黒髪の少年の顔にわずかな焦りが混ざった。
 と、包囲の一角が切り崩された。現れたのは、バァンの見たことのないガイメレフであった。青みをおびた機体に、白い外套を纏っている。襲いかかってくるガイメレフを一撃のもとに倒すと、エスカフローネの背を護るかたちで立つ。
「バァン様! ご無事ですか!!」
 発せられた声は、バァンの知ったものであった。
「レグナスか!? お前、どうして……!?」
「話は後です! ここは私にお任せ下さい!!」
「しかし……!!」
「行って下さい! バァン様!!」
 ためらう少年に、レグナスは微笑を含んだ声で応えた。バァンは少しの間、思案するように瞳を閉じたかと思うと、決意したように言う。
「わかった。すまない、レグナス!」
 バァンは砦の方へと走り出す。それを追おうとしたガイメレフたちの前に、レグナスは愛機を立ちはだからせた。
「お前たちの相手は、この私だ!!」
 レグナスの愛機――アスレーダは、白き外套を翻し、ガイメレフの群の中へと突入した。


 バァンはエスカフローネを砦の裏手に待機させると、ひとみの姿を求めて中へと入る。砦の中は、外の騒ぎに気をとられているのか、敵の姿はなかった。ファーネリアの若き王の足は、何かに導かれるがごとく走り続ける。
 前方に頑丈そうな扉が見えてくる。ひとみはその扉の向こうにいる。何故かバァンはそう確信していた。
「ひとみぃーっ!!」
 扉を半ば体当たりするように開け放つ。
「バァンッ!!」
 少女が歓喜の声を上げ、彼女の前に佇んでいた男が、ゆっくりとバァンの方へ振り返った。   
 黒髪の少年は、男の全身から立ち上る異様な殺気を感じとると、慎重に抜剣した。油断なく身構えながら、ひとみに視線を投げる。
「ひとみ、無事か……!?」
 問いかけの言葉を口にすると同時に、バァンは少女の顔に殴られた跡を認める。双眸に憤激の光がたたえられた。
「……ひとみを……殴ったのか!?」
 男は無感動にバァンを見やると、あっさりと頷いた。
「ああ、それがどうした?」
「貴様ぁぁぁっ!!」
 バァンは石の床を蹴った。無造作に立ち尽くしているように見える男に、剣を振り下ろす。男は半歩ほど後退した。鼻先を白刃が斬り裂いていく。
 見切られた!?
 驚きの色を浮かべるバァンの視界の片隅で、何かが光った。反射的に上半身をのけぞらせる。なびいた頭髪が数本宙を舞った。間髪入れず男は大きく踏み込み、少年の喉元めがけ腕を払う。バァンは身体を沈め、銀色の光をかわした。と、同時に剣を水平に一閃させた。男の足を狙ったのだが、彼は後方へと跳び、一撃に空を斬らせた。
 バァンは間合いをとりつつ、男の手の中にあるものを見やった。両の手の中に、いつの間にか、鋭い短剣が握られている。
「……暗器か……!」
 少年の頬を汗の玉が滑り落ちる。対照的に、男は汗ひとつ浮かべず、涼しい顔をしている。バァンは大きく息を吸い、焦る心を落ち着かせた。
 ひとみは息を飲んで戦いを見守っていた。恐怖や不安よりも、バァンに対する信頼が上回っているため、顔に浮かんでいるのは緊張の色だけである。バァンが負けるはずはない。
 バァンは右の肘あたりに巻かれた包帯を一瞥し、幻の月の少女を見やった。
 ――必ず、助ける!!
 両者は同時に地を蹴った。一瞬後、硬い金属音を響かせ、二人はすれ違う。
 永遠とも思える数秒の後、ゆっくりと倒れたのは、男の方であった。バァンは大きく肩を上下させながら、倒れた男を見やった。そして気がついたようにひとみを見やると、少女の傍に駆け寄る。剣で鎖を壊し、少女の身体を解放してやる。
「バァン……!?」
 笑顔で礼を言おうとする少女の背に、バァンは両腕をまわした。突然のことに、ひとみは頬を赤く染めた。
「大丈夫か……?」
「うん、平気」
 バァンはひとみから身体を放すと、痛ましげに少女の顔を見やる。
「すまない……」
「いいのよ。それより、ありがとう、助けにきてくれて」
 少女と少年の視線が、至近距離でぶつかった。どちらからともなく、上気した顔をそむける。
 と、ひとみの脳裏にいくつかのヴィジョンが飛び込んでくる。ついいましがたバァンに倒された男が何かのスイッチを押し、爆発、崩壊していく砦……。
 弾かれたようにひとみは男に視線を移した。男の手の中に、何かのスイッチらしきものがあり、震える指がまさにそれを押そうとしているではないか。
「バァン! その人を止めて!!」
「――何っ!?」
 バァンが動くよりもはやく、男の指がスイッチを押した。連続的に爆発音が響き、足元が大きく揺れ始める。


「はあぁっ!!」 
 虚空に銀色の軌跡が描かれ、斬撃を受けたガイメレフが、重い地響きとともに地面に倒れ込んだ。新たに突きかかってくるガイメレフの槍を、ただの一合のもとに弾き飛ばすと、愛剣を一閃させる。
 倒れ込んだガイメレフには見向きもせず、周囲を見回す。これであらかた片づいたはずである。操演宮の中に、レグナスの荒い吐息が響く。
 大気がうなりを生じる。レグナスは反射的に身体を横にそらせ、左腕を掲げた。虚空から飛び出した流体金属――クリーマの爪が、アスレーダの左腕を肩口から吹き飛ばす。
「くぅっ!!」
 一撃は操演宮内にいたレグナスをも襲った。左の二の腕の辺りが深々と切り裂かれる。
「すまない、アスレーダ!」
 痛みに顔をしかめつつ、青年は愛機に詫びる。と、彼の目の前に、新たなガイメレフ五体が出現する。ステルスマントを搭載したザイバッハ帝国の量産型ガイメレフ――アルセイデスである。レグナスは知らないことだが、この部隊はひとみを回収しにきたものだ。
「新手かっ……!!」
 流体金属を剣状に変化させた一体が、アスレーダに斬りかかってくる。レグナスは残された右腕と剣でその斬撃を弾き返すと、体勢を崩したアルセイデスの片腕を斬り飛ばした。そのまま流れるような動作で別の一体に愛剣を撃ち込んだ。確かな手応えとともに、アルセイデスは崩れ落ちる。
 と、背後から衝撃が走る。
「くっ! しまった!?」
 アスレーダは、背後から忍び寄った二体のアルセイデスに押さえ込まれていた。何とか戒めを解こうとしたが、びくともしない。正面に片腕を失ったアルセイデスと、無傷のそれが立つ。
 片腕を斬り飛ばされた方が動いた。残された腕をアスレーダに突き込む。
「ぐっ!!」
 激しい衝撃に青年の口から苦鳴が洩れる。隻腕のガイメレフは腕を失った怒りを、残されたそれに込めて、何度もアスレーダを殴りつけた。
「くっ……かはっ……!!」
 一際大きな衝撃が走り、レグナスの意識は朦朧となった。膝が崩れそうになる。と、アルセイデスから、狼狽の気配が伝わってくる。ガイメレフたちは頭上を見上げ、何事か叫んでいる。レグナスは霞む目を上方に向けた。
 青空を駆ける浮き船が、視界に収まる。
「……クル…ゼード……!!」
 真っ直ぐアスレーダに向け降下してくるクルゼードから、アレンのガイメレフ――シェラザードが飛び降りる。着地しざまに、アスレーダを戒めていたアルセイデスの内の一体を斬り倒した。もう一体はアスレーダを解放し、慌てて間合いをとる。
 解放されたアスレーダは、背中から大地に倒れ込みそうになる。その身体をアレンが受け止めた。
「遅くなって、すまない。大丈夫か!? レグナス!?」
「は、はい……何とか……ありがとうございます、アレン様……」
 レグナスは操演宮の中で弱々しく微笑んでみせた。その笑みがフェース・ガードごしに見えたのか、アレンもまた微笑する。レグナスは気力でアスレーダを立たせる。いまここで、アレンの足手まといになるわけにはいかない。
 アレンはアスレーダからそっと手を放し、剣を片手に前に進み出る。怒りの色に染まった双眸で、鋭くアルセイデスたちを見回した。
「たったひとりを多勢でなぶるのが、貴様らのやり方か! ここから先は、私が相手だ!!」 
 シェラザードが大地を蹴る。撃ちだされたクリーマの爪を剣で弾き、一気に間合いを詰める。剣光一閃。虚空に流体金属をまき散らしながら、アルセイデスは倒れた。怯むガイメレフたちの間を、閃光が駆け抜ける。重い音を立てて、全てのアルセイデスが地面に沈んだ。それを確認し、アレンは軽く息をつく。
 アスレーダから力が抜け、硬い音をとともに膝をつく。
「レグナス!?」
 アレンがレグナスを見やったのと、砦の方から爆発音が聞こえてきたのは、この時であった。二人の剣士の前で、砦の各所から爆発が生じ、崩壊していく。
「これは、一体……!?」
「バァン様……っ!?」


 周囲の壁や天井に次々と亀裂が走り、砂埃や小さな瓦礫が、頭上から降ってくる。ひとみはバァンの腕にしがみつく。
「……バァン……!!」
「あいつ、この砦に爆薬を仕掛けていたんだ……!!」
「あいつ」というのは、勿論先ほどの男である。真っ先に瓦礫の下敷きとなり、もはやこの世の住人ではないが。
 扉もすでに塞がっており、部屋からの脱出も不可能である。  
「バァン、どうするの……?」
 黒髪の少年は、虚空を睨みつけ、何事か思案している様子だ。そして意を決したようにひとみを見やる。
「一か八かだ。ひとみ、エスカフローネを呼ぶ。力を貸してくれ」
「エスカフローネを……!? でも、ここまでエスカフローネがこれるかどうか……!!」
「わかってる。だが、どっちみち、このままでは助からない」
「バァン……!!」
 バァンの強い光を宿した瞳を見、幻の月の少女は頷いた。二人は互いの右手をとりあい、目を閉じる。そして白き竜を一心に呼ぶ。


 それぞれの愛機から降りた二人の剣士は、なすすべもなく崩れゆく砦を見つめていた。レグナスの身体に肩を貸し、支えているアレンも、また、支えられているレグナスも、祈るような眼差しを砦に向けている。
「バァン……!!」
 アレンが唇を噛み、小さく呟く。
 と、砦の一角の瓦礫が吹き飛んだ。大きな白き影が天空へと躍り上がる。
『エスカフローネッ!!』
 アレンとレグナスの声が重なった。
 白き竜は天空高く舞い上がると、自分たちの無事を皆に知らせるかのように、アレンたちの頭上を旋回してみせる。
「見て、バァン。アレンさんやレグナスさんもいるわ」
 バァンは地上に視線を落とし、こちらを見上げている青年たちを双眸に映す。どうやらレグナスも無事のようだ。前方にはクルゼードから手を振るガデスたち、アレンの部下の姿もある。
 ふとバァンは右腕を見やり、背後にいる少女に呼びかけた。
「ひとみ……」
「え? 何?」
「その、すまなかった。八つ当たりのようなことをして……」
 ひとみは、そこでようやく自分たちが喧嘩をしていたことを思い出した。バァンの背中に顔を寄せ、目を閉じる。
「ううん……もういいの。私も言いすぎちゃった、ごめんね」
 バァンは何とかえしていいかわからず、沈黙していたが、その頬は上気している。青い空を背に、少年と少女は、互いの存在を確かに感じるのだった。


 あたたかな光が大地を撫で、心地よい風に草が揺れる。バァンが剣術の鍛錬をしていると、いつものようにレグナスが差し入れを持ってやってきた。先日の戦闘で左腕を負傷した彼は、包帯で腕を吊っている。
 バスケットはひとみが受け取り、気遣わしげにレグナスの腕を見やった。
「大丈夫ですか? 怪我の方は?」
「はい、まだ少し痛みますが、何とか。ご心配をおかけして、すみません」
 穏やかに言う青年に、バァンは気になっていたことを訊いてみた。
「レグナス、あの青いガイメレフは、お前のものなのか?」
「ええ、この剣と同じで、父の形見なのです」
 腰に下げた剣をみせつつ、レグナスは言った。
「あ、すまない……」
「いいえ、お気になさらず」
 そこでレグナスは何かを思い出したような顔をし、アストリアでの滞在期間が延びたことを告げた。
「それじゃあ、もうしばらくこの国に……?」
 と、これはひとみである。バァンから、レグナスが近いうちにアストリアを離れると聴いていたので、残念に思っていたのである。目の前にいる青年は、この国ではミラーナやアレンたち以外で親しく接してくれる、数少ない人物なのだ。
「はい、私は見てのとおりですし、私のガイメレフ――アスレーダもあの状態です。まあ、アスレーダの方は、アレン様の御好意で修理して頂けることになりましたが。というわけなので、またしばらくこちらに通わせて頂きますね」
「そうか。よろしく頼む」
「こちらこそ。私のいる間は、お二人とも、どうぞ仲良くなさって下さい。でないと、安心して療養もできませんから。まあ、先日のお二人のご様子からすれば、大丈夫でしょうけれど」
『な……っ!?』
 少年と少女は一瞬のうちに顔を真っ赤にする。音を立てないのが、不思議なくらいの染まりようである。その様子に笑みをこぼしながら、レグナスは一礼し、去っていく。遠ざかっていく背を見送りながら、バァンもひとみも視線を彷徨わせた。
「……こ、これ、食べようか……!!」
 バスケットを持ち上げ、ひとみはぎこちなく言った。
「あ、ああ、そうだな……俺が持つ」
 ひとみの顔を見もせずに伸ばされた少年の手が、少女のそれに触れた。どきり、として思わず互いの顔を見やる。かと思えば、今度はそのままうつむく。バァンとひとみは、それぞれこれ以上ない、というほど顔を上気させたまま、立ち尽くした。それは、買い物から帰ってきた猫人の少女――メルルが声をかけるまで続いたという。


 ――空に浮かぶ二つの真昼の月が、静かに二人を見下ろしていた。



                       ――Fin――



 <あとがき>

・初のエスカフローネ創作です。天空のエスカフローネはいまからもう六年ほど前の作品ですが、好きなお話のひとつです。アレンさんとバァンの間で揺れ動くひとみちゃんや、危なっかしくて不器用なバァンには結構こちらもやきもきしましたね(笑) バァンの風車小屋での爆弾発言とその後の平手打ちには笑いました(^−^;)
ひとみちゃんと一緒になって思わず「馬鹿……」と言いましたね; 
 このお話は「恋の黄金律作戦」(言ってて恥ずかしいタイトルです;)の前が舞台となっております。結構お互いを意識させているので、本編以上に仲良くなってます。この後で フォルケンさんの「大きなお世話」が待っているのだから、これぐらいいいよね、と勝手に判断した結果でもあります。イメージを壊された方、すみませんでした。
 上記の中に登場するレグナス・アルフェインは、風見野のオリキャラです。何だかバァンたち以上に目立っているような気もしますが(ーー;)この子には、色々な設定があります。機会があればまた書くかもしれません。
 ここまで読んで下さって、ありがとうございました。



           2002.6.17   風見野 里久