――笑っていた。

 双眸だけでなく、心の奥まで染め上げてしまいそうな青い空の下、少年は笑っていた。女の子に負けないくらい器用な手つきで花を編んで、色彩豊かな首飾りを作り上げると、笑顔をさらに深くして差し出してくる。

『兄様――』

 身体を寄せて上体を屈めてやると、弟は嬉しそうに花の首飾りを自分の首にかけた。お返しに自分の作った花冠をその頭に載せてやれば、照れたような顔をして、互いの花飾りに気をつけながら、抱きついてきた。甘い香りが、鼻先をくすぐる。

『――大好きです』

『僕も、――のことが大好きだよ』

 自分と同色の双眸――空の青と海の碧を溶け込ませたような碧水の輝き……。この瞳に映る自分が好きだった。兄と呼ばれることも――。

 いまでもお前は、俺のことを好きだと、兄だと呼んでくれるかな……?

 俺……僕は――お前を守れなかった――。
空に抱かれしキミのために
『アゼルさんっ!?』
「――っ!?」
 呼びかけに、青年――アゼルの意識は現実へと呼び戻された。とっさに相棒の身体をひねらせる。光弾が真横を通過し、後方にそびえる岩壁に、巨大な穴を穿った。
 ひとつ息を吐くと、呼びかけてくれた少年――トーマの方を見やった。
「ごめん、トーマ、助かった」
『いえ、気にしないで下さい。それよりも、大丈夫ですか? どこか、具合でも悪いんじゃないですか?』
「いや、ありがとう、大丈夫だよ」
『なら……いいんですが、無理しないで下さいね』
「ありがとう」
 幼なじみの少年との通信を終えると、アゼルは自分の頬を叩いた。
 何をぼんやりしている、いまは戦闘中だ。一瞬の油断が、自分だけならまだしも、周りの者まで巻き込むかもしれないのだぞ!
 今月に入ってから、ガーディアン・フォースは、国境付近に出没している盗賊団を追っていた。アーバイン、ムンベイ、そしてアゼルが、それぞれの持つ情報網を駆使し、盗賊団の根拠地を発見したのが、つい先日のことだ。バンやトーマたちと合流すると、彼らはそこを急襲した。敵はコマンドウルフが二十体、レブラプター十体、ステルスバイパー七体の、計三十七体からなった、規模としてはなかなかの一団だった。そのため今回は、諜報活動を主とするアゼルも、戦闘に参加することになったのである。
 戦いはすでに終盤を迎えようとしていた。その日は、最悪の日となったのである――盗賊たちにとって。ガーディアン・フォースとはいえ、たかが数体のゾイド、と、なめてかかった盗賊たちは、彼らの実力を身をもって思い知らされたのである。
 碧水のコマンドウルフ――フェンリルが咆哮した。白いコマンドウルフがとびかかってくる。鋭い爪の一撃を軽くかわすと、牙を閃かせた。首筋の辺りを噛み裂かれた白い狼が、悲鳴を上げて大地に沈み込む。傷が致命傷に至っていないことを確認すると、アゼルは次の標的に視線を移した。ステルスバイパーが、長大な身体を翻した。尾がうなりを生じてフェンリルを叩き伏せようとしてくる。
「やった!!」と、ステルスバイパーの操縦者は思った。目の前にいる碧水のコマンドウルフが立ちすくんだように、彼の目には映ったのだ。が、次の瞬間、男の目は、目標を見失っていた。尾が虚空を薙ぎ払った。どこにいった、と思う間もなく、男の身体に影がかかる。頭上を見上げた彼は、自分に向け降ってくるコマンドウルフを見、自身の恐怖に満ちた声を聴いた。
 フェンリルは、ステルスバイパーの首の付け根の辺りに着地した。支えきれるはずもなく、ステルスバイパーは地面に這いつくばる。
 と、アゼルの視界の片隅で、こちらに向かってきていたレブラプターが、彼が何もしないのに、背中に落日色の光を弾けさせた。
 笑みを含んだ視線を向ければ、黒い稲妻が悠然と歩み寄ってくる。
『悪いな、獲物を横取りしちまった』
「気にすることないさ。俺もたくさんやらせてもらったからね」
 事実である。アゼルによって、すでに十体以上が戦闘不能にされていた。彼は諜報員としての能力だけでなく、一人のゾイド乗りとしてのそれも非凡だった。その腕は、バンやアーバインたちに劣らぬ。
『おい、アーバイン、まだ終わってはいないのだから、さぼるな』
 コマンドウルフ、ライトニングサイクスの元へディバイソンがその身を寄せてくる。
『何で俺一人に言うんだ? アゼルだってさぼってるじゃねぇか』
『アゼルさんはいいんだ。もう充分働いてもらった』
 アーバインは頭を掻く。
『お前なぁ、そりゃあ贔屓って言わねぇか』
 アーバインは面白くなさそうな表情をつくったが、その目は笑っていた。本気で言っているわけではない。トーマの方も、言っている内容にしてはその語気は穏やかだ。このような他愛もない会話をする余裕が、ガーディアン・フォース側には生じているのだ。
 だが、安堵感を抱くのは、まだ早かったようだ。
『おい! 三人とも、和んでないでこっちを手伝ってくれよ!』
 レブラプターの相手をしていたバンが声を上げた。
 そうだ。まだ完全には終わっていない。盗賊たちは、もはやわずか数人しか残っていなかったが、いまだ抵抗を続けている。その表情はあきらめていない、というよりも、疲労と敗北感で自棄になっていたが。
 三人のゾイド乗りが、愛機の首をブレードライガーの方へめぐらせようとした時、フェンリルとディバイソンのコクピット内で電子の声を持つ相棒たちが、危険を告げた。
『――!?』
 危険はディバイソンとライトニングサイクスの真下からやってきた。足元の土が盛り上がり、二体の機獣の身体を高々と跳ね飛ばした。地面で一度跳ね返り、さらに二、三転する。  
「トーマッ!? アーバインッ!?」
 アゼルが思わず叫んだ。その白い横顔に、背の高い影が踊った。土と砂を振りまき、何かを擦りあわせたような、蛇特有の鳴声を上げる。
「ステルスバイパー!?」
 大地の下に潜み、隙を窺っていたのだろう。尾が大気を引き裂いてコマンドウルフの横顔を殴打した。
「っあっ!!」
 フェンリルの四肢が地を離れ、身体が岩壁に叩きつけられた。身体を座席とコクピット内に何度も打ちつけ、アゼルの意識は朦朧となった。
 ステルスバイパーは興味を失ったように碧水の狼から、ディバイソンたちへと向き直った。尾が動き、ディバイソンとライトニングサイクスの身体を殴りつけようとする。
 闇に浸食されつつあるアゼルの視界に、もう一対の碧水の輝きがよぎる。それとともに甦る記憶……。

 ――自分に向かって伸ばされた白く小さな手……。

 助けを求める悲痛な声……そして、それを覆い隠してしまう、忌まわしき影……。

「――やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
 アゼルは叫んでいた。後はもう何が何だかわからなかった。気がついた時、ステルスバイパーはコンバットシステムをフリーズさせ、地面に横たわっていた。 
 自身の荒い呼吸音とトーマたちの声を、遠くで聞いた。
 一筋の涙が頬をつたう。

 ――どうして……あの時……俺はお前を守ってやれなかったんだ……。どうして俺だけ生きているんだ……。きっとお前は、俺を情けない兄、いや、もう兄とすら、思っていないだろうな。

 意識を手放す瞬間、アゼルは自分と同色の双眸を持つ少年の姿を見た。

 ――笑っている。

『兄様――』

 ――そうか……お前は、まだ俺を……僕を、兄と呼んでくれるのか――。


「――様! 兄様!! 兄様、起きて下さい!」
 まだまだ幼い声が、アゼルの意識を覚醒させた。
 開かれた碧水の双眸に、青い青い空と弟の姿が映る。
「どうしたんだ?」
 まだ眠気の残る両眼をこすりつつ、アゼルは草地の上から上体を起こした。
 兄と面差しのよく似た少年は、眉をひそめてみせる。その顔はとても愛らしく、アゼルは思わずこぼれそうになる笑みを、必死で堪えた。
「どうしたんだ、じゃ、ありません。兄様、一人で勝手に寝ないで下さい。兄様はそれでよくても、――はつまらないです」
 幼子は唇を尖らせて言った。敬語を使うわりに、一人称は自分の名前だ。それがこの弟の話し言葉において、唯一子供らしい部分ではあったが。
「ごめん、ごめん、赦してくれ」
「やれやれ」と、アゼルは内心苦笑する。まだ五歳にもならぬ身で敬語を使ってくる弟に、彼は頭が上がらない。
「ほら、綺麗でしょう? これ、――が作ったんですよ」
 多少機嫌が直ったのか、弟は手にしていた花冠をみせた。
 それは確かに綺麗だった。とても四歳の子供がつくったものとは思えない。色の組み合わせもきちんと考えてあり、下手に宝石を使ったアクセサリーよりも、よっぽど綺麗だった。
 器用なものだ、とアゼルは思う。そして、もう一度苦笑した。
「こういうのを、兄馬鹿というのかもしれないなぁ」
 兄がそんなことを思っているのを知る由もない少年が、じっと見つめてくる。無言の要求を理解したアゼルは、上体を屈めた。
 弟は満足げに頷くと、兄の頭に花冠を載せた。
「いいのかい? 僕がもらっても?」
 落ちないように微妙に花冠の位置を変えながら、アゼルは問うた。
「大丈夫です」
 見れば、弟の手の中には、もうひとつ花冠があった。きっと自分が寝ている間に編んだのだろう。
 アゼルは口元をほころばせる。
「貸してごらん」
 そう言って、弟の小さな手から花冠を受け取ると、これまた小さな頭に載せてやる。
「おそろいですね、兄様」
「ああ、そうだね」
 と、アゼルは弟のわきにもうひとつ花冠があるのに気づいた。
「――、それは誰にあげるんだい?」
「後でセルリエの家に持っていってあげようと思って」
 兄弟の表情が心なしか悲痛なものとなった。
 セルリエ――幼くして逝ってしまった、同じ村に住んでいた娘の名だ。弟よりも一歳だけ年上の、明るい少女だった。
「兄様、死んだものはどこへいくんですか?」
 弟の唐突な問いに、アゼルは一瞬反応できなかった。が、当然といえば、当然の質問であった。まだ幼い弟に「死」が理解できていなくても、おかしくはない。
 花冠を軽く手でおさえながら、アゼルは天空を仰ぎ見た。弟もそれに倣う。
「……死んだ人は、いや、人だけじゃない、動物もゾイドもみんな、死んだら、この空に行くんだよ」
「空に?」
「そう。みんな、この空に抱かれながら、地上を見守ってるのさ」
「じゃあ、セルリエも――たちのことを見てくれているんですね?」
「ああ……きっと……見てくれているさ――」
 風が兄弟の頬を撫で、髪をそよがせた。草木が音をたてて揺れ、数百にもおよぶ花びらが風にのって遙かな空へと舞い上がっていく。赤、青、黄、紫……色とりどりの花びらが舞う中、二人は碧水の双眸を輝かせ、そして、笑った。


 ……目の前にひろがるのは、闇だった。
 何がどうなったのかもわからぬ。意識だけが、虚空を彷徨っているような感じだ。
『――兄様……兄様……』
 懐かしい声が聞こえる。が、いまのアゼルには、それがどこから聞こえてくるのかもわからなかった。
『……兄様……目を……開けて下さい………』
 ――目……?
 自分の目は閉ざされているのだろうか。目に意識を集中すれば、辺りを覆っていた闇がはれていく。が、そんなことよりも、もっと重大なことがあった。目の前に弟がいた。記憶にある、あの時の姿のままの弟が、自分に微笑みかけている。
 アゼルは弟の名を呼んだ。
 ――俺は、お前を……!!
 少年はゆっくりと頭を振った。
『兄様、生きて下さい。それが――の望みです』
 ――俺だけ生きてどうする!? お前は死んでしまったのに、 いや、死なせてしまったのに……!?
 弟は碧水の瞳にいたずらっぽい光を浮かべ、再び頭を振る。
『兄様、忘れてしまったのですか? 死んだものはみんな、空に抱かれて地上を見守る……これは兄様に教わったことですよ』
 アゼルは何か言いかけるが、無言のうちに口を閉ざした。
 少年は片足を軸にくるりと回転してみせる。長く伸ばされた髪が円を描いた。
『――も、父様も母様も、そして村のみんなも、あれからずっと天空高くから兄様を見てきました。これからもずっとそうします』
 弟は兄の顔を覗き込んだ。碧水の双眸に、互いの姿が映る。少年は兄の細い身体に両腕をまわした。
 アゼルは驚いたように弟を見やる。
『――大好きです、兄様。あなたは――のたったひとりの兄様です』
 アゼルはもう一度弟の名を呼ぶと、抱きしめた。
『兄様……生きて下さい――』
 ……それが、アゼルの聴いた最後の言葉だった。


 アゼルが目を覚ますと、空ではなく、白い天井がその瞳に映った。
 自分は一体どうなってしまったのだろうか。
「……っつ!!」
 身体を起こそうとして、右肩に鋭い痛みが走った。見れば、半袖のシャツの下から包帯が覗いている。
「打撲……というところかな」
 アゼルはため息をつくと、何とか上体を起こし、室内を見回した。窓ガラスごしに見える外に、ゾイドの姿がある。どこかの基地の一室のようだ。ベッドの側にある椅子の上には、愛用の上着がきちんとたたまれておいてある。
 勝手に外へ出ていいのだろうか。考えていると、扉が開いた。
「アゼルさんっ!!」
 トーマである。上体を起こしたアゼルを認めるや、顔を輝かせ、ベッドの側にやってくる。
「お身体は大丈夫ですか?」
「少し右肩が痛いけど、大丈夫。ありがとう」
「――よかった」
 トーマは心底安堵したような笑みを浮かべた。
「心配したかい?」
 からかうような口調でアゼルは問うた。
「当たり前じゃないですか!!」
 翡翠の双眸を持つ少年は、ベッドの端に両手をついて、半ば叫ぶように言った。目も口調も真剣そのものだ。
 それを見てとると、民間協力者である青年は軽く頭を下げる。
「ごめん……変なこと言って……」
「あ、いえ、そんな……」
 翡翠と碧水の目が合う。少年と青年は何となく笑ってしまった。
 二人が笑っていると、再び扉が開いた。
「お、目が覚めたのか、アゼル」
「よかった、心配したんだぜ」
 軽く笑うアーバインの背後から、バンが顔を覗かせる。入ってきたのは、ガーディアン・フォースの面々だ。たちまち室内は人で一杯になる。
 フィーネが手にしていた花瓶をサイドボードにおいた。生けられた花が微かにその香りを伝えてくる。
「ありがとう、フィーネ。綺麗な花だね」
「どういたしまして。アゼルさん、フェンリルとアークも心配していましたよ。早くよくなって下さいね」
「ああ」
 後で相棒たちに連絡のひとつでもいれよう。フェンリルあたりからは怒られるかもしれないが、それも生きていればこそ聴けるのだから、ありがたく聴かなくては。
 そんなことを思っていると、横でバンとトーマが何やら口喧嘩を始めていた。アゼルが口を開くよりも早く、「あんたたち、怪我人の前だよ!!」とムンベイが一喝する。二人の少年はまだ何か言いたそうだったが、アゼルをはばかったのだろう。おとなしくなった。その様子をどこか微笑ましげにアーバインとフィーネが見つめている。バンとトーマの喧嘩が、アゼルの意識が回復したという安堵感からくるものだとわかっていたのだ。
 アゼルはその光景を見、花瓶の花を見、そして窓から空を見やった。

『――は、これからもずっと兄様のことを見ています。この空に抱かれながら……』

 そんな声が、空から聞こえた気がした。
 ずっと考えていた。死んでしまった弟やみんなのために、自分は一体何をすればいいのか、と。

 ――生きよう。それが、お前のために俺がしてやれることならば――。

 ……青く果てしない空が、今日も地上を見守っていた。



                          ―Fin―



  <あとがき>

・アゼル中心小説第二弾です。今回の話で彼の過去が少し見えたと思います。
 アゼルは穏やかでいつも笑っていて、一見すると何の悩みもないように見えますが、そんなことはありません。
 彼も様々なものを抱えています。その中でも最も大きな存在はやはり『弟』でしょう(弟の名前は、今回はふせさせてもらいましたが、
 いずれ小説にとりあげるつもりです)。
 弟は上記の話を読んでおわかりのように、もうこの世にはいません。
 それでもアゼルの弟を想う気持ちは、彼の中に深く刻み込まれています。
 誰かを想って、誰かのために生きる、たとえそれが死した者であっても……あるいはそれはすごい生き方なのではないでしょうか?
 風見野はまだあまり『死』というものを多く経験したことはありません。ですが、これから先、嫌でも経験することになるのでしょうね。
 その時、このアゼルのような生き方は、どのように私の目に映るのでしょう……? 


                                         2001.11.10      風見野里久