空と空をつなぐ橋
湿った大地にたまった水が、陽光を受けて白く輝いて見える。慈雨を浴びた草木は、その色が一層鮮やかになったようだ。
雨がやんだことで、一時は少なくなっていた通行人が、またどこからか現れる。外で遊べるようになったことを喜んだ子供たちが、水たまりにも頓着せず走り回る。子供らしい元気さに大人たちは口元をほころばせつつも、飛沫を浴びないように注意して歩いていた。
人と水たまりの間を縫って歩く、若い二人の姿がある。手にそれぞれ紙袋を持っていることから、買い物にきているようだ。ひとりは頭部に青いバンダナを巻いた青年で、もうひとりはというと、こちらは少女である。溶けるように白い肌をしており、濡れ光る草木の緑よりも美しい翡翠の髪がよく映えた。
青年の背を見失わないよう、注意しながら足を動かしていた少女であったが、ふとその歩みをとめた。
「ティナ?」
少女の足がとまったことを気配で察したのだろう、青年も歩みをとめ、振り返った。ティナは空の一角に双眸を固定させている。何を見ているのだろうか。不思議に思い、少女の傍に歩み寄る。
「……ロック、あれは何……?」
青年が問いかけの言葉を口にするよりもはやく、ティナの方が先に問うた。
少女の視線を追って天空を仰いだロックの瞳に、空にかかる半円状の橋が映った。
「あぁ、虹だよ」
「に……じ……?」
虹を見たのは初めてなのか、ティナは軽く首を傾げてみせた。
「雨あがりの空に、時々あんな風にかかるんだ。ある程度したら、消えちゃうんだけどね」
何故七色に見えるのか、といった原理を、詳しく説明しようと思えば、説明できたが、ロックはあえて簡単に言った。帝国で兵器として扱われてきたティナは、戦闘に関すること以外は、ほとんどといっていいほど知らない。そんな少女に、自然というものが垣間見せる不思議な、それでいて素敵な現象を、ありのままに受けとめてほしかったのである。
空の中に浮かび上がって見える、淡い七色の光の橋――何故だろう、見ていると不思議な思いがする。目を見開いて虹を眺めていた少女は、ぽつりと呟くように言った。
「――きれい……で、いいの……?」
自信なさげにロックを見やる。自身の内に生まれた感情を表現するのに、何が適切な言葉か、よくわからないのだろう。
全てを了解している青年は、口元をほころばせた。
「ああ、それでいいんじゃないかな。ティナがそう思うなら」
小さく頷いて、ティナは虹を双眸に映した。
「――きれい………」
やがて七色の橋が空に溶けて消える。名残惜しそうに少女が口を開いた。
「消えちゃったね」
「ああ、でも、またいつか見られるさ」
「うん……」
と、ティナの手をロックがとった。晴れわたった空のような笑顔をみせる。
「いこう、ティナ。みんなが待ってる」
地をわたり始めた風に翡翠の髪をそよがせつつ、ティナは確かな微笑みを口元にたたえた。こくりと頷く。つないだ手をとおして感じる温もりが、少女の心に安堵感を満たす。
以前ロックのことを、自分の空だとティナは言った。それに対して、彼はこう言ってくれた。「俺の空はティナだよ」と。
――虹は橋。
決して手のとどかない場所にあって、空と空をつなぐ橋。
そしていま、ティナという名の『空』と、ロックという名の『空』をつないでくれた。
手をひかれて歩きながら、ティナは肩ごしにもう一度だけ天を仰いだ。
「――ありがとう……いつか……また逢えたらいいね……」
少女の胸中で紡がれた言葉は、空へと舞い上がっていった。
――Fin――
<あとがき>
・ロックとティナの話も第三弾まできました。今回のお話は、虹をテーマにしてみました。風見野は虹を実際に見たことは、まだ数えるほどしかありませんが、初めて見た時はその不思議さと綺麗さに感動したのを覚えています。
文章中にもありますが、ティナは帝国で兵器として扱われていたから、きっと誰もが知っている自然現象などを、純粋に受けとめたことがないと思います。例えば、星や月を「綺麗なもの」と思うのではなく、「方角や時刻を知るためのもの」といった具合に。だから、風見野が初めて虹を見た時の気持ちを、ティナに少しでも知ってもらいたかったというのも、このお話を書いたきっかけのひとつです。
ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。
2002.12.4 風見野 里久
