太陽が眩しい光を地上に投げかけてくる。陽ざしが強い。それが不快な暑さにつながらないのは、時折吹く風のおかげだろう。空がその清澄さを誇るかのように青く、どこまでも広がっている。
先の任務で負傷したトーマは、ルドルフから「いい機会だから、ゆっくり休んで下さい」という言葉とともに休暇をもらい、自宅に戻っていた。庭の木の陰に腰を下ろし、空を見上げている。翡翠の双眸は空を映しているようで、映していない。もっと何か、ふかいものを映しているように思われた。
草の発した音に、少年とも青年ともいえそうな彼は、弾かれたようにそちらを見やった。視線の先には、同じく休暇中の兄の姿があった。
「こんな所にいたのか、トーマ」
困った奴だ、とばかりに笑うと、シュバルツはトーマの頭に手をおく。
「寝てなくていいのか?」
「ずっと部屋に閉じこもっていたら、息がつまっちゃいますよ」
「それもそうだな」
シュバルツは弟の隣に、同じように腰を下ろした。
トーマは肩から包帯で吊った左腕をさすりながら、気になったことを訊いてみる。
「兄さん、どうしてここに?」
「部屋にお前の姿がなかったから、気になってな」
「そうだったんですか。ご心配をおかけして、すみません」
頭を下げる弟に、シュバルツは微笑で応じた。言葉にこそしないが「気にするな」とその表情が物語っている。
今度はシュバルツの方が問いを発した。
「空を見上げて、何を考えていたんだ?」
「え? あ、その……」
トーマは照れ隠しのためか、視線を兄から空へと転じた。何と言ったものか。その状態のまま考え込む。シュバルツは急かすことなく待つ。
ややあってから、トーマは言葉をつむぎ始めた。
「……こうして空を見上げていると、何だか言われているような気がするんです。『こんなにも広い空の下に、お前は生きているんだぞ』って……世界って、広かったんですね」
普段は任務だ何だと忙しくて、このように空を見たことはなかった。任務をはなれ、何気なく仰いだ天空の、何と青く、広かったことか。この空の広さだけ、世界は存在する。それを思った時、今さらだが世界が広く感じられた。
シュバルツの口から、控えめだが、笑いがもれた。弟のみせた、純真無垢な横顔が、妙におかしかったのである。
少年の顔がみるみる真っ赤に染まる。
「に、兄さんっ!? 笑わないで下さいっ!?」
耳まで上気させて、トーマはうつむいた。
笑いをおさめた彼の兄はそっと彼の左肩に手をおき、顔を上げさせた。
「すまない、トーマ。そうだな、確かに世界は広い。この空から見れば、俺たちの存在など、とるにたらんちっぽけなものだろうな」
気をとりなおしたように、少年は無傷の右手を天に向けて軽く伸ばした。こんなにも身近にあるのに、触れることのかなわない空に向けて……。
「――世界は……空はこんなにも広い。でも、僕の『世界』は、とても狭い。少し歩けば終点が見えるくらいに――。GFになって、バンたちに出逢って、それを痛感しました……」
トーマにとってその『地図』は完成していた。全てを調べつくし、もう加えるものはないと思っていた。が、そこに新たな地形が追加された。それが共和国であり、バンたちだった。ついこの間まで争っていた相手国、デスザウラーを倒した英雄。そんな認識しかなかった。『地図』が広がるにつれて感じた。いかに自分の世界が狭かったかを。
シュバルツはどこか遠くを見るような目をする。
「――自分の『世界』の広い、狭いは、たいした問題ではないさ。広さなんてものは、生きていくうちに自然と変わる。たとえどんなに狭い『世界』でも、自分が生きていくために必要な存在がそこにいれば、それでいい……俺は、そう思うな」
「自分が生きていくために必要な存在……ですか?」
シュバルツは翡翠の双眸と口調に、いたずらっぽい微笑を含んだ。
「俺の『世界』には、ちゃんといるぞ。お前の方はどうだ?」
省略されていたが、何のことを指しているか、トーマはすぐに理解した。顔全体に嬉しさと喜びの色を浮かべる。
「います! 僕の『世界』にもちゃんと、兄さんがっ!!」
右腕だけでトーマは兄の身体に抱きついた。急な動きに傷が痛んだが、そんなことは気にもならなかった。兄の優しい手が頭にそえられた。
……誰もが生きている。自分だけの『世界』を抱えながら。そこに自分が生きていくために必要な存在がいるか、いないかは、個人差があるけれど、いつかきっとみつかるはず。どこかにいるだろう、その人が在るために、世界は……空はこんなにも広いのだから――。
−Fin−
<あとがき>
・今回の話は、風見野が以前感じたことを絡ませてあります。相変わらず
よくわからない話ですみません。実を言うと、風見野の『世界』もとても狭いです。
以前は自分の『世界』の狭さに、恥ずかしさや悔しさを感じたものでした。
でも、『それ』をみつけてからは、不思議と先述のような気持ちはなくなりました。
今はのんびりと『世界』の開拓中です。皆さんの『世界』はどうですか?
2001.9.10 風見野 里久
