自由で孤独な翼の行方





 ゆっくりと飛翔する純白の影を、翡翠の双眸はとらえていた。
 遊び疲れて、風を呼び込む丘の斜面に寝転んだのが、半時ほど前。隣にはアゼルの姿もある。トーマは、というと、自分たちをここまで連れてきてくれた碧水の狼の中で眠っている。心地よい微睡みの中にあった意識が、何気なく引き上げられた時、それはカールの視界に飛び込んできた。
 大空に翼をひろげる、真っ白な一羽の鳥――。
「……何を見ているんだい? カール?」
 てっきり眠っているものと思っていた友人が、上体を起こして問うてきた。
 自分の姿を映す碧水の双眸を軽く見やると、カールは空の一点を指し示す。
「あれさ」
 アゼルの瞳が、カールの指先を追って空へと向けられた。碧水の瞳が、陽光を弾いて煌めく。
「――鳥か……」
 呟く少年の声には、不思議な響きがあった。
「何のために鳥は、空を飛ぶんだろうな……」
 半ば独語するように、カールは言った。それに応えて、アゼルは面白がるような視線を友人に投げかける。
「どうしたんだい? 急に?」
 確かにそうである。いきなり自分は何を言っているのやら。そう思いつつ、カールは微笑を含んだ口調で言った。
「いや、ふと思ってな。鳥は一体何を考えて、何のために空を飛ぶのか、って」
 碧水の双眸を持つ少年の視線から、面白がるようなものが消え、かわって真剣なものが加えられる。
 外敵から身を守るため、食物を確保するため――生物学的な返答ならば、これでもいいだろう。だが、カールの求めている答えは、こういったものではないことをアゼルは承知していた。少し考えてから、口を開く。
「そう……だね。僕には、自分の居場所を探しているように見えるよ」
「居場所を?」
 翡翠の瞳をした友人に、アゼルは曖昧な微笑を向ける。
 いま自分たちの頭上遥かで翼をひろげる鳥は、安息の地を探している。何故かアゼルにはそう思えた。もっとも、自分と鳥を重ねているだけなのかもしれないが。自由の象徴とされながらも、時に孤独に見える鳥に――。
「――自分が、自分らしく生きるための居場所……。鳥はそれを探しているのかもしれない。僕は、そう思うよ」
 アゼルの天空への視線は、憧憬と孤独に満たされていた。このような時、アゼルはひどく大人びて見える。一体何がそうさせるのか、カールにはわからない。だが、アゼルが話そうとしない以上、訊くつもりもない。彼は友人――それで充分だった。
「――僕の居場所も、まだみつかっていない……」
 アゼルは胸中で呟いた。と、そんな彼の心を読んだように、カールは言葉を紡ぐ。
「みつかるさ、きっと――」
 碧水の双眸が、驚いたように見開かれた。それを気配で察しながら、カールは両眼を閉ざした。
「……ありがとう……」
 ささやくようなアゼルの声を聴きながら、カールは再びやっていた睡魔に身を委ねた。まだ飛んでいるであろう鳥と、大切な友人が、いつか自分の居場所をみつけることを願って――。


「あれから随分たつが、居場所はみつかったのか?」
 湯気の立ち上るコーヒーカップを片手に、青年将校は問うた。問われた方は、唐突な質問に驚いたようである。こちらもカップを片手に、小首を傾げた。
「どうしたんだい? 急に?」
 十数年前と同じ言葉だ。発する者も、身体的な成長を除けば、あの頃とあまり変わっていないように見える。
 シュバルツは軽く笑って、自分が先ほど思い出していた、十数年前のことを語った。
「あぁ……あのことか……」
 カップを両手で包み込み、アゼルは懐かしそうに目を細めた。
 友人が回想していたことは、おそらく自分のいままでの人生の中で、最も穏やかな時期に入るだろう。あれから本当に色々なことがあった。いや、ありすぎた、といってもいい。
「それで、どうなんだ?」
 もう一度問えば、民間協力者である青年はいたずらっぽく微笑んだ。
「どうだと思う?」
「訊いているのは、こちらなんだがな……まあいいか。そうだな――」
 シュバルツが言いさした時、扉がノックされ、トーマが姿をみせる。
「兄さん、アゼルさん、昼食はまだですよね? ご一緒してもいいですか?」
 休憩時間であるから「兄さん」と呼ばれても、シュバルツは咎めなかった。残っていたコーヒーを飲み干し、アゼルの方を見やる。碧水の双眸を持つ青年も、ひとつ頷いてカップを空にした。
「いいよ、トーマ。行こうか」
 そう言って、アゼルが立ち上がり、若き大佐もそれに続いた。
「ありがとうございます、お二人とも」
 嬉しそうにトーマは礼を告げた。早速アゼルに何やら話しかける。楽しそうな少年の様子に、民間協力者である青年も笑顔で応えた。その光景を見、シュバルツは先ほどの問いの答えを見出したような気がした。
「兄さん? どうかなさったんですか?」
 話に加わろうとしない兄をいぶかしく思ったのか、トーマが振り返る。
「いや、何でもない。なぁ、アゼル」
「ん?」
「もうひとつ質問だ。あの鳥はどこに行ったと思う?」
 微笑を含んだ問いに、アゼルはきょとんとした表情をする。その顔は少々童顔である青年を、さらに幼くみせた。返答までには、少々間があった。
「――あの鳥がみつけた居場所だと思うよ。自分が、自分らしく生きるための、ね」
「――なるほど」
 青年将校は軍帽をかぶり直す。半分以上は、表情を隠すためのものだ。もし、この時のシュバルツの顔を見たものがいれば、意外に思ったかもしれない。軍帽の下にあったのは、冷静な軍人としての表情ではなく、まるで少年のようなそれであったのだから。
 トーマは小首を傾げながら、二人の年長者を交互に見やった。
「何なんですか? あの鳥とか、居場所とか……?」
「そっか、トーマはあの時寝ていたから知らないんだよね」
「あの時……?」
 ますます首を傾げる弟の肩を、シュバルツは笑って叩いた。
「それはこれから話してやるさ。いまのお前よりも若かった頃の俺たちが、何を見て――」
 アゼルが微笑んで、その先を引き継ぐ。
「――何を思っていたのかを……」



 空をゆく翼に自由を感じ、その姿に孤独を見た。
 青の世界も、流れる白い欠片も、全てが眩しくて、自分の居場所がわからなかった。
 世界なんていらないから、どんなに狭くてもいいから、居場所を下さい。
 目に見えない誰かに、何度そう言っただろう。



「居場所ってね、存外近くにあるんだよ。あまりにも近すぎて、逆にわからないだけ。鳥のように、空高くから見下ろせば、すでに居場所をみつけている自分が、見えるんだろうね、きっと」



 翼を持たない身だけれども、心で高く飛ぼう。
 自由も孤独も味方にして。
 そして、空と大地に愛されている自分を感じよう。
 そうすれば、きっと見えてくるよ。
 自分の居場所が――。



                    ――Fin――



 <あとがき>

・初の記念創作がこれでいいのか、という気もします; 本当はメイン全員出てくる話にしたかったのですが、時間的都合から断念しました(ーー;)すみません。自分の言いたいことがうまく表現できず、わかりにくい話になってしまったと思います; 今度こそはゾイド戦を書こうと思ってます。気長にお待ち下さい。

                                          2002.10.27    風見野 里久