時は流れ、降り積もる
四角い窓の向こうに広がる、青い空。
ゆっくりと流れていく白い雲を、緑の瞳に映していた少女は、やがて窓に手をかける。
開いた窓から、心地いい風が吹き込んできた。
緑の瞳を閉じて、少女――は、新鮮な空気を胸一杯吸い込む。
――決して悪い天気ではない。
気持ちいい日だと、思う。
けれどの表情は、この日の天気のように晴れてはいなかった。
――原因は判っている。
困ったような顔をして、は「はぁ…」と溜め息をついた。
今日は日曜日で、学校も部活も休みだ。
は何も、普段から休日になると暇を持て余しているわけではない。
普段の休日には、友達と出かけたりもするが、大半は家族と過ごしている。
だが、今日は――。
と、家の電話が鳴った。
はドアの方を見やるものの、すぐに受話器を取りに行こうという気にまではならなかった。
ややあって、「?」と呼びかけられ、部屋のドアがノックされる。
次兄の声には「なぁに? 入っていいよ」と返事を返した。
ドアを開けた蒼天は、コードレスを持って入ってくる。
どうやら電話に出たのは彼だったようだ。
「に電話だよ。手塚くんから」
穏やかに微笑む蒼天の言葉に、は一瞬の時を持つ。
「――ホント!?」
次の瞬間には、表情をぱぁっと輝かせた。
蒼天はくすくすと笑って、「もちろん」と、コードレスホンを手渡す。
「ありがとう、蒼天お兄ちゃん!」
嬉しそうに受話器を受け取ると、は保留を解除した。
「もしもし、手塚部長? はい、です!」
学校では先輩と後輩、テニス部部長とマネージャーという関係である手塚と。
しかし、実は青学へ入学する前から、兄妹のようなつき合いがあったのだ。
ゆえに学校では公私のけじめをつけるため、手塚はを「」と名字で呼ぶが、休日などプライベートな時は、「」と名前で呼んでいる。
声を弾ませる妹を見、もう一度微笑ましそうに視線を送ってから、蒼天は部屋を出る。
ドアを閉める直前、は表情と手振りで「ありがとう!」と、再び礼を言った。
「それで、あの、部長……どうかしたんですか?」
『ああ、その……』
の問いかけに頷きつつ、どこかいつもの彼らしくない、歯切れの悪い沈黙が訪れる。
不思議そうに、は「部長…?」と呼びかけた。
『ああ、すまない』
そう謝ると、手塚は意を決したらしく、電話をかけた目的を口にする。
『、今日これからの時間、空いてるか?』
空と時が真昼を過ぎた頃。
賑わう青春台駅前へ、走ってきたは辿り着いた。
(えっと、手塚部長は……)
辺りを見回して――その人を見つける。
スラッと伸びた高い背、長い足。
縁なし眼鏡をかけた凛々しい横顔は、年齢の割に大人びている。
今日は制服ではなく私服なので、余計にそう見えるのかもしれない。
(やっぱり部長、大人っぽくてカッコよくて目立つなぁ)
だから見つけやすい、とも思いながら、は自然と笑顔になる。
「手塚部長!」
明るい声で呼びかけて、小走りに彼の元へ駆け寄った。
「……」
一の姫を瞳に映した手塚の表情が和らぐ。
「すみません、お待たせしちゃって」
が軽く息を整えながら謝ると、
「いや、気にするな。俺が急に呼び出したんだからな。俺の方こそすまない」
真面目な手塚らしく、逆に謝り返した。
「いえ、それこそ気にしないで下さい。私、嬉しかったですから!」
素直な言葉と笑顔を零す。
手塚は一瞬、少し驚いたようにを見つめるが、やがてそれは優しいものになった。
手塚からの電話は、「これから本屋へ行き、あとは散歩でもしようかと思うんだが、一緒に行かないか?」という誘いだった。
はもちろん、喜んで首を縦に振り、その誘いを受けたのである。
本屋での買い物を済ませた手塚とは、街の人々が散歩やジョギングなどにも利用している広い公園へ向かう。
そして、その道を一緒にゆっくりと歩いた。
「あ、今度は銀杏の木……」
今は緑の、立ち並ぶ木々を見上げて、が言う。
先程通ったところには、葉桜の木が並んでいたのだ。
秋になれば黄色になるであろう、銀杏の並木道をふたりは歩いていく。
と、の瞳に、道の反対側で仲良さそうに腕を組んで歩く、男女のカップルが映った。
「……どうした? ?」
何かを考え込んでいるような彼女に気づいた手塚が、問いかける。
するとは、手塚の右腕の肘あたりの袖を、遠慮がちにそっと掴んだ。
「?」
手塚がもう一度呼びかけると、は彼の腕に自分の両腕を絡ませる。
「……!?」
さすがに驚いた手塚は、立ち止まって瞳を瞬かせた。
も足を止め、「突然ごめんなさい」と、はにかむように笑うが、
「……ダメですか?」
次には心配そうな、不安そうな瞳と表情で、手塚の顔を見上げた。
午後の暖かな陽射しが木々を透かして差し込み、緩やかな風と時が流れる。
「……いや。構わない、が……」
ダメという理由が無いのはもとより、の哀しそうに揺れる瞳に適うはずがなかった。
「ありがとうございます、手塚部長!」
沈黙の果てに返ってきた答えは、一の姫の表情をほころばせる。
は「えへ…」と嬉しそうに、甘えるように腕を組みなおした。
普段学校や部活などで、しっかり者で通っているこの少女の、こんな可愛らしい部分を他に知っている者がどれほど居るのだろう。
そう思った手塚は、微かに微笑んだ。
「本当にごめんなさい、突然。でも、手塚部長とこんな風にふたりでゆっくり過ごせるのは、久しぶりだから嬉しくて……」
今になって少し恥ずかしくなったは、腕には掴まったまま、視線は自分のつま先へ向けながら言った。
「ああ、そうだな。俺も同じだから、気にしないでいい」
――夕暮れには、まだ早い。
よく見なければ判らないほど薄らだが、手塚の頬が、少し紅い。
慣れていないせいか、微笑はしているものの、やはり若干照れているようである。
それに気づいているのか否か、彼から返ってきた言葉と微笑みに、はホッと安堵する。
「それと……実は今日、時斗お兄ちゃんが出かけちゃってるんです」
一度戻した手塚への視線を、しかしまたずらして、は俯いてしまった。
手塚は「え?」と、表情を改める。
「お母さんや蒼天お兄ちゃんは居るんですけどね……やっぱり、一人でもお兄ちゃんが居ないと、ダメで……」
は「って、ダメですよね、いつまでもこんなんじゃ……!!」と、心に残る淋しがりやな自分を叱咤する。
「――」
ふいに、手塚が足を止めた。
「え? 部長……?」
緑の瞳を見開いて、が手塚を見上げる。
辺りに人影は少なく、風と葉音の、自然の音だけがふたりの耳元に訪れた。
「……そういう時は、いつでも連絡してこい。時間が出来る限り、会いに行く」
「手塚…部長……!」
は、胸が温かな嬉しさで満ちあふれるのを感じる。
心なしか瞳が潤んできた。
「もちろん、俺でよければの話だ」
そんなに向けられる微笑みも、言葉も、声も限りなく優しかった。
「よければなんて、そんな……! 勿体ないくらい、嬉しいです……!!」
この嬉しさを、どう言えば伝えられるだろう。
言葉ではとても、伝えきれない。
胸がいっぱいになったは、瞳にまであふれてきそうになったその目元を、細い指先で軽く押さえる。
手塚は、茶色の髪をしたの頭を、軽く、優しく撫でた。
「……行くぞ」
その声には「はい!」と、元気よく返事をして、再び歩き出す。
――偶然とはいえ、今日、彼女に声をかけてよかったと、手塚は胸中でつぶやいた。
久しぶりの休日に、散歩がてら本屋まで行こうとは思ったものの、おそらくゆっくりできないだろうという推測は容易に出来た。
手塚はひとりで街中を歩いただけで、彼を知っている者はもちろん、彼をよく知らない者にまで、声をかけられてしまうことが多いのだ。
なので一緒に行かないか、誰かを誘ってみようと思い――が浮かんだのである。
そんなことを知らないは、手塚の腕にぎゅっと掴まる。
甘えるように寄り添い、並んで歩いた。
こうして再び、会えるようになるまでの――会えなかった時間。
『淋しい時』が流れて、降り積もっていた。
けれどこれからは、そばに居られなかった分、それ以上に、そばに居る。
これからは、きっと。
『あなたのそばに居る時』が、流れて、心に降り積もる。

end.
《あとがき》
手塚くん&一の姫ドリーム、第二弾です! いかがでしたでしょうか?;
何だかすでに恋人同士みたいな会話、仕草がありました(笑)
様は普段とてもしっかり者なのですが、実は大のお兄ちゃんっ子。
普段しっかりしてる分、お兄ちゃんが一人でも居ない時は淋しくなってしまうのです。
そう、様はお兄ちゃん大好きなので、そこからが恋愛成就への近道なんです(笑)
というわけで、青学レギュラー中(テニプリキャラ中?)一番、成就への道がきちんと
出来ていて、到達が早いのは手塚くんだと思います(^^;)
案外、次かその次くらいの話で、ゴールインするのでは…?(笑)
なんて思ったりしています。読んで下さってありがとうございました!
written by 羽柴水帆
