姫君の始まり〜三の姫〜





 空は青く晴れ、緑の風が薫る季節。

 青春学園中等部の敷地内にある中庭の、一角の木陰で、木に寄りかかって昼寝をしている少年が居た。

 彼の名は、越前リョーマ。

 テニスの名門と謳われるこの青学テニス部に、突如として現れた『青学のルーキー』である。

 静かに微風が吹き抜けると、今までリョーマを守っていた木の葉が揺れて、一瞬の強い木漏れ陽が、彼の瞼に降りそそいだ。

 リョーマは一瞬まぶしそうにして、「ふわぁ…」とあくびをする。

「――越前くん?」

 その刻、少女の声で名前を呼ばれた。

「ん……?」

 面倒くさそうに視線を向けてみると――。

 そこには、見覚えがある少女が居た。

 意志の強そうな黒い双眸を持ち、赤茶色の髪を低く二つに結った少女。

 リョーマのクラス――青学中等部の一年二組に、つい先日転入してきた少女だ。

「……何だ、あんたか。やっとクラスメートの名前、覚えられたみたいだね」

 得意の強気な笑みを浮かべて、リョーマが言った。

 すると少女は、ムッとした表情になる。

 ――たまたま席が近くなったので、彼にも色々と訊いたりしたのだが。

 彼の名前を、少なくとも合計三回は訊ねてしまい、

「クラスメートの名前も覚えられないなんて、まだまだだね」

 ――と、言われたのである。

「この前転入してきたばっかりなんだから、すぐに覚えられるわけないでしょ! しかも男子のなんて……」

 最後の方は何やらぶつぶつと、赤茶色の髪の少女はつぶやいた。

「大体、私にだってちゃんと名前があるの! あんたなんて呼ばないでよ」

「あぁ、ごめん。ところであんたの名前、何だっけ?」

 リョーマは勿論、わざとそう返したのである。

 少女はム〜ッと苛立ってみせて。

よ! 転入生の名前も覚えられないなんて、あなたもまだまだなんじゃない?」

 名を告げるのと同時に少女――は、ふふんと笑ってみせる。

「……真似しないでくんない?」

「そっちこそ」

 ふたりの間に、バチバチと視線の火花が散る。

 ――これが後に。

 あの越前リョーマにここまで言い返せる女子も珍しいと、彼女は有名になるのである。

「あれ……?」

 ふとは、リョーマの姿と、傍らに置かれたものに気がついた。

 リョーマの身を包んでいるのは、青と白基調の、青学テニス部のレギュラージャージ。

 そしてそばにあるのは――縁が赤い、テニスラケット。

「……何?」

 がじーっと見つめてくるので、リョーマは怪訝そうな顔で訊き返す。

「越前くんって……テニス部? ひょっとして、レギュラー?」

「まぁね」

 青学テニス部のレギュラーというのは、ちょっとやそっとのことではなりえない栄光の位置。

 しかしリョーマは、いとも簡単に、大したことではないように答えた。

「あ、あの! ひとつ、お願いしてもいいかなっ?」

 急に態度を変えて、は顔の前で両手を合わせる。

「よかったら、テニス部、案内してくれない?」

 そう『お願い』してきたを見て、リョーマは暫し沈黙する。

「――やだ」

 返ってきたその声に、の中でぴしり、と何かにひびが入る音がした。

「何よケチ! 案内くらいしてくれたっていいじゃない!?」

「だってオレ、男子部だもん。女子のなら他あたってよ」

「え? あ……」

 そういうことか、と思い直したは、う〜んと少し俯いてしまう。

「あの、あのね……その、男子部の方、見てみたいの」

 そう言うと、元々無表情だったリョーマのそれが、更に冷める。

「……何で? ひょっとして、うちの先輩目当て?」

「え? あ、えっと、そうじゃなくて! テニス自体は好きなの! 前は実際にやってたんだよ。でも私、今、理由があって出来なくて……!」

 はうまく説明できなくて、困惑した表情になった。

(――なるほどね)

 テニスが好きだけど、出来ないから。

 同じ理由で、テニス部のマネージャーをつとめている二人を知っているリョーマは、何となくの考えが判った。

 軽く溜め息をつくと、白い帽子をひょいと拾い上げ、緑がかった黒髪をした、自分の頭に被せる。

「今からオレ、部活行くから、勝手について来たら?」

 ラケットを肩に担いで、歩き出す。

「……素直じゃない奴!」

 口ではそう言いつつ、けれどはどこか嬉しそうだった。





 リョーマの後を『勝手に』ついて行くと、やがて『青学テニス部』の部活の場である、広々とした立派なコートに辿り着いた。

 すでに何人かの部員達が、練習を開始している。

「うわぁ……さすが、広いね〜」

 コートの広さに感心するに、特に何も返さず、リョーマは「じゃ、オレ行くから」と言って、フェンスを潜ろうとした。

「あ…! ひょっとして、ちゃん?」

 その刻、の後ろから、聞き覚えのある少女の声が聴こえた。

 名を呼ばれた本人もリョーマも振り返ってみると、そこには――青学テニス部の一の姫と二の姫と言われるマネージャー達が居た。

 に声をかけたのは、長い黒髪の少女――二の姫のである。

「あっ、姉ちゃん!」

「やっぱり、ちゃん! 久しぶり!」

 は表情を輝かせ、は嬉しそうに微笑みを零して、手を取り合った。

、知り合いの子?」

 の隣りに居る、茶色の髪をポニーテールにした少女――が訊ねてみる。

「うん、私の従妹なの。そういえばこの間、青学に転入してきたんだったね」

 の言葉のあと、は「そうなんです!」と、元気よく答えた。

姉ちゃんの従妹で、一年のです! 姉ちゃんのお友達ですか?」

 がそう訊くと、はにっこりと微笑んでみせる。

「うん、そう。私は二年の。よろしくね、ちゃん」

「はい! あ、あの、先輩でいいですか? それとも……」

 呼び方について、は他に思うことでもあるのか、少し口ごもる。

 は「それとも?」と、訊き返す。

「出来れば……なんですけど。何か、姉ちゃんのお友達だと、姉ちゃんって感じが……あ、あの、よかったらでいいですから!」

 言葉の最後の部分でわたわたと慌てるが、は可愛くて可笑しくて、くすっと笑みを零した。

「うん、ちゃんがそう呼びたいと思ってくれたなら、全然構わないよ」

「ほんとですかっ? ありがとうございます! 姉ちゃん!」

 無邪気に喜ぶに、は「よかったね」と、微笑ましい表情を浮かべた。

「ところで、ここに来たってことは、ちゃんも……?」

 かつてのを知るが、そんな風に訊き始める。

 何となく三人の会話を聴いていたリョーマは、再びコートへ入ろうとしたが、「あ……」と立ち止まる。

「どうした? お前達」

 フェンスの入り口の近くにいた青学テニス部部長がこちらへ出てきてしまい、鉢合わせのようになってしまったのだ。

 否、リョーマの方が明らかに背が低い上、手塚の視線が彼を通り越しているので、鉢合わせというよりは、通せんぼされたといえるのかもしれない。

「あ、手塚部長。こちら、の従妹で転入生の、ちゃんです。うちの部を見学したいんだそうです」

 無意識の内に笑顔を零して、が手塚に説明した。

ちゃん、うちのテニス部の部長の、手塚国光先輩だよ」

 が小声でに伝える。

「はっ、初めまして! 一年のです!」

 は姿勢を正して名乗り、頭を下げた。

 元々テニス好きのは、青学に入学する前から、このテニス部のレギュラーの面々はある程度知っていた(最近レギュラーになったリョーマはともかく)。

 特に手塚は尊敬に値する人物であることを、はすでに認識していたのである。

 ――たとえ認識していなくても、彼と対面しただけで自然とそうなったかもしれないが。

 手塚は「ああ、よろしく」と答える。

「ところで、うちは男子の部だが……」

「あの、マネージャー志望なんです」

 手塚が言いかけたことを察したが、そう答えた。

 縁なし眼鏡の向こうからの、手塚の切れ長の双眸を受けても、何の動揺も躊躇も戸惑いも見せずに、は黒い瞳でしっかりと見つめ返す。

「……わかった。いいだろう」

 ――その瞳が、の刻と同じだった。

 手塚はに承諾の言葉を紡ぐ。

 は「ありがとうございます!」と、嬉しそうに礼を言った。

「一年ということは、越前と同い年か」

「はい、同じクラスなんです」

 そんなの言葉に、何か思うことでもあったのか、手塚はようやく、自分の前でラケットを担いだまま立ち尽くしているリョーマに視線を下ろす。

「越前、を案内してやれ」

 それだけ告げると、手塚はきびすを返してコートへ戻っていく。

「え……えぇ?」

 挙げ句にそれかよ、と、リョーマは胸中でつぶやいた。

 今の今まで自分の存在に気づいていないかのようだったくせに、ようやく視線が来たかと思ったらそれだったのだから、仕方ないのかもしれない。

「何でオレが……」

 リョーマは、むーっと嫌そうな――面倒くさそうな表情をする。

「クラスメートだからでしょ?」

「お願い、リョーマくん」

 そんなリョーマの耳に、一の姫と二の姫の声が流れてきた。

 見ると二人は、これから部員達のタオルを洗濯しに行くようである。

 リョーマは盛大な溜め息をついて、

「…行くよ」

 つぶやくように言い、コートへと入っていく。

「う、うん! あ、ちょっと待って!」

 は頷きつつ、ストップをかける。

 気怠そうに「何?」と、リョーマが振り返ると、は持っていたカバンの中から運動靴を取り出し、それに履き替え始めた。

「ごめん、お待たせ!」

 素早く履き替えたが、リョーマのそばへ駆け寄る。

 リョーマは少し沈黙を持つと、特に何も言わず、歩を進め始めた。



 フェンスに囲まれたA、B、Cコートでは、レギュラー対部員による打ち合いが行われていた。

 ボールがラケットのガットに当たる音。

 ガットから放たれて、コートへと打ち込まれる、力強い音。

 久しぶりに聴く音に、の中で懐かしい思いがよみがえる。

「わぁ、青学レギュラーの人達かぁ……! やっぱりすごいね!」

 中でもすごく『いい音』を繰り出しているのは、主にレギュラージャージを着ている人達だった。

「……そういえば、うちの先輩達、知ってんの?」

 瞳を輝かせるに、リョーマが訊いてみる。

「少しね。でも紹介っていうか、説明してくれると嬉しいな! 越前くんっ」

 両手を握り合わせて『お願い』ポーズをするに、リョーマはまた溜め息をついて、

「…んじゃ、まずあっちから」

 Aコートを指して、そちらへと歩いていった。



 右コーナーへ返ってくる球を、青緑の双眸に捉えた少年は、両足を俊速の速さで走らせる。

 相変わらずな重さを、ラケットを通じた腕に感じ取りながら、打ち返した。

 陽の光を遮って、ボールがコートの上で、弧を描いてゆく。

「よっしゃぁ!」

 チャンス到来とばかりに、紫の双眸を輝かせて、少年――桃城は走り出す。

 タイミングを見計らって片足に力を入れ、強く踏み込むようにコートを蹴った。

 桃城の身が跳躍して、陽の光と風を遮っていく。

 気合いの入った声と共に、やがて力強くラケットが振り下ろされた。

 小さなテニスボールからは想像しにくい豪快な音と共に、彼得意のダンクスマッシュが決まる。

「どーんっ! ってな!」

 コートに着地した桃城は、元気のいい笑顔を浮かべた。

「相変わらず、すごいね、桃。前より威力が上がったんじゃない?」

 桃城の対戦相手を務める、青緑の双眸を持つ少年――天空は、点を決められた後だというのに、悔しさなど微塵も見せる様子もなく、微笑んで言う。

 この二人は同じ二年八組のクラスメートで、親友同士なのである。

 桃城は「サンキュー、天空!」と、心優しい親友に礼を言った。

「わぁ〜……」

 このAコートで今起こった瞬間を目の当たりにしたは、感嘆の声を漏らす。

 と、その横で同じように見ていたリョーマが、すかさず親指で二人を指して。

「あれが、ジャンプ力が取り柄で大飯ぐらいの桃先輩と、その桃先輩を餌付けした、お人好しの夜空天空先輩」

 に『紹介』を兼ねた説明をした。

「おい越前っ! ジャンプ力しか取り柄がねぇみたいな言い方すんな!!」

 それが聞こえてカチンときた桃城が、こちらを振り向いて激しく反論する。

「餌付けしたつもりは、ないんだけどなぁ……」

 天空はというと、そんなことを言いながら苦笑するように笑んで、軽く頬を掻いた。

「……次、行くよ」

 未だ桃城が大声で反論してくる中、つぶやくように言って、リョーマは歩き出す。

 頬に一筋の汗を伝わせながら、は取りあえず彼の後について行った。



 Bコートでは、片やレギュラー、片や新入部員である、二年七組の少年達が試合を行っていた。

 空から地上を照らす太陽と見紛うような、明るい瞳と笑顔を浮かべた少年が、相手コートへとボールを打ち返す。

 彼とは対照的な、怒気をはらんだような鋭い瞳の少年が、得意のモーションに入った。

 深緑のバンダナを黒髪の頭に巻いた彼――海堂は、思い切り力を込めた右腕を振り上げる。

 海堂のラケットから放たれた球が、急カーブするようにコートへ打ち込まれた。

「あ〜っ、しまった、間に合わねぇ!」

 大きな朱色の瞳を持つ少年――七海は、あと一歩の所で追いつくことが出来ず、ボールはコートの外へと跳ねていった。

 七海は、てんてんと、弾みが小さくなっていくボールを「あ〜ぁ…」と見送っていたかと思いきや、

「やっぱすっげぇよな、お前のスネイク! 相当努力してんだな。感心するぜ!」

 次の瞬間には、屈託のない笑顔をクラスメートに向けた。

「……けっ、勝手に言ってろ」

 七海を一瞥した海堂は、低い声で素っ気なく言い、くるっときびすを返す。

 海堂は、相手にもよるが、褒められたりした後、礼を言ったり、謙遜したりするような性分ではない。

 七海はそれを段々と把握しつつあった。

「はーいはい、勝手に言ってるよーだ」

 片やラケットを持った両手を頭の後ろで組むようにして、少し拗ねたようにそっぽを向く。

 が、再び海堂がこちらを向いたのを見た瞬間、「へへっ」と、また嬉しそうに笑った。

 それに海堂が、聞き取れないのほどの小さな溜め息をついた、その刻。

「あれが、スネイクが得意技の、マムシ顔の海堂先輩と、今年から入部した、底抜けに明るい架橋七海先輩」

 リョーマ視点の『紹介』を兼ねた説明が、に伝えられる。

「フシュー!!」

 海堂に対して禁句とされる『マムシ』を、いとも簡単に言ったリョーマを、海堂は更に鋭くした瞳でぎろっと睨みつける。

 巻き込まれた状況であるは、胸中で「ホントだ……」とつぶやく始末だ。

「底抜けは余計だ、越前〜!!」

 七海も納得のいかない様子で、抗議してくるが、リョーマは白い帽子のつばを軽く前に下ろすようにして、「次行こ、次」と足早にその場を立ち去る。

 慌ててもその後を追いかけた。



「あれ? 越前、その子は?」

 Cコートへやってくると、人の良さそうな表情の三年レギュラーが問いかけてきた。

「一年のです! 越前くんに案内してもらいながら、見学させてもらってます!」

 が元気よく答えると、彼は「そうなんだ」と納得する。

「おれは三年の河村 隆。ゆっくり見ていってね」

 穏やかにそう言って、彼――河村は、そろそろ始まる試合のために、コートへと入って行った。

 が、「優しそうな先輩だなぁ…」と思った直後、それは起こる。

「――うぉっしゃぁぁぁ!! 燃えるぜ、バーニングッ!!」

 今さっき会った『河村先輩』が、忽然と消えてしまった。

 少なくともには、そう思えた。

「……越前くん、あ、あの人は……?」

「ラケット持つと人格変わる、河村先輩」

 すっかり目が点になってしまったに、リョーマは淡々と説明する。

 周囲の部員が、「今日も燃えてるなぁ、タカさん」と言っているのを聴いて、部活中では日常茶飯事なのだということを、は認識した。

「やぁ、君は見学かい?」

 と、別の声がかけられる。

 振り向いてみると、そこには少し風変わりな眼鏡をかけた人物が立っていた。

 は取りあえず「は、はい」と頷く。

「あとでぜひ部室に寄ってくれ。冷たい物でも出そう」

「は、はい、ありがとうございます……」

 普通の好意だと思ったは、返事をしつつ礼を言う。

 すると、彼は去り際にキラリと四角い眼鏡を光らせた。

「……命に関わるから、行かない方がいいよ」

 乾が行ってしまってから、リョーマが眉間にしわを寄せて忠告する。

「い、命って……今の人は?」

「乾先輩。オレがレギュラーに入ったから、あの人が落ちて、今はコーチみたいなことしてる」

 そのせいで、よく彼特製の飲み物の実験台にされてしまうことが多くて、困る。

「ここはもういいだろ。次行くよ」

 河村の、妙な英語混じりの雄叫びをバックに、リョーマはさっさと最後のコートへと向かった。



 少し離れたDコートでは、ダブルスによる練習試合が行われていた。

「今日も絶好調〜! えーいっ、菊丸ビーム!!」

 元気で明るい、楽しげな声が響く。

 前衛の菊丸は、軽い身のこなしで、得意のアクロバティックプレイを披露する。

 菊丸ビーム――ジャンプをしながら、身体をよじり、バックハンドでスマッシュした。

「うわっと!!」

 相手の部員が、何とかそれを拾ってみせると、丁度菊丸が「よいしょっ」、と着地したところだった。

「行ったぞ大石ー♪」

 菊丸は自分の横を通り抜けていく球を、笑顔のままあっさりと見送る。

「よし、任せろ!」

 すでに読んでいたテニス部副部長は、球の落ちてくる場所で構えていた。

 後衛の大石は、『今日も絶好調』に菊丸のサポートをこなす。

 強力なスマッシュを打ち込むと、そのまま球は弾んでコートから飛び出した。

「やったにゃ〜! ナイス、大石!」

 菊丸は、頼もしい相方に明るい笑顔と親指を突き立てたサインを送ると、彼も持ち前の爽やかな笑顔と同じサインを返してくれた。

「わぁ〜、あれが噂の黄金ペア…!?」

 見事に息の合ったふたりを見たが、リョーマに問う。

「そう。前でぴょんぴょん飛んでたのが猫丸先輩で、後ろでフォローしてたのが、胃薬が手放せない副部長の大石先輩」

 そんなリョーマの説明が聴こえてきて、笑顔を交わしていた黄金ペアは咄嗟にこちらを振り向いた。

「こ、こら越前!」

「聞こえてるぞ、おチビ! オレは菊丸だってば〜!!」

 変な説明するな、というように、ふたりから抗議が返ってくる。

 しかしリョーマは「さてと…」と、帽子のつばをくいっと下げた。

 今までのリョーマの『説明』を聴いてきたは、苦笑いするしかなかった。

(この人、部活の先輩に対してでも、こんななんだわ……)

 胸中でつぶやいた後、ふと視界を掠めた人影に気づく。

「あっ……!?」

 ――色素の薄い、さらさらの髪。

 リョーマからの言われように未だ怒っている菊丸や、困ったような顔をした大石のそばで、くすくすと優しげな微笑を零している少年が居た。

(――……周助…お兄ちゃん……っ!?)

 余程は、そう呼びかけたかった。

「……不二…先輩…!」

 けれど、実際に声にしたのは、そんな呼び名だった。

「何? 不二先輩と知り合いなわけ?」

 の声が聴こえたリョーマが訊ねる。

 少し俯くように、は「う、うん……」と頷いた。

「じゃぁ、声かけてくれば?」

「で、でも……憶えててくれてるか、判らないし……!」

 何だか不安そうに、はおろおろとし始める。

 ――不二とは、幼少の頃、共に遊んだ幼なじみなのだ。

 けれど、小学校高学年の間は会えなかったので、彼が自分を憶えていてくれてるか、判らない。

 それがにとって、不安だった。

 リョーマは怪訝な顔をする。

(こんなインパクトある奴、忘れようたって難しいと思うけど)

 軽い溜め息をつき、リョーマは、彼――不二の元へ歩いて行く。

「ど、どうしよ……って、越前くん!?」

 ハッと横を向いてみた刻には、いつの間にかリョーマは「不二先輩」と、彼のそばまで行って声をかけていた。

「ん? 何だい? 越前」

「先輩、あいつ知ってます?」

 問いかけながら、を指すリョーマ。

 不二はリョーマの視線と指す先を追って、「あいつって……あの子?」と、ひとりの少女を目にとめる。

 はドキッとして、身体が硬直したように感じた。

「あ……ちゃん?」

 その瞬間、不二は綺麗な青の瞳を開いて、彼女の元へ駆け寄った。

「ふ、不二……先輩……っ!!」

 彼が自分の名を呼んでくれたことに――自分を憶えていてくれたことに、は驚きと共にどうしようもない嬉しさを感じる。

「久しぶりだね。元気だった?」

「は、はい……」

 優しい微笑みで問いかけてくれる不二に、の頬が紅潮していく。

「また会えて嬉しいよ。最近転入してきたの?」

「はい、そうなんです。私も、また不二先輩にお会いできて、すごく嬉しいです…!」

 頬を朱に染め、瞳を輝かせ、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべて、は不二に答えた。

(――って、オレの刻とは、明らかに態度が違うし)

 すっかりしおらしくなっている彼女の様子が、リョーマは何だか面白くなかった。

 無言のうちに、お役目終了となったリョーマはきびすを返して、Dコートから離れて行った。





 この日の部活の終わりは、レギュラー同士による打ち合いで締めくくられることになった。

 次々にそれは終了し、残るは菊丸対桃城となる。

 部員やレギュラー達、二人のマネージャーはもちろん、もギャラリーの一員となっていた。

「英二先輩、頑張って下さい!」

 マネージャーの一人、二の姫のが、菊丸に声援を送る。

「ありがとー! ちゃーん! よーっし、頑張るにゃ〜!!」

 嬉しそうに人懐っこい笑顔を浮かべ、にぶんぶんと手を振ってみせると、菊丸は元気のよい、気合いの入った顔をした。

 そんな折、桃城はちらっとの隣りに居る少女に視線を向けてみる。

「桃くん、ファイトだよ!」

 の隣りに居る少女――は、桃城が視線を向けたからでも、彼の胸の内にある想いに気づいているわけでもなさそうだが、クラスメートを元気づけるよう、明るい笑顔とエールを送った。

「さ、サンキュー! ! おっしゃぁ、やってやるぜ!!」

 からの声が届くと、桃城は俄然と気合いが入り、やる気に双眸を燃やした。

 そんな彼の様子を見たもう一人の二年生レギュラーは、「…けっ、お調子もんが」と低い声でぼそっとつぶやいた。

 ――菊丸のサーブから始まった打ち合い。

 両者共に順調なプレイを繰り広げ、1ゲームずつ取り合った。

 サーブ権が菊丸に戻ったゲームでは、桃城は30−40と、菊丸よりもわずかにリードすることが出来た。

「頑張れ、桃くん! あと1ポイントで、このゲーム取れるよ!」

 菊丸のサーブした瞬間、は再び桃城に声援を送る。

「よっしゃぁ! 決めてやる!!」

 途端に桃城の勢いが更に増し、リターンを決めてやろうと、渾身の力で球を力一杯に叩き返した。

「うっ、うにゃぁーッ!?」

 その凄まじさのあまり、菊丸は咄嗟に避けてしまう。

 すると球は菊丸の横を通り抜け、コートをも通り過ぎ――。

 桃城は「あっ、ありゃ!?」と焦る。

 ――球の進行方向の先には、不二とが居た。

「危ない、ちゃん!」

「不二先輩!」

 の声が飛ぶ。

 不二は、咄嗟にをかばおうとした。

 そして、割と近くに居たリョーマも駆け寄り、ラケットを伸ばす。

「越前くん! ちょっと借りるよ!!」

 思いも寄らないの声。

 不二とリョーマが「え?」と、に視線を向けた刻には、

「てぇーいっ!!」

 彼女はリョーマのラケットを両手に掴み、球を打ち返した。

 テニスボールは高く放物線を描き、菊丸の居るコートへ、ポーンと返ってくる。

 静まり返った皆の視線を一身に集める中、は「ふぅ…」と安堵の息をついた。

(不二先輩に当たらせるもんですか!)

 その思いが、を突き動かした。

「は、はにゃ〜。すご〜い」

 自分の足元にコロコロと転がってきたボールを拾い上げて、菊丸は呆然とつぶやく。

 この場に居合わせたテニス部員のほとんどから、歓声やざわめきが広がった。

「……?」

 リョーマも薄い金の瞳を大きく見開いたまま、つぶやくように呼びかけるしか出来ない。

「あ、越前くん。ラケット、ありがとね」

 はカラッと明るく笑って、ラケットをリョーマに返した。

 リョーマは「はぁ……」と、やはりぼーっとしたままそれを受け取る。

ちゃん、大丈夫…!?」

「平気平気、姉ちゃん! これぐらい、何ともないって!」

 心配そうに駆け寄ってきたに、は元気よく答える。

 今まで青の瞳を見開いていた不二は、くすっといつものように微笑んだ。

「相変わらず、頼もしいね、ちゃん。小さい頃も、よく僕と一緒に、裕太を助けてくれたよね」

 幼い頃、弟である裕太がいじめっ子に囲まれた刻、兄である自分――周助と共に、もよく助けに入ってくれた。

 が照れたように「えへへ、そうでしたね〜」と笑うその横で、はずるっと転びそうになる。

、こっちへ来てくれ」

 その刻、コートの入り口付近に居る手塚から呼びかけられた。

 は「は、はっ、はい!」と、慌てて返事をしてそちらへ向かう。

(どうしよ〜! 怒られるかも〜!)

 落ち着いて考えれば、あれは自分や不二の身を守る正当防衛だったのだから、怒られるわけはないのだが、はまだ手塚のことをよく知らなかったし、何だか菊丸と桃城の打ち合いに余計な邪魔を入れてしまったのではないかと思ったのだ。

「大丈夫だよ、ちゃん」

 が、自分の横をが通り抜ける瞬間、小声で言葉をかけた。

 歩きながら振り返ると、一の姫がにっこりと笑顔を送ってくれている。

 はこくんと頷き、少し落ち着きを取り戻して、手塚の元へ辿り着いた。

 彼のそばには、副部長の大石も居る。

「あ、あの、何でしょうか? 手塚先輩……?」

 やはり本人を目の前にすると、は緊張を解けなかった。

「うちの部は、練習もかなりハードで、さっきのようにアクシデントも起こったりするのだが……それでも、マネージャーを志望してくれるか?」

 しかし、手塚から紡がれたのは、そんな言葉で。

「は、はい! もちろんです!」

 は表情を輝かせて、ハッキリと答えた。

「ありがとう、さん。じゃぁ、俺、竜崎先生に言ってくるよ」

 に穏やかな笑顔と礼を手渡して、大石は顧問の元へ向かう。



 こうして、青学テニス部には、新たなマネージャーの――三の姫が誕生したのである。




                  end.




 ※夜空天空くんは、里久ちゃんのオリキャラです(『Blind player』の主人公くんv)
   架橋七海は、水帆のオリキャラです。