星の命





 青い空と太陽を、雨雲が隠してゆく。

 街への陽射しを遮った灰色の雲は、代わりに銀の涙を降らし始めた。

「あ、降ってきた……」

 ぽつ、と頬に水滴が当たったのを感じたは、グレーの空を見上げる。

「制服じゃなければ、濡れて帰りたいけど……そうもいかないよね」

 あと酸性雨じゃなければ、とも呟いて苦笑し、は小走りを始めた。

 ――は、雨の日が割と好きだ。

 濡れることも嫌ではない。

 ただ、最近の雨は酸性雨だし、今は学校の帰りなので制服だ。

 仕方なくあまり濡れない内に家まで帰ろうと、足下で水を弾きながら走った。

「……え?」

 その刻、は『何か』の声が聴こえたような気がして、立ち止まる。

 みぃみぃ、という微かな声。

 辺りを見回すと――すぐ横には立ち並ぶ団地と、そのゴミ捨て場。

 は、頭上に広がる灰色の空のような気持ちで、ゴミ捨て場へ歩む。

 積み上げられているゴミ袋の山とは別に、無造作に置かれている箱。

 それは、靴の箱だった。

 間違いなく、小さな声はここから聴こえてくる。

 は言い様のない不安に包まれながら、恐る恐る箱のふたを開けた。





 一向に降り止む気配のない雨。

 用意よく傘を持ってきていた海堂は、それを差して帰り道を歩いていた。

 と、その途中にある公園の前で、一度足を止める。

 公園の中にある、屋根の下のベンチに座り込んでいる少女が居た。

 長い黒髪の少女――青学男子テニス部マネージャーの一人であり、クラスメートであるだ。

 海堂は、そのまま通り過ぎようと思った。

 しかしどうも様子がおかしい。

 は俯いたまま動きもせず、ただ雨宿りをしているようでもない。

 海堂は、放っとけばいいのにそうしようとしない自分に舌打ちをする。

 仕方なしに彼女の元へ歩き出した。

 ――海堂は、何の音も立てずに来たわけではない。

 雨に濡れた地面を歩く音がしたはずだが、のそばへ来ても、彼女は気づいた様子もなく顔を上げなかった。

 よく見ると、微かに震えている。

「……何してんだ」

 海堂は仕方なく声をかけた。

 すると、ようやくの顔が上がる。

「…………海堂…くん……?」

 濡れた長い黒髪に隠されていた彼女の顔は――どうしようもない泣き顔だった。

 海堂は怪訝そうな顔をする。

 ふと彼女の手元を見ると、何かを抱えていた。

 それは、長方形の箱と――黒と白の小さな二匹の仔猫。

「っ!? 何だ、そいつら……」

 箱の中には、動かない二匹の仔猫。

 黒と白の仔猫達は、の膝の上でくるまって寝ている。

 四匹の仔猫を抱えているに、海堂はわけが解らず問いかけていた。

「……あのね……」

 は再び俯いて、言葉を零し始めた。




 ――先程、団地のゴミ捨て場に置かれていた箱のふたを開けると、


 中には――三匹の仔猫が居た。


「――……っ!!」

 まだ目も開いていない、小さな小さな仔猫達。

 何の布も敷かれていない箱の中。

 黒い仔猫と白い仔猫が、必死に何かを求めるように鳴いている。

 もう一匹の黒白縞模様の仔猫は、鳴きもせず、動かず、横たわっていた。

「あっ……っく………!!」

 熱いような、冷たいような思いが込み上げる。

 の琥珀の瞳に、雨とは違う大粒の雫があふれ出した。

 ――生まれてすぐに、捨てられた仔猫達だ。

 おそらく母猫の飼い主が、生まれたばかりのこの仔猫達を、ここへ捨てた。

(ひどい、ひどすぎる!)

 の中に、深い怒りと悲しみが渦巻いた。

 もしこのまま誰も気づかなかったら、そのままゴミ収集車の中へ放り込まれてしまったではないか。

 ――この子達は、ゴミじゃないのに。

 取りあえずは、箱ごと仔猫達を抱え上げた。

 そして、歩き出そうとしたその刻、もっと信じられないものを目にした。


 道路に横たわって、雨に打たれている、灰色の仔猫。


「あっ……!?」

 は急いでその仔猫を拾い上げる。

 確か箱のふたは開きかけていた。

 母猫を追い求めるように、この子は外へ出てしまったのだろう。

 そしておそらく、車に――。

 ――その証拠に、灰色の仔猫の後ろ足は、失くなっていた。

「っく……ぅ……!!」

 声にならない声で泣きながら、はすべての仔猫達を抱いて走った。




 海堂は、の話を半ば呆然と聞いていた。

「……ひどい…よね……この子達、ゴミじゃ、ないのに……!!」

 何度も何度も嗚咽を漏らす

 黒と白の仔猫達は、彼女の膝の上で寝ている。

 が、箱の中の二匹の仔猫は、命の灯が消えてしまっていた。

「こんなこと……するなんて……ひどい……!!」

 この仔猫達の母猫を飼っているであろう、無責任な飼い主への怒りを露わにするの気持ちは、海堂にもよく解った。

「連れて、きちゃったけど……私、家に犬、居るし……わかんないから…! どうすればいいか、わかんなくて……!!」

 の家には、ゴールデンレトリバーの犬が居る。

 父親はほとんど仕事で帰ってこないので、仔猫達を連れて帰っていいかわからないのだ。

 だがそれだけでなく、どうしようもない悲しみがの思考を混乱させていた。

 海堂は黙ったまま、の前まで来て、黒と白の仔猫達を箱へ入れる。

 そして、ふたをして抱え上げた。

 勿論ふたをしたのは、仔猫達が濡れないようにするためだ。

「か……海堂くん……?」

 は涙の溜まった琥珀の瞳を瞬きさせて、海堂を見上げる。

「行くぞ。これ、使え」

 海堂はそれだけ言って、自分の傘をに渡した。

「え…? でも、海堂くん……」

 それでは海堂が濡れてしまう、とは思ったのだが、海堂は答えもせずに足早に歩き始めてしまう。

 は慌てて彼の後を追った。





 ――このままでは、どうしようもないから。

 海堂は、仔猫達とを連れて、近くの交番へ行った。

 ぐすぐすと泣いたままのの隣りで、海堂は彼女から聞いた大体の事情を、警官に説明する。

「そうか。じゃぁ、この二匹は何とかするとして。こっちの死んじゃった二匹は、明日のゴミに出すとするか」

「えっ…!?」


 返ってきたその言葉に、海堂は絶句して、は――心が凍りついた。


「なっ、そいつらゴミなんかじゃ……!?」

 海堂は信じられないような気持ちになりつつ、彼なりに必死でそれを口にした。

「そうは言ってもねぇ。犬ならこうゆうのを扱ってくれる所があるんだけど、猫は……」

 仕方ないんだよ、というように言われる言葉。

 海堂はちらっとを見る。

 すると、琥珀の瞳を見開いたまま、海堂の傘を持つのとは違う手を口元に当てて、震え出していた。

「……冗談じゃねぇ」

 海堂は目つきを一層鋭くして舌打ちをする。

 それを見た警官は、「えっ?」と、驚いて身震いをした。

 海堂は仔猫達の箱を警官から引ったくると、の手を掴んで、交番を飛び出した。

 雨の中を走りながら、海堂はが再び泣き出したのを悟る。

 少なからず罪悪感を感じながら、海堂はこの後どこへ行けばいいのか考えた。

 と、突然その足を止める。

「おい、。お前、犬飼ってんだろ。動物病院とか知らねぇのか?」

「え……あ……」

 同じように立ち止まったは、瞬きを繰り返しながら、それを思い出した。





 の家で飼っている愛犬ラスティが、世話になっている動物病院へ行くと、

「わかりました。大丈夫ですよ。犬でも猫でも、ちゃんと火葬してくれる所がありますから」

 と、ようやく安堵の息をつける言葉をくれた。

「この子達、本当に生まれてすぐに母猫と離されちゃったんですね。この縞模様の子、へその緒の処理もされていない……」

 仔猫達を診た獣医は、悲しそうに言った。

「生き残った子達は、こちらで世話をしながら、飼ってくれる人を捜しますよ。出来ればご協力下さいね」

 穏やかに言われた獣医の言葉に、はやっと微笑んで「はい」と返事をした。





 海堂とが動物病院を出ると、丁度雨がやんでいた。

 まだ灰色の空のままで、陽射しは差し込んでこないが、何だかタイミングがいい。

「……ありがとう、海堂くん」

 帰り道を何となく一緒に歩きながら、は海堂に礼を言った。

 海堂は「…あ?」と短く訊き返す。

「だって、私ひとりじゃ……泣いてばっかりで、何にも出来なかったから」

 そんな自分に、は苦笑する。

「あの子達が助かったのは、海堂くんのおかげだよ。本当にありがとう」

 まだ微かに涙が残る瞳を向けて、は微笑む。

 その涙の理由は、安堵と嬉しさ故だ。

 生き残った仔猫達は勿論、命を失ってしまった仔猫達も、あのままゴミ同様の扱いをされるよりは、遥かに救われたはずだから。

「俺は別に何もしてねぇ。それより……悪かったな」

 の微笑みを見た海堂は、咄嗟に視線をずらして、謝る。

 その意味が解らず、は「え? 何が?」と小首を傾げた。

「交番の前に病院のこと思いついてりゃ、お前に……」

 ――に、更なる悲しみを与えずに済んだと思う。

 灰色の仔猫が車にひかれていた、と聞いて、取りあえず事故だから交番と思ったのだ。

 彼の言いたいことを察したは、ゆっくりと首を横に振る。

「ううん。そんなこと、気にしないで。病院のことを早く思いつけばよかったのは、私の方だし……。海堂くんは、一生懸命考えてくれたんだもの。海堂くんが謝ることなんて、何も無いです」

 そう言って海堂に笑いかける

 丁度その刻、灰色の雲間から陽射しが差し込んだ気がして、海堂は目を見張った。

「あ…! 海堂くん、あそこ、虹が架かってる…!」

 灰色の幕をゆっくりと引いて現れた空に架かる、七色の橋。

 雨上がりを約束する架け橋を見上げてから、海堂はその視線をに戻す。

 の嬉しそうな横顔が、晴れてきた空の虹と、同じように思えた。

「……海堂くんって、本当に動物好きで、優しい人なんだね」

 ふいに紡がれた言葉。

 海堂は「なっ…!?」と、驚いたように双眸を鋭く見開いた。

「あ、えっと…! 気に障ったらごめんなさい。そう、思ったの」

 海堂から返ってきた視線に気づいて、慌てて答える

「私、あの猫ちゃん達、飼ってもいいか……家族に訊いてみるね。もし駄目でも、ちゃんと飼い手さんを捜さなくちゃ。見つけた責任上、ね」

 話題を仔猫のことに戻して、はもう一度空を見上げる。

 あの綺麗な青の世界へ旅立った、ちいさな命達のことを思いながら――。





 ――それから一週間ほど経って。

 二匹の仔猫は、家で飼われることになった。

 の父、双子の兄、弟、そして愛犬であるラスティの同意まで、めでたく得ることが出来たのだ。

 それが決まった翌日、は学校ですぐに海堂に報告した。

「生まれてすぐの頃に出逢った動物って、すごく仲良くなれるって聞いたことがあったけど、本当だったみたい。ラスティのことが一番心配だったんだけど、ラスティったら嬉しそうにしっぽ振って構うんだよ」

 早速撮った愛犬、愛猫達の写真を見せながら、楽しそうに話す

 海堂は黙ったまま、写真に見入っていた。

「オスの黒猫は、メスの白猫はって名前にしたの」

 ラスティと追いかけっこをしている黒猫――の写真と、の膝の上で丸まって寝ている白猫――の写真。

「海堂くん、今度よかったら……この子達に会いに来て…もらえないかな?」

 おずおずと訊ねたに、海堂は一瞬戸惑うが、

「そ、そのうち……機会があればな」

 視線は外されてしまったが、ちゃんと返ってきた答えに、は「うん…!」と頷いて微笑んだ。

 そんな二人の光景を、同じ二年七組の生徒達は、さも珍しげに見ていたようである。





 ――は、生きていく。

 空へと旅立った兄弟の分まで、精一杯。

 夜空の片隅で、星が光るように、ちいさな命を輝かせる――。




                end.




 《あとがき》
 海堂くん&二の姫ドリーム、第二弾です; う〜ん……如何でしたでしょう?;
 この話は、少し実話です。仔猫達がゴミ捨て場に捨てられていたこと、とか…。
 水帆と汐の家には、メス猫が三匹居るのですが、その内の一匹がそうでした。
 靴箱に入れられて、団地のゴミ捨て場に捨てられていて。その子だけが五体満足で、
 鳴いていたんです。そのおかげで、見つけることが出来ました。
 他の子達はやはり死んでしまいましたが……その子はさすがに生き残っただけあって、
 すごい生命力で; 今じゃぁ、とんでもないいたずらっ子ですけどね(笑)
 あと、交番でお巡りさんが…というのは、あるドラマでやってたんです。
 すっごい衝撃受けちゃって……ちゃんと火葬してくれる所あるのに。
 犬でも猫でも鳥でも、イグアナでも(ホントですよ/苦笑)
 と、まぁ、このドリームは色んな体験を元に書いてみました。
 海堂くんは『動物好き』だし、根は優しい人だとも思うのでこんな感じにしてみました
 が……すみません; 日々精進します〜!!(><;)

            written by 羽柴水帆