花の氷





 ――時々、心を『氷』にしなきゃいけない刻がある。

 そうしないと、いつまでも、どこまでもあふれ出てしまって。

 心が、失くなってしまうかもしれないから。





 ――これで、今日、三回目だった。

 学園中が賑わう昼休み、テニス部二の姫と呼ばれるは、屋上へ足を運ぶ。

「よく来たわね、さん」

 扉を開けて屋上の地を踏むと、すでに訪れていた女子生徒たちの一人が言った。

 人数は三人で、いずれも三年生だと思われる。

「…この手紙を下さったのは、先輩方ですか?」

 は制服のスカートのポケットから、白い紙切れを取り出して問う。

『話があります。今日の昼休み、屋上まで来て下さい』

 ――そう書かれた、呼び出しの『手紙』。

「そうよ。怖じけずに来てくれたことは、取りあえずほめてあげるわ」

 女生徒の一人が、不敵に笑って答えた。

 ――こんなことはにとって珍しくない。

 時には直接呼びに来られる場合もある。

 それは、に限ったことではなかった。

 と同じように、青学テニス部のマネージャーをつとめるにもよくあることだ。

「それで、私に何のお話があるんですか?」

 彼女たちの『お話』がどんなことなのか、大体の見当はついているのだが、敢えてはそう訊ねた。

 敢えて、淡い微笑をたたえて。

「――英二くんに、これ以上馴れ馴れしくしないでよ!」

 そんなが気に入らなかったのか、今まで割と心情を抑えていた女生徒が、その言葉を吐き出した。

(今度は英二先輩の、か……)

 は胸中で、溜め息をつくようにつぶやいた。

 これで、今日、三回目だ。

 午前中の、授業の合間の休み時間に二回、それぞれ大石や不二の『ファン』である女生徒たちに呼び出され、難癖をつけられたのである。

 青学テニス部のマネージャーであるがゆえに。

「そうは言われても、私は、え…菊丸先輩に馴れ馴れしくなんて、してません」

 いつものように「英二先輩」と言っては、更に彼女たちの怒りを買うだろうから、は「菊丸先輩」と言い直した。

「してるじゃない! いつもいつも、菊丸くんが優しくて人懐っこいのをいいことに!」

「っていうかもう、英二くんに近づかないでよ!!」

 次々に大きな怒りの声を、に叩きつける少女たち。

「でも……私、テニス部のマネージャーですから、それは無理です」

 彼女たちの怒声を全身に浴びせられながら、は右手を握りしめて胸を押さえた。

「何よ偉そうに!」

「大体っ、何であんたみたいな子がマネージャーをやってるわけ!?」

「そうよ! とろいし、これと言って役に立たないし、ちっともマネージャーらしくないじゃない!」

 少女たちは、段々とを囲むように詰め寄っていく。

(よく言われます、それ……)

 はまた胸中でつぶやきながら、苦笑した。

 他のマネージャー――は、しっかりしていて、行動力もある。

 よりもキビキビと働いているのは事実だ。

 自身もそれはよくわかっているので、そう言われても仕方ないと思う。

 ――自分は、行動力もなくて、臆病で、弱いから。

「あんたなんか、一人前の口きく権利すらないのよ!」

「何が何でも約束してもらうわよ! もう英二くんには近づかないって!」

 少女たちは、ついにの周囲を完全に囲んで、逃げ道を断った。

「そ、そんな……」

 こんなことは何度もあるとはいえ、は慣れたわけではなかった。

 困惑しながら、一歩一歩後退ってゆく。

「約束すれば、許してあげるわよ」

「簡単な事じゃない? それとも、痛い目にあいたいのかしら?」

 後退るの背中が、フェンスに当たる。

 すでにもう、逃げ場は無かった。

 ――駄目。

 思わず琥珀の瞳が揺らぎそうになった刻、は心の中で自分に言った。


 ――泣いたら、駄目。

 こうゆう刻は、心を『氷』にしないと、駄目。


 の表情から、次第に困惑が消えていく。

 琥珀の双眸から、光が薄れていく。

「さぁ早く! 『もう菊丸先輩に近づきません』って言いなさいよ!」

 焦れったそうに、少女の一人が叫んだ。


「――んなこと、言う必要も意味もねぇ」


 その刻、少女たちの後ろから、低い声が響いた。

『えっ……!?』

 一瞬、背中に冷や汗が伝うのを感じた少女たちは、驚いて振り向く。

 するとそこにはいつの間にか、青学テニス部の、二年生レギュラーの一人である少年が立っていた。

 のクラスメート――海堂 薫である。

「かっ、海堂くん…ッ!?」

 彼女たちも当然、青学レギュラーの一人である彼のことは知っていた。

 驚きはたじろぎに変わっていく。

「あ、あの、これは別に…!」

「あたしたちは何も…!!」

 わかりやすい言い訳をしながら、少しずつ離れようとする少女たち。

 ――海堂にとっても、こんなことは何度もあった。

 ハッキリ言って呆れるのを通り越して、『うざったい』ことこの上ない。

「つまんねぇ言いがかりつけてんじゃねぇ。さっさと失せろ」

 ただでさえきつい目つきをしている海堂にぎろりと睨まれ、少女たちは掠れた悲鳴を上げて逃げていく。

 ――海堂は基本的に、『先輩』には礼儀をはらう質である。

 が、尊敬に値する人物でなければ、その必要もなかった。

 女生徒たちの去った屋上に、沈黙と風の音が流れる。

 海堂はクラスメートである少女に何か声をかけるでもなく、ただその鋭い双眸を向けるだけだった。

「……海堂…くん……?」

 の琥珀の瞳に、光が戻る。

 途端に足の力が抜けたのか、ぺたんと地面に座り込んでしまった。

 今日の午前中の刻は――大石のファンの女子に絡まれた刻は、八組の友人である桃城と天空、不二のファンに絡まれた刻は、親友のに助けてもらったのだが。

 彼に――海堂に助けられたのは、今日は初めてでも、今までを含めば数え切れない。

 クラスメートである彼は、が呼び出されたことに気づけることが多いので、彼女の親友やテニス部部長直々に、彼女を助けるよう頼まれているのだ。

「あの……ありがとう」

 は苦笑するように力無く笑いながら、礼を言った。

 その微笑が、海堂の中の何かを駆り立てる。

「……あからさまに嫌がらせだって判ってんのに、いちいち行くんじゃねぇ!」

 それまで胸中に様々な複雑な思いを巡らせていた海堂が選んだのは、そんな言葉だった。

 低い声が激しく響いて、はびくっと身を強張らせ、ぎゅっと琥珀の瞳を強くつぶる。

 その瞬間、海堂は針に刺されたような痛みを胸に感じた。

 ――呼び出されるのは、別にが悪いことをしたからではない。

 だから、素直に呼び出されてやることはないのだ。

 それが自分の力で対処出来ることが多い、ならともかく、は自分の力ではどうにも出来ないことが多いのだから。

「ご、ごめんなさい……」

 ゆっくりと琥珀の瞳を開きながら、は謝りの言葉を紡いだ。

「そう、なんだよね……海堂くんにも、迷惑かけちゃうし……」

 ――そうではない。

 海堂は『を助ける』こと自体が嫌なわけではなかった。

 そうではなくて、今のこのような――助けた後が、困るのだ。

 に何て言ってやればいいのか、どう接してやればいいのか、判らない。

 自分の目つきや言葉がきついことや、人付き合いが得意ではないことを自覚していて、おまけに照れくささが抑えられない海堂は、この少女を前にするのが苦手だった。

 いつも素直な言葉や反応を返してやることが出来なかった。

 海堂は、決まりが悪そうに小さく舌打ちをする。

「……立てるか?」

 いつまでも俯いたまま、立ち上がろうとしないに、手を差し出した。

「え……?」

 は驚いたように顔を上げる。

 目の前には、手を差し伸べた、視線を合わそうとしない――クラスメート。

「……うん、ありがとう」


 彼のことを、『友達』と呼んでもいいのか判らない。

 いつもこんなに、迷惑ばかりかけてしまうから。


 の細く白い手が、海堂の手に重なる。

 その刻、海堂は心の奥で何かの音を感じ取った。

 本当は今すぐにでもこの場から離れたいほど照れくさいのだが、立ち上がるに手を貸したまま、海堂は持ち前の精神力で耐えた。

「あの、海堂くん」

 二の姫が完全に立ったのを見て、パッと手を離してきびすを返した海堂に、がそっと呼びかける。

「……何だ?」

 ひょっとしたら今、自分の顔が赤いかもしれない、という危機に直面している海堂は、振り返らずに短く訊き返した。

「その、いつも本当にごめんね。それから……助けてくれて、ありがとう」

 嬉しそうなその声で、彼女が微笑んでいることは、背を向けている海堂でも判る。

 ハッキリ言ってとどめだった。

 両の頬が更に熱を持つのを感じた海堂は、特に何も返さず、止めていた足を再び動かした。





 ――そんなことがあった、翌日である。

「あの……海堂くん」

 おずおずと呼びかけられて振り返ると、そこに居たのはテニス部二の姫――ではなく、この二年七組でと一番仲がいい、瀬川あゆなというクラスメートだった。

 おとなしくてあがり症のあゆなは、と気が合うらしく、クラスの中でよく二人は行動を共にしている。

「……何だ?」

 海堂は、このあゆなを相手にするのも得意ではなかった。

 つい目つきがきつくなってしまう。

 案の定、あゆなは「ご、ごめんね、突然」と慌てて謝る。

「あのね、実はさっきちゃんが……」

「……が、どうした?」

 海堂は、ほとんど話したこともないクラスメートの少女の口から出てきた名前に、少し真剣な表情になって訊き返す。

「その、三年生の……多分、手塚先輩や大石先輩のファンの人達と一緒に、廊下を歩いて行くのを見たの」

「なっ……!?」

 海堂は、言葉を失って双眸を見開く。

 ――つい昨日、言ったばかりなのに。

「あいつ……ッ!!」

 ガタンッと音をたてて、海堂は立ち上がった。

「あのっ、あのね、海堂くん!」

 今にも教室を出て行きそうな海堂を、あゆなが慌てて呼び止める。

 海堂は「何だ?」と、自然に鋭くなった双眸を向けた。

「多分なんだけど、ちゃんが連れて行かれたのは、体育館裏だと思う」

「体育館裏?」

 海堂が訊き返すと、あゆなは躊躇もなく、「うん」と頷く。

 すると、海堂はなぜそれが判るのかを不思議に思ったらしい。

 彼の表情からそれを察したあゆなは、説明することにした。

「結構有名なの、あの人達……手塚先輩や大石先輩に、ちょっとでも近づいたりした人をよく呼び出してるって」

「そうか…」

 少し納得したような海堂に、あゆなは「あとね」と付け足す。

ちゃんって……今回に限らず、いつも素直に呼び出されちゃうでしょ? それって……――」

 あゆなからそれを聞いた海堂は、まるで不機嫌になったような表情をして、二年七組の教室を出て行った。





 ――どんッ!

 勢いよく突き飛ばされた二の姫の身体は、体育館裏の壁に打ちつけられた。

 小さな悲鳴をもらしたは、蹌踉めいたまま、壁にもたれる形になる。

「調子に乗ってんじゃないわよ」

 そんなに、女生徒の一人が容赦なくきつい視線と声を投げつけた。

「……何が…ですか?」

 は壁にもたれていた身体を立たせながら、僅かに震えた声で訊き返す。

「決まってんでしょ!? 手塚くんと大石くんのことよ!!」

「すっとぼけてんじゃないわよ!!」

 の醸し出す弱々しさは、この少女達を余計に苛立たせていた。

「どうやったんだか知らないけど、テニス部のマネージャーになって、手塚くんや大石くんに馴れ馴れしくして!」

「他のレギュラーにまで愛想振りまいてるし」

「彼らはあたし達のアイドルも同然なんだから!」

「そうよ、勝手にあんた達だけ馴れ馴れしくしないで!!」

「超許せない!!」

 合わせて五人の少女達は、二の姫に怒りのすべてをぶつけた。

『あんた達』とは、と同じマネージャー――のことも含んでいるらしい。

 個人目当てで来る者も居れば、このようにマネージャー三人が目当てだが、ガードの固い(強い)を避けて、脆く見えるに集中してくる者も居る。

 ――そのことは、当事者であるやマネージャー達以外にも、知る者が居た。

 常にデータ収集を行っている乾や、勘の鋭い不二、そんな彼らから話を聞いている手塚や大石、菊丸、河村。

 そして、マネージャー達のクラスメートである少年達だ。

 その一人――海堂が、丁度この刻、体育館裏手に走ってきた。

 ちっとも息を乱していない彼は、少し様子を窺うようにゆっくり近づいてくる。

 も少女たちも、彼の存在にはまったく気づいていなかった。

「そう言われても、私は……私達は、マネージャーとして、テニス部の皆さんのお手伝いをしているだけです」

 完全に壁から背を離し、しっかりと立って、は琥珀の瞳で彼女たちを見据えた。

 自分もも、全国を目指す彼らの手伝いを懸命にこなしているのだ。

「なっ…何が『マネージャーとして』よ!?」

「生意気〜! 全然マネージャーらしくないくせに!」

 サクッと心に何かが突き刺さるものの、はそう言われるのはもう慣れっこだった。

 少女達の怒りは、収まる傾向を見せない。

「大体、何であんたなんかがマネージャーになれたのよ!?」

 昨日も――いや、今までにも何度か訊かれたことがあった。

 はともかく、がマネージャーになれたことが、不思議に思う、もしくは納得いかない者が多いらしい。

 は「何でって言われても……」と困惑する。

 そんなこと、どうやって説明したらいいのだろう。

「案外、その弱っちいところを利用したんじゃない?」

「泣き落としとか」

「ありうる〜!」

 少女達はを馬鹿にするように笑い始めた。

(――!)

 もちろんそれが聞こえた海堂は、一層瞳を鋭くする。

 そしての瞳も、大きく見開かれて――凍りついた。

「そうでしょ!? その弱っちい態度で、手塚くんや大石くんに泣きついたんでしょ!?」

「特に大石くんとかって、優しいからね〜」

 最もらしいことを言いながら、少女達はを嘲笑う。

 彼女達は、自分達もマネージャーを志願したのだが、採用されなかった。

 なので、採用されたに憂さ晴らしをしているのだ。

 海堂は「フシュー」と息をついて、割り込んでいこうとした。


「――いい加減にして下さい!!」


 その声がして、辺りは一瞬静まり返った。

 海堂も思わず足を止める。

 声を上げた少女――の琥珀の双眸には、怒りを表すような光がたたえられていた。

「なっ、何よ、いきなり」

「そうよ、今更……生意気よ。何が『いい加減にして下さい』よ!?」

 一瞬だけ驚いた少女達は、しかしすぐにまた強気な態度を取り戻す。

 だが、はいつものようにおどおどと後退ることはなかった。

「手塚部長も大石先輩も、他のレギュラーの人達も、部員の人達も、みんなテニスが大好きで、真剣に全国を目指しているんです!! 私もそうだから、ちゃんもちゃんも……テニスは実際に出来ないけど、その『気持ち』が同じだから、部長や大石先輩達は解って、認めて下さったんです!」

 真剣な気持ちも無い『泣き落とし』なんかで、大切な仲間入りを認めるような、そんな人達ではない。

 彼女達にその気はなかったのだろうが、からしてみればそれは充分、テニス部員達を侮辱されたことになる。

「あなた達は、手塚部長や大石先輩達が好きなのに、そんなことも解らないんですか!?」

 僅かに哀しみを含んだような、怒り――。

 ――こんなを、海堂は初めて見た。

 いつだって、何も強く言い返せずに、怯えていたのに。

「なっ…何ですって!? 言わせておけば……ッ!!」

 かぁっと怒りを込み上げさせた少女の一人が、に向かって手を振り上げる。

 は覚悟を決めるように、ぎゅっと琥珀の瞳を閉じた。


 ――っ!?


 少女の手が、何かに当たった音はした。

 が、それは遮られたような、受け止められた音だ。

「えっ、なっ……!?」

 少女の手をへ振り下ろされるのを止めたのは、とある少年の腕だった。

 彼の出現に、少女達は言葉を失って立ち竦む。

 いつまでも衝撃が降りてこないのを不思議に思ったは、そぉっと琥珀の瞳を開く。

「……か……海堂…くん……?」

 見上げたの瞳に映ったのは――見慣れた、クラスメートの背中。

 を打とうとした少女の手は、海堂の左腕に受け止められていた。

「う、嘘っ…!? な、何で海堂くんが…っ!?」

 少女は慌てて手を引っ込めて、後退る。

 他の少女達も、じりじりと後退を始めた。

「――うるせぇ」

 低い声で零すと、持ち前の鋭い瞳で彼女達を睨みつける。

「二度とこいつにちょっかい出すな。さっさと行け!!」

 最後の部分で、声も瞳も一層鋭さを強くした。

 ただでさえ怖いと思われる海堂に睨まれ、怒鳴られた少女達は、先程の強気な態度はどこへやら、悲鳴を上げながら命辛々逃げ出して行った。

 ――少女達が走り去ると、海堂は「フシュー」とまたいつものように溜め息をついた。

「……海堂くん……?」

 の声で海堂の名が零れる。

 振り返ると、まだぼぅっとしたまま、瞳を大きく瞬きさせていた。

「……やれば出来るじゃねぇか」

「え……?」

 海堂は視線を違う方向へ向けながら、低い声で言った。

「言おうと思えば、言えるじゃねぇか。いつも、ああゆう態度してりゃいいんだよ」

 そのあと実力行使されるようならば、やはり助けが必要かもしれないが、何もしないでなめられっぱなし、というよりは遥かにいいと海堂は思う。

 と、途端にはまた、ぺたんと地面に座り込んだ。

 海堂は「お、おい!?」と焦る。

「…………っく……」

 段々と俯いたから、嗚咽が漏れ始める。


 ――『氷』が溶け始めた。


 今まで凍りついていた涙が、溶けて、一気に流れ出す。

……!?」

 海堂はいつも以上に、どうしてやればいいか解らなくなった。

 とりあえずしゃがんで――の傍らに片膝をついてやる。

「本当は……本当は、すごく怖かったの。でも、悲しかった。嫌だった。許せなかった。手塚部長や大石先輩や……海堂くん達が悪く言われるのは、絶対に」


 ――ああゆう刻は、心を『氷』にしなきゃいけない。

 そうしなきゃ、心が壊れてしまうかもしれないから。

 それが、自分の表せる唯一の強さだから。


 涙と一緒に、零れ落ちるの声。

 微かに震える細い肩。

 海堂は手を伸ばしかけて――に触れる寸前で止まって、ぎこちなく戸惑う。

「……お前、こうゆう呼び出しに馬鹿正直に応じてんのは、他の奴を巻き込まないためだって、本当か?」

 結局行き場の決まらない手のひらを握りしめて、海堂は問うた。

「え……?」

 は俯いたまま瞳を見開く。

「さっき、瀬川から聞いた」

 その言葉で、は小さく納得した。


ちゃん、前に呼び出しに応じなかった刻に、関係のない他の女の子が巻き込まれちゃったらしくて……それ以来、『誰にも言うな』とか、そういうことが書かれてある刻は律儀に応じるようになっちゃったみたいなの。今回の人達も、言うこときかないと他の子をひどい目に遭わせちゃうって噂だから……』


 あゆながそれを知っているのは、何度かに対する呼び出し状の、言うことをきかない場合に巻き込まれてしまう『他の子』に、彼女がよく選ばれるからだ。

 暫しの沈黙の後、は「うん……」と、小さく頷いた。

「……理由はわかったが、のこのこひとりで行くんじゃねぇ。必ず俺に……いや、誰かに声かけろ。お前がひとりで行っちまうのは勘弁してほしいって、たちが嘆いてたぞ」

 自分も、とまで言える海堂ではなかった。

 彼の胸の内をつゆも知らないは、ようやく微笑する。

「うん……ごめんね、心配……迷惑、かけちゃって」

「別に、どうってことねぇ」

 ――それは、の予想に反した答えだった。

「……海堂くん、怒ってない…の?」

 海堂の声は、少々ぶっきらぼうではあるが、怒っているようには感じられなかった。

「……何でだ?」

 海堂はがなぜそんなことを訊いてくるのか、本気で判らなかった。

「私、海堂くんに迷惑かけてばかりだから。昨日も……だから、海堂くんを怒らせちゃったなって……嫌われちゃったかなって思ってた」

 弱い自分が哀しくて、情けない。

 そのせいで、いつも迷惑をかけてしまっているから、と、は目元を拭った。

「べ、別に……んなこと、ねぇよ」

 海堂なりに、精一杯言ったつもりだった。

 でも、正視が叶わない。

 自然と頬が熱を持ってしまうが、海堂にはどうしようもなかった。

 は、にこっと小さく笑う。

「……ありがとう、海堂くん。やっぱり、海堂くんって……優しい…」

 言葉を紡ぎながら、の声と表情は段々と涙ぐんでいく。

 数秒もしないうちに、再び透明な雫が零れ出した。

「こ、今度は何だ…!? おい、?」

 再び泣き出したに、海堂は訳がわからなくて慌てた。

 自分のどこが『優しい』のかも、がなぜまた涙を零すのかも、わからない。

 ――安心したのかもしれない。

 自身、理由はきちんと判らないのだが――やはり、海堂に嫌われたくなかった。

 ぐすぐすとの嗚咽は中々おさまらない。

 困り果てて、色々と考え抜いた海堂は、先程行き場を失った手をもう一度伸ばして。

 ――それをの長い黒髪の頭に、ぽんと軽く乗せた。

「……っ」

 その瞬間、は俯いたまま、琥珀の瞳を見開いた。

 大きくて、温かくて、優しい手。

「海堂…く……〜〜〜っ」

 気持ちがあふれて、言葉にならない。

 が更に泣き出してしまったので、海堂は余計に困ってしまった。




 ――今、少女の『心』の氷が溶けた。

 衝撃から守るために凍りつかせた、花氷のような、二の姫の『心』。

 少し不器用な優しさに触れて今、氷は涙となって溶け、少女自身の『花‐こころ‐』がその花びらを舞い散らせた。





                     end.





 《あとがき》
 海堂くん&二の姫ドリーム、第三弾。前回に続いて、様、またも泣いてます;
 テニス部の姫君達は、それはそれは色んな方々に呼び出されたり、つけ回されたり、
 変な事件に巻き込まれたりするんですが(汗) 二の姫である様は、三人中では総合的に非力なんですね。
 その分、芯の方は強く…しようと思ってますが(苦笑)
 そう、様が非力だから、クラスメートが海堂くんなのかもしれない(笑)
 いや〜、難しいですね、海堂くんは(笑) 見てる分には面白いですけど(^^;)
 同級生カップリングの(桃くん&様、海堂くん&様、リョーマくん&様)の中で、
 いっちばん微妙なんですよね、このふたり(ちょっと力こもってる/笑)
 桃くんと様はこの三組中、一番仲がよく、しっかり『友達』に定着してます。
 リョーマくんと様は『ケンカ友達』状態ですが、それで互いにコミュニケーションがとれてるので、とりあえずよし(笑)
 そして。海堂くんと様は、お互いに『友達』と思っていいのかすら不明(苦笑)
 まぁそれが後にゴールインへの早道になる…のかもしれないです;
 とにかくこのふたり、エピソードだけはかなりたくさんあるので(笑) 出来るだけ早く消化していきたいと思います〜;

                                written by 羽柴水帆