――心の奥に残っている『記憶』。

                    凍りついた、熱い想い。

                   いつか溶ける日まで――――。





                    熱き氷、抱く海





 授業とHRが終わったは、大急ぎで教室を飛び出した。
 校舎裏まで来ると、辺りをきょろきょろと見回す。
 誰も居ないことを確認して、ミクロッチのスイッチを押した。



「みんな! 大丈夫!?」
 が、基地の救護室に駆け込んできた。
……?」
 中に居るアーサー、イザムは驚いたように彼女を見やる。
「ごめんね…! 授業、抜けられなくて……!」
 乱れた息を整えながら、は二人に頭を下げた。
 ――先程、がまだ授業の最中だった刻。
 アクロイヤーが出現したという知らせが、のミクロッチに密かに届いた。
 しかし、現役中学生であるが、授業を抜けるのは困難だった。
「いいんだよ、
「アクロイヤーは、何とかオレ達で片づけたし。街の被害もほとんど無かった」
 真面目で責任感が強いに、アーサーとイザムは極力穏やかに言う。
「二人は? 大丈夫なの?」
 咄嗟にはそう訊き返した。
 救護室に居るということは、それなりの怪我を負ったのでは、と思ったからだ。
「私達は大丈夫だ。ただ、ウォルトが……」
 そこまで言いかけて、アーサーはイザムと顔を見合わせる。
「ウォルト? ウォルトが怪我したの!?」
「身体に傷は負ってない」
 顔色が変わったの声のあと、イザムの言葉がすべり込む。
「え? 身体に傷は…って、どうゆうこと?」
 が不安げに訊き返すと、アーサーとイザムはもう一度顔を見合わせて。
、実は……」
 少し辛そうな顔をしたアーサーが、口を開いた。



 ベルタに頼んで、ウォルトの現在地へと転送してもらったは、彼を見つけることが出来た。
 海の見える、埠頭の公園の片隅。
 海沿いの手摺の上に、ぽつんと座っている。
 空と時は、夕暮れ。
 海にゆっくりと溶け始めた夕陽が、その色を深く染めてゆく。
(え……?)
 ウォルトのそばへ歩み寄ろうとして、はふと立ち止まる。
(――嘘……)
 淡い潮風に吹かれながら、陽の沈む海を眺める、横顔。
 彼のその横顔を、は見たことが無かった。
 ――いつも生き生きと輝いていた、瞳。
 振りまくほど明るかった、笑顔。
 それが、『彼』だと思っていた。
 けれど――今の彼には、そのどちらも無い。
 瞳にも表情にも輝きが無く、ひどく淋しそうで。
 水平線を見つめる瞳は、どこか虚ろだ。
(そんな……)

 ――だって、ウォルトはいつも元気で、明るくて。
 お調子者って言われても、怒りながらも否定はしなくて。
 いつもみんなに、笑顔を分けてくれる人だったのに。

 今まで、こんなウォルトを見たことなど無かった。
 大体ウォルトなら、海へ来たなら、眺めるよりも先に飛び込んでいるはずだ。
『身体に傷は負ってない』
 先程のイザムの言葉が、は痛いほど解った。
 そして、アーサーの話も――。



 先程アーサーは、今日あった戦闘でのことを話してくれた。
 今回の敵は、氷を作り出すアクロイヤーだったらしい。
「氷ったって、凍る前は水じゃねぇか!」
 自分だって引けはとっていないと言うように、ウォルトは得意のウォーターホイッパーを繰り出した。
 しかし、敵は水を凍らせることも可能だったのだ。
 ウォルトの放った水を利用して、周りを凍らせ始め、ついにはアーサーとイザムまで氷の中へ閉じ込めてしまったのである。
 ――その刻のウォルトの表情は、文字通り凍りついたようだった。
 幸いオーディーンが居たため、彼の炎で氷を溶かし、敵も倒すことが出来た。

 けれど、ウォルトは心に深い傷を負ってしまった。
 と言うより、昔の傷が開いてしまったのだ。
 ――彼らの故郷、ミクロアース崩壊の刻。
 ウォルトはすべてが凍りついていくのを、見た。
 草も木も花も、飛行艇が在った空港までも。
 目の前がみるみる凍っていく様が、飛び立つ寸前まで、瞳を通して心に焼き付いた。



 自分の力が、仲間を凍らせた。
 あの思い出したくもなかった氷の地獄を、自分の力が再現させてしまった。
 薄暮の紫色に染まってゆく海を眺めながら、ウォルトは深い溜め息をつく。
「……ウォルト」
 潮風に紛れて、名前を呼ぶ声が聴こえた。
「あれ、ちゃん?」
 ウォルトは心底「どうしたの?」という顔をする。
 何故がここへ来たのか、判らないからのようだ。
「あ、あの……アーサー達から話、聞いて……」
 気まずそうに言うと、ウォルトは「ああ、そっか」と言って力無く笑ってみせた。
「となり、座ってもいい?」
「ん? ああ、いいよ」
 一応訊いてから、はウォルトの隣りに座る。
 彼の横顔を見上げると、が来たためか、先程よりは微かに笑みが戻っていた。
「あの……大丈夫?」
「え? ああ、平気平気。ちょっとドジ踏んで、嫌な思い出、思い出しちまっただけだからさ」
 そう言って、ウォルトは苦笑した。
「アーサーとイザムは? 大丈夫そうだった?」
「うん。二人とも、もう平気みたい。逆にウォルトのこと心配してたわ」
 深刻な顔で謝ってくるウォルトの方が、アーサーとイザムにとっては心配だった。
 ウォルトは「あいつら……」と言って、また淋しげに笑う。
「その、ごめんね、私……間に合わなくて」
「へ? 何でちゃんが謝るんだよ? ちゃんが学校行ってる刻に出てくるアクロイヤーが悪いんだから、気にすること無いって!」
「それは、そうなんだけど……でも……」
 自分が居たって、何も変わらなかったかもしれない。
 けれど、変わったかもしれない。
 どちらにしろ、何もしてあげられなかったことが申し訳なくて、情けなくて。
 は、謝らずにはいられなかった。
 ウォルトは苦笑するように笑う。
「オレがこんな顔してるからいけないんだよな。ごめん、こんなのオレらしくねぇよな」
 は責任感が強くて真面目で、優しいから。
 自分がこんな調子だから気にしてしまうんだと思って、ウォルトは悲しみを振り払おうとした。
「そ、そんなことないよ!」
 突然、はウォルトの腕を掴んだ。
 ウォルトは「え?」と、青い瞳を見開く。
「そりゃ…ウォルトは、明るくて元気なところがいいところだし、らしいと思う。でも、仕方ないじゃない。辛い思い出があるんだもの……。それに、誰だって悩んだり落ち込んだりするもの。だから溜め込んだり、無理に振り払わないで」
 ――見過ごした傷は、きっとまた悲鳴を上げるから。
 の瞳が揺れる。
 ウォルトは丸くした青い瞳を、幾度か瞬きさせた。
「ご、ごめんね、変なこと言って…! あの、私に出来ること、ない?」
 ハッとしてウォルトの腕を放し、は俯きながら問う。
 暫くの間、潮風と打ち寄せる波音だけが流れた。
 ふっと、軽く笑う声が聴こえる。
 不思議に思って顔を上げると、ウォルトはにっこりと笑って。
ちゃん、かーわいい♪」
 後ろから、ぎゅっとを抱きしめた。
「きゃ! ちょ、ちょっとウォルト!?」
 真剣に言ってるのに、と思いながら、は藻掻こうとするが。
「……ごめん。ちょっとの間、こうしててくれない?」
 ふいに聴こえた声は、低くて淋しげで。
「…うん」
 は、こくんと小さく頷いた。
「サンキュー、
 安堵を含んだ暖かな声が響いて、包まれた腕に力がこもる。
 夕陽に照らされたからだけではない理由で、紅く染まったの頬。
 ドキドキと高鳴る鼓動を鎮めるように、自分を抱きしめるウォルトの腕に、そっと手を添えた。
「……ウォルトは、ひとりじゃないからね」
 ひとしずくの、暖かな言葉。

 ――『氷』が溶ける――。

 心に波紋が広がってゆく。
「……ああ、よく解ってる。ありがとな、
 たったひとりの存在だけで。
 たった一言の言葉だけで、胸の中の氷は溶ける。
 何よりも大事で、何よりも暖かな、『大切な人』が居れば――。



 やがてウォルトはを放して。
 再び、ラベンダー色に染まった空と海を青の瞳に映した。
「……ねぇ、ウォルト。水とか、海……嫌いになった?」
 心配そうに、訊ねる
 今回のことで、氷を作り出すもの――『水』を、その集大成である『海』を、嫌いになってしまったのではないかと思ったのだ。
 ウォルトは「ん?」とを見やって、
「……まっさか!」
 いつものように、明るい笑顔を浮かべた。
「それとこれは別! オレの海好きは未来永劫、変わらねぇさ!」
 立ち上がって、夕暮れ色の海に向かって叫ぶウォルト。
 はくすっと笑って、「…やっぱり。よかった」と呟いた。
「よぉっし! 行くぞ!!」
「え? う、嘘!? ちょっと待っ…――ッ!?」
 信じられないと思ったのも束の間。
 はウォルトに抱えられて、いきなりラベンダー色の海へと飛び込まれてしまった。
 熱き氷をも抱き続ける、『海』へと――。


 辛いことや、悲しいこと。
 心に受けた『傷』は、そう簡単には治らないけれど。
 時の流れと、暖かな『大切な人』の存在が、きっと癒してくれる。
 海の中で、きっといつか、『氷』が溶ける刻が来る。
 人は決して、ひとりではないから――。




               end.




 《あとがき》
 ウォルトくんドリーム、第二弾です。う〜ん……どうでしょう?(苦笑)
 今回はウォルトくん、珍しくちょっとおとなしかったです(笑)
 これも夢で見たことだったんですけど、何でウォルトくんが落ち込んでるのかが
 判らなかったんですよね;(肝心なとこなのに/涙)
 そこで「そういえば…」と、以前に感じたことを入れて書いてみました。
 彼の証言によれば(笑)、ミクロアース崩壊の刻は「すべてが凍りついた」ということ
 でした。現実化プレイバックされて、すごく苦しんでましたよね。
 その刻、「ウォルトくん、こんな思い出があるのに、水を嫌いにならなかったんだ…」
 と思ったんです。たとえば、小さい時に溺れたりして、水が苦手になっちゃう人って
 いますよね。なのにウォルトくんは、今でも「海も水も大好きv」だから。
 私としては、彼が水嫌いにならずにいてくれたというのは嬉しいし(水属性だから/笑)
 すごく強いなぁって思いまして。そしたら、こんなのが出来上がりました(苦笑)
 ウォルトくん大好きですv(笑) 読んで下さって、ありがとうございました!

                          writte by 羽柴水帆