……それは、神すらも予測できなかった、時空の命運をかけた物語。




「――が消えた、って、どういうことだよ!?」
 初夏の光が降り注ぐ土御門殿に、焦れたようなイノリの声が響きわたる。だが、その問いに正確に答えられる者は、誰ひとりいない。重い沈黙を、龍神の神子である少女・あかねが静かに破った。
「二人は……もう、どこにもいません――この時空の、どこにも」
 八葉と星の姫が、鋭く息を呑む。強く駆け抜けた風に、藤の花が大きく揺れた。



              ――運命の流転……。

          それは、あったはずの未来を無へと還し――

            なかったはずの未来を呼び起こす。




「やっ、めろぉぉ――――っ!!」
 時見の少女の手に出現した『蒼穹』が、黒髪の娘の太刀を真っ向から受け止める。どちらが勝っているわけでも、負けているわけでもない。二つの気がぶつかりあい、めくるめく閃光があふれ、風が吹き荒れた。
「お前に、お前に私の何がわかる!?」
「わかるわけっ、ないさ……!!」
 自身を押し潰そうとする気の重圧に耐えながら、は必死で口を動かす。
「私はあなたのこと、何も知らない……! だから、あなたの気持ちは、わからない!」
 荒れる気の奔流に耐えきれず、周辺の木々が折れ、地面がわずかに陥没する。四肢が切り裂かれ、頬に幾筋もの赤い線が弾け、頭髪と装束がはためいた。
「でも――でも、あなたが泣いていることはわかるっ!!」



                とどめられた時間。

              分かたれた空間。そして――。




 それは闇の中で、唇の端をつり上げた。
『……もうすぐ……もうすぐだ……』
 暗い歓喜と怨嗟の念を含んだ両眼が、炯々と輝く。
『最後のひと時を楽しむがいい、忌々しき者どもよ! 必ずや貴様らを殺してくれる! 貴様らだけではない、この世界そのものを破壊と死で貪り尽くしてくれようぞ――!!』


 ずっと傍に在るのだと思っていた。いつの間にか、それが当たり前になっていたから。
「もう……この手はとどかない。声も。約束、したのにな。俺が、護るって……」
 天真は切なさに眼を細め、最後に「彼女」を抱きしめた掌を握りしめる。



         混迷の時空に、新たな運命が動き出した――。



 光のひとつが明滅する。まるで呼吸をしているかのような、そんな光り方である。
『運命は常に創られる。命がある限り、それは終わることのない螺旋……』
「教えて下さい! 私たち、この時空で何をすればいいのですか!」
 たまりかねたように、が声を上げた。


 黒曜石の瞳に、強く、それでいて暗い輝きが宿る。
「そうと知っていれば、あの時首を刎ねていたものを……っ!!」
 物理的な苦痛を感じそうなほどの眼光に、はただただ首を横に振る。
「何で、何で……! 私たち、友だちじゃないっ……!!」


「殺した、か。――否定はしない」
 空癒の少女の身体を抱きしめたまま、泰明は淡々とした口調で言った。思わず向けられた藍の瞳に、陰陽師の青年がまるで泣いているかのように、顔を歪めているのが映る。
「……泰明さん……」
「――すまない、。いまの私は、お前に何もしてやれそうもない……」
 左右で色の異なる双眸が、痛みをはらんで閉ざされる。



               滅びへと向かう都。

           百年の間に消え失せた、大切な何か。




 それまでずっと前を歩いていた背が、初めてこちらを振り向いた。
「悪いが、オレは、まだお前たちのことが信じられない」
 鮮やかな色の瞳に浮かぶ、まぎれもない猜疑心。声が、顔が似ているからこそ、イサトの言葉はの心に深く突き刺さった。


 勝真の眼光が、激しいものをたたえて時見の少女を射抜く。
「馬鹿馬鹿しいとか思わないのか……!? 自分たちが命がけで護ったものが、たったの百年で、このザマなんだぞ!?」
 若葉色の瞳は、どこまでも深く地の青龍を映す。


 漆黒の髪の陰陽師は、弟弟子に背を向けたまま呟いた。
「――己自身で確かめなければ、たとえ真実でも、偽りとなるだろう――」
 いまは――そういう時代なのだ。哀しいことだが。
 小さな音を立てて、火の粉がはぜる。泰継は感情のこもらない眼差しを、兄弟子に注いだ。左右で色の異なる瞳が、揺れる炎の欠片を映している。
「信じる、か。私にはよく理解できないが、それでも、兄弟子の言っていることは、わかる気がする」
 そうか、と薄く笑い、泰継の兄弟子は庵を出ていった。



      交錯する様々な想いが、戦いの火蓋を切って落とす――!!



「負けるわけには――いかないのよ!!」
 一転して跳ね起きたの手に、白銀の輝きが集う。一瞬の間をおいて、それは錫杖へと姿をかえる。
 空飛ぶ悪夢は、猛々しい鳴声を上げ、少女に向けて急降下する。虎の爪が凶悪なまでの光を放った。
「――退けっ!」
 涼やかな音を立てて、『翠嶺』の先端が地面を突いた。藍の瞳の少女を包むように、半球状の結界が展開する。鶚の身体が正面から結界にぶつかる。


 一撃をかわしたところで、膝から力が抜けた。視界が暗転し、紺の髪の少女はたまらず地面に片膝をつく。大きく息をつこうとして――喉の奥から、何か熱いものが込み上げてきた。口元を押さえた手が、鮮やかな赤に染まる。
 肩にかかった黒髪を背へと払い、娘は酷薄な笑みを浮かべる。
「どうやら――終わりの時がきたようね、時見の少女」


「こ……っの、雑魚どもが――――っ!!」
 怨嗟の叫びとともに、瘴気が爆発する。大地に亀裂が走り、草木が薙ぎ倒される。大気が悲鳴を上げ、大小の石が粉砕され、一同の髪や装束が音を立てて翻った。先ほどの突風とは比べものにならぬ衝撃波が、全てを呑み込んでいく。
「彰紋くん――!」
 花梨は傷つき震える足を叱咤して立ち上がり、五行の力を放出する。何とか力を送り終えたところで、少女は力つきたように大地に膝をついた。そんな彼女の前に、小柄な少年が滑り込む。龍神の神子である少女を護るように、両腕を精一杯ひろげる。
「間に合え――岩堅耐援っ!!」
 ――落雷のような音が、京という空間を震わせ、禍つ光が地上で炸裂した。


 ひび割れた空の下に、恐ろしいほどの咆哮が轟く。
「倒すよ、!!」
 それを正面から睨みすえ、は『蒼穹』を構えた。
「うん、あれだけは、絶対に倒そう!!」
 大きく頷き、は血と埃に汚れた顔を手の甲で拭う。



         果てに見るものは、光か、闇か――――。



「ねぇ、ちゃん……」
 こん、と藍の瞳の少女は、隣にある肩に頭を預ける。
「やるべきことをやったら、絶対に還ろうね――」

 ――大切な人の待つ、あの時空へ。

 親友を映す若葉色の双瞳が、微笑を含んで光る。
「うん、還ろう。二人で一緒に――還ろうね」





          ――――流転時空草紙――――







           「――――お前が、好きだ」