――――気が強くて、少し喧嘩っ早くて。
          打ち解けてから見せてくれた笑顔は、快活だけど。
                瞳は、どこか淋しげだった。





                 狼の涙、兎の涙





 なぜこんな日にも、空は青く澄み渡っているのだろう。
 ――そんなの、自分を中心に世界が回っているわけではないからに決まっている。
 京の洛北に存在する、船岡山という場所で。
 地の青龍として選ばれ、この地に神子と共にやって来た少年は、自嘲気味な思いに包まれていた。
(何考えてるんだろうな、俺は……)
 けれども、こんな日ぐらい、明るい太陽を雨雲で隠してくれてもいいじゃないか。
 ――まぶしすぎて、辛いのだから。
 そう思えるほど、今の天真の気持ちは胸の奥底にまで沈んでいた。
 ではなぜ外へ出かけてきたのかと言うと、そうでもしないとイライラする思いが高まって、周りの者を傷つけかねないと思ったのだ。
 特に――彼女に対しては、それだけは、避けたかった。
「――天真くん!」
 樹木に片腕を当てて、寄り掛かっていた天真はハッとする。
 振り向いてみると、そこにはやはり、龍神の神子である少女が居た。
「なっ……?」
 どうして彼女がここに居るのか、天真には解らなかった。
「何でお前がここに居るんだ? 何しに来たんだよ?」
 つい先程、を傷つけることだけは避けたいと、思ったばかりなのに。
 彼女の方からここへ来てしまうなんて、どういう訳なのか訊いてやりたくなった。
「え? 何しに来たって……その、天真くんのことが気になって……」
「俺のこと?」
 と、それまでおずおずとしていたが、パッと顔を上げる。
「そしたら頼久さんと詩紋くんが、天真くんが出かけたって教えてくれてね。すぐに追いかけたつもりだったんだけど、見失っちゃったの。そこで……あ、東寺でね、イノリくんと永泉さんに会ったから、『天真くんのこと見なかった?』って、訊いたんだけど……」

「天真? あぁ、見たぜ! 一条戻り橋を、すごい勢いで歩いてった。あんまりすごかったから、声かけそびれちまったよ」
「あ、あの、私は……糺の森で、お見かけしました。何やら思い詰めたご様子で……暫く歩き回られていましたが、私が声をおかけしようか迷っているうちに、どこかへ行ってしまわれたようで……」

 自ずと、「すみません」と、謝る永泉の姿が想像できた。
 実は天真は、船岡山に来る前、頭を悩ませながら色々な所を歩き回っていたのである。
「それでまた困ってたら、鷹通さんと友雅さんに会ってね」
 そいつらも出てくるのかよ、と天真が胸中でつぶやいた。
「稀代の陰陽師のお弟子殿に、訊いてみたらいかがかな?」
 相談したら、地の白虎からそう言われたのだと言う。
「――で、結局、泰明も出てくんのか?」
 半ば呆れ顔のようになる天真。
「うん! 私たちが話してたら、すぐに来てくれたの」
 毎度と同じように、「私に用か?」と、皆の後ろに突然、現れてくれたらしい。
 そして、人の『気』を読める彼は言った。
「天真なら、船岡山に居る」

 ――――そうして、龍神の神子は八葉たちのおかげで、ここへ辿り着いたのである。
「……そりゃ、ご苦労だったな」
「みんな、天真くんのこと心配してたよ」
 ようやく『仲間』と呼べる存在になった者たちを思い起こして、天真は苦笑するように、小さく笑った。
「もちろん、私も」
 だからこそ、八葉たちに協力してもらって、ここまで来た。
「――っ」
 その瞬間、天真は勢いよく、夕陽色の双眸に少女を捉える。
 は、遠慮がちな笑みを浮かべていた。

 ――太陽を避けたいと思った理由は、これと同じだ。

 誰にも平等に降りそそぐ陽の光は、まるで、この少女そのもののようで。
 今は何だか、目を合わせにくかった。
 その厚意に甘えられなかった。
「俺のことなんか……気にする必要、無いんだ」
 地の青龍である少年は、神子から、京の都が見える方へと視線を逸らした。
が、こんな、俺のことなんか……」
「天真…くん……?」
 何だか、出逢ったばかりの頃の彼みたいだと、は思った。
 乱暴な言動が多く、柄が悪いからといって、同級生たちから敬遠されていた頃。
 でもそれは、彼自身が人と馴れ合おうとしなかったせいでもあった。
 不良という貼られたレッテルを、剥がそうともしないで。
 ――本当は、すごく気さくで、優しいのに。
「天真くん……どうしたの? やっぱり……妹さんのことで、悩んでるの?」
 二年前から行方知れずになっていた、天真の妹。
 彼女は今、この京で、鬼の首領の操り人形同然となってしまっている。
 と、図星をつかれた天真は、ハッとして振り返る。
「あっ、ご、ごめんね! ごめんなさい……!!」
 反射的に、は目をつぶって謝ってしまった。
 ――彼が人を遠ざけるようになったのは、妹のことがあったからだ。
 ゆえにそう訊ねてみたのだが、余計なことだったかもしれないと思ったのだ。
 が、の予想に反して、天真は軽く噴き出してみせた。
「だから、俺に気ぃ遣うなって」
 ほんの少しだけれど、天真が笑ってくれたから。
 彼を怒らせてしまったかと思ったは、緊張の糸を解いていく。
 天真は、があまりに必死だから、つい可笑しくなったのだ。
 ――やっぱり……いつも、そうだ。
 この少女は、自分がどんなに頑なな壁を造っても、自然にそれを乗り越えてくる。
 分厚い氷の塊を、柔らかい光で、あたたかく溶かしてくれる。
「どうして……」
「え?」
「どうしては、そうやって俺に優しくするんだ?」
 ひょっとしたら、ずっと前から訊いてみたかった疑問。
「どうしてって、言われても……優しく、できてるかは自分でも判らないけど……でも、天真くんがつらそうだから、何か、私にできることは無いかなって、思っただけだよ」
 ――本当は訊かなくたって、判ったはずの答え。
 それが、という少女なのだから。
「……そうだよな。お前って、そうゆう奴だよな」
 天真は、苦笑するように笑った。
 だからこそ、彼女と友達になり、一緒に居るようになり――。
「そんなだから、俺は……守りたいと思った。を守ること、と一緒に居ることが、今の俺の……一番やりたいことだ」
 そうするのが、幸せだから。
「でもっ、それじゃ駄目なんだ! あいつが、蘭があんな目に遭ってるのは、俺のせいなのに……!!」
 天真は両手の拳をぎゅっと握りしめ、に背を向けた。

『――お兄ちゃん』

 声は、何となく聴き憶えがあるような気がする。
 けれども、今では笑った顔すら、思い出してやれない。
「天真くん……蘭、さんが行方不明になったのも、今みたいになったのも、天真くんのせいじゃないよ」
 彼の妹――蘭が京に呼び寄せられ、鬼の一族の一人となってしまったのも、すべてその首領の仕業なのだから。
「頼む……優しくしないでくれ」
 背中を向けたままの天真の声から、覇気が失せる。
 それどころか――涙の響きに聴こえた。
「天真くん!」
「つらいんだ! お前に優しくされるたび……幸せを感じるたびに、そんな資格なんか無いって、思い知る」
 胸の奥から、瞳の向こうから、熱いものが込み上げてくる。
 そして――心の底にしまっていた、一番の理由を言葉にした。

「あいつが幸せじゃないのに、俺だけが幸せになるなんて、そんなことっ、できっこないんだ!!」

 悲しみと悔しさを刻んだ天真の双眸から――すべての思いが、涙となってあふれた。
「天真くん――!」
 の目頭がじわっと熱くなり、新緑の瞳が一気に潤む。
 大粒の雫を零しながら、駆け出して、天真を背中から抱きしめた。
 抱きつかずにはいられなかった。
「…………」
 少し驚いたように、地の青龍はそのまま立ち尽くした。
 ――天真の思いは、痛いほど解る。
 こうやって抱きしめれば、もっと彼の心が流れ込んでくる。
 だから――とても、せつなかった。
「……ひとりで、何もかも背負い込まないで、天真くん。私にも、手伝わせて。一緒に、頑張ろ……?」
 想いが伝わるように、ぎゅっと抱きしめる手に力を込める。
……」
 ――心が、ふわりと、解き放たれる瞬間。
 天真は涙の残る夕陽色の双眸を、空へ向けた。

 ――優しい空の色、風の音。
 雲の声、鳥の歌、そして――太陽の光。

(あぁ、そうか……)
 地の青龍に選ばれし少年は、思った。
 空が青く澄み渡り、太陽がまぶしく輝いていたのは。
 きっと、自分を見守り、励ましてくれるためだったのかもしれない。
 今、自分を抱きしめてくれている、この少女のように。
 すっと静かに目を閉じる天真。
 今度は、悲しみとは違う理由の涙が、一筋流れた。
(都合良すぎか? それって……)
 自分の考えに苦笑して、瞳を開く。
 そこに映っていた昏い影は、もう霞んでいた。
「ありがとな、。お前って、本当に優しくて強くて……俺に、やる気を起こさせてくれる」
 天真は、背中からあたたかな温もりをくれる少女に、言葉を紡ぐ。
「妹を救い出さない限り、やっぱり、あいつが苦しんでるんだっていう思いは消えない。でも、だからこそ、早く助けてやろうって気が出てきたぜ。ホントに、ありがとな。協力……してくれるか?」
 少女の手の甲に、そっと自身の手のひらを重ねて問いかける。
「うん、うん…! もちろんだよ……!!」
 は嬉しくなって、何度も頷いた。
「サンキュ」
 少し照れくさくて、それだけ短く言った。
「って、なんかカッコ悪いとこ見せちまって、悪かったな」
 次の瞬間から、少しどころか、思い切り照れくさくなる天真。
 やり場のない手で、夕陽色の髪の頭を掻いてみる。
「もう大丈夫だ。だから――って、?」
 表情をシャキッと切り換えた天真は、ふと、いつまでも抱きついた手を放そうとしない少女をやや訝しく思い、呼びかけた。
「あ、うん、ごめん……」
 ようやく彼の背から、手を放した
「おっ、おい、!?」
 彼女の方を振り向いた天真は、ぎょっと驚いた。
 ――未だには、ぼろぼろと大粒の涙を零していたのだ。
「なっ、何でお前が、そんな……!?」
 何でそんなに泣いてるんだ、と天真は問いたかった。
 今の今まで、彼女が涙ぐんでいるぐらいにしか、思っていなかった。
「ご…ごめ……止まんなくて……!」
 天真へのせつない思いから、嬉しいものへと引き継がれた心の欠片が止まらない。
 ――とにかく、嬉しかった。
 いつもの天真に戻ってくれたこと。
 そして、自分が役に立てたこと、彼に必要としてもらえたこと、すべてが。
「天真、くん……もう……ひとりで、悩まないでね」
 小刻みに紡ぐの目元は、赤くなってしまっている。
「あ、あぁ……わかったって。さっき、協力頼んだだろ?」
 自分がここまで泣かせてしまったのかと、少々戸惑った天真だったが、慰めるように彼女の頭を撫でてやる。
「うん……!」
 涙の粒を煌めかせながら、はにっこりと微笑んだ。
 ――優しくて芯が強くて、だけど、目を赤くするほどの泣き虫。
 天真は、そんな可愛らしいが、放っておけない奴だと改めて思った。


 ――気が強くて、少し喧嘩っ早くて。
 打ち解けてから見せてくれた笑顔は、快活だけど。
 瞳は、どこか淋しげだった。

 群れるのを嫌う、そんな一匹狼のような少年が見せた涙。
 彼が守ろうと決めた、愛らしい兎のような少女は。
 まるで本当の兎のように、目を赤くしながら涙を零した。




                   end.




 《あとがき》
 え〜と、時空界二周年記念の羽柴水帆・初恋創作、遙か1Ver.です!(長い/笑)
 遙か1での水帆の初恋は、天真くんでしたv 歳も近くて(当時は/苦笑)、
 カッコよくて、少しぶっきらぼうだけど、優しいお兄ちゃんって感じで(笑)
 そんな天真くんの通常恋愛イベント三段階……智一さんの真に迫る演技も素晴らしく、
 ぼろぼろっと、思い切り泣いてしまいました(///)
 あ、今回はそのイベントをアレンジして、私が思ったことを書いたものです;
 冒頭はちょっと(?)違いますけどね。「天真くんが出かけた」というのは、彼と一番
 仲がいい八葉『一人』が教えに来てくれるんですけど。時空界の二周年記念日と、
 遙か1のTVアニメ放映開始日が同じ!ということで、ちょっと、せめて名前ぐらいは
 全員出してみたかったんです(笑) あと、みんな仲良しだと嬉しいなと思ったので。
 読んで下さって、ありがとうございました!

                                 written by 羽柴水帆



                        《back